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 翌日の早朝。今日からまた月曜日なので学校に通う五日間が始まる。

 この近辺で殺人事件が起こったなど、物騒なニュースを聞きながら母さんの作ってくれた朝食を食べた。それから、いつもの時間に家を出る。

 そして、今は普通電車から新快速に乗り換えたところだ。

 次の駅で伊那さんが乗車してくる、はず。

 大体、いや、人によるとは思うけど、朝のルーティンなんて決まっていることが多い。家に何時に出て何時の電車に乗ってどこの車両に乗るかなんて。

 だからこそ、俺はここ一ヶ月ほど名も知らなかった一目惚れした女性と同じ車両に乗り合わせることに成功していた。

 しかし、今日はいつもと気持ちが違う。緊張感を抱きつつ、頭の中で何度も何度もシミュレーションをする。

 そう、今日俺は一目惚れした女性――、鴻伊那さんに声をかけようと考えていた。

 これまでのパターンから、今俺が乗っている車両には乗って来るはずだが、どの扉から入って来るかまではランダムであった。三つの扉のうちのどれかひとつ。

 もし、端と端で距離が空いてしまえば、そこには人と言う障害物が敷き詰められている。なので、声をかけるのが非常に難しくなる。

 無難な方法としては、俺が車両の真ん中に立っていることだ。そうすれば別の扉から伊那さんが乗車してきても姿を確認できる可能性が高い。

 しかし、俺はあえて三つの扉のうち、一両目側の扉の近くに立っていた。これまで一ヶ月、伊那さんを観察してきたその経験、そして俺の勘が今日の伊那さんはここから乗車して来ると判断したのだ。

 うん、千代にも言われたが立派な〝ストーカー〟である。それは素直に認めるしかない。

 だが、そんな細かい(?)ことを気にしていても仕方がない。昨日、母さんから応援してもらい、俺は積極的に伊那さんとコミュニケーションを取ろうと思ったのだ。その第一歩が今日である。そうすることによって、伊那さんが長生きしてくれるのであれば、どれだけ俺がキモがられても――、いや、きついな……。せめて今のような事務的な関係を維持したい。でも仲良くもなりたいし……。

 などと、決意が揺らぎ始めてしまったが、事は既に動いている。そして、その答えが出る時が来た。伊那さんが乗車してくる駅に到着したのだ。

 扉が開き、まずは次々と人が降車して行く。ここも大きな駅なので降りる人も多いのだが、ここから先の都会に向かうために乗車して来る人の方が多いので再び車内はスマホをいじるのがやっとなほどの空間となる。

 そして、扉の横に居た俺の心臓の鼓動は速くなる。そりゃ高鳴りもするさ。俺の経験と勘がバッチリと正解へと導いたのだから。

 すなわち、伊那さんが俺の予想していた通りの扉から乗車して来たのだ。しかも、それだけでなく、もう隣り合っているのだ。

 休日と違っていつもの落ち着いた服装。長い髪も編み込みではなく、束ねられて上で止められている程度。俺が一目惚れした女性そのままである。

 向こうはまだ俺の存在に気づいていない。休日に出会った時と違って俺は制服だし、伊那さんは文庫本に目を落としている。

 鼻からスーッと息を吸う。

 そして、満を持して俺は行動に移ることにした。


「あの、伊那さん。おはようございます」


 緊張の塊となっている俺にしては自然な挨拶ができた――、はずだったのだが、


「きゃあ!」


 声をかけた相手である伊那さんが俺の顔を見るや否や短い悲鳴を上げた。これから会社や学校で憂鬱になって電車に詰められている人たちの視線が一斉に集まり、何かあったのかとややざわつく。


「お、驚かせてすみません! た、たまたま、たまたま隣に伊那さんが居たので挨拶をと……」


 伊那さんと周りの人たちの誤解を解くために、俺は少し声を大きめに釈明した。それに対し伊那さんが一度大きく息を吐いてから、


「ビックリさせないでよ、もう」


 と、言ってくれたので周りも知り合い同士と認めてくれたらしい。満員の電車内特有の空気に戻ってくれた。

 それから迷惑にならない程度に、それでいて言葉を選びながら会話を交わす。


「早速私の観察に来たの? そちらは専門家とは言え、こんなに早く私の行動パターンを知られるとは思っても見なかったわ」

「ああ……、まあ、それは偶然なんです。ほら、俺も高校生ですし、学校に行く途中なんですよ。そうしたらたまたま隣に伊那さんがいらしたので」


 嘘で塗り固められた――学校は本当だけど――言葉で何とか取り繕う。それに伊那さんは疑いの眼差しを向けてくる。

 あからさま過ぎてバレてしまったか、と動揺するも彼女は感心したように言う。


「ふーん、まあそういうことにしておいてあげるわ。そちらにはそちらの事情があるでしょうし、簡単には情報源を明かせないというわけね」


 と、これまた良いように受け取ってもらえた。伊那さんにとって、不死殺しとは世を忍ぶスパイのように思っているのかもしれない。まあ、そういった面も無きにしも非ずだが。


「高校はどこなの?」

「あっ、伊那さんと同じ駅で降りて乗り換えます」

「私の降りる駅がわかってるなんてやっぱり調べられているってことね。あまり信用できていなかったけど、ちゃんとした専門家みたいで安心したわ」

「は、ははは……」


 苦笑するしかない。理由は今更言わずもがな、だ。


「じゃあ、降りたら少し時間はあるかしら? どこか駅構内の端で話をしましょ」

「……わかりました」


 冷静を装いながら、心の中で全力のガッツポーズを取った。これが勝利ってやつか。


 ♢


 改札を出て比較的人通りの少ない所の壁に二人してもたれ掛かる。信頼を勝ち取ったことを良いことに、ここ一ヶ月抱いていた疑問をぶつけてみることにした。


「この間、初めてお会いした時は大学生ぐらいだと思った、と言ったのですが、今日は何故私服なんですか?」


 直球ではなくやや変化させながらだが。

 そうすると、伊那さんはにやりと笑う。


「なるほどねえ、世間話を装って私の行動を不死殺しの人が見ているというパターンか。乗る電車の時間も何もかもバレているのにそこだけ知らないわけないもの」


 あっ、なんかすごく楽しそうだ。勘違いでしかないけど、本当に安心してくれているらしく好意的に俺と話をしてくれているのを感じる。


「まあ、普通に振舞うって言ったのだから答えましょう。私の高校は制服がない女子高なの。これで良い?」

「え、ええ、そんな風にお願いします」


 この辺りで制服のない女子高と言えば……、あそこか。確かに、お嬢様が通うような学校であり、うちの高校とは偏差値が雲泥の差がある。

 俺の中にある一目惚れした女性の印象としては理想的、というより釣り合わない。才色兼備の大和撫子である。不死殺しと不死者という関係でなければ一生関わることなんてなかっただろう。

 しかし、実際にこう話していたら、見た目とは裏腹に大和撫子のようなおしとやかな性格ではなさそうだが。

 それから十分ほどだろうか。俺にとっては二分ほどに感じたが、互いの学校のことなど年頃の男女が話す会話らしい会話を交わすという楽しい時間を過ごした。


「じゃあ、お互い遅刻しちゃうからもう行くわ。また明日も観察してくれるの?」

「そ、そうですね。丁度、俺も同じ方向に学校があるわけですし」

「そう。じゃあ、明日もこうやって話しましょう。その方がその不死者特有の動作とやらがわかりやすいでしょ?」

「……はい、是非お願いします」


 やはり、まだ俺のことは『不死殺しの使い』としか見られていないらしい。しかしだ、これからもこの素晴らしいひと時が約束された。とても喜ばしいことである。少しずつでも良いから、俺という人間を知ってもらい、俺も伊那さんという人間を知って行こう。


「ちなみに、学校まで不死殺しの人は来てくれているのかしら?」

「あっ、と……、そこまではさすがに……」


 本当はついて行きたいところではあるけども。


「そっか。まあそれは仕方ないわね。うちは女子高だしセキュリティもすごいみたいだから。禍津君も、私が学校で正気を失わないことを祈っておいて」

「わかりました……、ん? えっ?」

「どうかしたの?」

「い、いえいえ! 何でもないです! で、で、では、俺も学校行きますので!」


 あまりの動揺に俺はその場から逃げ去るように乗り換える電車の改札へ向かう。

 何に俺がそこまで動揺したかと言うと――、初めて名前を呼ばれたのだ。

 禍津君、と。

 ただそれだけなのに、俺は舞い上がってしまっていた。これは男と言うより乙女の気持ちに近いのかもしれないが、そこは気にしないでおこう。

 朝からとてつもない幸せを味わってしまった。

 これで学校に着いて上履きを隠されていたり、机に落書きをされていても俺は何も気にしないだろう。そんなことより幸せが勝ってしまうのだから。

 もちろん、本当にそんなことをされているわけはないので、いつも通りの学校生活を浮かれ気分のまま過ごした。

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