幼稚園時代の恐怖体験

武内ゆり

第一話

私にだって、怖いものはある。

 あれは幼稚園に通っていた時だった。先生が園児を集めると、テレビの画面をつけ、DVDを差し込み、動画を再生し始めたのだ。誰もが見知ったアニメが上映された。

 そう、アンパンマンを。

 私は一目散に逃げ出し、後ろの絵本コーナーに避難すると、お気に入りの『ぐりとぐら』を抱きしめた。いじわるな木村くんと小島くんが、「アンパンマンが見れないなんて」とからかってきたが、悔しくて涙するものの、怖いという感情は消えなかった。

 「ゆりちゃん、どこが怖いの」

と聞かれても、言葉が足りなくて、説明できなかった。だから今、この時の気持ちを代弁することとしよう。

「平和な世界に悪意が忍び寄ってきて、日常が、なす術もなく崩壊していく……それが耐えられなかったんです」

そんな話だったっけ、と言われそうだが、当時の私はアンパンマンの世界に数ミリグラム含有されているシリアス要素を感じ取ったに違いない。

 絵柄とか、首が飛ぶとかよりも、ストーリーの問題だ。例えば当時流行っていた、女児向け変身ヒーローアニメをテレビで観ていた。これも「最初の平和なシーン」と「最後の、全てが解決して平和になったシーン」しか見れなかった。それでストーリーがわかるはずもなく、雰囲気を楽しんでいただけだったのだが。

 ここから一つの結論を見い出すことができそうだ。つまり、シリアスでさえなければホラーもいける! 重々しい雰囲気を取り去ったホラーが、果たしてホラーと呼べるのかは、ここでは置いておくとしよう。

 この仮説を実証するかのような出来事が、私の身に降りかかった。幼稚園内で「スタンプラリー」兼「小さなお祭り」が企画実行されたのだが、催し物の中に「お化け屋敷」があった。アンパンマン恐怖症で周知されていた私は、室内で泣き出すのではないかと先生方から懸念されていた。教室から出てきた人たちの証言によると、「園長先生の持ってたガイコツが怖かった」らしい。

なるほど、ガイコツが最難関なのか。意を決して入ってみると、確かに先生がお手製のお化けちゃん達を持ち、園長先生がちょっとだけリアルな頭の骨を動かして「ほーらほら」とやっていた。そのあまりのわざとらしさに、幼稚園児にして私は冷めた気持ちになるという体験をした。

 怖い気がする。でも別に……?

 私は「怖い」という感情を認知するかどうか、選択の自由を与えられていることを自覚した。デフォルメされたお化け達より、バイキンマンのぬいぐるみを三十体くらい入口に積んでいた方が、私の精神に堪えたかもしれない。

一瞬でゴールに辿り着くと、スタンプを押してもらった。友達が「こわくて入れない」と泣いていたので、「目、つむってて。連れて行ってあげる」と手を引いて二周目を果たした。もし他のお友達が同じことを訴えたなら、私は得意げにもう一周をしていたことだろう。

 シリアスとホラーは違うかもしれない、というのを感じた瞬間だった。

 そうそう、ガイコツと言えばもう一つ思い出がある。

 私が小学一年生になると、千恵ちゃんというお友達ができた。二人で一緒に公園で遊び、たまに我が家に招いて遊んだ。千恵ちゃんは「うちん家では遊べない」とよく言っていた。その表情がいつも固いのを、私は子供心に不思議に思ったものだ。

 ある日、何の目的だったのか忘れてしまったが、母と一緒に千恵ちゃんの家まで挨拶に行った。インターホンを鳴らすと、玄関口から千恵ちゃんが出てきた。

母が、

「この前はありがとう。お父さんかお母さんはいますか」

と尋ねた。

 突然、廊下からカタカタときしむような音が近づいてきた。何だろうと私は首を傾げていると、廊下の奥に、カタカタと歩くガイコツの姿を見てしまった。千恵ちゃんはドアを勢いよく閉めると、ダダダッと走って再び帰ってきた。ガイコツの姿は消えていた。

「お父さんはいません。お母さんはお外にいます」

と千恵ちゃんの答えていた記憶がある。

中学生の頃まで、ずっと現実の話だと思っていたが、どうも違うのではないかと、最近思い始めた。

 幼少期によくある、夢を現実だと思い込む現象ではないだろうか。園児が空想と現実を取り違えて、家にいたにも関わらず「昨日、ディズニーランドに行ってきたの」と喋ることがあるらしい。

 それに、それほど印象的な話であれば、食卓の話題にのぼってもいいはずだ。しかし母の口から、「こんなことがあった」と聞いたことは一度もない。そして普通、ガイコツが家の中を徘徊するものだろうか。母に確認してみようと思ったことはあるが、「なにそれ」と一蹴されるような気がして、未だに訊く勇気は出ていない。小学二年生に私は引越し、それから一度も再会していないため、真偽の程はわからない。

 今となってはその不可解な記憶も、薄らいできた。アンパンマンについても「こんなにいつもアンパンマンのことを想っているバイキンマン、健気だなあ」という楽しみ方ができるようになった。ただ一言、不可解な記憶に対してコメントするとしたら、私はこう言いたい。

 ガイコツさん、早く成仏してください。

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幼稚園時代の恐怖体験 武内ゆり @yuritakeuchi

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