しまねことサヨ〜島と猫と、まったりスローライフ〜
川上 とむ
第一章『しまねこと、春に拾った少女』
第1話『島猫と、小夜』
あたしは
あたしの住む
小さな頃、猫とお話ができたら素敵だろうと、その神社にお願いをした。
願いは叶い、あたしは島中の猫たちと会話ができるようになった。
……それだけ聞くと、おとぎ話のようで羨ましいと言われそうだけど、現実は少し違う。
猫同士の会話はもちろん、島中のあらゆる噂が猫たちを通してあたしの耳に届くようになってしまったのだ。
……そりゃあもう、島民たちの噂話から色恋沙汰まで、なんでもかんでも。
どうしても島の事情に詳しくなってしまい、島の皆から耳年増だなんて呼ばれる始末だ。
というわけで、あたしは猫と会話ができることをひた隠しにし、人前では決して話さないようにしていた。
◇
――4月上旬。
中学二年になったあたしは、無数の桜の花びらが舞う中を、急ぎ足で学校へと向かっていた。
「サヨ、おはよう」
風よけの石垣に囲まれた細い路地を抜け、神社へ続く石段の前を通ったとき、その上に座る一匹の猫から声をかけられた。
「はいはい、おはよー」
手を上げて応えると、その猫はもふもふのしっぽをぴょこんと動かした。
この子はこの上の神社に住む茶トラ三兄弟の末っ子。朝からここにいるなんて珍しい。
「あんた、最近しまねこカフェに来てないけど、ちゃんとご飯食べてる?」
「観光客からちょくちょくもらってるよ。サヨは今日も学校?」
「平日だしねー。人間は辛いの」
「辛いなら行かなきゃいいのに。僕たちにはわからない感覚だねぇ。ま、頑張って」
定位置である石段脇へと移動してから、顔だけで学校の方角を指し示す。
「はいはい。行ってきます!」
軽く手を振ってから、あたしは再び歩き出した。
「おはよう、サヨ。今日も元気いっぱいだネ」
急な坂道を下っていると、道とほぼ同じ高さの屋根の上からキジ白の猫が声をかけてくる。
「はーい、おはよー」
歩きながら挨拶を返すと、その猫は屋根から飛び降りて、あたしの後ろをついてくる。
この子は、ネネ。
その模様の一部がハート型に見えることから、観光客からは幸運を呼ぶハート猫……なんて呼ばれている。
……実は名前に反してオス猫だったりするのだけど、誰も気にしてはいないようだった。
「てかさ、朝から猫にしか会ってないんだけど」
「人は動き出すのが遅いから仕方ないネ。それにこの島は猫が多いから」
そう言いながら、のんびりとした足取りであたしの後ろをついて歩く。
この子の言う通り、佐苗島は本当に猫が多くて、いつしか『瀬戸内の猫島』なんて呼ばれていた。
島の猫はこのネネを筆頭に人懐っこい子が多いから、観光客から人気が出るのもうなずける。
「ところでもうすぐ学校だけど、どこまでついてくる気なの?」
「小夜ちゃん、おはよー」
背後に向かってそう言葉を発したとき、前から聞き慣れた声がした。
視線を戻すと、そこにはあたしと同じ紺のセーラー服を着た女の子がいた。栗色のショートヘアを春風に揺らしながら、あたしに手を振っている。
「あー、なっちゃん、おはよー」
この子は
「あ、ネネだー。今日もかわいいねー」
足元にすり寄ってきたネネの背中を撫でながら、おっとりとした口調で言う。
「おはよう、ナツミ」
「んー? 朝ごはんが欲しいのかなー? ごめんねぇ、今から学校だから、ちょ~るは持って来てないんだよー」
「朝は加藤さんところでごちそうになったよ。ナツミ、今日もいい匂いがするネ」
そんなネネの言葉に、あたしは思わず頭を抱える。
きっとなっちゃんには『うにゃあ』なんてかわいらしい声が聞こえているのだろうけど、あたしにはネネの言っていることが分かる。さすがオス猫だわ……。
「くんくん。この匂いはアジかな? いや、メバルかも。どっちにしろ、いい匂いだネ」
……いい匂いって、そっちかい!
思わず叫びそうになるのを、あたしは必死に耐える。
ネネの声はなっちゃんには聞こえていないのだ。ここで叫んだりしたら、あたしはただのヘンな子になってしまう。
「……小夜ちゃん、どうかした?」
「な、なんでもない。それよりなっちゃん、もしかして今朝も家の手伝いしてた?」
「うん。少しだけ。よくわかったねー」
その青い瞳を細めながら、ニコニコ顔で言った。
そういうことなら、ネネが魚の匂いに反応したのも納得だ。
彼女の家は島唯一の民宿だし、お父さんは漁師さんだから、毎日新鮮な魚が手に入る。
その下ごしらえを手伝ったりして、その匂いがついてしまったのだろう。
「今夜はナツミの家の周辺をうろつくことにしようかネ。おこぼれを頂けるかも……」
どこか期待に満ちた顔をするネネを何とも言えない気持ちで見ていると、予鈴が鳴った。
◇
今日の一時間目は古典の授業で、担任の高畑先生の声が淡々と響いていた。
「それじゃ……高畑君、今の部分を現代語に訳してみて」
「……新也くん、当てられたよ」
「ふがっ……!?」
なっちゃんが隣の席で爆睡している男子生徒に声をかけ、必死に揺り起こす。
「あー、先生ごめん! 昨日、深夜番組見ちゃってさ!」
「知っています。でもそんなことは理由になりません。それに、ごめんじゃなく『すみません』でしょう?」
今、高畑先生に当てられて苦しい言い訳をしている茶髪の男子生徒が、
教壇に立っている高畑先生の息子なのだけど、いつもこんな感じでおちゃらけている。
「……もう一度、冒頭から一人で読んでもらいます。いいですね」
「そんな! 先生、今の時期はあれです。春眠暁をなんとかってやつで、寝てしまうのは仕方のないことらしいですよ!」
「春眠暁を覚えず、だよ。新也、そういうのはきちんと覚えてから言いなよ」
「う、うっせーぞ、祐二のくせに」
その新也の隣に座るのが、同じく幼馴染の
この二人にあたしとなっちゃんを加えた四人が中学二年で、この学校の最上級生になる。
あとは小学校一年生が二人と、三年生と四年生が一人ずつ。
その全員が一つの教室に集まって授業を受けていた。
佐苗島小中学校は全校生徒八名の、本当に小さな学校なのだ。
◇
……やがて授業が終わり、放課後になる。
「俺たち、これからコンビニヨシ子に行くけど、二人はどうするよ?」
高畑先生が教室から出るとすぐに、新也が声をかけてきた。
ちなみにコンビニヨシ子というのは、港の近くにある商店のこと。日用品から雑貨、駄菓子まで売っているので、誰かが島のコンビニと呼んだのが由来だったりする。
「あたしはカフェの店番があるからパス。今日、おじーちゃん本土に行ってるのよ」
「わたしも今日はやめとく。お小遣い残り少ないし。ごめんね」
「付き合いわりーなー、祐二、行こーぜ」
「僕も読みたい本があるんだけど……わ、わわわ」
あたしたちが断ると新也は一瞬だけ不満顔をし、それから祐二を引っ張って教室を出ていった。
「……祐二も行きたくなさそうだったけど、よかったのかしら」
「お、男の子同士、わたしたちにはわからない絆があるんだよ。きっと」
取り繕うように言うなっちゃんに感服しつつ、あたしたちも教室を後にした。
そして校門を出ると同時に、船の汽笛が聞こえてくる。
視線を送ると、赤と白の縞模様をした独特なデザインの連絡船がゆっくりと港に入ってくるところだった。時間的に見て、15時の船のようだ。
「あ、小夜ちゃんのおじいちゃん、あの船に乗ってるんじゃない?」
「そうかもしれないわねー。とりあえず、しまねこカフェで待つことにする」
「うん。それじゃあ、またね」
最後に軽く会話をして、なっちゃんと別れる。
彼女の家は学校から少し下ったところにあるので、あたしの家とは反対方向。通学路が同じになることはない。
朝は勢いよく下った道を、帰りは気合を入れて上る。
しばらくすると、前方に大きな手押し車を押すおばーちゃんの姿が見えてきた。
「加藤のおばーちゃん、こんにちは」
「おや、小夜ちゃん、学校終わったんかい?」
「今日は早い日なの! 荷物運ぶの大変そうだし、一緒に押そうか?」
「そうかい? ありがとうね」
「全然大丈夫よー。う!?」
隣に並んで、手押し車のハンドルに手をかける。直後にずっしりとした重さが来た。
おおう……これはあたしでもきつい……。
そんな思いをひた隠しにしつつ、おばーちゃんと一緒に手押し車を押す。
この島は山の斜面に家が張り付くように建てられているので、急な坂が多い。
加えて道幅も狭くて、車で乗り入れることができるのは港周辺だけ。大抵はバイクか、徒歩での移動になる。
だからこそ猫たちが安心して生活できるのだけど、大きな荷物はこうやって手押し車に乗せないと運べない。家が坂の上にあるお年寄りは大変そうで、見かけたときはこうやって手伝いをするようにしているのだ。
「サヨー、頑張れー」
道中、塀の上にいた猫が一匹、しっぽを振って応援してくれていたけど、とても反応する余裕はなかった。
……四苦八苦しながら加藤のおばーちゃんの家まで荷物を運んだあと、ようやくしまねこカフェへ帰り着いた。
おみやげに貰った大きなタケノコを抱きながら、のれんの下がった門をくぐる。
すると小さな庭があって、その奥に海を一望できるウッドデッキが見える。
そのデッキと繋がるように母屋が並び建ち、畳敷きの和室へと通じるガラス戸は常に開け放たれていた。
ここがカフェスペースで、飲み物や食事を提供するほか、日中は無料休憩所としても開放している。
あたしはここで、おじーちゃんと二人で暮らしているのだ。
「おかえり。待ってたよ」
そして帰宅したあたしを出迎えてくれたのは、ハートマークのついた猫、ネネだった。
「待ってたのはあたしじゃなくて、ごはんでしょー」
少し小さめの声で言って、カフェの中を見渡す。あたしのほうが早かったのか、おじーちゃんの姿はなかった。
「ご飯はもう少し我慢しなさい。他の皆が帰ってきてからよ」
「ちぇー。ミミとハナは今日も港でごちそうをもらってたけどネ」
「あの子たちは観光客に大人気だから。あんたも負けずに愛嬌振りまいてきたら?」
「幸運のハート猫は限られた人の前にだけ現れるのさ」
「自分で言ってたら世話ないわねー」
ネネとそんな会話をしながら、玄関先にタケノコを置く。それから台所の奥にある扉へ向かい、鍵を開ける。ここから先はあたしたちの居住スペースだ。
自分の部屋で着替えを済ませて台所へ戻ると、やかんにお湯を沸かす。
「サヨ、そういえばさっき、例の虫が出たよ」
「虫?」
そこで自分用のコーヒーを淹れていると、背後に座ったネネがそう言った。
「黒光りして高速で動く、例のヤツさ」
「げ。そこはあんたが人知れず駆除しなさいよ」
「健闘虚しく、シンク台の裏に消えていったよ。いやー、あいつら速いネ。敵ながらあっぱれ」
「むー、ネネの役立たずー」
淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを手に、慌ててシンク台から離れる。
……まさか、まだこの近くにいるのかしら。
「あの細長い筒を使いなよ。文明の利器。猫としては鼻に来るから嫌いだけどネ」
言い終わると、ネネは気にする様子もなく、その場で毛づくろいを始めた。
「……おや? 小夜、もう帰っていたのかい」
殺虫剤、どこにあったかしら……なんて考えていると、カフェのほうから声がした。
「うん。おじーちゃんもおかえりなさい」
マグカップを持ったまま出迎えると、おじーちゃんは大きな段ボール箱を抱えていた。
たぶん、あの中にはキャットフードやらなにやら、買い出しの品が詰まっているのだと思う。
「ただいま、サヨ」
そんなおじーちゃんの脇をすり抜けて、一匹のオス猫が家の中に入ってくる。
このキジ猫はココア。臆病なくせに人に甘えるのが大好きな猫で、よくこうやって人について回るのだ。
「ココアもおかえりー。ネネも戻ってるわよー」
そう声をかけながら、あたしは和室の座卓にマグカップを置く。
「玄関のタケノコ、加藤のおばーちゃんがくれたの。煮物にしなさいって」
「そうかそうか。時間があるときに、アク抜きをしておかないとね」
手にした段ボール箱を台所へと運ぶおじーちゃんとそんな会話をしていると、ネネが台所からトテトテとやってきた。
「……誰かと思えばココアか。一刻も早くトリコさんに帰ってきてもらって、例の虫をやっつけてほしいんだけどネ。ココアじゃ相手にならないネ」
その言葉を聞いたココアはびくっと震え、素早くあたしにすり寄った。
……このしまねこカフェに居着いているのは、ここにいるネネとココア、それにトリコの三匹なのだけど、まだ戻ってきていないみたいだ。
「取って食われるわけでもないんだから、ココアもヤツに戦いを挑めばいいのにネ」
「いやだよ。怖いもん」
威勢よく言うネネとは裏腹に、ココアはあたしの足の間で縮こまる。
「相変わらず怖がりねー。ま、そこが可愛いんだけどさ」
「……小夜、お客さんかい?」
ココアの背中を撫でながらそう口にしたとき、台所からおじーちゃんの不思議そうな声が飛んできた。
「て、テレビの声よー! さすがに平日のこの時間にお客さんは来ないでしょー!」
「はは、それもそうだね」
そう誤魔化しながら、あたしは急いでテレビの電源を入れた。
……危ない危ない。何年も猫たちと会話を続けているせいか、その状況に慣れすぎて、あたし以外には猫の声が聞こえないことをつい忘れそうになる。気をつけないと。
あたしは深呼吸をして、一旦気持ちを落ち着かせる。
その拍子に、和室の壁に貼られた無数の猫の写真が目に留まった。
ここにあるのは島中の猫たちの写真で、中には先に紹介したネネやココアの写真もある。
そんな写真に写る猫たちの耳には、全て切り込みが入っていた。
……これは不妊去勢手術を終えた、さくら猫の証。
つまり、この島の猫たちは、全て地域猫なのだ。
家猫でも野良猫でもない、島の皆の猫。それが、しまねこ。
そんな猫たちとの日常、始まります。
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