出会って20年の幼馴染“兄弟”とルームシェアを始めた。じつは“姉妹”だと知らなかった。
枩葉松@書籍発売中
第1章
第1話 女だったのか?
漫画の主人公のような、劇的な人生を望んだことなど一度もない。
平穏でいいし、平凡でいい。
そりゃ愉快で楽しいに越したことはないが、だからって危ないことはしたくない。
何事もなく、波風立たず。ただ世の中の大多数と同じように、ゆっくりと流れていければいいと思っていた。
それなのに――。
「「……ねえ、
桃色の熱の灯った瞳に俺を映し、二つの口は蠱惑的な笑みを宿す。
「僕たちと」
「私たちと」
淡く、やわらかく。
それでいて、絶対に逃がさないという力強さを隠しもしない二人の息遣い。
ぬらりとした吐息に、俺は唾を呑む。
「「結婚……して?」」
二人は俺の幼馴染で、親友で、掛け替えのない人で……。
そんな彼女たちを、俺はつい最近まで男だと勘違いしていた。
出会ってからずっと。二十年間も。
失礼極まりない俺を許してくれたのはありがたいのだが、あの日からどうも二人の様子がおかしい。
無防備で、距離が近くて、胸焼けするほど甘ったるくて。
とにかく……どうしようもなく、可愛い。
っていうか、結婚? 二人と?
……い、いやいや、待ってくれ。落ち着け。
どうしてこうなった。
俺は二人からじりじりと詰め寄られながら、ルームシェア初日のことを思い返す。
◆
【第一位は、Amazoraの〈
何の気なしに眺めていた音楽番組で、最近の曲を人気順に紹介するコーナーが始まった。
Amazoraとは、最近話題の二人組バンドだ。
七年ほど前に結成し、つい最近までは動画投稿サイトでの活動が主だったが、アニメの主題歌を担当したことで爆発的に知名度が伸びた。〈藍〉という曲が、まさにそうだ。
【それでは、スタジオで披露していただきましょー! よろしくお願いします!】
司会を担当する女性の声と共に画面が暗転し、曲が始まった。
中性的で独特なハスキーボイスからなる、強烈な歌声。
聞く者を高揚させ、落ち着かせ、虜にする。優しくも暴力的な魅力があり、ため息が出るほどに心地いい。
歌うのは、ボーカルのHibiki。
短く切り揃えた白銀の色の髪に、涼し気な切れ長の蒼い瞳。手足はモデルのようにすらりと長く、肌は白く艶やかで、一流の人形職人が作ったように美しく格好いい。
対してピアノを弾くTuduriは、繊細で優しい音色を奏でつつも、その見た目は演奏の毛色からあまりにもかけ離れたものだった。
頭の後ろと左右を刈り上げ、長い黒髪をお団子状に結んだ、所謂マンバンヘア。露出した耳には大量のピアスが輝き、両の瞳は血を塗りたくったように赤く、かなり厳つくクールだ。
【ありがとうございます! いやぁ、生で聞くとすごいですね! 泣きそうになっちゃいました!】
程なくして曲が終了し、スタジオ内ははち切れんばかりの拍手で満たされた。
本当に涙ぐむ司会者に、Hibikiはtuduriは無表情のまま会釈する。
一見オセロの表と裏のように正反対な二人だが、双子なため顔付きと体格はまったく同じ。ただの無表情でも、同じ顔が並ぶ様はモデルレベルのスタイルも相まってとても絵になる。
【こちらこそ、ありがとうございます。この〈藍〉という曲は、アニメ『藍色の彼方へ』の寂しくも優しい物語をイメージして作りました。僕自身、原作の漫画も含めて大好きな作品なので、皆さんにもぜひ観てもらいたいです】
Hibikiは百点満点の台詞を並べ、再び軽く一礼。
その時、【あの!】と先ほどの女子高生が手を挙げて立ち上がる。
【わ、わたし、大ファンなんです! Amazoraさんの曲、毎日聞いてます! よければ握手してください!】
そういうことは収録外でせんかい! と芸人がツッコミを入れてひと笑い起こったところで。
Hibikiは女子高生に近づき、手を差し伸べた。彼女はパァッと表情に光を灯して、縋りつくように握手を交わす。
【応援ありがとね。君がそうやって笑ってくれるなら、僕は明日も胸を張って歌えるよ】
感情を悟らせない凍りついた顔が僅かにほぐれ、涼し気で可憐な笑みを咲かせた。
少女漫画に登場するヒーローのような表情に、番組のギャラリーたちは黄色い悲鳴をあげ、当の女子高生は顔を真っ赤にして悶える。
Tuduriの方はというと、先ほどから立ったまま一ミリも動かない。Hibikiから目配せされて初めて僅かに身体を揺らし、ギッと女子高生を睨む。
通常なら失礼極まりない行為だが、Tuduriは基本的に全く喋らずいつもこんな感じ。ビジュアルの良さのおかげかファンにとってはご褒美のようで、女子高生は【ありがとうございます!】と嬉々として礼をする。
こういったファン対応が好評を博し、一部界隈からは〝王子〟と呼ばれているらしい。
その人気ぶりを表すように、先日発表された恋人にしたい有名人ランキングで二人は上位に食い込み、男性アイドルやタレントを中心とした情報誌の表紙を飾ったりしている。
「やっぱりすげえなぁ、あいつら……」
今最も熱いイケメンアーティストコンビ。
HibikiとTuduri――本名、
二人は、俺――
小学校までは家が近所で、誕生日が近く、生まれた病院が同じ。
同じお菓子を分けっこして、たまに喧嘩をして、悪戯をして怒られて。
いつも一緒に遊び、一緒に笑い、一緒に泣いた。
二人の音楽の道は決して真っ直ぐなものではなく、紆余曲折あり、苦難も困難もあったが、今こうして努力が報われているのを見ると目頭が熱くなる。
……この番組、サブスクでも観れるのか。
あとでもう一回観よう。二人のとこだけ。
『響:着いたよ』
ブーッとスマホが振動し画面を見ると、彼からメッセージが入っていた。
着いたよ、じゃねえよ。到着の十分前には連絡入れろって言ったのに、ったくもう。
「すぐ迎えに行く……っと、よし」
メッセージを返してソファから腰を上げ、上着を羽織って玄関へ向かう。
急いで廊下を歩き、エントランスを抜けて外に出ると、肌寒い夜風が頬を掠めていった。
四月上旬の午後八時。まだ冬の気配が残っており、長袖がないと外を出歩くのは厳しい。
「ほら、早く中に入るぞ」
「待ってよパパー!」
「ちょっと、そんなに走ったら危ないわよ」
俺と入れ違いで、三人家族がマンションに入って行った。
駅まで徒歩五分のファミリー向け分譲マンション。貧乏な俺とは本来無縁なこの場所に引っ越して来たのが、つい先週のことだ。
元々住んでいたのは叔父夫婦。
海外移住が決まり部屋を売り払うつもりでいたが、俺が四月から通う大学が近くにあることを知り、よければこっちに住まないかと言ってくれた。
家賃を払わなくて済むなら、是非もない。
そんな時、一之瀬兄弟から実家を出て都内に引っ越す予定だと聞かされた。
今まではネット上での活動が主だったため、実家を離れる意味がそれほどなかった。
しかし、アニメの主題歌を担当してからは仕事でこっちに来る機会が多くなり、もういっそ住んでしまおうと思ったらしい。
4LDKの広過ぎる家での一人暮らしを心細く思っていた俺は、よかったらルームシェアをしないかと誘った。
その提案に、二人は下見もしていないのに即オーケー。
早速今日、引っ越して来る。
小学校までは毎日一緒にいたが、卒業してからはちょっとした事情で俺が遠くへ引っ越すことになり会えなくなった。
それから二人は、本格的にアーティスト活動を開始。音楽で生計を立てられるようになるまで俺とは会わないという謎の願掛けを始めたせいで、小学校以降、一度も直接顔を合わせていない。
といっても、電話やメッセージのやり取りは毎日のようにしていた。
いくつになっても、二人と話すのは楽しい。
そんな幼馴染たちと、今日から一つ屋根の下。
きっと退屈しない毎日になるだろう。
あまりはしゃぎ過ぎて、あいつらの仕事の邪魔をしないよう気をつけなければ。
「あー、いたいた」
程なくして、待ち合わせ場所の駅前に到着した。
柵に軽く腰掛け、スマホを弄る響と俯く綴。
人通りの多い中でも、二人の存在感は圧倒的だった。
響は変装のつもりかマスクを着けているが、短く切り揃えた天然の銀髪は目を見張る美しさで、眩いオーラが隠せていない。
綴も人目を引かないようにするためか、マスクを着用。ただ彼の場合、トレードマークのマンバンヘアがとても厳つく、それでいて格好いいため、変装として機能しているのか疑問だ。
「……っ」
数年ぶりに生で見る幼馴染たちを前に息を飲む。
感動で何かがこみ上げて来るも、泣こうものなら確実にバカにされる。熱い感情をグッと押し込め、大きく深呼吸。余裕の笑みを浮かべて、一歩を踏み出す。
「……ん?」
おーい、と手を振りかけて。
二人に絡む男の存在に気づき、俺は首を傾げた。
何だ、難癖でもつけられてるのか?
「そんな無視しないでさー、もうちょっと顔よく見せてよー」
「「……」」
「うわっ、睨んだ。でも、キミたちすっごく可愛いね。めっちゃオレのタイプ」
「「……」」
「結構な大荷物だけど、もしかして家出? うちに泊めてあげようか?」
……あぁ、そういうことか。
中性的な外見の二人は、美男にも美女にも見える。どうやらあのナンパ男は、二人を女だと勘違いしているらしい。……響はともかく、よく綴に声掛けられるな。普通はちょっと怖いと思うけど。
にしてもあいつら、気持ちいいくらいにガン無視している。きっと、女に間違われて怒っているのだろう。
「いや、少しくらい話してくれてもいーじゃん。そういうの気分悪いよー?」
と言って、二人の手首を取った。
その衝撃で、ゴトッと響の手からスマホが零れ落ちる。
響はパッと目を見開き、綴は紅の双眸に困惑の色を滲ませる。
おいおい……。
百歩譲って声をかけるのはいいとしても、断りもなく触るのはアウトだろ。
「気分悪いのはどっちだよ。あんた、何やってんだ」
「いだだだっ! え、何!? お前誰だよ!?」
男の手首を掴み、思い切り捻った。
友達から習った、ちょっとした護身術。実践したのは初めてだが、どうやら効果てきめんだったようで、男は目を白黒させながら顔を苦痛に歪ませる。
「こいつらの連れだ。声かけるなら他を当たれ。あと、無視されたからって触るなよ。かなりキモいぞ」
この時間帯の駅前は、多くの通行人で溢れている。
ナンパに失敗した上、痛めつけられ、辱められた男は注目の的。クスクスと漏れ聞こえる嘲笑に、男の顔は今にも爆発しそうなほど赤く染まった。
「さっさとどっか行け」
手首を解放して、トンッと軽く背中を押した。
男は振り返ることもなく、そそくさと恥ずかしそうに逃げてゆく。
「災難だったな。でも、お前らがちゃんと前もって連絡くれればこんなことには――」
言い切る前に、響は俺の服をグッと掴み、綴は俺の手を取った。
よく見ると、二人の華奢な肩が小刻みに震えている。
「もしかして、怖かったのか?」
その問いかけに、響はふいっと顔を逸らした。
「何それ、変な妄想はやめなよ」
「じゃあ服離せ。シワになるだろ」
「……」
「おい」
「……怖かった」
「最初からそう言えよ。まあ、いいけど」
「あと……」
「ん?」
「……助けてくれて、ありがと」
「気にすんな。たいしたことしてないから」
ふっと、響は顔を上げてマスクを下ろした。
青色の瞳には、薄い涙の膜が張っていた。淡い紅が頬を染め、唇を緩めてあどけない笑みを描く。テレビでのクールさが嘘のように。
「あ、ありが、とう……怖かった……怖かったよぉ……!」
「わかった、綴。わかったから、手掴むのやめろ。痛いって」
「……やだ」
「何でだよ」
「……あ、安心、するから」
「……」
「は、離さなきゃ、だめ……?」
「……好きにしてくれ」
そう返すと、綴もマスクをずらして、響とよく似た幼い笑みを作った。
昔から知ってはいるが、生で見るとテレビとのギャップが凄まじくて面食らう。無表情で厳ついTuduriなど、ここにはどこにもいない。
ファンたちから〝王子〟などと呼ばれてはいるが、響のクールな物言いはただのキャラ付けの演技だし、綴の場合は極度のコミュ障で身内以外と喋れないだけ。ちなみに威圧的なマンバンヘアやピアスは、他人との間にバリアを張るためやっているらしい。
俺のよく知る二人は、普通に笑うし普通に泣く。
あと、たぶん普通よりちょっと臆病で、人懐っこい。ホラー映画が苦手だったり、暗闇を怖がったりと、手のかかる
「あっ」
さっき響がスマホを落としていたのを思い出し、身を屈めて足元のスマホに手を伸ばす。
と、その時。
屈めば、二人の足が視界に入るわけで。
光沢のあるお揃いの黒のブーツ、少し目を上げればこれまたお揃いの白のスカート。更に登って、黒いタートルネックニットへ。そして、二人の顔に行き着く。
視線が合うと、彼らは不思議そうに眉をひそめた。
俺は再度下から上へ視線を行き来させて、二人がスカートをはいていることを確認する。
「……?」
もう一度、視線を下へ。
山折り谷折りのヒダが特徴的なプリーツスカート。
誰がどう見てもそれは女モノの服であり、訳がわからず脳内を疑問符が埋め尽くす。
「なに? 僕たちの服装、そんなに変?」
「変っていうか……いや、その……」
「す、スカートはいてるからだよ、響。基本私たち……ズボンしかはかないし。テレビでも、そ、そんな感じだし……」
「あー、そっか。なるほどね。今これ流行っててさ、友達にもらったんだよ」
「流行ってる……? あ、そうなのか?」
今は多様性の時代。
学校の制服も、男女問わずスラックスを選択できると聞く。同じ理屈で、男がスカートをはいちゃいけない、なんてこともない。そういうのが流行ったところでおかしくはないだろう。
「すげー似合うぞ。ちょっとビックリした」
「「ほんと?」」
「ほんとほんと。……ってかお前ら、相変わらず息ピッタリだな」
流石は双子だと素直に感心すると、二人は顔を見合わせて照れ臭そうに笑った。
「へへっ、可愛いでしょ? 素直にそう言ってもいいんだよ?」
「え? あー……まあ、可愛い、と思う」
「わ、わた、私はっ? 私も……可愛い……?」
「ああ、可愛いぞ。
と、口にした瞬間。
ピシッと凍りついたように、二人の表情が固まった。
「女の子、みたい? み、みたい?」
「あ、あぁ……えっと、うん。そう言った、けど……」
慎重に、丁寧に、怪訝そうに、響から確認された。
何か俺、まずいこと言ったか……?
どうしよう。久々の再会で、しょっぱなから変な雰囲気とか嫌だぞ。
「……ねえ、今のって……」
「も、もしかして……」
「いや……でも、流石に……」
「……あ、あり得る……と思う、けど……」
「確かめてみよっか……」
何やらヒソヒソと話し合う二人。
バッと突然こちらを見て、凄まじい勢いで距離を詰めて来る。
恐ろしいほどに整った、同じ顔が二つ。
青と赤の瞳に決意めいたものを滾らせ、一瞬二人は顔を見合わせて小さく頷く。
「「えいっ」」
息ピッタリに言って。
俺の手を取り、自分たちの胸に押し付けた。
程度の差はあるにしても、本来そこには胸筋が搭載されているわけで……。
しかし俺の手が感じ取ったのは、妙にやわらかい膨らみだった。
……あれ?
おかしな感触に、脳みそが無際限にエラーを吐き続けていた。
壊れた機械の如く、ピーガガガッと不吉な音を立て、ネジを撒き散らしながらバイブする。
何だ、これは。
この感触は何だ。
ぐちゃぐちゃに乱れる感情とは別に、僅かに残った理性的な部分がポツリと呟く。――これはおっぱいだ、と。
「っ!?」
二人の手を振り払い、その勢いで地面に尻餅をついた。
俺の反応を見て、二人は顔を見合わせ、何かを確信したような難しい表情を作った。
「……ひ、響?」
「ん?」
「……綴?」
「な、なに……?」
二人の顔を交互に見る。
全身から、ぶわっと冷たい汗が噴き出した。
鼓膜を揺らすほどに、心臓が激しく脈打つ。
「お、お前ら……」
浅い呼吸。
走馬灯のように脳裏を疾走する、二人との思い出。
ゴクリと唾を飲み、もう一度彼らを――いや、
「――……女、だったのか?」
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