09 操心の悪魔と陰鬱の魔女
どういう構造なのか分からないけど、どうやら外に出ることはできないようだ。
ひと通り部屋を調べ終わった俺は、徒労に終わった結果に落胆しつつ、再びベッドに横たわる。
まだ子供は眠り続けている。時間感覚があやふやだが、そこそこの時間は経っていると思うのに、一向に起きる気配がない。
本当に生きているのか不安になるけど、下手に触るのは危険だ。
三藤さんの時のように中に吸い込まれたら大変だし、相手が本当に神様だったり、それに近い力の大きな相手だったりしたら、下手をすれば俺の自我など一瞬で消し飛ぶ……なんてことも考えられる。
それを思えば、こうやって添い寝するのも危険なんだが……まあ、それはいい。
このままでは埒が明かないので、試しに現実世界に戻ろうとしたけど上手くいかなかった。まあ、こんな状況だけに、そんな気がしていたけど……
ならばと意識を浮上させたり、逆に深く潜らせようとしたけどダメだった。
つまりは、完全に手詰まりというわけだ。
残る希望はこの子だけ。
呼吸をしている様子がないのは、精神世界だから問題がない……はずだ。それに、顔色は健康だし、表情も安らかだ。
もうあとは、この子が自然に目覚めるのを待つしかない。
だからまあ、ふて寝というわけではないけど、横になって身体……というか精神を休めつつ、シズナたちが助けにくることを信じて極力消耗を抑えることにした。
まるで墨で塗りつぶしたかのように真っ暗な洞窟へと進んだ
外からは真っ暗で何も見えなかったのに、踏み込んだ先は、地面を含めて洞窟全体が淡く光を放っていて、わざわざ光源を生み出す必要はなかった。
どうやら別の隔離世に招待されたらしい。
その洞窟の奥、ほんの五メートルほど進むと扉があった。
取っ手らしきものは無かったが、ユカヤが近付くと真ん中から分かたれた二枚の扉が、左右にスライドしながら通り道を開けた。自動ドアなのか、それとも、この洞窟の主の意思なのかは分からないが。
「ご招待、ありがとうございます。お部屋に入ってもよろしいですか?」
「し、しょうがないでしょ……。あ、あんな場所で、騒ぎ立てられたら……迷惑極まりないもの。……は、話ぐらいは……聞いてあげるわ」
誰でもいいから出て来て欲しいと願っていたが、可能性としては騒々しい相手を黙らせるための罠ってことも十分に考えられた。
なので、その声──伝わってきた思念──は探し求めていた相手、
「では、お邪魔しますね」
部屋の中も洞窟っぽい雰囲気だった。
剥き出しの岩肌はしっとりと濡れていて、所々に苔が生えている。
そんな中で、
ユカヤが部屋の中へと一歩踏み出す。
床の苔は、湿っている感じがするものの、なんだか芝生のような弾力と心地よさがあり、まるで絨毯のようだった。
「こ、この前は……その……助けてもらって、悪かったわね……。ひ、久しぶりに外へ出たら……、その……パニックになって…………。本当に、助かったわ……」
「そうだったのですね。隠世は危険なんですから、気を付けて下さいね」
「そ、そうね……。今度から、気を付けるわ……。それより、ほら、椅子に座って。なにか、そうね……ハーブティーで、いいかしら?」
椅子やテーブルはキノコの形をしていた。
家具類は朽ちた木の幹や切り株、キノコやツタなどで、樹海の奥の隠れ家といった雰囲気で統一され、徹底されていた。
見たところ、ここは居間、もしくは応接室といった感じだろうか。
椅子には背もたれやひじ掛けはなく、座面はクッションのように柔らかかった。
テーブルの天面は平らで硬く、見た目が変わっているだけで、使い勝手は悪くなさそうだ。
それらを確認したユカヤは、キノコ型の椅子に腰を下ろす。
「どうぞ、お気遣いなく。私は少し確認に来ただけですので」
用意されたティーセットは硝子のような透明素材で、ポットやカップの持ち手には木材が使われていた。とはいえ、木材の中でも密度が高くて硬質なもので、陶器のようにつるりとした光沢を放っている。
なんともお洒落なティーセットだが、違和感なくこの風景に溶け込んでいて、優雅な雰囲気を醸し出していた。
フェイトノーディアは、よほどこの空間が気に入っているのだろう。調度品のひとつにも妥協を許さないといった強い意思が感じられる。
とはいえ、自分の隔離世ならばこだわるのも当然で、程度の差こそあれ、多かれ少なかれ創造主の意志が反映されるものだ。
コトリと音を立て、ユカヤの目の前にカップが置かれる。中は紫色の液体で満たされていて、それをフェイトノーディアが微笑みながら勧める。
「心を……落ち着かせる効果が、あるわ。甘いほうがいいなら、さ、砂糖もあるわよ。それとも、ミルクが……いい?」
「このままで結構ですよ。いい香りですね」
カップを手に取ったユカヤは、恐れたり警戒する様子を全く見せず、慣れた手つきで液体を揺らして香りを立てる。
それをしばらく楽しんでから、カップに口を付けて傾ける。
ユカヤは無意識だが、その様子はどこか艶めかしい。
「……うん、味も美味しい。ちょっと酸味があるけど、仄かな甘味とベースになっている茶葉の風味がいいですね」
「ア、アタシの自信作。眠る前に飲むと、効果的なのよ。よ、良かったら、分けてあげようか?」
「いいえ。飲みたくなったら、またここに来ますね。そうすれば、またノッティーに会えますから」
カップを掲げて、笑顔でウインクする。
それをまともに見てしまったフェイトノーディアは、頬を赤く染め、震える身体を自分で抱き締めつつ視線を彷徨わせると、強引に目を閉じて視線を逸らした。
「ア、アンタ……ちょっとやめてよね! あ……当たり前のように、アタシの心を……その、奪おうとしたでしょ?」
「あら、そんなつもりはなかったのですけど……」
口元に手を当てて驚いた表情を浮かべるユカヤだが……
……嘘だった。
積極的に魅了を試みたわけではないが、身についた振る舞いから発せられる能力を、あえて止めようとはしなかった。
傍から見ればとても和やかな雰囲気だが、その裏で、この二体の悪魔は互いに譲れるもの、譲れないものを探り合いながら、様々な駆け引きをしていた。
「この姿だと、どうにも歯止めが利かないようですね。でも、この程度の魅了でしたら、ノッティーなら簡単に破れますよね?」
「……と、当然よ。で、でも……メンタルにくるから……、その……できれば自制して頂戴」
「はい。できるだけ抑えるように気を付けますね」
あのまま堕ちてくれれば楽だったけど、さすがに二つ名を持つ悪魔だけあって、そうそう簡単にはいかない。
だからユカヤは、信頼関係を最大限利用しつつ、本題に切り込んでいく。
昔の、
「ねえ、ノッティー?」
「……なに?」
「私、あんたを失いたくないのよね」
「そ……それって、どういう意味?」
明らかにフェイトノーディアの表情に緊張が走る。
それに気付かないフリをして、ユカヤは言葉を続ける。
「私、あの場所で土地神をしてるって言ったわよね」
「そうね……まだ、ちょっと、信じられないけど……」
「でしょうね。でも、もっと信じられないような、運命的な出会いがあったのよ」
恋する乙女の表情で、ユカヤは宙に視線を彷徨わせる。
もちろん、これも演技だった。
「まあ、それはいいとして……」
物憂げに大きくため息を吐くと、小さく呟く。
「ねえ、ノッティー?」
「な、なによ」
「もし管理者が、契約者を不当に害したら、どのような罰が下ると思う?」
「……いきなりね。よくは知らないけど……、それが、どうしたの?」
「ちょっとね。で、その答えは……。契約者への不当介入は重大な違反行為であり、もし契約者を害せば、その者の管理者権限が凍結され、権限のはく奪も含めて協議される。……とまあ、こういうことなんだけど、もしそれをやらかしたのが悪魔なら、神によって誅殺される可能性が高いらしいわよ」
いきなり何を言い出すのかと、キョトンとするフェイトノーディア。
だけど、ユカヤが放つ殺気にも似た狂気を感じ、身体を固くして身震いする。
「実はね……、ノッティーがあの場所に現れた時、私の契約者が襲われたの……」
感情に乏しい声で……、それこそ闇堕ち寸前といった様子で、静かに……ただし、奥底に狂気を漂わせて……
「ねえ、ノッティー? あなた、誰を庇っているの? 誰の命令で、あんなことをしたの?」
いつも優しそうに微笑んでいるユカヤが、光を失った眼をかっ開き、虚ろな表情でフェイトノーディアを見つめる。
その様子に、射すくめられたかのように、同じ悪魔が身動きできずに、ただただ恐怖に身を震わせている。
「……な、なんのこと? アタシは、ただ……」
「ただ……なあに? まさか、あんな説明で誤魔化せるとか、思ってないわよね?」
何度でも言うが、これはユカヤの演技だ。
この、地獄の底から湧き上がるような狂気も、怒りも、絶望も……
「契約者が死ねば、首謀者は神によって誅殺されるでしょうね。もちろん、その協力者も……。でもね、ノッティー……私、そんなこと絶対に許さないわよ。あの人に危害を加えたモノには私自身の手で、この私の存在全てを賭けて、絶望と後悔の中で永遠に反省してもらうからね」
ギロリと睨まれたフェイトノーディアは、諸手を上げて降参した。
「わ、わかったわ。アタシの負け。降参よ」
「ノッティー、勝ち負けなんて、どうでもいいのよ。あの人に危害を加えたモノのことを知りたいだけよ」
「もう、わかったって。リーザ、いい加減、それ、やめてよね……」
気分を落ち着けるように、残っていた冷めたハーブティーを一気に呷ったフェイトノーディアは、無表情のまま見つめるユカヤの前で、懺悔するように知っている全てのことを話した。
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