第六話
六
暦の上では十月の下旬であるというのに、九月中旬の温かさが戻ってきた、ある日の午後七時であった。
植木直樹は、劇場一階の最後列の右端の席に腰を下ろし、半ばあっけにとられつつ、神希成魅のパフォーマンスを眺めていた。
本来なら一階には三百人ほど、二階には百五十人ほどを収容できる規模ではあるが、本日のイベントでは二階席には客を入れてない。一階席の客の埋まり具合は、およそ八割といったところで、そのうちの約半数が思い思いのコスプレ姿で座席に腰かけている。
叔父でありこの劇場の支配人でもある大関に、「一度、見に来てみれば」と誘われたものの、アイドルという存在にはまったく食指が動かない植木だったが、その日はちょうど休務日にあたっていて、何の気まぐれか、劇場に足を運んでみたのだった。
アイドルというものはいつもニコニコと笑っていて、まるで意志を持たない人形のように、控えめに楚々として振る舞うものだと漠然と考えていた植木にとって、神希成魅のパフォーマンスはちょっとした衝撃であった。
その自己主張の強さと揺るぎない自信に満ちた態度。これが半端ない。神希が発する得体の知れないパワーがグイグイと客席に迫ってくるようで、植木は圧倒されつつあった。
しかし、神希のパフォーマンスが楽しいか面白いかと聞かれると、正直に言って、戸惑わざるをえない。
周囲の反応をそれとなくうかがうと、声をあげて笑っている人もいるし、穏やかな笑みを浮かべている人もいる。
かと思えば、「なんだ、それ」、「つまんねーぞ」、「ブー」などという反応も散見されるのだが、それらにはある種の親しみのニュアンスを感じ取れないこともない。演者と客との間に、不思議と温かみのあるコミュニケーションが成立しているようにも思えるのだ。
植木にしてみれば、マスクやストッキングをかぶって、一人二役のコントをしたり、フルートを演奏したり、料理を作ったりするパフォーマンスは、「意味不明」の四文字でしか表現しようがないというのが率直な感想ではあるのだが。
もしかして…と植木はふと深読みしたくなる衝動を覚えた。
何かを表現したいというエネルギーに満ち溢れてはいるが、まだ未成熟であるがゆえにその使い方がわからず、力を持て余している一人のエンターテイナー。その必死のもがきと成長の過程を、まさに今、自分は、目撃しているのではなかろうか。
んなわけないな、とすぐに植木は思い直した。
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