あのバカ、今日告るって

けろり

あのバカ、今日告るって(前編)

「……うーん、やっぱり、第一志望はーー」


「スズ!オレ、今日こそ告白するぞ!」


 日が落ち始めた放課後の教室にやけに興奮した声が響いた。声の方を向くと、よく見知った五厘刈りの頭が、教室の扉のところからアタシに真剣な眼差しを注いでいる。


「は?」


 自分でも驚くほど呆れた声が出たと思う。だけど、彼はそんな声を無視してズカズカとアタシの方に向かってきた。咄嗟にアタシは周りを見渡して、他に人がいないかを確認する。今からこのバカは恥ずかしい話をするに違いない。それも恥ずかしげもなく、堂々と語るだろう。そんなバカのバカな話に付き合っている姿を誰かに見られたとなると、羞恥に耐えがたい。きっと一日学校を休むかもしれない。


 幸いにして、このクラスにはアタシと、このバカだけ。ひとまずホッと一安心していると、バカがアタシの机のすぐ側に来ていた。咄嗟にアタシはそれとなく、腕で書きかけのプリントを隠した。


「だからぁ、今日こそ、山下さんに告白するんだって」


「あっそ、がんばってね」


「……」


「……」


 少しの沈黙が流れた直後、彼の口から「はあっ!?」と素っ頓狂な声が飛び出た。それがあまりにうるさいもんだから、ビクッと体が震えてしまった。恥ずかしい。


「なんだよそれ!幼馴染が告白するんだぞ?もっとあるだろ!?」


「はぁ?何言ってんの?幼馴染だからって手放しに応援されると思わないで。

 社会は甘くないわよ」


「社会って、オレたち、まだ中学生だろ……」


 バカが頭を抱えて項垂れた。よっぽどアタシの応援を期待したのだろうけど、アタシはそんなはしゃぐ性格でもないし、他人の恋愛になんて興味はない。どうぞ勝手にやってくれ。


「 ハァ……」と大きなため息が横から聞こえる。アタシは項垂れているバカをチラリと横目で見た。


 このバカの名前は、あつし。アタシの幼稚園からの幼馴染だ。家が隣同士というのもあり、アタシたち二人はよく一緒に遊ぶ仲だった。今では友達も増えて、二人だけで遊ぶなんてことは無くなったけど、こうして会話を交わすことはある。


 あつしは野球部のキャプテンをしていて、後輩から慕われている姿をよく見かける。体格も普通の男子中学生よりは良い方で、肌は日にやけて年中薄黒い。性格はよく言えば素直で、悪く言えば馬鹿正直。一度決めたことは必ずやり遂げようとするイノシシ。だけどそんな裏表のない性格だからか、あつしのことを嫌っている人はほとんどいない。あつしには言わないけど、実は一部の女子から人気があったりする。言わないけど。


「てか、あんた部活は?」


「グラウンド整備で明日まで休み」


「ふーん、で、告白するっていうどうでもいい報告のためだけに、ここに来た

 わけ?」


「いや、実は……」


 あつしがモジモジとした様子を見せる。この時、何か嫌な予感を覚えたのは気のせいではないだろう。案の定、その予感は的中した。


「今日、告白するって決めたはいいけど……なんて告白すればいいか、わかんなくって。だからスズにアドバイスを頼みたいんだけど……」


「はあ?アドバイスぅ?」


「ほら、オレって告白なんてしたことないからさ。どうやって告るのが正解なのか、分かんなくて……」

 あつしは頭を掻きながら、恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「アタシだって、告白なんかしたことないわよ。アドバイスくれなんて言われても無理よ」


「そこをなんとか頼む!」


 あつしが必死に手を合わせて懇願するが、無理なものは無理である。アタシはこの年になって満足に恋の一つもしたことがないのだ。さらに言えば、恋愛ドラマや恋愛漫画もあまり見ない。どちらかと言えば、サスペンス系が好み。恋愛がしたいなんて思ったこともない。そんな恋に関して、ズブのど素人が何かアドバイスできるなんて思わないで欲しい。


 何度もあつしのお願いを断るが、彼はなかなか折れず、しつこいくらいにせがんできた。


「だから、無理だって」


「そこをなんとか頼むッ。何でもいいから、何かアドバイスくれ!」


「何でもいいって、言われても……」


「ほら、女子が憧れる告白とか、あるじゃんか」


「女子が憧れる、告白……」


 そんなことを言われても急には出てこない。自分の経験不足を恨んでしまうほ

 ど、どれだけ頭を捻ろうとも頭の中で何も引っ掛からなかった。


 唯一あるとすれば、友達がアイドルの話を夢中になって話していたときのことだ。あんなイケメンが急接近して来て「好き」とか囁かれたら卒倒する自信があると豪語していたのを思い出す。


 だけどそれはアイドルの話であって、アタシたち一般人には当てはまらない。


 こんな荒唐無稽な話をアタシが真面目にアドバイスしようものなら、このバカからアタマおかしいんじゃないんかと思われるだろう。そんな屈辱、アタシには耐えられない。バカの頬をぶっ叩いて、次の日学校を休む姿が簡単に思い浮かぶ。


 やっぱり無理なものは無理だ。アタシは無難に応えることにした。


「……素直に気持ちを伝えるのが一番だと、思、う?」

 自信がないあまり疑問系になってしまった。しかし、あつしは特に気にした様子を見せない。口元に手を当てて、「なるほど……」と小声で呟いた。


「もっと他にない?」


「はあ?他ぁ?」


 このバカは、アタシがやっとの思いで捻り出したアドバイスだけでは満足せず、さらに要求してきやがった。どれだけ図々しいのか、自覚して欲しい。


「もうないから。あれで十分でしょ」


「そこを何とか頼むって。失敗したくないんだ、頼む!」


 あつしはさらにしつこくせがんで来た。適当にでもアドバイスをしてしまったせいで、少し調子に乗ったのかもしれない。先ほどよりも圧が強く、いくら断ろうとも、勢いは止まるところを知らなかった。それがいつまでも続くので、

 アタシは段々と腹が立ってきた。そしてすぐに堪忍袋の尾が切れた。


「あーもう!しつこい!」


「えっ」


 あつしが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。おかしな顔だけど、今はそんなことがどうでもいいほど、怒りしか感じなかった。


「告るなら、さっさと告ってきなさいよ、バカ!アタシはそんな事よりも、進路調査を書かなきゃいけないんだから、邪魔しないで!」


「し、進路調査?」


 あつしはそこで初めてアタシの机の上に視線を落として、まだ書きかけの進路調査票の存在に気づいた。そして、その中身をまじまじと見始めたので、咄嗟に体で進路調査票を覆い隠す。


「ちょっと!見ないでよ!プライバシーの侵害!」


「いや、別にいいじゃん。ちょっとぐらい見たって」


「ダメ!絶対ダメ!」


「なんでだよ。いいじゃんか、幼馴染だろ」


「幼馴染だからって、なんでも許されると思わないで!このバカ!」


「やめて」と言っているのに、このバカはしつこくて、やめようとしない。ア

 タシの体の隙間から進路調査票の中身を覗き見ようと、あつしは体をあちらこちら左右に揺らした。


 その行為がさらにアタシの怒りに油を注いだ。進路調査表を乱暴に机の中に突っ込み、アタシは椅子から立ち上がると、


「どっか行って!」

 と叫びながら、あつしを思いっきり押した。「お、おい、やめろよ……!」とあつしの制止の声も無視して、押し続ける。そうして、抵抗するバカをそのまま廊下に突き出した。


「さっさと当たって!砕けろ!」


「いや、砕けちゃダ……」


 あつしが言い終わる前に、教室のドアをピシャリと閉め切る。振り返って、自分の席へと戻る。そして、もう一度ペンを取って、進路調査票に向き直った。


「……あのー、スズさん」


「……なに?」


 扉の隙間からバカが顔を覗かせていた。わたしは横目で冷たく睨みつけると、彼は顔の前で両手を合わせて、申し訳なさそうに謝罪した。


「ごめん。ちょっと調子に乗りすぎた」


 ズルい。その仕草と声色だけで、許してやるかと思ってしまう。そういう素直なところが、ズルくて、羨ましいと感じてしまう。


「……はぁ、わかったから、とっとと行って」


「うん……あっ、それと!」


 まだ何かあるのかと、気だるげに扉の方に顔を向ければ、彼はニカッと笑顔を見せ、早口で言った。


「今まで、いろいろと相談に乗ってくれて、ありがとな!じゃ、オレ頑張ってくるわ!」


 その時、ズキリと痛みが走った。体には何の異変もないのに、体内にいきなりウニが発生して心臓を突き刺しているような感覚。突然の痛みに静かに驚いている中、あつしは騒がしい足音だけを残して、その場からいなくなっていた。


 教室に静けさが戻る。


 静まり返った教室に一人取り残されたアタシは「またこの発作か」と心の中でため息を吐いた。


 中学に上がってから始まった原因不明の謎の発作。胸の辺りが苦しくなり、動悸が激しくなる。息苦しい。


 気持ちを落ち着かせるように深呼吸をするが、なかなか発作は治らなかった。


 頭の中をさっきの会話が反芻する。まだ息苦しい。集中できない。これじゃ、進路調査票を書き終えられない。本当なら、もう書き終わって家に帰ってるはずなのに。これも全てあのバカのせいだ。あのバカがアタシにアドバイスなんか求めてくるから、こんな事態になったんだ。


 徐々にあつしに対してイライラが湧き上がってくる。そうなると、あつしへの文句が溢れてきて、止まらなかった。


「……だいたい、あいつはバカすぎんのよ」


 あつしのバカな行動はこれまでに数えきれないほど見てきた。川にダイブしたり、蜂の巣をつついたり。勝てるわけもないのに上級生相手に喧嘩したり。それに巻き込まれるアタシの身にもなって欲しい。


「しかも、イノシシなんだから手に負えないし」


 一度決めたことは最後までやらないと気が済まない性格にもどれだけ振り回されたことか。特に小さい頃は危ないことでも嬉々としてやるので、その度にアタシが止めに入っていった。全くアタシはお前のお母さんか。何度肝を冷やし

 たことだろう。


「でも、恋には奥手っていったいなんなの」


 イノシンなんだから、恋したらすぐに告ればいいのに、あのバカは恥ずかしがって、行こうとしない。アタシがどれだけ背中を押してもあつしはのらりくらりとはぐらかす。だから、今日告白すると言い出した時は「やっとか」と思った。


「ホント、バカ。ううん、バカ通り越してトンチンカンよ」


 あつしへの文句が止まらない。だけど、だんだん文句を言うのにも疲れてきて、うちに溜まった鬱憤を吐き出すように一度大きく深呼吸をした。


「……さっさと告れってのよ、バカ」


 そうすれば、この心のモヤモヤともおさらばできるはずなのに。


 あつしの好きな相手の名前は、山下つぐみ。同級生だ。


 あつしが山下つぐみさんのことを気になり出したのは、中学に上がってすぐのことだった。あつし曰く、一目惚れだったらしい。


 確かに、女子のアタシから見ても、山下さんはすごく美人である。艶のあるロングストレートの黒髪は、セミロングの癖毛のアタシには死ぬほど羨ましい。スタイルもまるでモデルのように細くて、脚も長い。その佇まいは清楚さが滲み出ている。さらに成績優秀で、運動神経抜群という高スペックだ。才色兼備とはまさに山下つぐみのために用意された言葉だろうと思えるほどに、彼女は完璧なのだ。


 そんな完璧超人なら周りから疎まれても良いのだが、不思議と彼女には敵がいなかった。彼女の人当たりの良さが功を奏したのだろう。彼女の周りにはいつも人が集まっていた。その中には、あのバカもいた。


 あつしから初めて恋愛相談を頼まれたのは中学1年の冬休みが終わってすぐの頃だった。何となくそんな気はしていたけど、案の定あつしの口から「山下つぐみ」の名前が出た時は、不思議な気分だった。どう言っていいのかわからないけど、少なくとも良い気分ではなかったのは覚えている。


 思えば、原因不明の謎の発作が始まったのは、その日からだった。


 そこからあつしから時々、恋愛相談という名の「素晴らしき山下つぐみ発表会」が始まり、地獄だった。延々と山下つぐみのよかったところを聞かされるのだ。そんな聞きたくもない話に付き合わされるこっちの身にもなってほしい。


 あつしも別にアタシじゃなくて、もっと他の仲の良い友達に相談を受けて貰えば良いのに、どうしてかアタシだけ。あつしが山下さんを好きなことを知っているのはアタシだけなのだ。


「あー、ダメダメ。早く進路書かなきゃ」


 頬をペチペチと叩いて、気持ちを切り替える。まずは冷静にならないと。自分の人生を左右する高校を決めるんだ。フラフラした気持ちじゃいけない。


 ペンを握り直して、第一志望の欄だけが空白の進路調査表に向き直った。


 今のアタシの成績では、中の下ぐらいの高校にしか受からないだろう。出来れば、県内でも有数の進学校である泉ヶ丘に行きたいが、高望みしてはいけない。冷静になれアタシ。無難なところが一番良いんだ。


「やっぱり第一志望は……」


 合格圏内の高校の名前を書こうとして、ハタッと筆が止まった。


「そういえば、あつしって、高校どこにするんだろう……」


 そこまで言って、アタシは自分が全く冷静になれていないことに気づいた。


 アタシのバカ。どうしてバカの名前がいま出てくるの。


「はあ、顔洗ってこよ」


 気分転換も兼ねて、トイレへ向かう。


 季節はそろそろ夏も過ぎて、秋になろうとしており、夕焼けが廊下を物寂しげに照らしていた。廊下にはアタシ以外に誰もおらず、静まり返った教室が並んでいる。


 何気なく外の景色を見ながら、ポツポツ歩いていると、どこからか聞き慣れた声が聞こえた。


 横を見れば使われていない空き教室の扉が少し開いている。少し悪い気はするが、アタシはそっと扉の隙間から中の様子を伺い、すぐに後悔した。


 あつしがいた。対面には山下つぐみがいる。どう見ても告白する場面に出くわしてしまった。


 ヤバい。今すぐにでもこの場を立ち去ろう。頭ではそう思っているのに、どうしてか足が動かなかった。しかもタイミング悪く、あの発作がまた始まった。


 最悪。また発作?しかも、今までで一番激しい痛みだ。


 息が苦しい。動悸もヤバい。胸の辺りに巨大な鉛玉を埋め込まれているような苦しさだ。体がブルブルと震えている。


 落ち着けアタシ。深呼吸しろ。しかし、息を深く吸うも、発作は全然治らな

 い。それどころか動機は余計に激しくなるばかり。耳のすぐそばに心臓がついているかのような鼓動の音が響き渡っている。ヤバい。これじゃあつし達にアタシが覗き見していることがバレてしまう。


 あつしの表情は背中しか見えないので、わからない。山下つぐみは少し困惑した表情を浮かべているのが見えた。


 そろそろあつしの告白が始まる。


 人の告白現場なんか見たくないのに。それなのに、あつし達から目が離せなかった。


 これじゃ、まるでアタシがあつしのことを……。


 ふと頭を過った考えをアタシは全力で否定する。


 違う。ありえない。そんなこと絶対にありえないから。


 だから、動いてよ。動いてよアタシの足。どれだけそう願おうと金縛りにあっ

 たかのようにアタシはその場を動けなかった。


 あつしが大きく深呼吸をする。


 そして、ついに意を決して、口を開いた。


「お、オレ」


 やめて。


「は、初めて、あ、会った、と、と、と、時から」


 やめて。それ以上言うのはやめて。


「や、や、山下、さんの、こ、ことが」


 それ以上言ったら、気づいちゃう。


「す、す、す、すすす」


 アタシの気持ちに。


「好きでしたッ!!」


 地面に穴が空いた。いや、そう感じてしまうほど、足元があやふやになった。

 底なし沼に沈んでいく。ドス黒い何か気持ち悪いものに、飲み込まれていく。

 得体の知れない何かが、アタシの心を蝕んでいった。


 ああ、そうか。これは嫉妬だ。山下つぐみへの嫉妬なんだ。


 でも、なんで?


 長髪のストレートだから?ううん、違う。


 体型がモデルさんみたいだから?これも、違う。


 クラスの人気者だから?全然違う。


 わからない。どうして彼女への嫉妬が収まらないのか理由がわからない。


 いや、ウソだ。本当はわかってる。わかってて、ずっと無視し続けてた。だっ

 て、今更、そんなこと認められないから。認めちゃったら、アタシがバカみたいだから。だから、ずっと、ずっと無視してきた。


 なのに、今になって、無視しようとすればするほど、心が苦しくなる。まるで

 認めないと、この体はもう返さないと脅されているようだった。


 どれだけ時間が過ぎただろう。短いようで長い沈黙が続いた後、山下つぐみは

 ゆっくりと頭を下げて、言った。


「ーーごめんなさい」


 正直、その後のことはよく覚えていない。彼女はあの言葉の後、何か言ってい

 たけど、アタシは自分のことで精一杯だった。


 ただ一つ言えることは、あつしは振られた。長年の片思いが終わったのだ。


 そして、その一部始終を見ていたアタシは自分の想いに気づいた。


 ああ、だめだな。この気持ちは、もう無視できない。


 こんなの認めたくないのに。そう強く思えば、思うほどに、アタシの心がはち

 切れんばかりに強く叫ぶ。


 もう限界だ。


 認めるしかない。


 アタシは、あのバカのことが、あつしのことが。


 ーー好きなんだ。

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