第6話 【高校生のお弁当】

弁当を作ってくれる事になり、まず最初に思い浮かんだのは材料の事だった。


 弁当を作るのもただじゃないし、お金を渡すのも買っているみたいで嫌だな。

 そもそもこの日ジムに行くから作って下さい。って言うのか?

 催促してるみたいにとられないか?

 かといって連絡をしないのも悪い気がしてくるし。

 困った。


 連絡をしなければならないと思い、かれこれ数十分はそうしていただろうか、両手で携帯を持って文字を書いては消し、書いては消している。


 なにせ携帯で女性とやり取りするなど、母親と妹くらいであってあとは、美和だけだった。

 美和みわ和雲わくとの繋がりであって、基本的に和雲が居る状態でしかやり取りした事はない。


 他にしいて言えば、ジムで話す程度の女性は居ても、課題についてのやり取りが主であってこんな経験はした事がない。

 

 そうこうしている内に、琴葉ことはさんから電話が来てしまった。


『先日は本当にありがとうございました。

 お弁当の事ですが、次はいつジムに行く予定ですか?』

「明後日かな、弁当の事、本当にありがたいんだけど何か忙しいとか用事とかあったら無理しないで」

『くすっ。はい、その時は遠慮なくお伝えしますね』

「それと買い物も材料多くなると大変だろうから言って、俺買って来るから」

『優しいんですね、それじゃ、重い物の時はお願いしますね』

「便利な宅配便だと思っておいて」

『そう思っておきます。ジムの日、家に着いたら連絡して下さい。お届けに参ります』


 弁当作ってくれるだけでも悪いのに、持って来て貰うなんてとんでもない。って思ったけど受け取ってそれだけの方が悪い気がする。


 引き止めるのに抵抗がないわけじゃないけど。

 貰うばかりの方が気持ちが晴れないし。

 それに気を使いすぎてもな。


 柔らかな沙月の声も曇らせたくないし。

 承諾するしかないか。


「分かった、時間はだいたい昨日と同じ位の時間になると思う」

『そういえば、アレルギーとか何か嫌いな物とかありますか?』

「いや、無いから大丈夫」

『それなら、献立こんだては私の方で決めちゃいますね』

「うん」

『それじゃ、また』

「うん、また」


 やっぱり甘えすぎただろうか。

 それでも琴葉さんの声は、心地いいな。

 

 その鈴を転がしたような声音を思い出し、会話の余韻よいんに浸りながら、表情がゆるんでしまうのを止められなかった。


 

 琴葉さんと約束した日のジム帰り、登り終わりの弁当への期待か今日は課題が良く登れた。スタッフにも「いつになく調子良さそうだね」と見て取れる程だったようだ。


 はてさてと。


 帰宅し頭を悩ませたのは、どうやって琴葉さんに連絡をしようかという事だった。


 お弁当待ってます。

 いやいや。


 お腹すきました。

 抑えの効かない子供じゃないのだから。


 おかずはなんですか。

 楽しみにしすぎだろう。


 さんざん悩んだ挙句とった行動は。


 『今家につきました』と一言メッセージを送る事だった。


 はぁ。

 自分でも思うけどなんて簡潔な文字だろうか。

 いや、あくまでも必要だから連絡してるだけであって、連絡しない方が悪いのは目に見えてる。

 他意はない、はず。


 ほどなくしてチャイムが鳴り、玄関を開けて見えた光景に思わず息をのんだ。

 本当になんでもない光景のはずが、やけにはっきりと印象に残った。

 それこそ一生忘れないんじゃないかって思うほどに綺麗だった。


 きっと毎日きちんと手入れしているであろう、長い髪はつやが良く傷んでいる所は無い。

 み一つない肌に、奥二重おくぶたえの瞳は柔らかい笑顔と共に優しい彼女を表していた。

 ふわふわとしたセーターを着ていて、シンプルながら簡素かんそになりすぎない、かといって派手すぎないよそおいはとても似合っていた。

 

「あの、これお弁当です」

「ありがとう、折角だからあがっていって、コーヒー淹れるよ」

「え、良いんですか……ありがとうございます」


 手渡される際、柔らかく綺麗な手が触れてしまい赤面しそうになってしまった。


 気恥ずかしさに琴葉さんをまっすぐ見る事はできず、手渡された弁当を良く見る事はできた。

 渡された弁当は小ぶりだけど、シンプルなデザインで可愛いピンク色をしていた。


 琴葉さんならともかく自分が外で使うにはだいぶハードルが高いデザインである事は間違いない。

 弁当を温めている間にコーヒーを用意をし、ミルクと砂糖の塩梅が解らないので一緒にテーブルの上に持っていった。


「どうぞ」

「ありがとう、手際良いんですね」


 琴葉さんは関心したように言ってくれる。


「お世辞でもちょっと嬉しいよ。

 それでも特別な事をやっているわけでも要領よくできたわけでもないけど」

「お世辞ではないですよ。

 それにちゃんと部屋も片付いてるんですね」

「それは……、あわててやったから……」

「あはは」


 母さんにこっぴどく怒られたからだというのは伏せておこう。

 ちょっとくらいなら許されるだろう。

 そんな後ろめたさもあり、褒めてくれる琴葉さんと目を合わせる事が出来ない。


 結果、しどろもどろに答えてしまい。

 それでも、琴葉さんは笑ってくれた。


「それじゃ、いただきます」

「うん、めしあがれ」


 開けると「おー」という感嘆かんたんの声が思わず漏れてしまった。

 艶のある白米、おかずには生姜焼きが入っていて、下にはキャベツが敷いてある。

 横には箸休めのほうれん草のおひたしとかぼちゃの煮物、卵焼きが入っていた。


「美味しそう……」

「簡単な物だし私と同じものですけど……」

「いやいや、嬉しいよ」


 言うなり食べ始めると驚きの連続だった。


 生姜焼きは肉が柔らかく美味しいし、下にあるキャベツが油吸って絶妙。

 ほうれん草のおひたしもエグみなくて柔らかすぎない。

 カボチャの煮物はしっかり味がしみ込んでて口の中でホロホロと溶けそうだ。

 卵焼きは自分の好きな甘め。

 箸が止まらないとはこの事か。


 運動後なのもあって、それはもう勢いよく食べてしまった。

 あと少しで食べ終わってしまう事が残念なような気がして、もっと味わって食べればよかったと。

 若干の後悔、美味しい物を食べたという満足感を胸に、最後にとっておいた卵焼きをパクリと口にし食べ終えた。


「朝比奈君は、とっても美味しそうに食べますね」


 驚きの表情と共に琴葉さんは感想をくれた。

 まるで今までそんな経験をした事がなかったかのようだ。


 これだけ美味しい物を振舞えるのだ。

 家族は嬉しいだろう。


 自分なら間違いなく、幸せだ。


 この家庭的な味は、決して外で味わう事は出来ない。

 お金で解決するのすら、おこがましく感じる。


 そんな折角の弁当を余裕なく食事してしまった事が少し恥ずかしかった。


「あ、ごめん。凄い美味しくてがっついた……」

「いえ、気にしないでください。むしろ美味しそうに食べてくれて嬉しいですよ」

「本当に美味しくてあっという間だった」

「そう言って貰えて何よりです」


 そう言って笑顔を向けてくれ、心臓が跳ねたのを実感する。

 きっと純粋にそう言ってくれたのだろう。

 むしろだからこそ心に響いたのだろうか。


 その柔らかい笑顔にドキリとさせられてしまい、顔に出ないようにするので精一杯だった。


「もしかして足りませんでした?」

「あ、うん……。でも作って貰ってるのにありがた過ぎてこれ以上は」

「じゃぁ、今度もっと大きいお弁当箱買って来ますね」


 ずっと笑顔のまま、ほんと楽しそうに言ってくれる。

 自分の心臓は高鳴りっぱなしだ。

 それにそんな顔をされてしまったら、せっかくの申し出を断るなんて出来なかった。


「それじゃ、うちにある弁当箱使って」

「お弁当箱あるんですね。自分では作らないんですか?」

「………………挫折ざせつした」


 そんな返答が意外だったのか、きょとんと目を丸くし、愉快ゆかいそうに、楽しそうに笑われてしまった。


 ここまではっきり笑われると開き直れるというもの。

 いっそ気持ちいいくらいだ。


 でも笑いすぎじゃないか。


 笑い続ける琴葉さんをまっすぐ見る事が出来ず、視線を外しながら言い訳のように呟いた。


「作ろうとは思ったんだよ、実際に時々は作るんだ。

 簡単な物だけど。

 だけどいざ作ろうとすると、すぐ食べないのにこれから作るのかって思うとついつい億劫おっくうに……」

「あはは」


 そうとうおかしかったのか、言えば言うほど笑われてしまう。


 やっぱり笑いすぎでしょ。

 そんなに可笑しかったのか。


 それ以上、言葉を重ねる事を諦め、弁当箱を閉じた。


「ごちそうさまでした……美味しかった」

「ふぅ、……おそまつさまでした」


 空になった弁当箱を洗うついでに自分の弁当箱を取り出し、琴葉さんの前に持って行った。


「おねがいします」

「うけたまわりました」


 そんなわざとらしいやり取りも楽しく今度は、二人して声を上げて笑ってしまった。

 考えると自分が、こんな風に笑う事も久々でとても心地よく感じていた。

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