第9話 【高校生の夕食とぬいぐるみ】

 琴葉ことはから弁当を受け取り、食べて返す。

 そんな行為が日常となり、繰り返された頃。

 ジムから帰ってからの、琴葉の弁当は自分にとっても楽しみの一つとなっていた。


 その様子は傍から見ても解るらしく、特にジムの人達に言われた。

 曰く、心身ともに充実している。

 体の調子が良さそう。

 メンタルが安定している。

 彼女できた?


 最後の言葉はともかく調子が良いのは確かだった。


 要因かどうかは判別がつかないが、今日も琴葉に連絡を取った。


 チャイムの音と共に玄関を開けると外には琴葉が立っている。

 琴葉の長い髪の毛は常に綺麗で、日々の暮らしで色褪いろあせる事は無い。

 装いもおしゃれで、同じパターンを常に着ている事はなく、見てて飽きる事がなかった。


「お邪魔します」

「どうぞ」


 はい、これ。といつもの様に弁当を手渡される。

 自分自身が浮かれているのも気づかず、弁当の中身を確認する。


「いつもありがとう。ハンバーグだ」


 思わずガッツポーズをしそうな雰囲気の自分を見て、琴葉は小さく笑っている。


 ハンバーグが嫌いな男子なんているのだろうか。

 しかもこれまでいつも美味しい弁当を作ってくれる琴葉。

 そして運動して帰ってきた所にガッツリとした肉。


 嫌が旺にも期待が高まるのは致し方ない。


 いつも通り、コーヒーを用意し琴葉はいつも通り先に席に座った。

 琴葉のコーヒーにはいつも通り多めのミルクを、自分のコーヒーには少な目にミルクを。

 砂糖はお互いに入れなかった。


「いただきます」

「めしあがれ」


 手を合わせるとさっそく食べ始める。

 今日の付け合わせはブロッコリーとプチトマト、マッシュポテトが入っていた。


 まずはハンバーグから手を付ける。

 弁当だから時間が経っているはずなのに、ハンバーグは柔らかく 口の中に肉汁が溢れてくる。そこにご飯を追加すればさらに口の中が幸せになる。


 ブロッコリーも茹で具合がちょうど良いのだろう、クタクタになる事はなくしっかりした歯ごたえが残っており、マッシュポテトもじゃがいものゴロゴロ感がたまらない。


 ゆっくり味わおうにも美味しくて箸を止める事に負け続けた。

 結果、勝つ事を諦め、せめてもとこの時間を堪能するように、食事を終えた。


「ごちそうさま、美味しかった」

「おそまつさまでした」


 いつも琴葉は自分が食べている所をにこにこと見ていた。

 特に注意するような事ではないし、にこにこしているので気になる程ではない。

 疑問には思ってしまうが。


「いつも楽しそうに見てるけど、どこか変かな?」

「あ、いえ。美味しそうに食べてくれるのが嬉しいだけですよ。迷惑でしたか?」


「実際、美味しいし。琴葉に見られてるのは大丈夫」

「あ、うん……。ありがとうございます。


 そういう事じゃないんですけど、そりゃそう言ってくれるのは嬉しいですけど……」


 どこか不満そうに琴葉は小声で呟いている。

 その呟きは何か言っているのは判っても何を言っているかまでは解らなかった。

 いつも通り食べ終わり、弁当箱を洗うついでに用意していたぬいぐるみを持ってきた。


「これ、日頃の感謝で」

「馬のぬいぐるみ……?」

「この前、ゲーセン行った時に取ったんだ」


「良いんですか?」

「俺が持っててもね」

「ありがとうございます……」

 

 ぬいぐるみを抱えるようにして今度は小さいがはっきりと聞こえる声でお礼を琴葉は呟いた。


 言葉とは裏腹にその様子は自分の心をひどくかき乱した。

 

 どうして悲しい顔をしてるんだろう。

 どうして寂しそうな顔をしているんだろう。

 嫌な事を思い出させてしまっただろうか。


 または特に他意のない者からの贈り物にがっかりされただろうか。


 さすがに贈り物ならもっと高価な物が良かったと言うわけはないだろうけど。


 心の整理が付かないまま言葉紡ぐ、なんでもない物だと伝えるように。

 影を落とさせてしまった始末くらいはつけなければ。


「そんな大層な物じゃなくてごめん、そうだよな、こんなの急に貰っても困るよな。

 邪魔だったら捨てて貰っても構わないし、置いて行っても構わないから」

「いいえ、違います、捨てません。

 とっても嬉しいんです。大事にしますっ!」


 琴葉は前のめりににそう言うとさっきと同じ姿勢になり、さっきとは違い柔らかくほおゆるませている。


 あれ、思ったより喜んで貰えた?


 柔らかな表情をくれると思っていなかった自分は掛ける言葉が見つからず、琴葉を見ては手元のコーヒーとで視線を遊ばせていた。


朝比奈あさひなさんは、好きな食べ物ってなんですか?」

「好きな食べ物?」

「はい、お礼にリクエストにお応えしますよ」


「ははは、普段のお礼なんだから」

「お弁当の事なら、こちらも助かってるのでこのぬいぐるみは別カウントにします」


 宣言するように言わなくても。

 何か言わないと引きそうにないな。


「そこまで言って貰えるなら、麺類が好きかな」

「麺類ですか……」

「無理しなくていいから」

 

 弁当では無理だからな。

 何か他の物をリクエストした方が無難かな。


 何にしようか思案していると、同じ様に思案していたらしい琴葉が顔を上げた。


「休日も、ここでご飯を作りましょうか?」

「え、なんで?」

「麺料理をするために。もちろんずっと麺類じゃないですけど」


 そう言われた視線の先は、我が家のキッチン。

 言われた意味を反芻はんすうしつつ、声にも出してしまった。


「琴葉が俺の家で料理をしてくれる?」

「うん、そうすれば伸びる事なく食べる事が出来ますよ。

 迷惑とかじゃなければですけど」


「迷惑どころか、願ったりかなったりだけど。

 俺、休日はジム行って時間が不規則ふきそくだし大変じゃない?」


「朝からジムに行ってるっておっしゃってたので、夕飯作りますよ。

 私も自分の分があるので手間は変わらないですし、せっかくなので一緒に食べましょう」


 今度は自分が考える番だった。

 

 確かに作ってくれてその場で食べられれば麺が食べられる。

 これは非常に魅力的でなんとも抗い難い。


 弁当でこれだけ美味しいのだから、味の方も期待してしまう。


 自分自身の分があると言っているし、片付けを自分が担当する事で多少の手間を減らすことは出来るか?

 

 後は、夕方の帰ってくる時間だけか?


 自分はそう結論づけると、琴葉の方に向き直り姿勢を正した。


「そうしたら、お相伴に預からせて貰うよ」

「はい、そうしてください」


「ただ、作ってくれるというのに俺が帰ってきて準備してってなると大変だと思うから合鍵渡しておくよ」

「え、ちょっと待ってください」


「ん?」

「気軽に渡す物じゃないですよ?」


「そうだね」

「なんで渡そうとしてるんですか」


「時間、大変じゃない?」

「いえいえ、確かに時間が多少遅くなるかもしれませんけど、そこまでではないでしょう。

 それに何かあったらどうするんですか」


「何かって?」

「私が急に入って来たり」

「そりゃー、渡したんだから入って来て大丈夫」


「宅配とかを勝手に受け取ってしまったり」

「ありがとう」


「……からかってます?」

「現金や持ち物に言及しないあたり、やっぱり安心出来るなとは思ってる」


「どうしてそこまで信用できるんですか」

「人となりは見てきたつもりだけど。

 それで何か合ったらそれは俺の問題。


 何よりもご飯を作ってくれるっていうのは、とても有難いからかな。

 渡す事で琴葉の負担を減らせるなら渡すよ」


 琴葉が「あーもう」と頬をふくらませ、視線を踊らせている。


 そんな琴葉が可愛らしく、温まる心を感じなら鍵をテーブルに差し出す。


「何も強制するつもりもないし、琴葉が作ってやっても良いなって思った時だけ作ってくれれば良い。

 作ってくれるだけで有難いから、その後の洗い物は俺がする。


 時間の都合で俺に合わせるのも心苦しい。


 琴葉が楽になるなら先に家に居てくれて構わない。

 そのために鍵が必要なら受け取って欲しい」


 琴葉は困ったような、不安が混じったような顔を覗かせつつ、鍵を受け取ってくれた。

 同時に落ちた暗い影に一瞬にして心が落ち着かなくなった。


 あれ、そんなに嫌だったかな。

 まずったかな。

 ど、どうしよう。

 せっかく喜んでくれたのに。

 

 慌て狼狽えていると、それに気づいた琴葉に苦笑いを浮かべられてしまった。


 一瞬ではあるが、影を落としてしまった事が心残りではあるものの、その笑う姿に胸を撫でおろした。

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