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 木曜日の朝。

 昨日、とても不機嫌であった伊那さんは相変わらずであった。別の車両に乗ったりすることもなく、駅構内の端での会話もしてくれるが、ここ最近までの雰囲気ではなく最初の頃の伊那さんに戻ってしまった感じだ。事務的に俺に接しているような。

 それでも別に嫌な人になったというわけではない。ちゃんと受け答えはしてくれるので、俺の思い過ごし……、という線はないか……。明らか怒っているし。

 体に不調はないか、とかそんな話だけをして互いに学校へ向かった。


 ♢


 金曜日の朝。

 せっかく仲良くなっていたのに逆戻りしてしまってしょぼくれていると、伊那さんが乗車してくる駅に着く。向こうも合わせてくれているのだろう。いつもの車両、いつもの扉から乗車してきた伊那さんであったが、


「おはよう、禍津君」


 にこやかな笑顔で挨拶をされた。


「あっ、えっと、おはようございます」


 それだけ言葉を交わし、後は隣り合ってつり革に掴まりながら電車に揺られる。ラノベと判明した本に目を落としている伊那さんの様子を窺うと、やはり機嫌が良さそうだ。何か良いことでもなければこうはならないだろう。

 そして、降車する駅に到着する。

 彼女の足取りは軽く、すいすいと人の波の中を進んで改札に向かっている。俺もそれに遅れないようについて行くが、頭の中にはハテナマークがいっぱいだ。

 朝の会話も流暢に交わし、そして別れ際。


「禍津君、今日の放課後時間あるわよね?」


 有無を言わせない物言い。ただ、時間があるのは本当なので素直に頷く。


「ありますけど……」

「そう。じゃあ、悪いんだけど中央改札を出てすぐ前にあるエスカレーター横に来てくれるかしら。もし誰もいなかったら、しばらくそこで待っていてもらうと助かるわ」

「は、はあ……」

「じゃあ、そういうわけで学校気をつけてね。私が暴れないよう祈っておいて」


 そういつもの挨拶を済ませて伊那さんは乗り換えの改札の方へ行ってしまった。

 最後に見せた彼女の表情。

 これぞ不敵な笑み、という見本であった。

 一体何があるのだろうか。彼女の言い方からして、別に伊那さんが待っていてくれるような言い方ではなかった。

 色々と不安だけど、彼女のことだし何か俺に不都合なことではないだろう。……たぶん。


 ♢


 そして、放課後。

 今朝、伊那さんに言われた通りの場所に着くと――、周囲の人々とは明らかに違うオーラを纏った青年がいた。

 斜め掛けされたブランド物のウエストバッグ。セットされたグレーアッシュの髪。耳にはたくさんのピアス。そちら方面にお洒落な男子大学生を混ぜ合わせて最強にしたような感じのイケメンだ。

 スマホいじっていた彼だが、すぐに俺の存在に気づいたらしく笑顔で高々と手を振られる。


「久しぶり、ひーちゃん! 待っていたよ!」


 待っていた、ということは、今朝伊那さんがここに来いと言っていた理由はこれだろう。

 ――国家指定不死殺し、炭櫃吹雪(すびつふぶき)さんに会わせるためだ。


「お久しぶりです。でもその、あまり外で『ひーちゃん』と呼ぶのは……」

「なんで? ひーちゃんだって、一人称『ひーちゃん』じゃん」

「い、いや、それは小学校の低学年ぐらいまでの話ですし、俺の黒歴史なのでそっとしておいてくだされば……」

「そんな悲しいことを言わないでくれよ。僕の中では高校生になっても幼い頃の可愛いひーちゃんのままなんだから」

「まあ……、お任せします……」

「うん、じゃあ立ち話でもなんだし店にでも入ろうか。ひーちゃんはビール飲める? ワイン派? それとも可愛らしくカクテル派なのかな?」

「今、俺のこと高校生って認識してくれてましたよね⁉」

「そうだよねー、入学祝いをしないとね。まあおいでよ」

「は、はい」


 己の道を突き進む炭櫃さんに言われるがまま、俺はその隣を歩いてついて行く。駅の北側から出て繁華街の方へ向かっているらしい。


「いやーさ、鴻さんに怒られちゃってさあ。『紹介してくれた不死殺しが全然殺してくれないんですけど!』って」

「す、炭櫃さん、そんな大声でモノマネしながら不死殺しって言わない方が!」

「あはは、相変わらずひーちゃんは細かいことを気にするなあ。世の中、家族や知人でもない限り誰も他人のことなんて興味ないから大丈夫だよ」

「そんなものなんですかね……」


 それはそれで嫌な世の中だな、と思ってしまうが間違ってはいないのだろう。


「それより、やっぱり鴻さんに俺を紹介したのは炭櫃さんだったんですね」

「俺? 僕は心次郎さんを紹介したつもりだったけど、何かあったの?」

「実は……」


 そこで父さんは世界を周る旅に出てしまい、俺はその代理として禍津家の不死殺しをやっていることを説明した。それを聞いた炭櫃さんの第一声が、


「そんなことになってたんだねー。それで、ひーちゃんは何人殺したの? 初めて殺した時の感覚はどうだった?」


 ゲームで倒した敵の数を訊くような口調であった。この人と最後に会ったのは三年ぐらい前だっただろうか。あの頃と何ひとつ変わっていないし、もっと言うとさらに時を遡っても、見た目以外は何も変わっていなかった。


「まだ代理になって二ヶ月ですし、誰も殺していません」

「そうなの? でも依頼はちょくちょく来てるでしょ? 現に鴻さんの話だってあるし」

「それは……」


 俺が言い淀んでいると、そこはさすが幼い頃からいとこのお兄ちゃんのように接してきてくれた炭櫃さんだ。何も言わなくても察してくれる。


「なるほどねー、まだ踏ん切りがつかないってところか。そういえば、鴻さんの依頼って、鴻さん自身が不死者なんだろ?」

「えっ⁉ そこまで伊那さんが炭櫃さんに話したんですか」

「伊那さん? ああ、彼女の下の名前か。いやいや、不死殺しを紹介してくれって頼まれたから心次郎さんの連絡先を教えただけだよ。でも、ひーちゃんが代理をやってるなんて知らなかったからさー。つまりは、依頼を受けたものの、彼女が好きだから殺せないってところだろ?」

「ぶっ⁉」


 驚きのあまり噴き出してしまった。察してくれたとは思ったが、そこまで理解されたとは思いもしていなかった。


「あっ、その反応を見ると当たりなんだー!」


 人の恋路を知って楽しげに手を叩いてとても愉快そうだ。


「そうですね……。伊那さんにはご内密に……」

「もちろんもちろん。僕とひーちゃんの仲だろ?」

「まあ、信頼してますけど……」


 そう、色々と人生を達観しつつ人生を謳歌しているように見える彼だが、人間としての芯の部分はしっかりしている。まあ、時々サイコパスなんじゃないか、とか思ってしまうが、芯の部分はしっかりしている、と二回言っておこう。

 それに、こう見えても炭櫃さんは文武両道を極めた人だ。頭脳では日本一変人が集まると言われる最高峰の国立大学に在籍。運動の方では小学校から高校までの様々な陸上記録を持っていたはずだ。きっと大学でも何か記録を樹立しているのだろう。


「ほら、ここの五階だよ。本当は十九時オープンなんだけど、知り合いのオーナーさんだからお願いして開けてもらっているんだ」

「はあ」


 ずらりと縦に並んだビルの看板には明らかにお酒を楽しむような店しかなかった。もちろん五階も例に漏れていない。

 狭いエレベーターに乗って五階へ。扉が開くとそこは既に店の中であった。


「こんにちはー。わざわざ開けてくれてありがとうございますー」


 落ち着きのある店内のカウンターの向こうで開店準備をしているオーナーさんらしき人に炭櫃さんが声をかけた。


「ひーちゃん、今日は僕の奢りだから好きなの頼んで良いよ。高いウィスキーでも開けちゃうかい?」

「だから、俺はこの格好の通り高校生ですし、あまりこういう店に入らない方が……」

「大丈夫大丈夫、バレやしないって。まあ、確かに帰り道に何かあったら大変だ。僕は黒ビールを飲むけどひーちゃんはオレンジジュースで良いかい?」

「……はい、それで」


 まあ、炭櫃さんも先月二十歳になったはずだ。お酒が飲める保護者同伴ということでこういう店に入っても大丈夫と信じよう。

 そして、カウンター席に並んで座り、オーナーさんが炭櫃さんが注文したドリンクを提供してくれた。


「いやー、やっとお酒を飲める歳になったからここ最近ずっと楽しくてさあ。もうほぼ毎日飲み会だよ」

「自分は歳のこと気にしているのに高校生の俺に酒を勧めないでくださいよ」


 なんて俺の言葉は彼に届かず、グラスに入った黒いビールを美味しそうに喉を鳴らしながらみるみるうちに空にする。


「ぷわー! 美味い! ひーちゃん、つまみはいるかい? ブランド牛のジャーキーがオススメだよ」

「いえ、そんな高そうなものは……」

「気にしない気にしない。だって、僕は国家指定不死殺しなんだよ? お金なんていくらでもあるさ。すみませーん、ジャーキーを二人分お願いしますー」


 オーナーさんもオーナーさんで嫌な顔をひとつもせずに、注文通りに美味しそうな赤いジャーキーが乗った皿を持ってきてくれた。

 勧めるがままに口に含むと、なんじゃこりゃ、となるほど美味かった。


「それでさー、僕が呼び出された理由なんだけど」


 空になったグラスをカウンターの端に置いて新たなグラスが届くまでの間に、炭櫃さんが本題を切り出した。


「なかなかに難しい話になっているんだねえ。僕としては、ひーちゃんの恋を応援したいけど、鴻さんに禍津家を紹介した手前どうしようもなくてね。ほら、彼女ってなかなかに恐いだろ?」

「否定はしにくいですが……」


 この国家指定不死殺しに恐いと思われている伊那さんが凄すぎる。確かに、彼女は人当たりは良いけど気が強い。さらに、怒った時のあのプレッシャーはなかなかのものだ。それが炭櫃さんという男さえも恐れさせるほどだったとは。


「あそこの家は不死者に厳しいから、彼女も早く対処して欲しいんだろうね。自分が死ぬって言う」

「…………」

「犯罪を起こしていない『死を望む不死者』を殺すのは僕らじゃなくて、ひーちゃんたちの仕事だ。だから、同業者ではあるけど所属部署が違うって感じだから無理強いはできないんだよね。それにひーちゃんもまだ不死殺しとして覚悟が決まっていないようだし」

「それは……、すみません……」


 伊那さんだけでなく、それまで来ていた依頼も俺は断っていた。何も反論できない。


「いや、僕に謝ることじゃないよ。謝るとしたら心次郎さんに、かな? でも彼はひーちゃんのことが大事だから怒ることもしないし、むしろ理解してくれるだろうけど」


 俺もそう思う。結局のところ、俺はまだ周りの優しさに甘えているのかもしれない。


「でも、禍津家の不死殺しは継ぎたいと思ってます。代理だけど依頼もこなさないといけないって思ってますし……。でも、殺してくれって願っている不死者相手でも、人を殺すことに抵抗があって……」

「うーん」


 炭櫃さんはジャーキーを口にしながら新しく運ばれてきた赤ワインを飲んでいる。しかし、真剣に俺のことについて考えてくれている様子だ。


「僕にはわからない感覚だねえ。ほら、僕って好きで不死殺しやってるからさ。何なら国家指定なんてめんどくさい枷を外して力を使いまくりたいぐらいに」


 週一回しか力は使えないけど、と炭櫃さんは捕捉してからさらに続ける。


「でももし、僕がひーちゃんの立場でひーちゃんと同じ思いをしているなら、不死殺しなんてやらないって言っちゃうかな? 心次郎さんも真宵さんも理解ある両親だろ?」

「まあ……、その点は恵まれていると思います」

「それで好きな子が不死者やどうのって言われても、『そんなこと知ったことか!』って普通の人間相手と変わらず接するだろうね。それで僕を好きになってもらえたら万々歳だ」

「それは、母さんと話してそうしようとはなりましたね……」

「じゃあ、それで良いじゃない。鴻さんの依頼は受けない。でも受けないって言っちゃうと、彼女は怒って他の不死殺しを頼るかもだから、なあなあに。で、限られた時間でひーちゃんが頑張るだけだよ。不死殺しも嫌なら辞めたら良い。禍津家が無くなってもまだ最低五人は不死殺しがいるんだし」


 ちらっと見えた舌ピアスまでしている見た目には似合わず、それでいて昔から変わらない頼れるお兄ちゃんから相談の答えをもらえた。


「不死者の彼女と付き合ったことはないけど、一般人には一般人の、不死者には不死者の感覚があるからそれを汲み取ってあげることだね。もちろん、不死殺しをする上でも大事なことだけど」

「ありがとうございます……。何回もした決意が、また固くなった気がします」


 俺が礼を言うと、炭櫃さんは微笑んで言う。


「オーナー! お土産用にさっきのジャーキーをお願い!」


 ♢


 そうして店を出た俺たちは駅へと戻る。俺はコンビニ袋に入ったジャーキーを片手に。母さん用と千代が来た時用に炭櫃さんがくれたものだ。


「鴻さんには適当に話はしておいたって言っておくよ。それでひーちゃんが何らかのアクションを起こせば彼女の性格なら素直に従ってくれるだろう」

「それは、確かにそうなりそうな」


 伊那さんは頑固な性格でもありながら、他人想いの良い人である。そんな彼女を騙すようなことをするのは忍びないが、炭櫃さんがまた伊那さんに怒られないためにも上手くやろう。

 そうして、駅の北口の広場に差し掛かったその時――、悲鳴が響く。

 声の元に目を向けると、そこには血を流しながら倒れた女性の姿が。そして、そのすぐそばには刃物を持った男の姿があった。

 そして、その男は近くにいたサラリーマン風の男性にも襲い掛かった。あれは完全に頭のどこかがおかしくなり暴走している状態だ。


「あらら、えらい場面に出会っちゃったね。あそこで元気に人を殺している男の人は、僕が動くほどの案件だと思うかい?」


 それは国家指定不死殺しとしての炭櫃さんを差しているのだろう。


「それはもちろんですよ! でもまずは不死者かどうかを!」

「はい、了解ー。機関の人に文句言われたらひーちゃんに言われたからって言うからね」


 国家指定不死殺しは無暗やたらとその力を使うのを禁じられている。先ほどの店で炭櫃さんが国家指定はめんどくさいと言っていた理由はそれだ。だけど、これは明らかに緊急時であり、その場合の使用は認められている。


「うーん、あの人は不死者みたいだねえ」


 茶色掛かっていた右目を赤に変え、炭櫃さんはあの男が不死者と断定した。

 これが国家指定である炭櫃さんと、国家指定外である俺の差である。

 不死者を特定する力を持っているか否か。

 もちろん、身体能力など様々な条件もあるが、そこが一番明確な違いだ。

 また、不死殺しの力と同様、不死者を特定する力も一度使うと一定期間使えなくなるらしい。


「どうする? 相手が不死者だし、ひーちゃんが止めてみるかい? 負傷者が出ているようだから、現場の判断であの男の人は殺しても構わないだろう」

「それは……」


 確かに『死を望むだけの不死者』を殺すよりは、人々を守るために正気を失った不死者を殺す方が気が楽かもしれない。しかし、それでもまだ俺は揺らいでいた。

 躊躇った俺に、炭櫃さんは笑いかける。


「ふふっ、冗談だよ。僕が相手してくるから安心して。ちなみに、実際に不死殺しの力を使った場面に立ち会ったことは?」


 その問いに俺は首を横に振る。父さんは俺に不死殺しとしての仕事の方法や技術などを教えてくれたが、実際にその場面に立ち会わせてもらったことはない。


「そっか。できればひーちゃんの参考になるように見せてあげたいところだけど、こんな所で僕が力を使うと怒られるんだろうなあ。というわけで、ごめんだけど軽く倒してくるよ」


 そう言うと、炭櫃さんは斜めに掛けていたウエストバッグから、戦場の兵士が着用するような黒い布のフェイスマスクを取り出した。


「みんなさ、危険なのにすぐスマホで動画撮影するでしょ。自分だけは安全と思っているのかねえ。ま、そんな奴らの対策にこれを被らないといけないのさ。ひーちゃんもいつかのために常備しておくと良いよ」


 セットされた髪型を崩して頭からフェイスマスクを着込むと、唯一見えている目元で笑いかけられる。


「じゃあ、さっきも言ったけど鴻さんのことは任せて。また僕の奢りで飲みに行こう」


 それだけ言うと、炭櫃さんは駆け出した。俺は高校生なので、と言う暇もなく。

 そして、暴れる男とあっという間に接敵すると、男の腹に前蹴りを喰らわせる。男は胃の中にあったものを全て吐き出した。次に、前のめりになった男に向かって炭櫃さんは高々と挙げた足を振り下ろす。見事なかかと落としが男の頭に決まった。あれは確実に頭蓋骨が割れているだろう。そうして、先ほどまで暴れて周りに危害を加えていた男は、炭櫃さんと相対してから十秒もしないうちに地面に倒れて痙攣していた。

 そこへ、警察官が何人もやってくる。フェイスマスクをした炭櫃さんは倒れた男の手からナイフを取り上げて投げ捨てると、逃げるように駅の改札へと走っていく。その際に、俺に向かって高々と手を振った。フェイスマスクで見えないが、おそらくその下は笑顔だったのだろう。

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