5 最後の巻き戻り
そして、また巻き戻る。
どうして?
死んだのはフランソワ王太子だったのに。アリゼは彼の身体を抱きかかえて、涙を流しながら人を呼んだのだ。流れ出る血を押さえたいと血まみれになって。
王歴568年。
秋になって、王家から王太子との婚約の打診があり王宮に呼ばれた。
逃げていても駄目なのだろうか。何故あんな事をしたのか、話し合ってみた方がいいだろうか。
アリゼは王宮のプライベートスペースに案内された。庭園にあるガゼボでお茶をしている。フランソワ殿下はアリゼの斜め前に座り、目を細めて庭園を見ながらお茶を飲んでいる。風が彼のサラサラの金髪を撫でて行く。絵になる人だ。
「私はお前に嫌われていたんだな」
ポツリと王太子が呟いた。
「はい、最初から嫌いでした」
はっきり言って嫌われた方がいい。しかし、彼は言うのだ。
「最初からではない、私はその前に1回死んでいる」
どういう事だろう。
◇◇
「私は病に侵されていた。段々体が弱って動けなくなって死ぬのだ。始めは毒を盛られたのかと思った。婚約者のお前に──」
「私が毒を盛ったと?」
唖然としてフランソワ王子の顔を見る。冗談で言っているようではない。
「でも、殿下とお茶会とか、していませんが」
いつ毒を盛るというのだ。
「最初の回では貴族令嬢を呼んで何度かお茶会をした。婚約者がお前に決まって、ここと、マクマオン侯爵邸にも行った。お前とダンスの練習もした」
そんなことは知らない。
「お前は弟のリシャールと仲が良かった。私が邪魔かと思ったのだ。私は死んで、15歳の時に巻き戻った」
「え」
それが1回目だと王太子は言う。
「毒ではなかった。魔法医に診てもらって分かったのだ。私は呪われていた」
思いもかけない事を次々に語られる。
「誰に呪われているのか考えて、真っ先にお前を疑った。お前はリシャールと仲が良かったからな」
「私はどなたとも仲良くしたことはありません」
酷い言いがかりだ。自分こそ取り巻きを引き連れていたくせに。
「お前が毒で死んで、私は分からなくなった。また、巻き戻ってしまったし。3回目はマクマオン侯爵が辞退してきたが父上に宥められて、お前は私の婚約者になった。ヴィンランド王国に逃げ出したようだが」
アリゼはこの男と婚約していたのだ。学校が終われば婚姻することになっていたらしい。アリゼの知らない事だった。父の侯爵が迎えに来る予定だったのだ。
「お前が留学して、私は様子を見に行った。あの国は魔術が盛んで呪いの研究もしている。やっぱりお前かと思った」
どうしてもアリゼの所為にしたいのだろうか、この男は──。
「だが、ヴィンランド王国に弟の母親である側妃が、留学していたという情報が入った」
「まあ」
フランソワが、少し離れた所に控えているイリスとリアムを見やる。アリゼも二人の方を見ると、少し気まずそうに目を逸らせた。
フランソワ王太子を見るとニヤリと笑う。
「どういう事ですか! もしかして、二人を手配したのは、あなたですか」
王太子はアリゼの疑問に答える気は無いようで、話を続ける。
「二人に聞いて、大学に行って調べた。そして知った、側妃が呪っていたのだ」
「リシャール殿下のお母様が──?」
「そうだ。国の側妃の実家で呪った痕跡を見つけた。まだ呪おうと道具も隠し持っていた。彼らは皆、捕らえた」
アリゼは言葉もなくフランソワを見る。
「このやり直しは、呪いの代償らしい」
「呪いの代償?」
「人を呪うのには代償がいる。側妃は代償をやり直しとした。失敗してもやり直せると思ったようだ。だが、代償の権利は側妃ではなく、呪われた私の方に渡った」
意味が分からない。
しかし、呪いを何度もやり直せるというのは、呪った代償にはならないだろう。呪われた側にやり直しの権利が行くというのは分かる。
「はっきりすればお前に申し訳なくて仕様がなかった。しかし会いに行けばお前は私を嫌っていて、他の男に懸想していた」
「違います」
「すまん、私の勘違いだったようだな」
あっさり謝られてしまった。
しかし、あの時、朦朧としてふらふらと剣の前に出て、死んでしまったアリゼの方が馬鹿で、軽率で──、謝るのは自分の方ではないかと、アリゼは思う。
「私の方こそ、折角、助けに来ていただいたのに、無駄にしてしまって申し訳ありません」
「あれは辛かったぞ。あのような余計な事は二度としないでくれ」
念を押されてしまった。
「はい……」
この男に勝てない。別に勝ち負けとかどうでもいいのだけれど。
「タヴィストック公爵家の嫡男サミュエルは廃嫡された。あいつの悪さは根っからのもののようだ」
誰のことかと考える。あのヴィンランド王国の男……。もう顔も覚えていない。
「お前は、興味もなさそうだな」
やや呆れたようにいうフランソワ。
それより、この前の回だ。
「何故、死んだんです殿下。私の目の前で」
「お前ばかりが目の前で死ぬ。その時の私の気持ちが分かるか? 私もお前の目の前で死んでやる。ループも終わるかもしれないと思った」
「私はショックでした。人が目の前で死ぬのは。殿下の血が止まらなくて──。大体、あれでループが終わったら、私はどうすればいいのですか!」
この人の前でアリゼは2回死んだ。あんな思いを2回も、1度でも耐えられないのに。目に涙が滲んで身体が震える。
「アリゼ……?」
王子はアリゼを見てゆっくりと手を伸ばしてきた。
「すまん……」
駄目だ、彼の顔がぼやける。
「あの時あなたは、血で汚れるのも構わず、私を抱いて……」
「お前も血まみれの私を抱いて──」
ボロボロと流れ落ちる涙を止められない。
泣いているのは誰だろう。
アリゼだけじゃない──。
フランソワだけじゃない──。
暫らく、ふたりで抱き合って泣いた。
「今回は呪われていないし、お前とやり直したい」
そのままの姿勢でフランソワ殿下が言う。
「どの口が言いますか」
目の前でサッサと死んだくせにと、アリゼは恨みがましい目で見る。
「お前は今回は何処に行くんだ」
殿下は、やや焦ったように聞く。
「ここに来ております」
二人は先程から王宮の庭園にあるガゼボでお茶をしていた。
長い話で、すっかりお茶が冷めてしまった。
「そうか」
彼は苦笑した。その顔を見てアリゼの顔も少し綻んだ。
ぎこちない二人を、侍女たちや護衛達や近習がハラハラと見守っている。
イリスがお茶を入れ替えてくれた。お皿にお菓子を幾つも取って、アリゼの前に置いて引き下がった。熱いお茶を口に含むとホッとする。
アリゼは遠慮なく菓子を摘まんだ。フランソワ殿下がアリゼの好みを把握しているのか、それともイリスが選んだのか、どれも美味しい。
「よく食べるな」
少し不満げな殿下の声。
「美味しいです」
何回もやり直して、少し図太くなったかもしれない。
「太るぞ」
「……」
ちょっと睨んだ。
「知っているか」
「なんでしょう」
「運動をすれば太らないそうだ」
「どういう運動ですか」
彼はおもむろにアリゼの手を取って言った。
「閨での運動だ」
「──! もう、あなたのような方は知りません」
「アリゼ、真っ赤だ」
「知りません!」
「お前が太らないように、私も頑張ろう」
「知りませんってばっ!」
王太子はアリゼが頬を染めて狼狽えるのを嬉しそうに見ている。
「大体、私を今幾つだと思っていらっしゃるんですかっ!」
手を振り払おうとしたが離してもらえなかった。手を引き寄せてキスをして、アリゼを引き寄せる。こんな男なのに、青い瞳に惹き込まれる。
また、血の海に沈むのだろうか。それとも彼が──。
分からない。今回はまだ婚約していないが、こうして二人で仲良くお茶をしていれば婚約することになるだろう。このまま彼と結婚するのだろうか。
今回、彼は取り巻きがいない。侍従や近侍はいるけれど、アリゼを蔑ろにしない。
それでも何回もやり直したこの記憶が、消えることはないと思う。
「一度、結婚してみたらいいんじゃないか?」
彼が提案する。
「あまり待つのも嫌だし、私が卒業したらでいいだろう」
「それはどういう──」
アリゼは聞きただそうとしたがフランソワは続けて言う。
「幹線道路を整備して街灯を設置する。乗合馬車を走らせて、駅逓を整備しよう。替え馬を置いて、宿を置いて、劇場を置いて、店を置こう」
「素敵ですわね」
「このループも終わるかもしれない」
「そうですわね」
決して彼にほだされている訳ではないけれど、アリゼは頷いていた。
結婚して、そしてループが終わったらどうなるんだろう。チラリと彼を盗み見ると目が合った。青い瞳がニヤリと笑っているような気がする。
決してこの男を好きなんじゃない。
そっと心に呟く。
ただ、ループを終わらせたいだけ。
それでもアリゼの頬が染まる。
王太子フランソワの王立学園卒業と同時に二人は結婚した。
国の街道の整備は着々と進む。海の向こうの新興国ヴィンランドと友好国となって、交易も人の交流も頻繁に行われ、湾口も整備された。
子供が3人生まれ、フランソワは国王になっても、側妃も娶らずアリゼ一筋だ。
時々、アリゼは血の海の夢を見る。血の海に倒れるアリゼ。血に染まったアリゼを抱きしめるフランソワ。血に染まったフランソワに縋って泣くアリゼ。
うなされて目を覚ますと、隣に夢を共有する男がいる。
生きている男の身体のぬくもりにホッとする。
きっと夢が間遠になっても、このあたたかさを至福だと思うだろう。
終
死んで巻き戻りましたが、婚約者の王太子が追いかけて来ます。 綾南みか @398Konohana
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