第20話「魔法少女に、なりたいのですが」
ドアベルの音が聞こえた。カウンターを拭いていた悠晴は真正面の、棚と棚に切り取られた空間から見える扉に目をやった。近くの中学校の制服を着ている少年が、店に入って来るところだ。青い髪の、切り目の少年。初めて見る人は、彼を怖いと感じてしまうだろう。
「お帰り、アオ。学校はどうだった?」
悠晴はカウンターの向こう側から彼に微笑む。アオと呼ばれたその少年は返事もせずにカウンターまでやって来る。そのままカウンター裏に回り込み、奥の扉の向こうに消えて行った。
「おやつなら、手を洗ってからにしてね」
既に見えなくなった背中にそう言って、悠晴は止まっていた手を動かし始める。時計を見ると、ちょうど夕方の四時だ。そろそろ床掃除に入らなければ、と考えていると、ドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
反射的にそう言うと、入って来た人物を見た悠晴は、自分の中で緊張が走るのを感じた。短い黒髪の男性だ。ダイヤモンドのような目や、固く結ばれた唇。年齢は45歳だ。
「アキさん」
悠晴は精一杯の笑顔で彼を迎える。彼はアオが通った道と同じ道を通って、カウンターの前までやって来た。彼の冷たい目は、悠晴よりも真っ先にカウンター横の棚を向く。
彼の目は、細められた。
「売れたのか」
主語がなかったが、何を言っているのか悠晴は分かった。
「はい、売れました」
「誰にだ? 誰に売った?」
彼は怒っているように思えた。その威圧感が、悠晴は苦手だ。
蛇に睨まれた蛙という言葉があるが、その状況が一番しっくりくるように思える。
「とある男性です。魔法少女にはならないと宣言されていましたけれど」
「そんなやつに売ったのか? あのミラーを?」
彼は今にも掴みかかってきそうなほどに、カウンターに体を寄せる。
「はい。ですが、僕は確信しています。彼は必ず魔法少女になります。アキさんも知っている人かもしれません。それどころか......」
悠晴は微笑んだ。アキには通じたらしい。彼はカウンターから体を離した。
「大体は分かった。そうか。まさかとは思うがな。同じミラーを使ったところで、アイツは帰ってこないんだ」
彼は踵を返した。帰るようだ。
「最近、ただの憧れで魔法少女になるやつが増えてきている。弱すぎて足手まといだ。鏡屋は客を見極めて、ミラーを売るべきだ」
「でも、フィーリングで入るのも大事ですよ。僕はそう思います」
ふん、とアキは鼻で笑った。目も笑みも冷たい男性であることは、魔法少女であればほとんどが知っている。心の中までは凍っていないと、ある一定数の人間が言うが、それを感じられた場面が悠晴には無いに等しい。
ドアベルが再び鳴った。
「ありがとうございました」
頭を下げて彼を見送ったところで、アオが戻って来た。
「アキさんか」
アオが扉の方を向いて聞く。
「そうだよ。例のコンパクトミラーが売れたんだ」
「ふーん」
アキとは反対に、アオは興味が無いようだった。
「そんなに凄いのか、あのピンク色の奴」
「凄いって言うか......」
悠晴は一か所だけ空きができた、ミラーの棚を見る。
「運命って、本当にあるんだなあって感じたんだ」
「はあ?」
アオが大袈裟に語尾を上げた。悠晴はそれに対して微笑んだ。
「きっと、彼は魔法少女になってくれると思う」
*****
冷たい秋風は、夜の街を吹き抜けていく。研也は急ぎ足であの店に向かっていた。今日も定時に会社を出てきたので、いよいよ同僚や山田に奇妙な目で見られていた。真面目で通っているらしい自分は、会社が閉まるその直前までキーボードを触っていると思われているようだ。そろそろ本気でメガネからコンタクトにした方が良いかもしれない。
研也の鞄には、例のコンパクトミラーが入っている。今日は、きっと生まれてきて一、二を争うくらい忘れられない日になるに違いない。
常人に言ったら、気でも狂ったかと言われそうなくらいなことである。
しかし、この数日で起きた出来事が彼の気持ちを高ぶらせていることは間違いなかった。
いよいよ、あの店が見えてきた。今日も怪しい佇まいでその通りに光を漏らしている。
扉を開くと、「いらっしゃいませ」という男性の声と、ドアベルの音が外に流れ出す。
「あ、お客さん」
店員の声が弾んだ。
研也はカウンターに歩いていく。胸は今までになく高鳴る。
本当にいいのか、と心の中で自分に聞いてみる。もう決めたことだ、と彼は自答した。
「魔法少女に、なりたいのですが」
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