第11話 ミスター・スライディング

 十分経過のタイマーが鳴ったので、ミツグは反射的にそれを止めた。

 止めたはいいが、ここから先どうしたらいいか分からない。ちなみに悪霊獣はタイマーの音にも気にかける事なく、ひたすらに首輪をベロベロしている。

 このまま作戦失敗として逃げるか? いや、それだとユラコは確実に死ぬ。

 ならば屋上に待機しているゼンゼンマンに助けを呼びに行くか? 一見最善手だと思ったが、そもそも奴は持ち場を離れられないからミツグにこんな理不尽な任務を押しつけたのだ。どのみち作戦失敗になってユラコが死ぬ。

 ユラコを助けたければ、ここは自力で何とかするしかない。

 となると首輪を奪う一択しかない作戦になるのだが、問題はそれをどうやるかである。

 首輪を奪った途端に標的がこっちになる事は間違いない。

 だが、床に落ちている物を拾い上げて逃げるとなるとどうしてもスピードは落ちる。そのままダッシュしてすり抜けようとしたところを喰われる可能性が限りなく高い。

 チートアイテムで得たアスリート並みのフィジカルに賭けるか? いや、それならば。

 ミツグは意を決すると廊下にある掃除用ロッカーからバケツを引っ張り出し、近くの水道で水をためる。

 目を離した隙にいなくなっていたらどうしようかと若干の不安はあったが、悪霊獣はずっと同じ場所でベロベロしていた。本当に知性が無い。

 そんな悪霊獣の目の前の床めがけてミツグは派手にバケツの水をぶちまけた。

 水の勢いで首輪の位置がずれたのを確認してからミツグはバケツを投げ捨て、そこへ向かって助走から加速、そして床が濡れているゾーンに入ると同時に勢いよくスライディングの体勢になる。

 そのままの勢いで悪霊獣の舌から離れた首輪を奪取して、相手の背後まで一気に滑り抜ける。水で濡れた床だったからこそ出来た技だった。

 ダッシュでスライディングだとか、中学時代の野球部の苦い思い出が蘇るから嫌だったんだけどな、と思いながらミツグは水と悪霊獣のよだれでベタベタになった首輪を装着する。言うまでもなく嫌だったが、作戦なので仕方がない。


「グオォォォォォォ!!」


 首輪を奪われた悪霊獣は怒り狂ったような咆哮を上げる。大きな口はさらに裂ける程までに広がり、ドロドロとした物が床にしたたり落ちる。

「やっべえ!」

 あいつあんなに吠えるのかよ、と言うツッコミをする間もなくミツグの命がけの闘争は再開された。今度こそ捕まったら終わりな気がする。

 廊下だけでなく、教室内にも逃げ込んで机や椅子で相手の進路妨害も試みるが、怒り狂っている悪霊獣はそれらを全て蹴散らしてしまい、あまり効果はないようだった。

 というか、もう約束の時間は過ぎているのだからこのまま捕まり覚悟で屋上に向かって、後はゼンゼンマンに丸投げした方がいい、と判断したミツグはこれでもかというくらい全力で走り出した。体力はもう限界だがそんな事言っていられない。

 デスゲームをやっていた記憶はないのでそこは除外するしかないが、こんなに死ぬ気で頑張ったのは生まれて初めてかもしれない。中学時代に野球部のレギュラーを取ろうとして努力した事もあったが、今ほど必死では無かった気がする。

 結局レギュラーになる夢は叶わなかったし、高校ではもう野球はやめたので今となってはあまり意味のない努力だったかもしれない。

 ただ、さっきのスライディングで逆転の糸口が見えたので、もしかしたら無駄ではなかったのかもしれないな、とも思えた。走り込みとかけっこうやっていたし。

 そうこうしているうちに屋上へ続く階段が見えた。ここさえ登り切ればこちらの勝ちだ。

 ミツグは最後の力を振り絞って、階段を駆け上がる。

 だが、悪霊獣は既にミツグの背後に迫っており、彼が数段上がったところで頭上からぱっくりとその大口でミツグの身体を飲み込もうとして、


 瞬間、ミツグの視界は真っ暗になった。




「ミツグ君、遅いなあ」

 ゼンゼンマンは屋上のフェンスの上に腰掛け、暢気そうにつぶやいた。

 確かに時間稼ぎの十分はとっくに過ぎているが、まるで遊びに行く待ち合わせのような口ぶりである。

「あれだけチートアイテム渡しておけば死にやすい魂でも勝てると思ったんだけどなあ……」

 どこまでもずぼらな作戦立案者である。そもそもミツグは命がけであっても、ゼンゼンマンの方はこれが失敗したところで次頑張ればいいだけ。悪霊獣さえ討伐できれば途中で何が起きようともそこはどうでもいいのが彼の持論であった。

「さて、一応助けに行ってあげようかなー……ん?」

 ゼンゼンマンが腰を上げようとした途端、屋上のドアがガチャガチャと音を立てたと思ったら、バァンと勢いよく開いた。

「もー、遅いよミツグ君! って……ええー!?」

 やってきたのは相岡ミツグで間違いはなかった。

 ただ、悪霊獣に背後から覆い被され、上半身が丸呑みされかけている状態でふらふらしている。とても歩きにくそうだ。

「……本当、キミは予想外で面白いなあ」

 ゼンゼンマンはそのまま立ち上がると、ミツグに向かって叫んだ。

「そのまま魔法陣の中央へ! キミから見て十五度右にずらした方向へ十歩分歩いて!」

 ミツグが指示通りの方向へ動き出したのを見てゼンゼンマンはフェンスを蹴って宙へ飛んだ。そのまま浮遊しながら両手に握っている武器を構える。鎖の先端にある分銅部がドクロのチャームになっている以外は何の特徴も無い鎖鎌だった。

「よーし、そのままストップ。後はワタシに任せたまえ!」

 ミツグの動きが止まったのを確認すると、ゼンゼンマンは鎖鎌を握りしめながら何やら詠唱を始める。言語的にどこの国の言葉でもない、不思議な響きだった。

 詠唱と共に描かれた魔法陣は紅い光を放ち始め、その光によって悪霊獣が苦しみ始めた。

 ミツグの背に負ぶさったまま悶えているのでミツグの身体も一緒に大きく揺れ動く。悪霊獣の口の中からは何やらうめき声がするが、それが化け物のものなのか、ミツグのものなのかはゼンゼンマンには区別が付かない。

「ま、いっか。このままフィニッシュにするよ」

 鎖鎌の鎖の部分が悪霊獣の方へ向かって伸び、まるで鎖が生きているかのような器用さで悪霊獣の身体だけを巻き付けて締め上げる。

 悪霊獣はついに耐えきれずにミツグの身体を解放して絶叫した。あの黒くてドロドロとした肉体からは焦げるような匂いと共に煙がもくもくと上がり、やがて悪霊獣の身体は灰のように白くなって崩れて消えた。

 その灰の中から数個の丸い光の球がふよふよと宙を漂い、どこかへ飛んでいく。

「浄化完了。喰われたけど消化されてない魂は無事に戻りそうだね」

 ゼンゼンマンは華麗に着地を決めると、魔法陣の上で倒れているミツグの方へ寄った。気を失っているようだったが、命に別状は無さそうだった。

「ミツグ君もお疲れ様。まあ生きてるだけでも頑張った方じゃない?」

 思い切り人を巻き込んでおきながら、この言い草である。

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