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 伊那さんと待ち合わせの場所として約束している公園。

 郊外の公園らしく広々としているので、遠くに子供たちやその親御さんたちがいる。しかし、俺が座っているベンチの周りには誰もいない。

 約束した時間の一時間前から俺はここでそわそわと落ち着かない気持ちで待っていた。

 家を出る前に鏡の前で何度も髪型の確認をしたり、服装はこれで良いかなどとても悩んだ。伊那さんには悪いけど完全にデート気分だ。香水も付けようかと思ったけどさすがにそれは止めておいた。

 駅が電車が入って来るのが見える場所なので、あの電車に伊那さんが乗っているのではなかろうかとドキドキを繰り返している。

 結局は、約束の時間通りに伊那さんがやって来た。昨日と同じく平日とは違ったお洒落な格好で俺の方へ歩いてくる。


「こんにちは、わざわざこんな所までありがとうございます」

「いや、人のいない所が良いって言ったのは私だし。わざわざこんな田舎の公園を指定するなんてわかっているじゃない」


 昨日通話で散々不死殺しの使いの自覚がうんぬん――、と、叱ってやった甲斐があったとばかりに伊那さんが鼻を鳴らす。それに対し俺は苦笑いしかできなかった。田舎と言っても郊外なんだけどなあ、と議論を始めても仕方ない。

 そして、どちらからともなくベンチに腰を下ろす。

 公園のベンチでこうやって男女が二人並んでいるのを端から見ると、彼氏彼女にしか見えないんだろうな。などと俺が浮かれていると、早速とばかりに伊那さんは本題を切り出す。


「それで、不死殺しの人は何て言ってた? 依頼は受けてくれるのかしら?」

「お断りします」

「なんでよ!」


 彼女の怒りを受けて俺は現実に戻って来る。浮かれていて本心がそのまま出てしまった。


「あ、ああ、すみません! ちゃんとお話ししますので、とりあえずその握った拳を納めて頂ければ……」


 立ち上がった伊那さんはまさに鬼の形相。いや、美人が鬼の顔になれるわけないので、ただの怒った美人の顔なのだが。しかし、比喩としてはそう言えるほど怒りを露わにしており、今にも俺は殴られそうであった。


「ふん……」


 とりあえずは話を聞いてくれる気にはなってくれたらしい。理性的な人で良かった。その分、正気を失うのが怖いと思ってしまうのかな、とも考えてしまう。


「それで、理由は?」


 再びベンチに座った伊那さんは明らか不機嫌そうに訊ねてきた。

 そこで俺は、昨日頑張って考えた言い訳を披露する。


「機関からの証明書が発行できないと言うことなので、まだ伊那さんのお話だけを聞いただけです。こちらが不死者と断定すればもちろん不死殺しを行えますが、それは非常に慎重にならなくてはいけません。これは公にはされていないのですが、不死者には不死者特有の動作を日常生活の中で自然と取っている場合があります。それを見極める時間を頂ければな、と」

「……ふうん、そんなものがあるのね。初めて聞いたわ」


 それはそうだろう。証明書がないと慎重に事を進めるのは本当だが、不死者特有の行動なんて真っ赤な嘘なのだから。こちらが専門家であることを逆手に取って、少しでも伊那さんが死を望む理由を取り除くための時間を確保しようと考えた策であった。

 しかし、伊那さんは恐ろしいことを言う。


「でも、そんなことをしなくても私がこの場でナイフでお腹を刺すか首を切ればすぐにハッキリする話よね。だってすぐ治るのはわかっているし」

「それは……」


 伊那さんは自分が不死者であることを疑っていない。それをここで証明されてしまえば、せっかく披露した策は水の泡だ。


「できれば、止めて頂きたいです……。その、もしものことがありますし……」


 もしも、というのは彼女の思い込みであった場合だ。男に襲われたという話であったが、実際には体に刃物は刺さっていなかったかもしれない。自分の血が広がっていたというのも、その男が首を掻っ切ったという血を伊那さんが自分の血と見間違えた可能性だってある。その場合、彼女の言うようにこの場でそんなパフォーマンスをされたらただの自殺になってしまう。

 ……話を聞く限り、そんな勘違いを彼女がしているとは思えないが。


「まあ」


 そう言って伊那さんはストレッチをするように伸びをする。


「例えばの話よ。私、痛いのは嫌なの。ナイフで刺されたあの痛みをもう一度味わうなんてごめんだわ。首を絞められて苦しい思いをするのももちろん嫌」

「それなら」

「でも、早く殺して欲しいのは本当。何度でも言うけど、正気を失うのが怖いの」

「……俺ももう一度言いますが、それは深く考えすぎなくても良いと思います。その辺の一般人だって正気を失って犯罪を起こすことなんて多々あります。むしろ、不死者より一般人の犯罪の方が多いぐらいですから」


 などと、昨日千代に言われたことを少し改変して説得を試みた。


「それは、まあ確かにそうだけど……」


 おや、思っていたより効果があったようだ。同じ不死者同士、千代にカウンセリングをしてもらった方が効果的なのではないのだろうか、と少し悲しくなってしまう。


「ううん、でも私は周りを傷つけることなんて絶対にしない。不死者として正気を失わない限りは」


 その言葉は俺も信じたい。俺が好きになった人が特別な理由なく周囲に危害を加えるなんて考えたくない。


「だから、今は一人暮らしをしてできるだけ人に会わないようにしているわ。学校は……、行かないと家族に怪しまれるから通っているけど……」

「あれ? 確かご住まいのマンションの名義人って……」

「ああ、成人できたと言っても収入のない高校生だから借りている部屋の名義人はお父さんになっているわ。説得するのに苦労したんだから。最終的にお目付け役として、別の部屋にうちの執事が住むことで許可が下りたの」


 さすが経済界で有名らしい家系の娘だ。執事なんて漫画やアニメでしか存在していないと思っていたけど実在していただなんて。


「そんな感じに今は孤独に生きているわ。その執事とは話すけど、彼は身体能力的な意味でも強いし、私が暴れたぐらいどうにかしてくれるって信頼しているから。とは言っても、彼にも私が不死者と言ってないけどね」


 彼女に仕える執事とは言え、同性の男として伊那さんから信頼を得ているなんて妬ましい。しかし、不死者という最大の秘密を共有している俺の方がリードしているか。……競うことではないのだが、やはり好きな人のことになるとそうなってしまうのが年頃の男子として普通のはずだ。


「それじゃあ、私はこれからどうすれば良いわけ?」

「そうですね……、特に今までと変わらず生活して頂ければ。そこで不死殺し本人が見張ってますので、不死者特有の行動が見られたら依頼を受けようと思います」


 またまた嘘を吐いてしまう。依頼を受ける気なんてさらさらない。不死殺し本人が見張っているのは平日の電車で乗り合わせたら本当になるが。

 仮に受けるとしても、伊那さんの場合は十八年しか生きていないから不死者と断定しにくいのは本当だ。例えば、百年以上生きている不死者なら機関に登録されていることが多いので、簡単に結論が出せるのだけれど。


「……見張られているなんて気味が悪いけど、仕方ないわね。その辺りは専門家にお任せするわ。逆に考えれば、私が正気を失えばその場で殺してくれるわけだし、その方が安心なのかもね」


 どうやら良いように受け取ってもらえたらしい。仮に伊那さんが正気を失っても殺さないけど。それでも安心材料を与えれたようでホッとする。


「実はもう既に不死殺しの人が見張っていたりするの?」

「えっ、いや、それはその……、企業秘密で……」


 実は隣にいる男子高校生が不死殺しです、とは言えず挙動不審になってしまった。怪しむような視線を向けられるが、


「ふーん、まあ、プライバシーは守ってね。家の中に盗聴器とか隠しカメラとかは止めて欲しいかな」

「あっ、それは大丈夫です。あくまで、普段の外の生活の中で判断させて頂くので……」


 いくら不死殺しが法で認められているとは言え、そこまではできない。それに禍津家は国家指定不死殺しでもない。後ろ盾のないまま不死殺しの看板を背負っている。


「そういえば、どうして俺――、俺たちの不死殺しに頼って来られたんですか? そもそも、機関経由じゃないと連絡先を入手するのも大変だと思うのですが……」

「ああ、それは国家指定不死殺しの方と面識があってね。それであなたたちを紹介してもらったってわけ。国家指定の人たちは私のような事情の不死者に力を使えないでしょ?」

「そうですね。だから、俺たちみたいな不死殺しがいるんですけども……」


 国家指定不死殺しであり、禍津家を紹介するとすれば〝あの人〟しかいないだろう。これはまたとんでもない人と伊那さんは知り合いらしい。まあ、タチバナさんと同様、あの人も悪い人ではないんだけど。


「それじゃ、しばらくは自然に振舞っておくわ。また連絡くださいな」

「は、はい! わかりました!」


 そう挨拶すると、伊那さんはベンチから立ち上がって駅の方へ向かう。ここでランチでも一緒にどうですか、と誘えたらどんなに素敵かとも思うが、軟派な男と思われても嫌だし、ここは見送るしかない。


 ♢


 夜。

 今日の晩御飯である豚の生姜焼きを白米でリバウンドさせながら美味しく味わっていた。伊那さんを今すぐ殺さずに済んで安心したせいか、母さんが味付けを変えたせいか、いつも以上に食欲が止まらない。


「その様子だと、例の鴻さんの件は上手く行っているみたいね。良かったわ。昨日のひーちゃんは、すごく辛そうだったから……」

「うん、心配かけてごめん。上手く行ったと言っても、先延ばしに成功しただけで何も解決はできてないんだけど」


 席から立ち上がって炊飯器から新たに白米を盛る。これで今日は四杯目だ。


「それでも元気になってあたしは嬉しいな。あとは、鴻さんが死にたくないって思ってくれたら良いのよね」

「まあ、そうだね。でもそんなことどうすれば良いか……」


 席に戻って再び箸を手に取る。付け合わせのキャベツを口に放り込んだ。

 俺は今、代理とは言え『不死殺し』である。不死者を殺すのが仕事であって、不死者を延命させるのが仕事なわけではない。

 それでも、大好きな彼女を死なせないための方法を考える。

 伊那さんには悪いが、俺に頼んだのが運の尽きと思ってもらうしかない。


「あたしが鴻さんの立場なら……、やっぱり安心できる人がそばに居てくれたら生きて行こう、って思えるかな」

「安心できる人……」

「そう、あたしで言えば心次郎さんね。彼はとても頼りになって包容力もあるし安心できるわ。でも、あたしが不死者だったら、ひーちゃんが生まれて来なかったから、それはとても悲しいことだけど……」

「…………」


 惚気つつ、感傷に浸りつつ話す母さん。その言いたいことを俺は察する。


「つまり、俺が伊那さんにとって安心できる人になれば良いってこと……?」

「そうね、そうなるわ。ひーちゃんは伊那さんのことが好きだから一緒に居たいんでしょ? 鴻さんもひーちゃんが一緒に居たら安心できる。『win-win』ってやつじゃないかしら」

「うーん」


 確かに、昼間話した時に伊那さんは要約するとこんなことを言っていた。

『不死殺しがそばに居るなら安心できる』と。

 それでもし、俺と一緒に生きることを選んでくれて死なずに済むのならありがたいことこの上ない話だ。

 しかし、ただ不死殺しをそばに置いて安心してもらうだけでは悲しい。

 伊那さんにも、俺のことを好きになってもらいたい。

 現時点で直接二度会話を交わしているが、向こうはまだ俺を『不死殺しの使いの者』としか見てくれていないだろう。そこからどうやって恋人同士になれば良いのだろうか。この歳なので恥ずかしいことでもないけど、まだ彼女というものを作ったことがないのでよくわからない。


「じゃあ、俺が母さんにとっての父さんになるためにはどうしたら良いと思う?」

「それはこの前も行ったでしょ。あたしは心次郎さんから積極的にアプローチされて好きになって行ったわ。だから、ひーちゃんも心次郎さんの子供なんだからできるはずよ」

「そうかなあ……」


 母さん似で成長したい俺としては微妙なところだけど、性格は父さん似でも確かに問題はないか。既に面識はあるんだし、それに不謹慎とは言え、不死殺しの依頼という話題もある。こちらから話しかけても不自然ではないだろう。

 ならば、もう一層のこと俺が不死殺し本人と名乗った方が――、いや、時期尚早か。いくら好きな人のためとは言え、禍津家の秘匿をそう簡単に晒すわけにはいかない。父さんでもそうするはずだ。それに打ち明けなくても既にわずかながら安心感を与えることに成功しているのだから。


「わかった……、すごく私情を挟んじゃってるけど、頑張るよ」

「ひーちゃんが一番だと思うやり方で良いのよ。結果がどうなっても、悔いのないようにね」

「うん、そうする」


 決意とともに最後の肉の一切れを口に運び、白米を一気にかっ込んだ。

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