本編
01 ささやかな願い
遥か昔、まだ石器が主流だった時代……
とある地にて騒動が起こった。
巨大なる妖怪が徘徊し、その道程に秋月郷があるという。
先づ襲われるのは、この集落だろう。
ならばと、この地の守神である豊矛様に勝利を祈念し、人々は武具を手に取り立ち上がった。
その妖怪は、胴回りだけでも四尺はあろうかという、巨大な双頭の蛇。
それが、木々をなぎ倒しながら迫り来る。
兵や民も必死に抵抗するものの、武装したところで抗すること敵わず、やがて人々は逃げ惑う。その混乱のなか現れ出しは、風来の武芸者。
彼の者、覆い被さらんとする大蛇の攻撃をかいくぐり、妖しげなる術にて見事石に封ずるを得たり。
彼の者の名はカミノキ。その名にあやかり、以来、この地は神軒と呼ばれるようになった。
鈴音の散歩を終えた俺は、お辞儀をして鳥居をくぐり、静熊神社に戻ってきた。
まだ朝の早い時間だけに参拝客はおらず、静謐な空気に包まれている。
この
俺には郡上
今では参拝客にも可愛がられるようになり、すっかり神社の人気者となった。なので、郡上家が新居に引っ越した今でも、神社に残ってくれている。
……ってことになっているが、この鈴音、実は
だから、抱き上げて、お洒落な首輪にリードを収納していると……
「エイ兄、あっちにシズ姉がいるよ」
人間の言葉で俺に話しかけ、指を……ではなく、前足を伸ばして方向を指し示したりする。
不意打ちで行われたその仕草が、言葉にならないほど愛らしい。
まあ、それはいいとして……
鳥居から入ると正面に拝殿、その奥には本殿が。右側には手水舎、授与所や住居兼社務所、その奥には裏庭などがある。
左側は太い幹の木々や下草の生えた土の地面などが自然のまま残されており、その手前にベンチがある。飛石や石畳を伝って進めば、記念碑のような石柱や、ひっそりと建つ祠などにたどり着く。
鈴音が指し示した先では、森の中に佇む巫女さんが厳かに祈りを捧げていた。
やわらかな木漏れ日が揺れ、まるで異世界のような幻想的な雰囲気を醸し出している。
つい、ケータイを取り出し、画像に収めてしまった。
これでグッズやポスターを作れば、多少は上向いてきたとはいえ、まだまだ厳しい神社運営の助けになるのでは? ……などと考えてしまうのは、もはや職業病なのかもしれない。
この巫女姿の女性は
まだ二十歳にも満たない容姿だが、これでもこの静熊神社の宮司だ。
さらに彼女は、この神社に祀られている主神にして三姉妹土地神の長女である
ちなみに次女の
そしてこの俺、
何の因果か三姉妹土地神を顕現させてしまったことで、静熊神社の神主という名の雑用係を兼ねるようになってしまった。
まあ、全ては成り行きだが、今はそんな生活も悪くないと思っている。
それはそれとして……
この静熊神社だが、以前は豊矛神社という名前で、後継者不在で長く放置されていた。とはいえ、
何度も目にしていたものの、あまり深くは考えていなかったが、残されたひとつひとつのモノに何か曰くがあっても不思議はない。
まして祠となれば、太古の神なんてモノが祀られていたり……なんてことも、あるかもしれない。
雫奈が祈りを捧げている──対話しているのは、そういった存在なのだろう。
少し気になったので、俺は鈴音を抱っこしたまま近付き、邪魔にならないよう適度な距離を保ったまま祠を観察する。
「鈴音、ここに何が祀られているか、知ってるか?」
「ん~、蛇の神様だって」
「蛇神ってことは、豊穣とか、雨乞いとか、多産や健康の神……だっけ?」
「ん~、ボクにはよく分からないけど、白い蛇は幸運を呼ぶって言うよね」
なんてことを話していたら……
「金運や財産の神様って言われたりもするわね」
雫奈がこっちを向いて話しかけてきた。
俺と鈴音は、小さく頭を下げて謝る。
「悪い、雫奈。邪魔してしまったか?」
「いいえ、大丈夫よ。それに、ここの神様は、ずっと不在だしね」
「不在? ……だったら、誰と話してたんだ?」
「もちろん、この神様に所縁のある知り合いの方々よ」
もちろん、と言われても困るのだが……
なんでも、ここには蛇神の依代『
水霊石は「みずちいし」とも呼ばれているってことなので、もしかしたら水中に棲む蛇の妖怪「
いやまあ、もちろん物語の世界なので実在するかは知らないが。
それはそうとして……
「金運と幸運の神様か……。現状でこの神社に最も必要な神様が不在っていうのは、なんだか皮肉だよな」
「何を言ってるのよ、栄太。私たちじゃ不満なの?」
「そうだよ、エイ兄。ボクだって、立派な神様なんだからね」
「ああ、そうだったな」
任せてとばかりに、俺の腕の中で胸を張る犬の姿に、ついつい雫奈と二人で笑みを浮かべる。
そこへ、巫女姿の優佳がやってきた。
「歓談中のところお邪魔しますね。兄さま、少し姉さまをお借りします」
「おう、すまん。仕事の邪魔をしたな」
「いえ、そうではないのですが、限定絵馬の奉納を希望される方がお越しになられましたので……」
「結構な料金なのに、希望者っているんだな……」
ついつい、神社関係者にあるまじき言葉を零してしまう。
それを聞いた優佳は、俺に向かって笑みを向けてきた。……ちょっと怖い。
「それはもう、豊矛様の御神木より削り出された霊験灼然なる絵馬ですから。その御利益もネットで噂になり初めてますので、これからますます増えますよ。それより、姉さま……」
さあこちらへと優佳に促され、拝殿へと向かうの雫奈だが、思い出したように足を止めて振り返る。
「じゃあ、行ってくるけど……。栄太、お昼はどうするの? 良かったらご馳走するわよ?」
「いや、忙しそうだし……」
「大丈夫ですよ、兄さま。姉さまが忙しい時は、私が作ってあげますよ」
「なんか悪いな。じゃあ、昼前にまた寄らせてもらうよ」
倒壊した御神木は、秋月様のご厚意で静熊神社に譲られた。
朽ちたとはいえ豊矛様の御神体だけに、それなりの力は残されている。
その中心部分は秋月神社に寄贈し、静熊神社でも力が強く宿っている部分を祀らせてもらった。
残りの部分は、破魔矢の鏃部分や絵馬、神社のマスコットになっている鈴音にちなんだ犬の置物などに加工してもらった。その時の削りくずや加工できない部分は、全て細かく砕いて神木粉として保管し、お守りなどに活用している。
豊矛様の御神体をこの様な形で利用するのは心苦しいが、秋月様がそうしてあげて欲しいと……粉の一片に至るまで人々の役に立ててあげれば豊矛様も喜ぶだろうと言われれば、その気持ちに応えるしかない。
そんなわけで、この行為も、豊矛様の力を人々に広く分け与えているのだと考えるようにしている。
限定絵馬の奉納は、本人立ち合いのもと拝殿の中で執り行われ、絵馬はそのまま持ち帰って頂くことになっている。
だがそれは、貴重な素材が使われているから……というわけではない。
この絵馬は提携会社……つまり、俺の勤めている会社の企画ってことになっており、俺が描き下ろしたイラストが使われている。
優しさの中に鋭さを感じさせる年老いた野武士風の豊矛様を中心に、無邪気な三姉妹土地神が寄り添い、それを女神然とした秋月様が優しく見守っているって感じに仕上げたのだが、それがネットで評判になっていた。
心配のし過ぎかもしれないが、そんなものを神社に吊るしておいたら、持ち帰ろうとする不届きものが出てこないとも限らない。
だったら、奉納者に持ち帰ってもらって、家で飾ってもらったほうが安心だ。それに、宿った霊力の効果で、多少なら悪しきものを退けてくれるだろう。
拝殿から時末さんの気配がする。希望者に説明をしているのだろう。
そちらへ向かう雫奈を見送った俺たちは、家に向かうことにする。
その途中、首を傾げて立ち止まった優佳は、何もない空中に視線を向けた。
「ん? 優佳、どうした?」
「ん~、何かが領域に入ってきたようです。少し様子を見てきますね」
そう言うと、優佳は巫女服を光の粒子に変え、さらに普段着に変化させながら、敷地の外へと走り出て行った。
俺は慌てて周囲に視線を走らせ、気配を探る。
「ったく、優佳のやつ……。誰かに見られたらどうすんだ」
「エイ兄、大丈夫だよ」
つるりとした舌が俺の頬を舐める。
鈴音の場合、舐められても唾液が付かないし匂いもしないので好きにさせているが、熱くも湿っぽくもなく、少しひんやりとした感覚が心地いい。
なんだかよくわからんが、優佳に任せておけばいいか……と思いつつも、せっかくだからときびすを返して蛇神様の祠の前に立つ。
不在らしいので御利益があるのか分からないが、鈴音を抱えたまま手を合わせて「今日も平和でありますように」と祈りを捧げた。
その時、腕の中で鈴音が暴れ始めた。
「なんだ、いきなり……。どうした?」
「エイ兄、下がって!」
地面に飛び降りた鈴音から、想定外の強い口調が飛び出した。
四つん這いになって姿勢を低くした鈴音は、全身に力を込めて臨戦態勢をとり、厳しい表情で空の一点を睨んでいる。
少し遅れて、俺もその理由に気付いた。
ほんのささやかな願いだったのだが、どうやら蛇神様には届かなかったようだ。
空から迫りくる気配はとても禍々しいもので、俺は参ったとばかりに憂鬱な溜息を吐き……
「どうやら今日も、騒がしくなりそうだ……」
天を仰ぎながら、小さく呟いた。
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