第4話 土の友

 氷色の少年は黒髪を垂らした碧の賢者に翻弄されていた。

 風の賢者──そう呼ばれる高位の魔法使いがいることを噂には聞いていたが、実際相手にするとかなり手強い。

 リアンは無表情のまま氷の太刀を振るおうと、接近する。彼は珍しく冷気を辺りに広げずに戦っていた。

 冷気を操り、氷の礫を生み出す、冷気の靄で視界を遮り奇襲、空気中の水分を固めた氷壁といったリアンの戦闘方法はリュゼの鎌鼬によってことごとく無効化されていたためだ。

 故に武器は太刀一つ。

 冷気のダートはほとんど完全に封じられていた。それゆえの諦めの策に見えた。

 しかしむしろ、その方がリアンは強かった。

 氷の太刀のみが冷気を纏う。凝縮され、注ぎ込まれたダートの影響か、剣はいっそう鋭さを増しているようだ。それはリアン自身も同じだった。目に見えないはずの鎌鼬をひらりひらりとかわす。動きが先程よりいい。それはリュゼの鎌鼬に慣れてきたというのもあるが、ダートの力が身体強化に集中されているからだろう。徐々にリュゼとの間合いを詰める。

 リュゼは風よ、と唱えただけで風を操ることのできるかなり高位の魔法使いだが、リアンはそれをものともしない。

 無表情で冷たい──氷色の顔が、リュゼに迫る。

「風よ、切り裂け!」

 眼前まで迫った顔に、リュゼは慌てて唱える。その詠唱に従い、鎌鼬はリュゼが掲げた腕に発生し、氷の少年を屠ろうと牙を剥く。

 カインッ

 ──しかし、先程までは手も足も出ず、避けるだけだった彼は風の刃をその太刀で弾いた。

「なっ!?」

 リュゼが止められた自らの腕を見、驚愕する。

 リアンが止めたのは、正確には氷と化した鎌鼬だ。

 この子、あたしが鎌鼬を纏うことを見越して、冷気を鎌鼬に──?

 常人業ではなかった。リアンは鎌鼬の周辺の空気を凍らせて、鎌鼬に形を持たせたのだ。しかもリュゼが魔法を使うのとタイミングを合わせて。つまりは風の動きを読んでいたのだ。

 リアンは温度を操るダートの使い手。風に冷気を微かに纏わせて、その揺らぎで鎌鼬の発生を知覚した。なんでもないことのような無表情でとんでもないことをしている。

 弾かれ、飛ばされながらリュゼは信じられない、と呟く。

 接近し、自分で防がなければならない状況を作るというのは剣士が魔法使いと戦う上での鉄則。しかし、リュゼくらいの高位の魔法使いは己が体に魔法を纏わし、近接戦を行うこともできる。実際、彼女は仲間であるリヴァルとでも対等に渡り合えるほどの使い手なのだ。

 ところが今回は、それを逆手にとられた。

 なんという即断力と判断力──冷や汗がたらり、リュゼの白い頬を伝う。

 本当にリヴァルより強い人間がいるなんて──自然、彼女は畏敬の眼差しを向けていた。

 流麗な彼女のそんな眼差しを受けても尚、リアンは無表情だった。いつの間にか柄先から刃は消えている。リアンは柄のみとなった剣を手の中で回し、無表情のまま、それをリュゼのこめかみに打ち付ける。

 リュゼは脳を揺らす振動と痛みに意識を手放した。


 思ったより時間を食ってしまった。

 表情こそないが、リアンは舌打ちをしたいような気分で森を駆けていた。ダートの全力発動で風よりも速く駆け抜ける。

 目指すは黒煙の立ち上るケセド方面。

「ソル……!」

 無事でいてくれ。

 祈りを込めて友の名を口にしながら、白い残像を残して走った。


 ケセドの森では、土塊の巨体に赤い目を持つアミドソルが橙の炎のような髪を持つ少年と対峙していた。

「お前、魔王ノワール四天王の、アミドソルだな?」

 瞳に焔を灯した少年がすらりと双つ剣を抜き放ち、問いかけた。

 敵意と殺意のこもった視線を受けながらも揺らぐことなく、土塊の巨人は頷いた。威風堂々たるその姿勢はまさに四天王の名に相応しい。

「ノワールの元にいると聞いていたけど……まあいい。ここで倒したって変わらない」

 まるで簡単に倒せると侮っているかのようなリヴァルの言葉に、ソルの瞳に剣呑な光が宿る。

「勇者、お前にこの森は焼かせないだ」

 アミドソルは自分の半分ほどしかない勇者──リヴァルを見下ろし、のしり、と一歩踏み出し、仁王立ちする。

 短い宣戦布告のやりとりを終えたリヴァルはダートを発動する。手にした双剣を炎が舐める。それと同時に穏やかな橙だったリヴァルの髪は紅蓮に燃え立つ。

 その変貌を目にしたアミドソルの目にも穏やかならざる色が灯る。剣呑な威嚇だけの先程とはまるで違う、闘志に満ちた眼光。二対の闘気が交わり──それが戦闘開始の合図となった。

「たぁっ」

 先手必勝とばかりに間合いを詰めたリヴァルが焔の剣を振るう。悠然と立ち塞がるソルは炎を纏うその剣を羽虫でも払うかのように払いのける。

 空中に飛び上がった状態で態勢を崩されたリヴァルは地面に叩きつけられる。純粋な腕力でこの土の民に敵う者はいない。

 けれどリヴァルが諦めることはない。何故なら彼は勇者という宿命を背負っているから。魔王を、魔物を倒し、必ずセフィロートの危機を救ってみせる! ──その思いは建前などではない。

 赤茶色の瞳に闘志を燃やし、紅蓮の勇者は再度巨人に飛びかかる。今度は少しダートの炎を先行させた。土塊の巨人は少し目をしかめたが、それだけだ。結果は先刻と同じ。リヴァルが吹き飛ばされ、木にぶつかる。

 アミドソルは依然、超然とそこに立っているが、そこそこのダメージを受けていた。彼の土塊の体は木ほどではないにしろ炎には弱いのだ。剣の攻撃は針でつつかれている程度の感覚しかないが、炎を受けるのはあまりよくない。

 避けようと思えば避けられる攻撃だが、アミドソルにはそれができない理由があった。彼の後ろには大樹があるのだ。

 この地に古くから住まう土の民は闇の女神ディーヴァを奉っているが、森の神とも呼べるセフィロート一の大樹も信仰していた。

 だから、ノワールの元で戦うこともこの大樹を守ることもアミドソルにとっては同等に大切なことなのだ。

 それに、フェイに何かあれば、リアンが悲しむだ。

 契りを結んだ友のため──だからアミドソルはそこから退かない。

 森に仇なそうとする勇者を見据える。

「おらはここを守るだ。お前が何度その剣で刺したって、おらは退かねぇだ。おらの故郷を焼こうとするやつを、おらは許さねぇだ!」

 高らかに太い声で告げるアミドソル。その言葉にリヴァルの肩がぴくりと跳ね、一瞬、闘志も殺気も敵意も皆、消え失せる。

 虚をつかれたものの、アミドソルは土魔法の詠唱を始める。一時の惑いは命取り。どちらかというと戦士タイプのアミドソルは魔法の詠唱には長けていない。だから、使うなら一刹那とて無駄にできない。

 感情が消えたと思われた一瞬の後、リヴァルを中心に轟音を立てて火柱が上がる。それは一撃でリアンが張っていった氷壁を砕き、いくつかの木を焼く。

 黒い煙が立ち込め、リヴァルもソルも互いの姿が見えなくなる。

 火柱の数瞬後、ソルの詠唱が終わる。

「母なる大地、我らを成す土よ、森を守る盾となれ」

 ソルは言の葉を唱え、地面に片方の手をつく。詠唱を察知したリヴァルの攻撃を仕掛けてきたがもう遅い。

 ゴゴゴ

 ものものしい音を立てて、辺り一帯に土壁が生まれる。リアンの氷壁ほどの広さはないがソルが暴れるには充分だ。それに守るべき木々は壁の外。これでリヴァルの炎も怖くない。

 難点があるとすれば、リアンが救援に来たとしても、壁を砕かなければ入って来られないことだろう。

 それはいい。彼は土の民一の戦士にして魔王四天王の一人。勇者に負ける気などてんでありはしない。

 自分の半分ほどしかない少年の体を土壁に叩きつけ、アミドソルは不敵に言った。

「これで好きに暴れられるだ。さあ、かかってこい、勇者!」

「魔物があぁぁぁぁぁぁっ!!」

 にぃ、と口角を吊り上げて放たれた挑発に、リヴァルは、焔の剣を振り上げて跳んだ。


 ソルは巨体から抱く印象とはかけ離れた俊敏な動きでリヴァルの繰り出す炎を避ける。

 これまでの動きは確かに手加減をしていたようだ。リヴァルはちっと舌打ちをした。肌でびりびりと感じる闘気と敵意。容赦なく打ち出される拳はリヴァルの体より大きく重い。叩きつけられて実感する。近接戦闘ではこの魔物には敵わない。

 リヴァルは片方の剣から竜の形に変化させた炎をソルに向かわせる。もう片方はソルの攻撃を警戒し、油断なく構えられている。

 ソルはリヴァルが操る炎の竜を避けつつ、再び詠唱を始めるほどの余裕を見せていた。

 今度は先程より短いため、すぐに発動する。

「母なる大地よ、我に力を」

 その詠唱で生まれた魔法は仄かに光り、ソルの体を包んだ。

 すると、ソルはそれまで避け続けていた炎の竜をおもむろに鷲掴み、ひしゃあっ、とその武骨な手で竜を引き千切る。土属性は炎に弱いはずなのだが、全くそれを意に介していないような力業。シャアァァッ、と悲鳴のようなものを上げて竜が消える。

「土魔法の身体強化か!」

 一種凶悪にも見えるソルの反撃を、リヴァルはそう断じた。

 ソルが発動したのはまさにリヴァルが舌打ちしながら呟いたそのとおりである。

 土の民が[恩恵]と呼ぶこの魔法は、土の体を持つ者にのみしか作用しない。ただし、土の体を持つ者には凄まじい身体能力を得られる。ただでさえ土の民一の強さを誇るソルである。その者が[恩恵]を受ければ、その強さは推してはかるまでもない。

 元々の屈強な体と[恩恵]による身体強化。それがソルが魔王四天王たる所以でもある。

 炎の竜をあっさり屠られ、攻めあぐねるリヴァルにソルは好戦的な目線を向ける。

「もう終わりだか? 勇者。だらば、今度はおらの番だ」

 言うなり、ソルはその岩ほどはあろうかという拳を地面に叩きつける。

 リヴァルは何も構えを取る間もなく、平衡が保てないほどの激しい震動に襲われる。ソルは何の詠唱もしていないし、ダートの使い手でもない。つまり純粋な腕力のみでこの震動を起こしたのだ。

 それだけではない。土壁から巨大な土塊が飛び出してくるというおまけつき。丁寧な詠唱によって生み出された土属性の魔法空間はもはやソルの意のままである。

「ぐっ」

 リヴァルはダートを放ち、自分に飛んでくる土塊を燃やす。やはり土塊は炎に弱く、容易く塵となって消えた。

「甘いだな!」

 直後、真後ろからソルの声が聞こえる。土塊たちは目眩まし。図体の大きさに反して俊敏に動けるソルには一瞬もあれば死角を取るには充分すぎた。太い腕が振り上げられ、リヴァルを潰そうとする。リヴァルは慌てて飛び退いた。

 空を切った拳は再び地面を揺さぶる。土塊が礫となってリヴァルに襲いかかるのを、リヴァルは炎のダートで焼いて対処する。

 その対処を見て、ソルは獰猛な赤い目をつう、と細めた。

「まだまだだな」

 ソルが冷たく宣告する。

「おらにはお前が勇者だとはとても信じられねぇだ……」

 間を取るために退くリヴァルを追撃はせず、アミドソルは呟く。

「おらはダートの使い手ではねぇだ。んでも、戦いの心得として見るなら、魔法もダートも、そう変わらねぇ。お前は戦闘において、ダートの使い方がなっちゃいねぇ。攻撃が単純、単調で相性の悪い属性のおらにすら簡単にあしらわれる……んなごどで勇者を名乗るだ? 冗談も休み休み言え。

 お前なんかより、リアンの方が強いだ」

「……!」

 ギリ、と歯ぎしりの音がしたかと思うと、再びリヴァルの激情が鎮まる。

 まさしく、嵐の前の静けさ。ソルは先刻の出来事を想起し、火柱対策として土壁に[恩恵]でいつもより増した魔力を贈り、万全を期す。挑発のためにあんなことを言ったし、リアンの方が強いのは事実だと思うが、油断はしない。

 しかし、直後に爆発したリヴァルのダートは想像を絶する規模だった。

 [恩恵]で通常より遥かに強固となった壁がソルの体もろとも炎に食い破られる──そんな結末を予期するのに時間など必要ないほどの爆発、もしくは暴発とも言えるかもしれない。

 リヴァルの激情に任せた炎のダートの奔流がソルの土塊の体を飲み込もうとしたそのとき


「ソルッ!!」


 その少年の一声を合図に、場の全てが時が止まったように動きを止める。

 土壁は破壊されていた。ただし、リヴァルの炎にではない。炎は土壁どころか、ソルにすら到達していなかった。土塊の巨人に迫っていた炎は炎の形のまま、氷結していた。

 炎の形の氷とソルの間、ソルを庇うようにして、刃のない剣を構えた少年がいつの間にやら立っていた。

 時が凍りついた中で新たに現れた少年だけが動く。刃のない剣を振り、それが合図だったかのように少年から白い靄が発生、拡散し、見る間に氷の壁と化し、三人を囲んだ。

 土壁に比べ、見た目の頑丈さに不安を感じるが、彼──冷気を操るダートを持つリアンの氷壁はそう柔じゃない。

 壁を張り終え、リアンが一息吐いたところで、ようやく巨人が動き出す。

「リアン、戻っただか」

「うん、ただいま。──間に合ってよかった」

 友と短い会話を交わし、リアンはかねてからの宿敵を見据える。

「リヴァル、君の仲間も打ち倒したよ。諦めて仲間のところに戻りなよ。彼女はケテルに置いてきたから」

 静かな氷色の眼差しで告げる。焔色の勇者は応じない。代わり、俯いたまま、低く、低い声で。

「……アン……」

 怨嗟のように。

「リアン、リアン、リアァァァァァンッ!!」

 咆哮。リアンの名を叫び、再び炎を纏った。


 リヴァルが焔の双剣を掲げ、リアンとソルに飛びかかる。

 リヴァルの髪色と同じ紅蓮の焔が迫る中、リアンは静かに目を閉じ、刃のない柄を腰に構え、ソルより一歩前に出る。

 斬っ

 二人を飲み込まんとした炎に一閃。抜刀された氷の太刀が炎を掻き消し、冷気で場を支配する。

 退がりきれずにいたリヴァルにリアンが肉迫、太刀の切っ先でその首に突きを入れようとする。が、すんでのところでリヴァルは双剣を振るい、太刀を弾く。おまけとばかりに繰り出されたリヴァルの炎がリアンを包む。

「リアン!」

 ソルが駆け寄るが、リアンはそれを無言のまま手で制し、炎によって刃を失った太刀を振るい、鞘に収めるように腰へと戻す。同時に炎は掻き消えた。

「リアン、大丈夫だか?」

 ソルが怪訝そうに声をかける。リアンは無言で頷く。

 服が焦げ、はだけてしまっているが、露になった白い肌には傷一つ見当たらない。熱気を操ることもできるリアンは冷気で凍傷を起こすこともなければ、炎で火傷をすることもない。

「相変わらず、しぶといやつ」

 リアンが無事であることを確認したリヴァルは舌打ちをしつつも、闘志を失うことなく、刃をなくしたリアンに迫る。

 リアンはリヴァルを見据えたままじっと動かない。

 好機──リヴァルはリアンに向け横薙ぎに双つの剣閃を振るおうとする。

 だが、そこで横槍が入った。

 太く大きな土塊の腕がリアンの横合いから伸び、リヴァルの体を叩き飛ばした。

「ぐうぅっ!?」

「おらのことば忘れてもらっちゃ困るだ」

 赤い目を爛々と輝かせる土塊の巨人が不敵に言い放つ。

 ぎらり、未だ尽きない闘志を燃やした目でリヴァルは二人を睨み付ける。

 今度は剣ではなく、焔のみが伸びてきて二人に襲いくる。焔の竜だ。しかし既に何度か見た技、また同じ手か、とソルはもちろん、リアンですら呆れた。

 リアンがいつもどおり、冷気で凍りつかせ、砕こうとしたそのとき、変化が起きた。

 ぴしぃっ、と凍った竜にひとりでにひびが入る。リアンは違和感を覚え、止まる。

 凍った竜はみるみるそのひびを広げ、割れて──中から無数の小さい焔の竜が飛び出した。

 小さい竜は縦横無尽に飛び交い、リアンを、ソルを襲う。リアンは冷気を発して打ち消すが、ソルは竜たちに少しずつ身を削がれていっている。

 リアンはソルを囲うように氷壁を生み、元凶たるリヴァルの元へ向かう。すらりと再び氷の太刀を抜き放ち、剣檄を浴びせながらリヴァルに問う。

「何故そうまでして森に害なそうとする?」

 静かな問い。何度もこの二人の間で交わされた言葉が剣と共に舞う。

 相変わらず、激情を宿した焔色が、リアンを見上げ、応じる。

「俺にはお前が魔物側にいる理由の方がよっぽどわからない」

 リヴァルの返しにリアンが無言でダートを強める。太刀とぶつかり合っている部分の刃がめり、と凍りかけていた。リヴァルは慌てて太刀を払いのけ、退く。

 今一度、リアンが接近する。リヴァルは油断なく剣にダートを纏わせ、その太刀を受け止める。冷気が炎で相殺され、リヴァルの剣が凍ることはなかったが、どうやら炎の熱も相殺されたようで、リアンの氷の太刀も傷一つない。

「何故魔物を殺そうとする?」

 いつもの冷悧な無表情が刃越しに尚も問う。

「魔物が、俺の故郷を滅ぼしたからだっ!!」

 激情をそのまま乗せて、リヴァルは双剣を燃えたぎらせる。しかし、その炎ではリアンの太刀は揺るがない。

 リヴァルは更に告げた。

「俺の、俺たちの師匠だったあの人が裏切ったから──俺たちの師匠フラムが、魔王四天王の一人、シュバリエだったんだ!!」

「な、に……?」

 リアンの表情が凍った。


 シュバリエ。またの名をシュバリエ・ド・フラム。

 魔王ノワール四天王の一人で炎の魔法と剣術を駆使する四天王の筆頭とも言われるほどの猛者。

 鬼人と呼ばれる魔物の彼はまだノワールが人間との戦端を切る前、ダート使いであるリアンとリヴァルの剣の師であった。


「な、に……?」

 フラムの名は普段感情を滅多に表情には出さないリアンにとって、かなりの動揺を誘うものだった。

 それに追い討ちをかけるようにリヴァルは更に咆哮する。

「フラムが、裏切った! とても俺だけじゃ、太刀打ちできなかった。フラム自身もそうだけど、フラムは大勢の魔物を率いていて、そして、ゲブラーを、滅ぼした!!」

 炎のダートがぶわりとその勢いを増す。リアンは氷色の眼差しでぼんやり、まずい、と鍔迫り合っていた刃を離す。

 太刀を成していた氷は見るまでもなく溶けていた。

 だらだら、と手にした太刀から水滴が滴るのをリアンはただ眺めていた。冷気で修復するのも忘れ、なまくらの刀身に映る自身の顔を眺めていた。


 酷い顔だ。

 僕が、こんな顔していいわけ、ないじゃないか。

 師匠は、鬼人という魔物なのだから、ノワールの側についてもおかしくなかったんだ。自分たちに魔王四天王であることを隠すのは何もおかしくない。実際、フラムは魔王四天王と言われても納得してしまうような強さだ。剣において、彼の右に出る者はセフィロートに存在しないだろう。

 五年の空白があって尚、リアンにそう思わせる人物。それが、自分たちの剣の師。魔法も併用する魔法剣士だ。

 それが裏切って、ゲブラーを滅ぼした。魔王があれほどの実力者を放っておくはずがないのは当然のことだ。何故この五年間、疑わなかったのだろう。何故あの人がいるのに、ゲブラーが魔王の手に落ちたのか。それはあの人が最初から魔王側の人物だったからだ。

 何故、あの人が裏切ると思わなかったのだろう。ああ、それよりも。

 人間なのに、ダート持ちなのに、魔物の森を守る自分の方がずっと罪深い。

 リヴァルが故郷を守るため戦っていたときに、共に戦わなかった自分の方が、余程。


「裏切り者がぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 そう言って斬りかかってきた五年前のリヴァルの気持ちがやっとわかった。

 彼にとってゲブラーから逃げたリアンは裏切り者に他ならない。


 刀身を水が滑る。

 そこに映るリアンは、泣きそうなほど、傷ついた顔をしていた。


 リヴァルが紅蓮の炎を纏って迫ってくる。

 リアンはゆらりとなまくら刀を構え、迎え撃つ。

 リアンの動きが明らかに精彩を欠いているのをリヴァルは感じていた。そのことに違和感もあったが、それよりもこの好機を逃すまい、と双剣を握りしめた。

 双剣から繰り出される炎がもはや小太刀程度の長さしか持たぬ氷の刃に牙を剥く。太刀は見る影もなく溶けて消え、残るは柄のみ。

 けれど氷色の少年はいつものように冷気を発することなく、向かい来る炎を湖水の瞳にただ映す。虚ろな色。

「らああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 リヴァルは自分でもわからない叫びを上げて、焔の刃を振りかざす。「何か言え!」と言いたかったのかもしれないし、「リアン」とただ名を呼んだのかもしれない。

 どちらでもいい。

 リアンはいつもより柔らかい湖色の瞳でリヴァルを見上げた。

 赤茶色の燃え立つ瞳と、かち合う。

 静かすぎるほど悲しみに彩られた湖色の眼差しに赤茶色の瞳が、一瞬鈍った。

 けれど振り上げられた剣先は止まることはかなわず、リアンへと真っ直ぐ──


「リアン!!」


 ──落ちてくる、はずだった。

 リアンの目の前には黒い影。彼の倍ほどの巨体を持つ、土塊の体が。仁王立ちで。

 その向こうで炎の剣を携えた勇者も呆然と目の前を遮るそれを眺めていた。

 炎に裂かれ、燃えている土塊の巨人を。

「……ソル?」

 リアンは自分のものとは思えないほどか細い声でその名を囁いた。

「リアン、無事だ、か?」

 赤い瞳が振り向く。炎より優しい赤い瞳が。

 友の瞳が。

「ソル、ソル……」

 リアンは名を呼ぶしか、できなかった。けれど呼ばれた方はそれだけで満足だとばかりに、にっこりと紅玉の色の目を細める。

「よかっただ。守れて」

 顔だけを振り向かせてそう言う、ソルの顔が、炎によって崩れていく。リアンははっとし、ダートを発動した。けれど、土塊の体はぼろぼろと崩れるばかりで、ふと、リアンは自分が発動しているダートが冷気ではなく熱気を操っていることに気づいた。


 なんでだ。なんで、なんで。これじゃ、火を消せない。火の熱を消せても、ソルを蝕む炎が消せない。

 止まれ、熱気のダート。発動して、冷気のダート。


 祈りを込めてソルに手を伸ばすが、リアンの手から、冷気が生まれることはなかった。触れた土塊の体はひんやりと冷たい。

 すっ、と大きな土色の手がリアンの頬を撫でる。見上げれば、ソルがこちらに体ごと振り向いていて、武骨な手でリアンを優しく撫でていた。

 撫でる手の手首には一筋の銀糸。それが僅かながら、冷気を発している。

「それ……」

「ああ、覚えてるだか? リアンとの契りの証だ」

「うん……」

 リアンはその銀糸に──アミの契りの際にアミドソルの土塊と交換した自らの髪に手を伸ばした。

 よく馴染んだ、冷気が流れ込んでくる。


 そう、冷気はこうやって使うんだ。


 混乱から立ち直り、冷気の使い方を思い出した少年は、生み出した白い靄を広げていく。ソルを覆っていた炎を掻き消していく。

「よかっただ、よかっただ。焼かれたのがおらで」

「ソル、そんな」

 そんなことを言わないで、と言いかけた言葉を、リアンは飲み込んだ。

 ソルの体がぼろぼろと崩れていく。それはおさまっていなかった。冷気のダートが発動したのが、どうしようもなく、遅すぎた。

 目も、片方はもうない。リアンを撫でるのと逆の手も、既に完全に消えていた。

「悲しい顔するなだ。おら、リアンが守れて嬉しいだ。リアンが契りを守ってくれでで嬉しかっただ」

 赤い目が、消えていく。巨体が崩れていく。見上げる先にあった顔が、もうない。

「ソル、ソル、ソル!」

 リアンは冷気でその崩壊を押し留めようとする。しかし、まだ原形を留めたままの友の腕がリアンの手を優しく払う。

「おらは、土に還るだ。でもまた、土から生まれるだ。土の民として」

 もう、顔はないのに、ソルの言葉が伝わってきた。肌に触れた腕から、温もりを纏って。

「そう時間のかかることでないだ。そうして、またリアンに会うだ。一緒に森を守るだ、土の友として」

「うん、うん……」

 胴体が消え、両の足も土へと消えるソル。不思議なことにリアンに触れた腕だけがまだ残る。──けれどそれも、そう長くは保たない。

「だから、リアン」

 付け根からぼろぼろと崩れ始めるソルの腕。そこから最後の温もりが──最期の言葉が伝わってくる。

「それまでこの森を頼む、だ……」

「うん」

 リアンがはっきりと答えると同時、ソルの腕は消えた。

 そこには一筋の銀糸だけが残った。






 アミ・ド・ソル。土の友。

 友との契りを重んじる者は、ただ一筋の銀糸を残して、消えた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る