かりんとう!

鮎崎浪人

かりんとう!

                  一


 ステージの中央に少女がひとり。

 涼しげな空色とそれよりは少し濃い青を基調とした制服風の衣装で、真っ白な襟は鮮やかな赤で縁どられている。

 少女は満面の笑みを受かべて会場を見渡し、天井を突き抜けて青空まで真っ直ぐに伸びるような元気いっぱいの大きな声で呼びかけた。

「それでは、みなさ~ん! いつものアレ、やります! 一緒にお願いしますっ! せ~の・・・」

 両足をぴたりと揃えて直立した少女は、勢いよく頭の上までぴんと両手を伸ばし、その両手で大きく緩やかな円を作ると、全身をやや右斜めに傾けて叫んだ。

「かりんとう!!!」


                  二


 西内遥は扉を閉め、会場を背にして歩きだした。

 まったく、もう、杏奈ちゃん、どこ行っちゃったの?

 遥は、杏奈に請われてこのイベントに参加することを決め、姪っ子を連れてきた。遥自身は「ネバーランド ガールズ」に格別の興味はなかったのだが、小学二年生の杏奈は純粋に憧れに似た想いを抱いているようで「ねえ、連れてって、連れてってよー」を連発し、その熱意に押される形で遥は了承し、当日は仲良く手をつなぎながら会場入りした。

 早めの到着で最前列に近い座席を確保できたのは良かったのだが、その分、イベント開始までに間があるせいで、最初は物珍しそうに会場を見渡していた杏奈だったが、しばらくするとじっと座って待つことに飽きてしまった。

 ついには、「ねー ねー ハルちゃん、かくれんぼしよーよー」と言いだす始末で、遥は生返事でいいかげんにあしらっていたのだが、スマートフォンに着信したメールに気を奪われていて、ふと気づいたら隣の席に杏奈の姿はなかった。

 慌てて周囲に目を配ったが、いつも見慣れた、ちっちゃくて小動物のようにちょこまかと動き回る杏奈を見つけることはできなかった。

 かくれんぼのリクエストに上の空で応じた可能性に遥はやっと思い至り、急いで会場を抜け出した。

 イベントの開演時刻が迫っているため、周囲に人の姿はまばらだった。

 一階のロビーやレストラン、もちろんトイレなどもくまなく探したものの、杏奈は見つからない。

 二階へ至る階段の手前には、立入禁止を意味する赤と白のカラーコーンが二つ並べられている。

 遥は少しためらったが、杏奈なら気にせず進んだかもしれないと考え、二階へ向かった。

 杏奈はかくれんぼが大好きで、普段から遥が降参して名前を呼びかけても、決して姿を現してはくれない。杏奈にとっては、すこぶる真剣な勝負であるらしいのだ。

 遥は物音を立てずに、素早い動作で会場内を動き回っていた。もちろん二階までの階段もそろりそろりと、なおかつ迅速に駆け上がった。

 上りきると、左に折れる。五mほどで廊下は突き当り、左右に直角に分かれていた。

 遥は、夜空にくっきりと浮かびあがった東京スカイツリーを正面に見ながらその廊下を進み、突き当たると左の道を選んだ。

 曲がって二歩進んだ時、遥はゾンビと正対していた。

 そのゾンビは、右手に手のひら大のスプレーを持ち、そのスプレーの上部に、軍手をはめたひとさし指を添えていた。

 ゾンビのひとさし指がわずかに沈んだ瞬間、霧状の液体が遥に襲いかかり、両目に焼けるような激痛が走った。


                  三


「こんばんは~! 皆さんが大好きな神希成魅かみき しげみです! それでは、コントやります! タイトル、平成の大仏VS昭和のヤンキー」

 弾けるような元気の良い声が会場に響き渡り、ステージの右袖から、ピンク色の大仏のマスクをかぶった人物が「ああ、今日もいい天気だなあ。世界は平和だ」とひとりごとを呟きながら、ゆっくりと歩いてくる。

 紺地にピンクのラインが入ったジャージの上下という衣装である。

 客席の一つに腰かけた植木直樹は、演者のその姿を見た途端、我が目を疑った。てっきりフリフリの衣装に身を包んだ、かわいい少女が登場すると思ったからだ。

 なんだこりゃ? 僕はこれから何を見せられるんだ?

 植木は、大きな胸騒ぎを覚えた。

 中央にさしかかったところで演者は足を止めると、いきなり半回転し、さっとジャージのポケットから取り出したリーゼントのカツラを装着、「おうおう、てめえ、どこ見て歩いていやがるんでえ」とポケットに両手をつっこみ両肩を揺すりながら、因縁をつける仕草。    

 一人二役なのかよ? っていうか、無表情の大仏とリーゼントの取り合わせ、気味悪すぎるだろ!

 再び半回転してカツラを脱いだ大仏は悠然と、「わたくしは、世の中の平穏を祈っているだけです」と応じる。

 そりゃ、そうだ。大仏はそれが存在理由だもんな。

 ヤンキーはその様子に苛立って、「てめえ、どこ中(ちゅう)だ? 名を名乗れ!」と凄みを利かせるが、大仏は穏やかに首を左右に振って取り合わない。

 大仏に出身中学聞くの、間違ってるだろ!

 しばらく、喧嘩腰のヤンキーと泰然自若とした大仏とのまったく噛み合わないやりとりが続いた。そのたびに、演者はせわしなく体を半回転させるのだが、切り替えの動作がぎこちない。

 おいおい、大仏がヤンキー言葉、しゃべっちゃってるよ。ヤンキーがすごく礼儀正しくなっちゃってるよ。 

 ついにしびれをきらしたヤンキーが大仏に殴りかかろうとしたそのとき、大仏はやおらマラカスを取りだし、両手でカシャカシャと激しく振りながら、これまた激しい身振りでダンスを踊り始めた。

 なんで、ここでマラカスなの? なんで踊りだすの? なんでなんで?

 連れのない植木に話しかける相手はいなかったが、心のつぶやきが次々とあふれでてくる。

「これが必殺の大仏ダンスだああ! 俺は強いんだあ!!!」と絶叫しながら、狂ったように踊り続ける大仏に圧倒されたヤンキーは、ついに気を失いその場に崩れ落ちた。

 戦い終えた大仏は、息をきらして両肩を激しく上下に揺らしながら、最後にこう締めくくった。「ゼイゼイ。はあはあ。これで、世界の平和は取り戻せたのであった」

 大仏は深々と客席に向かって一礼すると、堂々とした足取りで、ステージの右袖へと去っていった… 

 なんのこっちゃ。

 植木は、早くも席を立つ準備をした。


                  四


 女性アイドルグループ「ネバーランド ガールズ」は、東京都台東区の東部、観光スポットとして日本人のみならず種々雑多な外国人も訪れる浅草に専用劇場を構えている。桜橋から北に五百メートルほど進んだ隅田川沿いに位置し、野球場に隣接していた。

 この「ネバーランド ガールズ」劇場では、グループで行う劇場公演の他に、定期的にメンバー一人によるイベントが行われている。ここでは、それぞれのメンバーが考案したアイデアを基に、毎回趣向を凝らしたプログラムが進行されている。

 もちろん歌あり、ダンスあり、ひとり芝居あり。また、外国語や料理、イラストや書道など自分の特技の披露もあり。はたまた、お笑い芸人に対抗して、一人コントを演じるメンバーも。

 メンバー個人の特性を生かした演出が見どころで、ともすれば集団に埋没してしまいがちなメンバーの個性をじっくり堪能できるのがいいと、ファンの間でも好評を博している。

 また、このイベントでは、出演者を開演まで明かさないことが、ひとつのウリにもなっている。自分が応援しているメンバーが出演すればラッキー、そうでなくても、自分がそれまであまり気にも留めていなかったメンバーの新たな魅力を発見できるということで、ファンにとって刺激的なイベントとなっている。

 そもそもアイドルファンは、特定のメンバーだけではなく、いわゆる「箱推し」と呼ばれるグループ全体を応援する者たちが大半である。 

 よって、他のメンバーのキャラクターや曲ごとの立ち位置も熟知している。

 曲中の合いの手や振り付けを完全にマスターしているのも、ごくごく普通のことであった。

 さらに、これらのイベントに際しては、チケットの割引サービスが設けられており、本日は十月の最終週でハロウィンが間近ということもあり、コスプレで来場した場合は、チケット代が半額になるのであった。

 そして、今回の出演メンバーは、神希成魅。

 大仏のマスクをかぶった姿での一人コントで、そのパフォーマンスは幕を開けたのだった。


                  五

 


 次に神希成魅が登場したときは、さすがにマスクはかぶっていなかった。

 ジャージからオフホワイトのワンピースに着替えている。

 植木は依然として着席したまま、その様子を眺めている。さきほどの一人コントを見せられたときには、もう帰ろうと思ったのだが、せっかくチケット代を払ったのにここで離脱するのも業腹だと思い直したのだ。

 神希は、「フルートで、世界一美しい音色を奏でま~す」と高らかに告げ、左手に持っていたフルートを口元に添えると、しばらくの間を空けた後、おもむろに演奏を始めた。

 ところどころ音を外したり、失敗した場所に戻ってもう一度繰り返すなどをしながら、不屈の精神力とでも言うべきか、「星に願いを」、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」、「アメージンググレイス」の三曲を披露に及んだ。

 続いて、料理コーナーに移ると、「ふわっふわっの世界一おいしいオムライス、作っちゃいます!」と自信満々に宣言したが、具材はすでに調理済みで、要はチキンライスを卵でくるめば完成という状態で始まった。

 あぶなっかしい手つきでフライパンに卵を流し込み熱した後、半熟状の卵の上にチキンライスをのせ、卵の下に差し込んだフライ返しをゆっくりゆっくりと持ち上げてチキンライスにかぶせていくのだが、案の定というべきか、卵は破けてしまった。

 すると、まったく慌てる素振りもみせず、卵とチキンライスを分離。新しい卵をフライパンに注ぎ、しばらくして半熟になった卵をそのままチキンライスにかけて、一言。「とろっとろっの世界一おいしい半熟オムライスの完成で~す」

 来場者の注視を浴びる中、出来上がったオムライスを一人でたいらげると、「ごちそうさまでした!」と行儀よく両手を合わせながら満足そうに言って、再び深く一礼した。

 演奏や料理をしながら、アイドルがドジを繰り返す。これだけなら、巷のバラエティー番組でよく見かける光景だ。

 だが、神希が普通のアイドルと一線を画しているところは、そう、確かにマスクは装着していないものの、顔面がストッキングに覆われていた(ご丁寧にも、口の周りだけ、くりぬかれてある)。

 後ろに控える黒子姿のスタッフがそのストッキングを吊り上げているから、顔の皮膚が全体的に引きつりひどく不格好である。

 その格好のまま、演奏と料理を続けた神希は、終始ストッキングを持っていた黒子と一緒にステージ袖へと退場していった…

 植木の全身を猛烈な虚脱感が襲い、もはや立ち上がる気力さえ失われていた。

       

                  六


 暦の上では十月の下旬であるというのに、九月中旬の温かさが戻ってきた、ある日の午後七時であった。

 植木直樹は、劇場一階の最後列の右端の席に腰を下ろし、半ばあっけにとられつつ、神希成魅のパフォーマンスを眺めていた。

 本来なら一階には三百人ほど、二階には百五十人ほどを収容できる規模ではあるが、本日のイベントでは二階席には客を入れてない。一階席の客の埋まり具合は、およそ八割といったところで、そのうちの約半数が思い思いのコスプレ姿で座席に腰かけている。

 叔父でありこの劇場の支配人でもある大関に、「一度、見に来てみれば」と誘われたものの、アイドルという存在にはまったく食指が動かない植木だったが、その日はちょうど休務日にあたっていて、何の気まぐれか、劇場に足を運んでみたのだった。

 アイドルというものはいつもニコニコと笑っていて、まるで意志を持たない人形のように、控えめに楚々として振る舞うものだと漠然と考えていた植木にとって、神希成魅のパフォーマンスはちょっとした衝撃であった。

 その自己主張の強さと揺るぎない自信に満ちた態度。これが半端ない。神希が発する得体の知れないパワーがグイグイと客席に迫ってくるようで、植木は圧倒されつつあった。

 しかし、神希のパフォーマンスが楽しいか面白いかと聞かれると、正直に言って、戸惑わざるをえない。

 周囲の反応をそれとなくうかがうと、声をあげて笑っている人もいるし、穏やかな笑みを浮かべている人もいる。

 かと思えば、「なんだ、それ」、「つまんねーぞ」、「ブー」などという反応も散見されるのだが、それらにはある種の親しみのニュアンスを感じ取れないこともない。演者と客との間に、不思議と温かみのあるコミュニケーションが成立しているようにも思えるのだ。

 植木にしてみれば、マスクやストッキングをかぶって、一人二役のコントをしたり、フルートを演奏したり、料理を作ったりするパフォーマンスは、「意味不明」の四文字でしか表現しようがないというのが率直な感想ではあるのだが。

 もしかして…と植木はふと深読みしたくなる衝動を覚えた。

 何かを表現したいというエネルギーに満ち溢れてはいるが、まだ未成熟であるがゆえにその使い方がわからず、力を持て余している一人のエンターテイナー。その必死のもがきと成長の過程を、まさに今、自分は、目撃しているのではなかろうか。

 んなわけないな、とすぐに植木は思い直した。


                  七


 料理コーナーが終了したところで、イベントは十五分の休憩時間に入った。ほどなくして植木はスタッフの一人に声をかけられ、支配人室に案内された。

 その部屋で植木を待っていた支配人の大関から、来場者の一人がゾンビのコスプレをした人物に催涙スプレーで襲われと知らされ、休暇中ののんびりとした気分は消え去り、すぐに職業意識がそれに取って代わった。

 植木は、浅草署の刑事課に所属し、今年で六年目。二十八歳の独身者である。

 実は最近、都内では、ニュースや新聞で大きく取り上げられてはいないものの、コミックマーケットやハロウィンなど、コスプレをした人たちで賑わうイベント会場で、催涙スプレーによる通り魔事件が頻発していて、所轄署間で話題になっている。

 コスプレをした通り魔は、各種のイベント会場で人けの少ない瞬間をみつけ、たまたま居合わせた人間の目に催涙スプレーを吹きかけては逃げ去っていく。

 スプレーには毒性はないものの、刺激性はそこそこあるので、噴射された当人は数分間は動きを封じられる。勇敢な被害者が後から犯人を追ったとしても、通り魔は犯行後に衣装を脱ぎ捨て凶器も捨てて行方をくらますので、未だ捕えられていない。

 今までの捜査で、通り魔は同一人物で男性らしいこと、犯行後も会場の外には逃走せず、イベントの最後まで居残っているふてぶてしさを持ち合わせているらしいことが分かっている程度である。

 金品が盗まれたり暴行を加えるなどの大きな被害はないものの、手口が悪質であるため、警察としては、暴行罪ないしは傷害罪による逮捕を目指しているところである。

「これが、その衣装だ。現場近くの男子トイレの個室で、ウチのスタッフが発見した」と大関は言って、ソファの上に放り出されている物を指さした。

 それらは、死人のように生気のない蒼白な顔の至るところに禍々しい血の色をした赤が塗られたマスクと、全身を包む黒色のところどころが裂けているローブに、白い軍手、そして長さ十五㎝ほどの催涙スプレーだった。

 その向かいのソファには、二〇代前半の女性と小学生の女の子が悄然として腰をかけていた。

 植木は大関に、休憩時間の延長すなわちイベントの一時中断を指示して、被害者である西内遥から詳しい話を聞くことにした。

 大学四年生で来春に就職を控えているという遥は、依然として動揺から抜け切れてはいなかったが、気丈な態度で経緯を語った。

 埼玉県の大宮市在住の遥は、同じく大宮在住の姪と一緒に来場したが、途中で杏奈を見失ってしまったので、劇場を探し回ったこと。杏奈を見つける前に、通り魔に突然催涙スプレーで両目を襲われてしまったこと。襲われたとき、ちょうど開演三分前を告げるアナウンスが鳴り響いたこと。

(ちなみに、杏奈は、事件発生後、迷子になって泣いているところを劇場のスタッフに無事保護された)

 最後に遥は、ぽつりと呟いた。

「襲われる直前、映像や写真で見たのと同じ姿で、スカイツリーが鮮やかに夜空に浮かびあがっていたのが、なぜかとても強く印象に残っていて… 

 背の低い建物とはかぶっていたけれど、その上は何もさえぎるものがなくて、自らが灯した明かりをキラキラと放ちながら夜空に向かってそびえていました。

 美しいスカイツリーから気味の悪いゾンビへの突然の景色の反転。しばらくは頭から離れそうにありません…」

 遥から話を聞き終えた植木は、事件が発覚した時点で即刻イベントを中断させなかった大関の優柔不断な処置を責めたが、当の大関はなんだかんだとはぐらかした後で、「まあ、結局は、お前さんに報告したんだから、許してよ。すいませんでした」と小太りの体をかがめ、禿げあがった頭を掻きながら恐縮した様子で謝罪した。

 事件の解明が急務と判断した植木は、大関に対する追及は打ちきり、さっそく神希成魅に会うことにした。遥を発見して介抱したのが、他ならぬ神希成魅であったからだ。

 植木は、神希に話を聞くべく、休憩中の彼女と副支配人の鵜狩が待つ楽屋へ大関と共に向かった。

               

                 八


「こんばんは! 『ネバーランド ガールズ』で、一番面白くて可愛い神希で~す」

 植木が楽屋に入室した際に浴びた第一声はそんな言葉だった。その言葉の真偽について思いを巡らす暇もなく、神希はずんずんと近づいてきて、植木の両手を揺すらんばかりに強く握った。

「よろしくお願いしま~す」とハキハキと言って、ぺこりとお辞儀をした。

「ああ、よろしく。浅草署の植木です。さっそくだけど、話を聞かせて…」

「ああっ、もうっ、わたしが主役のイベント中で事件が起こるなんて、悲シゲ~。でも、ホンモノの刑事さんに会えて、嬉シゲ~」

「あの、だから話を・・・」

「でも、まだイベントは終わってないから、この後もがんばりシゲ~」

「いや、イベントの中止も考え・・・」

「催涙スプレーを目にかけるなんて、許せない! ひどシゲ~」

 おい、こら! 人の話を聞かんかい!

「ちょっ、ちょっと、静かにしてもらっていいかな? ぜひとも聞きたいことがあるんだよ」

「なにをですか?」

「だ~か~ら、君が被害者を発見した経緯だよ」

「え~ そっちですかあ~ シゲ~を連発してるのに、さっきから、全力でスル―してますよね?」

「・・・」

「これは、シゲ語っていうんですよ。『しげみ』のシゲを取ってシゲ語です。どんな言葉にも最後にシゲをつければ、オッケー!」と言って、左手の親指とひとさし指で〇を描く。

 いや、知らんがな!

「わ、わかった。今度、気が向いたら、使ってみるよ。今はとにかく、事件解決が最優先だから」

「そんなの、名探偵、天翔院良彦を呼べば一発ですよ。どんな難事件だって、すぐに解決しちゃうもん」

「天翔院良彦?」

「え~ 刑事さんなのに知らないんですか? 信じられないシゲ~」

 そのシゲは、いくらなんでも無理やりすぎるだろ。

「天翔院先生を呼んでくださいよ~ ねえねえ、呼んで呼んで~」

 幼児が駄々をこねるように、神希は両腕を前後に振ってその場で両足をじたばたと動かした。

 植木は神希との邂逅からものの数分もたたないうちに、精神力をはげしく消耗していた。

「おい、神希! 刑事さんに失礼だろっ! ちゃんとしなさい!」と叱ったのは、副支配人の鵜狩氏。すらりと背が高くひきしまった体型の鵜狩は、若々しさを誇示している四十代の男性で、いかにも「仕事がデキる」といった印象を与える意志の強そうな顔立ちをしている。

 一切の妥協を許さぬといった鋭い眼光は、さぞや彼の管理下にあるアイドルたちを怖れさせているのだろう。

 さきほどから神希の振る舞いを苦々しそうな顔で、と同時になかば諦めたような表情で見守っていたのだが、ついにたまりかねて口をはさんだような格好だ。

 すると神希は神妙な顔つきになってみせるものの、「さーせん。さーせんでした」と微塵も反省していない口ぶりである。

「と、とにかくだな、今、事件を担当しているのは、この僕だ。僕に話を聞かせてくれ」

 すると、「わっかりました」と敬礼の仕草をしながらようやく神希は了承して、「もちろん、話します。ただ、その前に、被害者の方の話を聞かせてください」と要求した。

「まあ、そりゃあ、構わないよ。そんなに長い話でもないし」

 植木は西内遥から聴取した内容をくわしく神希に伝えた。感心にもその間、神希はいっさい口をはさまず、植木の言葉にじっと耳を傾けている。

 植木は神希に語りかけながら、おとなしく黙っている神希の表情に目を注いでいるうちに、改めてあることに気づいた。

 さきほどから神希の強烈な個性に気おされて、意識の端に上ることもなかったのだが。

 神希成魅。

 正真正銘の美少女である。

 まさしく透き通るような白い肌に、小ぶりで彫りの深い顔立ちは、異国風の美しさを発散している。

 一見近寄りがたい印象を与えそうであるが、少し丸みを帯びたふっくらとした鼻の形が、完璧な造形美に一点のアクセントを添えて、愛嬌を醸し出していた。

 アーモンド色の大きな瞳はきらきらと輝き、胸のあたりまで伸びた漆黒の髪がつややかに輝いている。(植木は後日、インターネットで彼女のプロフィールを検索してみたのだが、神希成魅は日本人とインド人のハーフということだった。ちなみに、そのプロフィールによると、カレーはあまり好みではないらしい)。

 植木の話を聞き終えた神希は、しっかりとうなずくと、自らの体験を語り始めた。

「わたしは、今日のイベントのリハーサルを終えてから、楽屋を出ました。

 お客さんが会場に入ったあとで、こっそりと二階席から、その日のお客さんの様子を観察するのが好きなんです。ステージ袖と二階席からお客さんを眺めることによって、その日の全体の雰囲気を体感できて、ステージに上がったとき、お客さんとすぐに一体になれる気がして。

 二階席からお客さんを見たあとで、おトイレに向かいました。

 まあ、本番前で、けっこう緊張してたんで…

 その途中、二階の廊下を歩いているとき、ゾンビのコスプレをした人とすれ違いました。マスク越しに目も合いました。さっき、捨てられていた衣装を見せてもらいましたけど、犯人はあの人で間違いありません。それ以外の人は廊下で誰もみていませんし。

 もちろん、なんで立入禁止になっている二階にお客さんがいるのかなって不審に思ったんですけど、本番がもうすぐなので、あえて声はかけませんでした。

 今から考えると、そのことがほんとに悔やまれます・・・

 で、わたしがおトイレのちょっと手前の廊下まで来たとき、開演三分前を告げるアナウンスが聞こえました。

 急いで用を済ませたわたしは、楽屋に駆け戻ることにしました。今日の最初の衣装はジャージなので、三分もあればなんとか間に合うかなあって。

 被害者の方の話によると、そのアナウンスが始まったときに、ちょうど襲われたんですね・・・

 話を少し前に戻すと、わたしは二階席の後方の真ん中の扉から出た後、廊下を右へ進みました。

 すぐにゾンビとすれ違い、しばらく真っ直ぐ歩くと、右への曲がり角に差し掛かりました。

 そこを曲がって五mほど進んだ地点に、被害者の方が昇ってきた階段があるんです。

 おトイレは曲がり角の先にあるので、わたしは右には曲がらず真っ直ぐに進みました。そのときは被害者の方の姿は見ていませんから、わたしが曲がり角を過ぎた直後に、彼女は二階に現れたということになりますね。

 でも、わたしはスマートフォンで音楽を聴きながら行動していたので、物音にはまったく気づきませんでした。     

 会場のアナウンスはそれなりに大きな声だし、毎回のことなのであらかじめ予期していたから、かろうじて聞こえましたけど。

 おトイレから廊下に出てみると、すこし先に被害者の方が両目を押さえてうずくまっているのが見えました。

 わたしは駆けよって、彼女から大体の状況を聞いて、支配人の大関さんのところへ走りました。そして、大関さんと一緒に戻って、彼女を支配人室まで連れていったんです」

 神希は終始よどみなく話し続けた。途中で脱線することもない。なかなか要領を得た話しぶりに、植木は神希を少し見直す気になった。 

 しかし、だからいって、事件解決の糸口がつかめたわけでもなかった。

「う~ん。どうしようかな。凶器を捨てているから、この通り魔がさらに犯行を重ねるとは思えないが。でも、やっぱりイベントを中止して、お客さんのひとりひとりから話を聞くかな」

「それはダメ! 絶対にダメーッ!」と神希は両腕を交差させて×を作ってから、涙を浮かべんばかりに今度は掌を合わせて拝むようなポーズになった。

「中止にするのは勘弁してくださいよ~ 今日のイベントを楽しみに来てくれたお客さんのためにも。それに、わたしだって、まだまだ歌って踊りたいんです。ひとりの頭のおかしな人のせいで、イベントが中止なんて、めっちゃ悔シゲです~」

「ふん。だって仕方ないだろ。それとも何かい、天翔院とやらが来れば事件は瞬時に解決するのかい? 知り合いみたいな口ぶりだったよな。だったら、そいつに君が頼めばいいじゃないか」

 すると神希は、心の底からびっくりしたとでもいうように、おおげさに目と口を大きく開けて、

「えっ! 何言ってるんですか? 天翔院良彦は、『名探偵 天翔院』シリーズの主人公です。めっちゃ楽しい漫画だから、刑事さんも今度ぜひ読んでみてくださいね~」

「・・・」

 僕は十代の小娘にからかわれていたらしい。

 もう、アタマにきた。許さん!

「とにかく、中止、中止だ。ねっ、大関さん、それでいいですね?」

「神希、今から、『かりんとう!』してきま~す」

 突然、神希は左手を真上に伸ばして、そう宣言した。

 かりんとう? する? いったい何のことだ?

 植木の脳裏に浮かんだそんな疑問を相手にぶつける間もなく、神希は植木の横を素早くすりぬけて楽屋からあっという間に姿を消した。

「あっ、ちょっ、待って!」

 植木の静止に何らの反応も示さず、神希はステージに向かって一目散にダッシュする。植木は慌てて駆けだした。大関と鵜狩も後に続く。

 だが、敏捷な神希の走りに誰も追いつくことはできなかった。

 神希成魅は今までの勢いのまま、ステージ上へと飛び出した。植木ほか二名は、さすがにステージまで進むことはためらわれたので、手前で立ち止まるしかない。

 ステージの中央へと躍り出た神希は、観客に向かって語りかけた。

「みなさ~ん、長らく、お待たせしました。ほんとにごめんなさい。

 改めまして、こんばんは~! 浅草生まれの和菓子屋の娘がアイドルになりました! ネバーランドガールズの日本とインドのハーフ、シゲちゃん、こと、神希成魅です。よろしくお願いします!」

 お辞儀をしたまま数秒間静止し、その次に顔を上げた少女は満面の笑みを受かべて会場を見渡し、天井を突き抜けて青空まで真っ直ぐに伸びるような元気いっぱいの大きな声で呼びかけた。

「それでは、みなさ~ん! いつものアレ、やります! 一緒にお願いしますっ! せ~の・・・」

 両足をぴたりと揃えて直立した少女は、勢いよく頭の上までぴんと両手を伸ばして、その両手で大きく緩やかな円を作ると、全身をやや右斜めに傾けて叫んだ。

「かりんとう!!!」

 すると会場の観客も、「かりんとう!」と叫びながら、神希と同じポーズをとった。

 神希は、会場全体を見渡すようにしながら、ひとさし指を前方に向けて、突如こう叫んだ。

「あなたが犯人よ!」

 数瞬の間。

 そして、十列目の座席の中央あたりに腰かけていた男が突然立ち上がると、後方に向かって通路を駆けだした。

「みんな! あいつをつかまえて!」

 神希の呼びかけに何人かの男たちも立ち上がり、出口へと走っていく男に迫っていった。

 男は途中でつまずいて、あっさりと転倒。スーパーマンやバットマン、スパイダーマンのコスプレをした男たちに追いつかれ、取り囲まれる次第となった。

 植木は急いでステージ最前へと走り、ステージから飛び降りて、その一団に加わった。その中心にいる男は、正座をしたままうつむいて、見るからにしょんぼりとした様子である。植木がその肩を強くつかんでも、まったく抵抗する素振りを見せない。

 そして、そのかたわらには、一本の催涙スプレーが転がっていた。


                 九


 事件は解決した、のか? いや、間違いない、解決したのだ。植木はそう結論せざるをえなかった。

 支配人室への同行を要求した際、男は暴れることなく素直に従ったし、植木の尋問にもおとなしい態度で応じた。

 所持していた免許証から男の身元が判明。名前は南田安男で、品川区在住の四十三歳である。

 さらに追及の結果、大手銀行に勤務する銀行員であることがわかった。

 南田が犯行を認めるに至るまでは多少の時間を要したが、逃走中にジャケットのポケットから落ちた、処分し忘れの予備の催涙スプレーが決め手となり、犯行を自供した。

 植木の連絡を受けて駆けつけた同僚に南田が連行されると、植木は改めて神希に向き直り、話を聞くことにした。楽屋には、神希と植木の他に、支配人の大関と副支配人の鵜狩が残っている。

 尋問中にイベントは再開され、歌とダンスを披露して無事に出番を終えた神希は、充実感に浸った表情で楽屋のソファに腰を落ち着けて、カップに入った抹茶ジェラードをゆっくりとスプーンで口に運んでいる。

 そのご褒美を食べ終わるまでは、植木の問いにも一切耳を貸してくれなかった。(ちなみに、ジェラードは浅草の人気店で売っているもので、抹茶の濃さを七段階まで選ぶことができるという。神希は、濃厚度七が大のお気に入りだそうだ)。

 カップの中身を空にすると、神希は至福の笑みを浮かべながら、「ふ~」とひとつ大きな息をついた。

「さ、もういいだろう。いいかげんに話を聞かせてくれよ。一体、何が起こったんだ? 君は何をしたんだ? 僕にはさっぱりわけがわからない。ちゃんと説明してくれ」

 植木はいつの間にか懇願する口調になっていた。

「わたし、遥さんのお話やわたし自身の体験を重ね合わせて、考えたことがあるんです」

「考えたって? なにを?」

「遥さんは杏奈さんを探して二階に上がり、左に進んだ。真っ直ぐ歩くと、すぐに突き当たったから、もう一回、左に曲がった。

 そうしたら、曲がって二歩進んだところで、ゾンビと向かいあった。そして、そのゾンビは、スプレー上部にひとさし指を添えていた。

 ということは、つまり、いつでもスプレーを噴射できる状態にあったということ。ならば、ゾンビは遥さんを待ち伏せしていたように考えられる。そうですよね?」

「ああ、そうだね」

「でも、ここで疑問がひとつ。

 遥さんは杏奈ちゃんをつかまえるために、。それならば、どうしてゾンビは、遥さんの存在を予期して、あらかじめ待ち伏せることができたんでしょう?」

 思いのほか、神希の話が理屈っぽくなってきた。植木は今までより一層、真剣に耳を傾けることにした。

「ゾンビの第六感かなにかが働いて、曲がり角の向こうに誰かがいる予感がした。それで、通路の角の陰から遥さんが現れる方向を覗いていた? でも、それだったら、遥さんはその存在に気づいていたはず。

 遥さんが階段を上って二階に現れた地点から曲がり角までは、たったの五メートルほどという近距離ですから。

 曲がり角までの距離が長ければ、その間にゾンビは頭をひっこめたり出したりして、遥さんに気づかれないようにできたかもしれませんけど」

「すると、どうなるんだ?」

「そこで、わたしはもう一つの可能性を考えてみました。

 現場のあった廊下は、スカイツリーが見える窓に面していました。時刻は午後七時頃。外はもう暗くて、建物の中は明るい。

 それならば、窓は鏡の役目を果たし、建物の中を映していることになる。ゾンビは曲がり角の手前で、窓に映った遥さんの姿を見たんじゃないかって。

 曲がり角の手前からだと、角度的にはっきりと遥さんの姿が見えることはないでしょうけど、人影を認識することぐらいはできたでしょうね」

「なるほど。じゃあ、それだね」

「でも、ここでまた疑問がひとつ。

 遥さんは、こう証言しました。

 曲がり角に向かって歩きながら、正面にスカイツリーが視界に入ったときのことです。

『背の低い建物とはかぶっていたけれど、その上は何もさえぎるものがなくて、自らが灯した明かりをキラキラと放ちながら夜空に向かってそびえていました』と。

 でも、窓に映った自分の姿とスカイツリーが重なり合った状態を指して、『背の低い建物とはかぶっていたけれど、その上は何もさえぎるものがない』なんて表現するでしょうか?」

「う~む。まあ、しないかな」

「ですよね。だったら、こう考えるしかありません。

 スカイツリーがそのように見えたからには、のだと。

 今日は十月下旬のわりには、とても暖かい陽気でしたから、窓が開いていても不思議ではありません。

 さっきもお話したとおり、わたしはおトイレに行くために、あの場所を通ったのですが、正直言って、窓が開いていたかどうかの記憶はないんですけど、遥さんの証言からそう考えざるをえないんですね」

「なるほどね。でも、そうなると、ゾンビは遥さんの存在をあらかじめ認識することはできないって話にならないか?」

「ええ、そういうことなんです。ゾンビは遥さんが角を曲がって、自分と向き合うまで、遥さんの存在に気づくことはできなかった。

 にもかかわらず、スプレー上部にひとさし指を添え、いつでもスプレーを噴射できる状態にあったことも事実。

 ということは、こう結論せざるをえないんです。

 

「えっ」という言葉が、思わず植木の口をついてでた。 

「では、その別の人物とは誰か?

 もう、おわかりですよね? ちょうど、あのとき、あの現場付近に、ゾンビと遥さんの他にいた人物。そうです」と神希は言って、にっこりとほほえみながら、その親指を自らの顔に向けた。

 ゾンビの本当の狙いは、神希成魅だった… そういうことだったのか。

 しかし、と植木は若干の違和感を覚えた。神希を襲う、それはこれまでの通り魔の行動パターンから微妙に外れている気がした。なにかがおかしいのは確かだが、それがなにかと問われると答えることができないもどかしさ。

 そんな植木のいらだちを見透かしたように、神希は続けた。

「通り魔は、色々なイベントに出没しては、催涙スプレーでそのイベントの参加者を無差別に襲う愉快犯。

 非常に悪質であることに違いはないけれど、スプレーには毒性もないし、金品を盗んだり暴行を加えたりもしていない。

 事件を起こしながらイベント自体も楽しんでしまうというずうずうしさもあって、通り魔にとっては、ちょっとしたイタズラのつもりなんでしょう。決して、事件を引き起こすことによって、社会全体を驚かせてやろうなんていう歪んだ野心は持ち合わせていません。

 とすれば、当然の疑問がひとつ。

 

 わたしはこの通り魔と目を合わせていますから、通り魔はわたしの顔を知っていたにもかかわらず、わたしを標的にしたことになる。

 でも、もしわたしを襲っていたら、どうなっていたか? イベントは即刻中止。スタッフさんは、大慌てで警察を呼ぶでしょう。アイドルが襲われるなんて、格好のニュースのネタですし、世間の注目度も高くなるでしょうから、警察としても早期解決のために、よりいっそう本腰を入れて捜査に取り組むに違いありません。

 そんなことは、この小心者の通り魔が望むはずはありません。イベントの出演者であるアイドルを襲うことは、通り魔としては、絶対に避けなければならないことなんです。

 それにもかかわらず、なぜ通り魔は、このわたし、神希成魅を襲うことを試みたのか? 答えはひとつしかありません。

 そうです、

「なるほど。よくわかった」と、植木は素直に納得せざるをえなかった。さきほどまで抱えていた違和感はあとかたもなく氷解した。

「だから、『かりんとう!』、なんです」と神希は言葉を継いだ。植木は突然の飛躍に頭が真っ白になって、「え? なんで?」という問いが自然ともれでた。

「通り魔はわたしのことを知らない。ならば、わたしがキャッチフレーズと一緒にやっている『かりんとう!』のポーズも知らないに違いない。

 このイベントに参加しているお客さんたちは、特にわたしを応援していなくても、『ネバーランド ガールズ』のファンであれば、『かりんとう!』のポーズは当然知っています。曲中の合いの手や振り付けを完全にマスターしているのと同様に。

 だから、『かりんとう!』のポーズをできなかった人イコール通り魔、としてあぶりだせるとわたしは考えたんです」

 そうか、突然の『かりんとう!』には、そんな意味があったのか。やっと植木は腑に落ちた。

 実際には、あのとき、あのポーズをしなかった観客は、通り魔以外にも何人かはいた。だが、ステージの上から会場を見渡しながら神希が観客席を指さしたとき、通り魔はそれが自分に向けられたものだと焦り、自滅してしまったのだ。

「それにしても」と、植木はふと浮かんだ疑問を口にしてみた。

「なんで、通り魔はイベントを途中で抜け出さなかったんだろう?

 通り魔としてみれば、捜査が進んでいけば、自分が最初に狙っていたのがアイドルであると、捜査側が気づく可能性に思い当たるんじゃないかな?

 そうなれば、さっき君が話したように、大ごとになるのは必至。通り魔は、悠長にイベントを楽しまず、さっさと逃走するはずなのになあ」

「そのとおりですね。通り魔が、わたしがアイドルであることに途中で気づけば、ですけどね」

「そりゃあ、気づくだろう? だって、君はステージに上がって、堂々とパフォーマンスを・・・ あっ」と植木は呆けたように口をポカンと開けた。そんな植木の様子をさもおかしそうに眺めながら、神希はうなずいた。

「ええ、だって、わたし、大仏のマスクやストッキングで顔を覆っていましたからね。あの通り魔は、自分が襲おうと考えた人物とステージ上の人物が、同じひとりの人間だったなんて、わたしが『かりんとう!』のポーズをするためにステージに登場する瞬間まで、まったく気づくことはなかったんです 」

 神希はそう言って、自らの話を締めくくった。


                  十

 

 植木はまさしく驚嘆の思いで、神希成魅を見やった。彼女に対する印象が一変していた。

 そうか、そうだったのか。さっきまで、やたらと騒がしいだけで周囲の空気を読めない少々オツムの足りない娘だと思っていたのに… あれは見せかけで、いわゆる「キャラ」というやつだったんだな。ほんとは、すごく賢い子だったんだなあ。

 植木がしみじみとそんなことを思っていると、「あ、思い出した! 神希! このバカ野郎が!」という副支配人の鵜狩氏の怒声が轟いた。

「昨日のブログ、なんだこの内容は! 『この前のテストの結果です。国語十三点 数学0点 社会十一点 理科二点 英語七点 ちなみに百点満点です(笑)』だと?

 リアルに点数低すぎて、ちっとも、笑えねーよ! 全国に堂々とバカさらして、どうすんだよ!」 

「だって、ホントのことだも~ん。ちょっと、面白いかなと思って。ノリですよ、ノリで書いちゃったんです~」

「いくらほんとのことだって、書いていいこととダメなことがあるだろが。まったく、お前ってやつは」

 神希は、ひどく情けなさそうな表情になって、かぼそい声を発した。

「しょんぼりシゲ~」

 やれやれ。前言撤回。あやうく大きな勘違いをするところだったぜ。

 植木は、ソファに合わせて据えられたテーブルに目を移した。テーブルの上には、茶褐色のお菓子が盛られた小皿。植木は、かりんとうをひとつ摘みあげて(神希の実家の和菓子屋で作ったものらしい)、口に含んでみた。

 かりんとうは、サクサクとした食感とほどよい甘さが癖になりそうな味であった。植木は、照れた表情で少し頬を赤らめながら、小さな声で呟くように言った。

「おいシゲ~」

                                    (了)

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かりんとう! 鮎崎浪人 @ayusaki_namihito

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