第2話 初めての会話
授業は既に始まっている。
なのに何故か鹿沼さんに呼び止められ、薄暗いクラスに2人で残っている。
俺たちは前のドアと後ろのドアの間にある廊下からは見えない死角で向かい合っている。俺は壁と鹿沼さんの間に挟まれている状態。
「それで、何?」
先に口を開いたのは俺の方。
中々話を切り出さないので俺から聞いてみることにした。
「私、妊娠した」
「……は?」
予想外すぎて変な声が出た。
鹿沼さんは自分のお腹辺りをさすっている。
「あなたの子よ」
「いやいやいやいや、何言ってんのお前?!」
俺たちは初対面ではないが、話したことはない。
当然肌を重ねたこともない。
よって妊娠するわけがない。
「なーんて、冗談」
鹿沼さんは悪戯っぽく笑った。
マジで頭おかしいのかなこの人。
もしも“クラスの人気者女子は頭がおかしかった”っていうタイトルのライトノベルがあればこういう女子が登場するだろうな。
オタクキャラを演じていた時に読み漁ったライトノベルと漫画は全てブックオフで売ってしまったが、かなり楽しませてもらった。
「早くしないと、怒られるよ」
もう授業が始まって10分が経過している。
転校生がいるという情報は先生方の中でも共有されているはずだ。それなのに1限の授業に来ていないとなれば心配させることになる。もしかすると俺がどこかで迷子になっているという事で、誰かが迷子探しに来るかもしれない。
そうやって俺を探しているクラスメイトに今のこの状況を見られたら、困るのはお互い様だろう。
誰もいない薄暗い教室の死角でクラスの人気者と転校生が何してるの?ってなるに決まっている。そうなると色々な噂や疑惑が流れ、それを払しょくするのは正直面倒くさい。
「そうだね、本題に入るね」
そう言って真剣な眼差しで口を開いた。
「邪魔しないでほしいの」
「邪魔?」
「君は知ってると思うけど、私は異常な転勤族一家。だから転校も多かった。だけど、そんな私を心配してか今年から親が転勤しても私は転校しなくていいことになったの」
「へー……」
彼女は転校生人生に終止符を打ったわけだ。
彼女が転勤族である事は初耳だが、確かに転校が多いと色々な弊害が出てくる。
親友と呼ばれる友達はできないし、恋人だってできない。学生生活にいい思い出もなく終える可能性が高い。
それを心配してか彼女の親は自分の転勤先に子供を連れて行くのを辞めたというわけだ。
それは理解できるだけど……。
「で、なんで俺が邪魔することになるの?」
聞かなければならない事。“邪魔”の意味。
「だっ……だって!」
鹿沼さんは大きく息を吸う。
「中学1年生の時は転校初日にギター担いでいきなり教壇でロックンロール始めてクラスを驚かせてたし、中学2年生の時は初日からクラスで不良と喧嘩始めてビビらせてたし、中学3年生の時はーー」
一度息を整える鹿沼さん。
「中学3年生の時は、センター分けのありえないグルグル模様の丸眼鏡でずっと教科書読んでるし!」
ええええ!?めっちゃ見られてんじゃん!?
早口で全てを語り切った鹿沼さんは息切れではぁはぁ言っている。
対して俺は恥ずかしさのあまり、顔が熱くなっていた。
「あなたの事はよく知ってる。だから変なキャラで邪魔をしないでほしい」
「そっか」
彼女が転校人生を終えて、本気で学生生活を送りたいと思っているのが伝わってきた。彼女は今まで無かった青春を高校生活で取り戻そうとしている。
もう転校しなくてよくなった所に俺が変なキャラで邪魔をするかもと思い、牽制してきたわけだ。
改めて彼女を見てみる。
外見は可愛い。転校生人生を送らなければ恋人もできていただろうし、友人だってたくさんできていただろう。
まじまじと彼女を眺めていると、「どうしたの?」と言われたので「いや別に」と返す。
「それと、私の過去を言いふらしたりもしないでほしい」
彼女の過去。
確かに思い返せば彼女も色々な事をしていた。
彼女の過去を言いふらそうなんて毛頭考えてなかったが、彼女にとっては一大事だったのだろう。
そもそも俺が彼女の過去を言いふらしても、誰も信じてはくれないだろう。
「もう普通に戻りたいの」
鹿沼さんはどこか寂しそうに俯いた。
「わかった」
その言葉を伝えると、鹿沼さんは「よかった~」と胸をなでおろした。
「教科書取ってくる」
これから頑張ろうとしている人を陥れたりするほど、俺はイジワルじゃない。
鹿沼さんの安心した顔を見届けて、俺は教科書を取りに行くために廊下に出て、歩き始める。
嗅いだことの無いこの学校特有の匂いが廊下の風に乗って鼻腔をくすぐる。
それにしても、とんでもない転校初日だ。
転校初日にクラスに笑われ、授業には遅刻し、クラスの女子に関わらないでほしいと言われた。
関わってほしくないと思うなら、朝のホームルームで声を掛けなければよかったのに。そうすれば今まで通り関わる事もなかったと思うし、俺が椅子から転げ落ちることもなかった。
まぁ、いいや。
唯一の“同類”が普通の生活に戻る。
喜ばしい事じゃないか。
なのにどうしてだろう。
人生初めての感覚だ。
これが“心に穴が空いた”という状態なのか?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「あ、あのさ」
「はい?」
「さっき、私に関わらないでほしい的なこと言ってたと思うんだけど?」
「関わらないでほしいなんて言ってないよ。 邪魔しないでほしいって言ったの」
鹿沼さんは俺の教科書を半分持ってくれている。
今は廊下を横並びで引き返している途中。
授業が始まって20分が経っている。
鹿沼さんは楽しそうだ。
たまに軽くスキップしながら俺を抜き去り、俺が追いつくのを待つを繰り返している。
教室での彼女は大人しくて、愛想がいい大人しめの、誰にでも好かれる雰囲気を出しているが、今ここでは悪戯っ子で活発な女の子って感じだ。
どれが彼女の素顔なんだろうか。
「それに、転校生の教科書を運ぶのを手伝ってたって理由なら怒られないだろうし」
教室に着き、俺は教科書の山から有機化学と無機化学の教科書を抜き出し、今度は第一理科室へと歩きだした。
正直場所が曖昧だったので、鹿沼さんについていく形で初授業に参加した。
ちなみに、めちゃめちゃ怒られた。
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