第24話「ナイツオブラウンド」(CV:櫻井ヒロ)

 チッ、というアストリッドの舌打ちの音がアリスの耳に聞こえた。アストリッドを見ると、ただでさえ冷たい美貌が更に冷たいものになっている。


「あのバカ、何を闇堕ちしかかってんのよ……! ああもう、堪え性がない弟ね……!」

「お、お姉様、ヴィエル様が闇堕ちって……!?」


 アリスの質問に、アストリッドは少しはっとした表情になった後、瞬時何かを迷い、その後、静かに話し始めた。


「アリス、今から私の言うことをよく聞いて、覚えておいて。――今のヴィエルはヴィエルに見えてヴィエルじゃない。アレがヴィエルが持った地上最強の魔法――闇の魔法の力の影響よ」


 闇の魔法。その言葉に、アリスの胃の腑が急激に冷えた。


「闇の魔法、って――!? 私の破魔の魔法と対になるっていう――!」

「えぇ、その通りよ。あなたが持つ破魔の魔法が司るものは『再生』、そして反対にヴィエルが持つ闇の魔法が司るものは『破壊』――。万物流転の原動力となる破壊と再生の根源的な力、他の魔法とは根本的に次元が異なる破壊力を秘めた力、それが闇の魔法――」


 アストリッドは冷静な口調で説明した。


「今のヴィエルはおそらく、その闇の魔法に取り込まれている。闇は全てを飲み込み、無に帰せしめるからね。――このままじゃヴィエルのヤツ、ロイドを叩き殺してしまうかもしれない」

「そ、そんなのって――!」


 アリスはアストリッドに取りすがった。


「お姉様、アストリッド様! 私、どうすればいいですか!? 私、破魔の魔法を持ってるんです! ヴィエル様を止められるかもしれない!」


 アリスはアストリッドの豪勢な仕立てのドレスを掴み、揺さぶった。


「私、私のためにヴィエル様が人殺しになるなんてイヤです! どうか私にヴィエル様を止める方法を教えてください! それって私にしか出来ないことなんでしょう!? お姉様、私、ヴィエル様を助けたい――!」


 瞬間、そっ、とアリスは頭にほのかな暖かみを感じた。え? と思わずアストリッドを見つめてしまうと、アストリッドはアリスの頭に手を載せたまま、これ以上なく柔和に微笑んだ。




「何を言ってるのよ、アリス。グレかかってるバカな弟のケツを蹴っ飛ばすのは、まだ姉である私の仕事じゃないの」




 落ち着け。目でそう言った瞬間、バキッ! という音が発し、アストリッドは振り返った。


 ロイドは――酷い有様だった。もはや戦況は完全に逆転し、ヴィエルが一方的にロイドをいたぶって遊んでいるような状況だ。


 キッ、と、目を鋭く光らせ――アストリッドは目の前の惨劇に怯えるモブたちに向かって一喝した。


「道を開けてっ!!」


 その一喝に、数人のモブの肩がビクッと跳ね上がり、そそくさと道を開ける。その中を揺るぎない足取りで進み、アストリッドは地面に転がったままのロイドに近寄った。


「ロイド、タイムよ。一旦試合は中止、いいわね?」


 その一言に、ボロ雑巾になってもまだ目が死んでいないロイドが顔を上げ、顔を拭い、よろよろと立ち上がろうとする。


「……男の、男の真剣勝負に……女が口を出すな……! 俺はまだくたばっちゃいねぇ、勝負は、勝負はまだ終わって――!」


 瞬間、アストリッドの膝が電撃的に跳ね上がり、膝頭が容赦なくロイドの股間を直撃した。

 ぐほぉ!? と情けない悲鳴を上げたロイドは、そのまますとんと膝から崩れ落ち、両腕を股に挟み、地面に這いつくばって小刻みに痙攣した。


「キンタマ蹴り潰されたぐらいで戦闘不能になるような情けない男が、何が口を出すな、よ。この痛みに懲りたらもう二度と女を下に見ない事ね」


 信じられないぐらい冷たい声で吐き捨てて、アストリッドは確固たる足取りでヴィエルに歩み寄った。


 アリスが固唾を呑んで見守る中、ゆら、と動いた黒い霧が空気を裂く音を立てた。瞬間、アストリッドのドレスの肩口が破れ、パッと赤い煙が散った。


 悲鳴を上げかけたアリスだったが――その悲鳴は声にならなかった。

 アストリッドの表情は――微塵も変化していない。まるで何事もなかったかのように、腕から滴り落ちる血も意識の外にしてしまったように、決意の表情を維持したままだ。


 ツカツカと歩み寄ってきた姉に向かって、ヴィエルの顔がニタリと歪んだ。


「姉上――今の俺には近寄らないほうがいいですよ? どうにもこの力、まだ上手く制御が効かないようですから」


 ケタケタとヴィエルは気味の悪い声で笑った。


「けれど心配はいりませんよ、そこの男をボロ雑巾にしたらちゃんと引っ込みます。それまであと少し、見ててください。心配はいりませんよ、俺がちゃんと有利にも教えてあげますから。勝つということがどれほど嬉しいことか、奪うということがどれほどの快感なのか――」




 瞬間、バシッ! と鋭い音が発した。

 アリスが目を見開いた先で――血の滴る腕を思い切り振り抜き、アストリッドがヴィエルの頬をしたたかに張り飛ばしていた。




「悪いけど……そんな初期の一方通行アクセラレーターみたいな笑い方する人間を弟に持った記憶はないわね。引っ込みなさい、下衆野郎」


 何もかもを知り抜いているようなアストリッドの声に、チッ、とヴィエルが舌打ちし、忌々しげにアストリッドを睨みつける。それでも一歩も退かぬ目をしているアストリッドに敗北を悟ったのか、ヴィエルから放たれていた黒い霧が徐々に治まってゆき――遂に消えた。


「姉ちゃん――?」


 明らかに素に戻った声と表情で、ヴィエルが口を開いた。眼の前の姉に苦労して焦点を合わせてから、ヴィエルは少し戸惑ったような表情をした後、そこで初めて頬を張られたことに気がついたかのように、はっと頬を手で押さえた。


「何をガラにもなく闇堕ちしかかってんのよ、バカ弟。アンタみたいなクソザコナメクジが闇に堕ちようなんて百年早いわ。目は覚めたか」


 その声に、シュン、とヴィエルが俯いた。そのさまをしばし睨むように見つめてから、アストリッドは更に言った。


「いい? ヴィエル。これだけは覚えておきなさい」


 冴えた声でそう前置きしてから――アストリッドは腕を組み、大きな大きな声で宣言した。




「男が本当に闇堕ちしていいのはな――受けがやおいチンピラに乱暴された時だけだ! それ以外の理由で闇堕ちするなんてダセェことはやめろ! キンタマぶらさげた男だろうがッ!!」




 なんだかよくわからないことを怒鳴りつけて、アストリッドは偉そうに胸を反らした。シュン、と肩を落とし「……ごめん」とか細く呟いたヴィエルに、ようやくアストリッドも鉾を治める気配になった。


「ふん、もういいわよ。ほら、わかったなら正々堂々とロイドと勝負なさい。闇の魔力なんてチートに頼って勝ったら明日食べるご飯が美味しくなくなるでしょうが。さ、そこに這いつくばってるロイドもいい加減立ちなさい。何をみっともなく崩折れてんのよ」

「ぐ、ぬぬ……! 誰のせいだと思ってるんだ、誰の……!」

 ロイドがようようのことで立ち上がり、アストリッドとヴィエルを睨み、大声で喚き散らした。


「ふ、ふざけるな――! 何故魔力を収めた!? それだけの魔力があるなら俺をぶちのめすことなど容易いはずだぞ! この俺に情けをかけるつもりか! そんな、そんな屈辱的なことをされるぐらいなら、俺は――!」

「へん、情けだぁ? なにか勘違いしてんじゃねぇか、お前」


 ヴィエルは不敵に笑い、木剣をロイドに向かって構えた。




「チート的な力があるからこそ、それに頼らず生きるのが俺の流儀さ。強いものは弱いものを庇い護るために力を使う――その方が、よっぽど男らしいや」




 その一言にわけもなく胸を衝かれたらしいロイドの目が見開かれた。


「弱いものを庇い護る……そのために力を使う、だと?」

「そうさ、男は痩せ我慢、そうだろう? 魔力なんかに頼らなくったって、男なら意地張って護りたいもんを護る、それが俺だ。いや、正確には……俺はなれるもんなら、そういう俺になりたいんだ」


 ロイドが少し呆然としたような表情でヴィエルを見つめ――それからゆっくりと立ち上がった。


「意地張って護りたいものを護る、か……。そんなこと、考えたことすらなかった……」


 ロイドは顔を俯向け、独白するかのように言った。


「力があれば何も奪われずに済む、力があれば何でも奪い取ることが出来る……今までの俺は、そんな考えばかりしていた。だが、それでは本当の強さは手に入らないというのか……。力に頼らない人間こそが本当に強い人間なんだと――俺の親父が言っていたのは、そういうことだったのか……」


 なにかを考える少しの間があり――顔を上げたロイドには、再びの闘志が舞い戻っていた。


「ヴィエル・アンソロジューン。今の俺は……お前と真剣に剣を交えてみたい。もうアリスが手に入ろうが入るまいが、そんなことはどうでもいい。俺は――お前に、お前という人間と真剣に戦ってみたい。……改めて、俺の剣を受けてくれるだろうか?」


 明らかに一皮剥けたような表情でそう言ったロイドに、ああ、とヴィエルは頷いた。ああ、これだ。これぞCV:杉田和智であるキャラが見せるべき誠実さ、そして決意の表情だ。


 こんな真剣な目をした男と戦えることが、なんだか無性に嬉しい――それは生来クソザコナメクジでしかなかったヴィエルにとって、人生で初めて感じた喜びだった。


「おい、ヴィエル。ちょっと耳貸せ」


 と、そこで――アストリッドが小声で呟き、ヴィエルを半目で睨みつけた。


「アンタは今実に爽やかな流れでロイドと戦いたいようだけど、あんまり一時のテンションに身を任せないでよ。あくまで勝つのはアンタ、それを忘れないでね。でないと私まで死ぬことになんだから。――ホラ」


 湿りきった口調でそう言って、姉はヴィエルになにかの紙を手渡してきた、戸惑いつつそれを受け取ったヴィエルは、アストリッドに問うた。


「何だよこれ?」

「必勝の虎の巻、これが前に言ったナイツオブラウンドよ。いい? 確かにヴィエルになったアンタには闇の魔力っていうチート的魔力があるけど、んなもんなくてもアンタには既に十分チート能力が備わっている。それを最大限引き出すためのアンチョコがそれよ。開いてみなさい」


 虎の巻、ナイツオブラウンド――? 戸惑いつつ紙を開き、そこに書かれた文章を読んだヴィエルは――ぎょっと目を見開いてアストリッドを見た。


「ね、姉ちゃん――! なんだよこれ!!」

「この間夜ナベして考えてたのがコレよ。私謹製の殺し文句集。どう? 萌える?」

「何だよこれ! 俺に何させるつもりだ!! こんな、こんなもん俺に渡してどうするつもりなんだよ!?」

「ああ、うるさいわね……そんなぶっ壊れたおそ松みたいな声出すな。いい? これをボソボソ呟きながら戦いなさい。そしたら絶対勝てるから。わかったわね?」

「こ、こんな小っ恥ずかしいこと、人に面と向かって言えるか!! こんなんで勝っても全然嬉しく――!」

「やれ。やんなきゃアンタのケツの穴にバラ差して生ける花瓶にするからね」


 最後に物凄い脅迫の一言を付け加えられると、どうにもやらざるを得ないようだった。それでもヴィエルが慈悲を乞うようにアストリッドを見ても、アストリッドは許してくれない。上手くやんなさいよ、というように肩を二度叩いてから、アストリッドはモブたちの人垣の方に戻った。


「さぁ、色々あったけれど試合再開よ! ――両者、始めっ!!」


 その宣言とともに、ロイドが地面を蹴った。もう奇声を上げることもなく、己の技だけを信じ、一直線に突っ込んでくる。先程までの素早さや圧がない代わりに、その足取りには一切の迷いというものがない。この状態のロイドの剣を受けたら――流石にヴィエルも抗しきれないかもしれなかった。


 そう、如何に爽やかな感じになろうとも、ヴィエルは武芸などからきしのクソザコナメクジでしかない。クソザコナメクジでしかないのなら――姉の言ったことをやるしかなかった。


 そう、やるしかない。

 かなり無理やりな覚悟を固め、ヴィエルは剣を握り締めた。初太刀を外し、その隙に捩じ込む――!!


「おおおおおおおッ!! 真の力に目覚めた俺の剣、受けよ――!!」


 ロイドの野太い一声とともに、木剣が視界に弧を描いた。その鋒を避けることだけに集中して――ヴィエルは身体を捻った。


 ブォン! という音と共に、ロイドの剣が空を切る。

 よし、上手くいった――! その確信を胸に抱いたまま、ヴィエルは自分の背後をロイドの身体が通り過ぎた一瞬、その耳元に向かい――毒を流し込むかのように小さく囁いた。




「『自分からこんなに必死になって剣振っちゃって――可愛い♥』」




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