第17話『ゴン太と、見つからない母猫』


 その翌日。お昼を過ぎて客足が途絶えると、とたんに暇になってしまった。


 遅めのお昼ごはんを食べてお腹いっぱいになったのか、ヒナは和室の畳の上でお昼寝中。そのお腹にタオルケットをかけてあげると、彼女は心地よさそうな寝顔を見せてくれた。


 現在のしまねこカフェは低い扇風機の音が響くだけ。本当に静かなものだ。


「これは15時の船までお客さんは見込めそうにないわねー」


 おじーちゃんも芸術祭の寄り合いに行ってるし、あたしもちょっとでかけることにしよう。


 そう決めてから、『現在無人開放中』と書かれたホワイトボードをウッドデッキに置く。


「サヨ、どこいくの?」


 その時、ヒナと同じく畳の上に寝っ転がっていたココアが、顔だけをこちらに向けて訊いてくる。


「例の母猫探し。30分くらいしたら戻ってくるから」


「わかった。見つかるといいね」


 ぴょこぴょことしっぽを動かすココアに「ヒナをよろしくねー」とだけ伝え、あたしはしまねこカフェをあとにした。



 夏を終わらすまいと、しゃあしゃあと鳴き続ける蝉の声を聞きながら、あたしは島の入り組んだ路地を進んでいく。


 時折、家の軒下や縁の下に島猫たちを見つけては、スズとクロの母猫について尋ねてみるも、新しい情報は特に得られなかった。


「これだけ探して見つからないのなら、住宅地にはいないのかしら。となると、山や灯台のほう? でも、あっちはイノシシが出るから、猫はほとんどいないし……」


 そんな独り言を呟きながら細い道を通り抜け、村長さんの家の前に出る。


 そこからさくら荘の前を通り、住宅地の外れにある漁港へと足を運ぶ。


 ここは観光客があまり来ず、エサが貰えないので人馴れした島猫はあまり寄りつかない。


 その一方、空き家や倉庫など、猫が隠れる場所は多いので、人に慣れていない猫が身を潜めるにはうってつけなのだ。


「やあ、サヨ」


 空き家の軒下や倉庫の裏を捜索していると、一匹の茶トラ猫がやってきた。


「あ、ゴン太さん、久しぶりねー」


 トリコさんのようなかぎしっぽを持ち、くちゃっとなった片耳が特徴的な彼は、このエリアの数少ない住人の一人だ。その折れた耳のせいで、どこかしょんぼりとした表情に見える。


「トシオはよく来るんだけどね。サヨは本当に久しぶりだ」


「ごめーん、こっちのほう、あまり用事なくて。これあげるから許して」


 あたしはゴン太さんに平謝りして、ちょ~るを食べてもらう。


 この子もトリコさんと同じくらい古株なのだと、おじーちゃんから聞いた覚えがある。


 なので、あたしは敬意を込めて『ゴン太さん』と呼んでいるのだ。


「ところで、聞きたいことがあるんだけど」


「はむはむ……なんだい?」


「この辺りで、最近黒猫見てない?」


「黒猫? 見てないなぁ。なんか訳あり?」


「それがねー」


 一心不乱に口を動かすゴン太さんに、あたしは事情を説明する。


「なるほどね。母親がいなくなったと……ぺろり」


 ちょ~るをきれいに食べあげたあと、彼は口を開く。


「このエリアは島猫そのものが少ないし、見知らぬ猫が来たら気づくはず。僕たちにも姿を見せないくらいに警戒心が強いというなら、話は別だけど」


「そうよねー。短期間とはいえ、人に飼われていたはずだし」


「そうなると、残る可能性は……山か海で……」


「ちょっと待って。そこから先は言わないで。その可能性はまだ考えたくないの」


「……失言だったよ。まぁ、僕も探してみるから、サヨも頑張って」


「ありがとー。もし何か気づいたことがあったら教えてね」


「わかった」


 最後にかぎしっぽを軽く振ってくれたゴン太さんにお礼を言って、あたしは漁港から立ち去ったのだった。



 来た道を戻り、さくら荘の前に差し掛かった時、庭に面したウッドデッキに、なっちゃんの姿を見つけた。


「やっほー。なっちゃん、もうかってまっかー」


小夜さよちゃん、ぼちぼちだよー」


 よくわからない挨拶を交わしながら門をくぐり、なっちゃんのもとへと近づいていく。


 ウッドデッキに備え付けられたテーブル席に座った彼女は、参考書やノートを広げていた。


「あれ、宿題してるの?」


「うん。ここって風通しはいいし、ひさしがあるから涼しいんだよ」


 なっちゃんはそう言いながら、向かいの席を指し示してくれる。


「漁港のほうから来てたけど、向こうに何か用事があったの?」


 その席に腰を下ろした時、なっちゃんがノートを閉じながら訊いてくる。


「んー、ちょっと、例の母猫探しをねー」


「ああ……そうなんだ。見つかりそう?」


「うーん、猫の手も借りてるけど、正直厳しいかも」


「猫の額ほどの大きさの島だけど、森や山もあるしね。そのうち見つかるよ」


「ありがとー。ところで、ハナグロさんはどこ? せっかくだし、ちょっと話を聞きたいんだけど」


 励ましてくれるなっちゃんにお礼を言ってから、キョロキョロと周囲を見渡すも、その姿は見受けられない。


「サヨの姉御、あっしはここにいるっすよー」


 その時、あたしたちの足元から声が飛んできた。見ると、テーブルの下でヘソ天をするハナグロさんを見つけた。


「ちょっと、そんなところにいたの? 少し聞きたいことがあるんだけど」


「あはは……ハナグロさんはうちの敷地から出ないし、情報は何も持ってないんじゃないかなぁ」


「その通り。あっしには、この宿を守る義務があるんでさぁ」


 なっちゃんが苦笑する中、ハナグロさんはそう言って腹を……じゃない、胸を張る。


「ここを守る義務があるとか言ってるわよ……豆大福みたいにまんまるだけど、ハナグロさん、最近運動させてる?」


「お父さんが漁に行くときは、港まで見送りに行ってるけど」


「テツローの旦那を見送るのも、あっしの仕事なんでさぁ」


 変わらぬ姿勢のまま、ハナグロさんが答える。まったく説得力がない。


「夏バテしないようにって、お母さんが栄養のあるものいっぱいあげてるのも悪いのかなぁ……ちょっと減らすように頼んでおこうっと」


「ナツミお嬢! それだけは勘弁してくだせぇ!」


 急に起き上がったハナグロさんが、まるで土下座するように顔を伏せながら言う。


 健康のためにも、少し痩せたほうがいいし。あたしはあえてその言葉を伝えないでおく。


「ところで小夜ちゃん、宿題終わってる?」


 脱力し、再びヘソを天に向けたハナグロさんをなんとも言えない気持ちで眺めていると、ふいにそんな質問が飛んできた。


「え、まぁ、それなり……?」


 視線をそらしつつはぐらかしたものの、実際かなりの量が残っている。


 なっちゃんが『進んでる?』ではなく、『終わってる?』と訊いてくる辺り、否が応でも夏休みが残り少ないことを実感させられる。


「今度、図書館カフェで宿題とのラストバトルをやるぞー……って、新也くんが言ってたんだけど、小夜ちゃんも参加する?」


「する!」


 続くなっちゃんの問いかけに、あたしは即答してしまっていた。


三人寄れば文殊の知恵というし、一人でやるより間違いなくはかどるはずだ。


「……少し出かけてきます」


「はいはーい、行ってらっしゃい!」


 なっちゃんとそんな会話をしていた時、民宿の建物から一人の女性が出てきた。


 彼女はあたしたちの存在に気づくと軽く頭を下げ、すぐに敷地の外へと消えていく。


「あ、今日もお客さん、いたんだ」


「うん。昨日から連泊してる人なんだよ」


「連泊ってすごいわね。やっぱり猫目当て?」


 あたしは女性が消えていった先を見やる。つばの広い青色の帽子を被っていたので、顔はわからなかった。


「ううん。どうも猫じゃないみたい。でも、わざわざ東京から来たんだって」


 なっちゃんは閉じていたノートを再び開きながらそう口にした。


 猫以外の目的でこの島に来るなんて珍しい……なんて一瞬思うも、芸術祭も近いのだからその関係者なのかもしれない。


 ……それより、目の前で必死に宿題を進めるなっちゃんを見ていると、なんとも言えない焦躁感に襲われる。


 これは、あたしも帰って宿題をしよう……なんて考えながら、さくら荘をあとにしたのだった。


 ◇


 それから急ぎ足でしまねこカフェに戻ると、その入口に春歌はるかちゃんが立っていた。


「あれ? 春歌ちゃん、どうしたのー?」


 なんの気なしに声をかけた時、あたしは気がついた。


 ……その足元に、見知らぬ黒猫がいることに。

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