第5話 すこしだけ、前に踏み出せば
『ボイスチャットをしませんか?』
しばらくの間、私は画面の前でフリーズしてしまいました。
目を忙しなく動かし、何度も内容を理解しようとしましたが、結局それ以上の情報は得られません。
ボイスチャット
ソフト内のテキストチャットではなく、ゲーム機に内蔵されているアプリを使用して肉声による会話が可能になるシステムです。
これにより学校の友達やSNS上で知り合った友人、ゲーム内で知り合った友人同士でコミュニティを結成し、会話をしながらゲームプレイをすることが可能になります。
コメントを打つ手間が省け、ゲームプレイを阻害せずに仲間と会話が可能なので、解禁すれば今よりも快適なハンティングライフが待っていることでしょう。
ただ、ボイスチャットには大きな欠点もあります。
それは互いの肉声を介してコミュニケーションをとることで、匿名性が失われてしまうことです。これが現実世界でも知り合いで、最初から顔が割れている相手であれば、そこまで大きな抵抗は無かったでしょう。
けれど、私とKUONさんはゲーム内で知り合った元々は赤の他人同士。こんな見た目ガチムチの歴戦の勇士みたいなアバターの中身が、引きこもりで根暗なオタク女だと知れれば、KUONさんを落胆させてしまうかもしれません。
YUNI『その理由を教えてもらってもいいですか?(`・ω・´)?』
書いては消し、書いては消して、結局思い浮かんだ文章はこんな平凡な一言になってしまいました。
KUON『ボイスチャットを使えば』
KUON『先ほどのような事故は起こらないと思うんです』
先ほどの事故、というのは恐らくKUONさんが放った【
私はあまり気にしていなかったのですが、言われてみれば確かに私たちがパーティを組んでからこういった小さな事故はたびたび見られていたような気がします。
プレイスタイルを見る限り、恐らくKUONさんは努力型のゲーマーです。敵を調べ尽くし、己の動きを研究し、反省を重ねて次に活かし、ひたすら狩りを続ける姿はまさに狩人のそれを彷彿とさせます。
一方の私は有り余る時間で得た膨大な経験値により、一方的にモンスターを蹂躙する社会不適合者です……恥ずかしさで胸がいっぱいですね。
結局何が言いたいのかというと、きっとKUONさんは真剣なのです。
誰よりもこのゲームを愛し、より良いゲームプレイを望んでいる……そんな予感がするのです。
YUNI『なるほど……(_ _).。o○』
YUNI『ちょっと考えてみてもよろしいでしょうか?(^ω^)?』
KUON『もちろんです』
KUON『夜も遅いのでまた今度返事を聞かせてください』
YUNI『了解です٩( 'ω' )و』
現在時刻は23時。
さて、久々に考えなければならないことができてしまいました。
宿題を課されたのは学生時代以来ですね。……まぁ、一応まだ私は学校に籍を残しているのですが。
といっても結論はこの時点でほとんど決まっているようなものでした。
私の目の前には境界線があります。外の世界と内の世界を隔てる境界線。すこしだけ、前に踏み出せばあっさりと越えられるはずのそれを前に今までの私は立ち尽くすことしかできませんでした。
けれど、ついにその時が来てしまったのかもしれません。
だから、最後の日々を噛み締めるように私はコントローラーを握り締め、画面内のキャラクターは今宵もフィールドを駆け抜けるのでした。
「ちょっと強引だったかな?」
「んーどうなんだろう……でも、久遠珍しいよね」
「何が?」
「いや、おまえっていつもなんか冷めてるっつーか……心ここにあらずって感じじゃん」
「いきなり何を言い出すんだ久村さんよ」
「人当たりは悪くないから喋る奴には困らないけど友人少ないところとか、基本的に他人に興味なさそうじゃん?」
「久村さん久村さん、僕……泣いちゃうよ?」
「そのおまえがそこまで積極的に相手に踏み込もうとするのは珍しいなってことだよ」
「……そんなに?」
「そんなに。……まあ、いいんじゃねーの?YUNIさんだってもしかしたら受け入れてくれるかもしれないし、それで気まずくなったら……そうだな、新しいフレンドでも探せよ」
「久村……今のところ僕はYUNIさん以外とフレンドになる気は無いよ」
「お、言うねえ。その心は何よ?……もしかしてYUNIさんって女なの?」
「アバターは見た目ガチムチのおっさんだよ。……別に中身が男でも女でも僕はどちらでも構わない。僕はあの人のプレイに惚れたんだ」
「これは……重症だなあ」
「人を病気みたいに言うな」
「立派に病気さ。でも、今の久遠はいいと思うぜ。ボイスチャット、できるといいな」
「そう思うよ」
始業のチャイムが鳴る。
友人と会話するのに中休みは短すぎるとつくづく思う。
生徒は慌ただしげに各々の持ち場へと戻っていく。
教室の前から入ってくる女子たちの騒がしい声を背に僕も自分の机に戻り、現国の教科書とノートを鞄から出して、教師が来るのを待つ。
この微妙な待ち時間を生徒たちは1秒でも無駄にしまいと近くの友達とふざけあう。
だから僕は時間を持て余す。
隣の席は今日も空席だ。
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