弥生の宝石姫

市野花音

第1話

 「志賀しが、この土器をなんと言う?」

 男性教師が、私に問いかけてくる。

 落ち着いて、落ち着いて。

 シーンと静まり返った午後の眠たい教室に、ただ一人立ちすくむ私。

 私をジロジロと観察するクラスメイトたち。

 嫌だ。また、無視されたりするの。

 「弥生やよい、土器です……」

 「正解だ。座っていいぞ」

 私のしぼり出すような声にかぶせて先生が軽く言い放つ。このやり取りの重要性を全く理解していない。

 ストンと、暖かい椅子に座り込むと不思議と安心できた。

 教科書とプリントでごちゃごちゃした机の下で、にぎっていた手を開く。

 そこには、丸っこい翡翠ひすいがあった。

 若草色の濃かったり薄かったりする不思議な色合いの石。小さな頃から持っている、両親がくれたお守りだ。

 今歴史の授業でやっている、弥生時代の頃からある、私が大好きな宝石。

 そして、わたしの唯一の友達。

 『ゆかり、だいじょうぶ?あせ、すごいよ?』

 宝石の方から、舌足らずな子供の声が聞こえてくる。

 私の両親は、ジュエリーショップを営んでいた。私も小さな頃からずっと宝石に親しんできた。だから、両親はなかなか気づけなかった。私と宝石が近すぎて、少し、当たり前だと思ってしまったんだろう。

 

 私が宝石と話せるということに。

 

 (うん、大丈夫だよ若葉わかば。私、落ち着いてる)

 心の中で、若葉に語りかける。

 わたしは、小さい頃お人形に名前をつける代わりに、宝石に名前をつけて呼んでいた。それが今まで続いていて、翡翠のことは、「若葉」と呼んでいる。

 宝石を握っていると、口に出さなくても会話ができる。授業中の密談は、嫌いな学校でのただ一つの楽しみなの。

 『いきなりあてられてびっくりしたよ。ゆかり、ぐーすかねてるんだもん』

 若葉の声には責めるように語りかけてくる。

 (だって、歴史の先生の声、子守唄みたいなんだもん)

 私は心の中だけで、こっそり唇を尖らせた。

 『もう、こんどからきをつけてよ。あのめぎつねが、けしごむなげてきて、あたってめがさめるとか、さいあくでしょ!ゆかりをおこすのは、わたしのやくめなのに!』

 女狐、と言うのは、いじめっ子のことだ。

 宝石と話せることを変わってる、という人がいなかったから、私はそのおかしさに気付かなかった。

 気がついたときには、私は変なことを言うことして、いじめられてきたのだ。

 だから友達は若葉だけだし、学校は嫌いだ。

 私は、社会の教科書に目を下ろした。

 布に穴を開けただけの服を身につけた人々が、土器という土でできた食器を使って生活したり、お米を作ったりして生活している様子が描かれている。

 弥生時代の生活だ。

 お米をめぐって、争いが起こり始めた時代。

 同じようなことが、今もある。

 小さなことがきっかけで、誰かは簡単に無視されてしまう。

 だから私はなるべく、目立たないように大人しくしている。それが、味方の少ない私の身の守り方。

 (怒らないでよ、若葉。答え、教えてくれてありがとう)

 『とーぜんだよ!』

 宝石っていうものは、とても長生きだ。若葉も、私の何倍も生きている。

 だから若葉はとっても物知りで、居眠りしがちな私をいっつも助けてくれるんだ。

 ……ふぅ。

 私は、開いたままの教科書に書かれた弥生時代の人の、首飾りをなぞる。これも翡翠。

 翡翠は日本の国石っていう、国旗の石バージョンみたいなものに選ばれるほど、歴史の長い石だ。教科書にのるくらいの。

 その証の上に、ダイブした。

 じゃなくて、教科書を下にしてつっぷし、堂々と目をつぶった。

 『ちょっとゆかり!なにねようとしてるの!じゅぎょうちゅうは、おきてなくちゃでしょーっ。またあてられたり、けしごむなげられたりしたらどうするのー!』

口うるさい若葉を無視して、私はすぐ眠りについた。今日、寝不足なんだよねー。

 

 そして、浅い眠りの中でー


 眠りについたことを、後悔した。


 おぼろげに見た夢は、悪夢だったから。



        *


 『ゆかり、おきて!』

 

 わかってるよ、若葉。でも、眠いよ。


 『おねがい、おきて!』

 

 私だって起きたいよ。でも、今までずっと悪夢で、穏やかな眠りにつけてないんだよ。若葉が起こそうとしてくれる時が、一番安心できるの。だから、もう少し……。


 『はやくおきて!じゃないとゆかりがー』


 おかしいな。若葉、なんかあせってる?

 どうかしたの?何かあったの?

 

 ーしんじゃう!


 

 「……!」

 まず、目に入ったのは、争い合う二人の男たちだった。

 ん……、何これ、どんな状況?

 身をよじって確認しようとしてー

 できなかった。

 体が、動かない。

 そろり、と下に目線を落とす。見えたたのは土の地面。私は地べたに座っていた。いや、座らされていた。

 両手両足を縄でしばられて。

 瞬間、ゾッした。

 何これ、どうなってるの?!私、教室で歴史の授業を受けてたはずじゃ……。

 慌てて周りを見渡してー

 またしても、ゾッとした。

 だって周りの景色が変だったから。

 まだ明るいうちだったはずなのに、辺りは真っ黒。私は、広場みたいなところにいた。

 広場の周りに見なれない茅葺き屋根の家がずらりと立ち並び、右端の方には、周りより高い建物、左端には、床の高い倉庫みたいな建物。あちこちに松明がたかれ辺りを照らしている。

 私をジロジロと見つめてくるたくさんの人たちは、みんな布に穴を開けただけの服を着ていた。

 何これ何これ……!

 さっきまで見ていた、教科書の弥生時代みたいじゃない……!

 怖い!すっごく怖い!私、どうなっちゃうの……?

 「この娘は生贄にするんだ!こんな妙な格好をした娘など、化け物に決まっているだろう!」

 「いや、このお方は神のみ使いだ!うやまい、祭り立てるのが良いだろう!」

 周りが見えると、目の前の男たちの会話が耳に入ってきた。

 ……生贄?生贄って、生きたまま、土に埋められたり、水に沈められたりする……?

 『しんじゃう!』って、若葉も言って……。

 「若葉?」

 若葉、どこ?手の中は、空っぽ。

 思わず、はっきりとした声を出してしまった。

 ばっ、と二人の男が同時に振り返った。

 背の高い男と、背の低い男だ。着ている服は周りの人と同じだけど、二人とも他の人はしていない赤い布を頭に巻いていた。

 ギラギラと、怖いぐらい目を輝かせている。

 「おい、こいつ、目覚めたぞ!おい、そこ!早く、こいつを池に投げろ!」

 「まて!神のみ使いを生贄にするなんてもったいない!このお方には、別の使い道があるだろう!」

 背の低い人の言葉を、背の高い人が否定する。でも、私は怖くなる一方だった。

 何、この人たち。私を、池に投げるって、何?使い道って、何?

 おかしいよ、この人たち。クラスのいじめっ子や叔母さんよりもおかしいよ!

 「若葉ーっ、どこーっ」

 怖い怖い、怖いよぉ若葉!若葉、どこにいるの?ここはどこなの?この人たちは誰?教えてよ、答えてよ若葉!

 『ここだよ、ゆかり!』

 飛び込んできた舌足らずな言葉遣いに、パッと辺りを見渡す。

 『ここ、女の人のところ!』

 あっ!左端の倉のところに佇んでる首飾りを女の人が、何かを握りしめている。そこから、声が聞こえた。

 「若葉!」

 思わず走り出そうとして、できなくて。現実に引き戻された。

 そうだ私、両手両足縛られてたんだ!

 「うるさいなこの娘。おい、誰か口を布でふさげ!」

 「口を閉じていただけませんか、神のみ使い様。そうすれば、すべてうまくいきます」

 怖い男の人たちが、迫ってくる。周りの人が、布を背の低い男の人に渡すのが見えた。

 「いやだ!誰か、誰か助けてっ!若葉を、翡翠を返して!」

 首飾りの女の人や、布を渡してきた人を見ても、誰も何も言わない。動かないままだ。

 そんな……、ここでも、誰も、助けてくれないの?

 『なにやってるの、おまえたち!ゆかりに、ゆかりになにをしようとしてるの!はなせ!ゆかりからてをはなせ!』

 若葉がわめいている声が届く。でも、私以外の人には、聞こえない。

 怖いよ、助けて、お母さん、お父さん……。

 迫る布に、私が現実逃避を始めた時だった。

 ひゅん、と夜空に浮かぶ、一筋の光を見たのは。

 流れ星……?

 思わず人々が動きを止めた瞬間。

 ブス、と地面に何かが刺さった。

 あれは……、矢?

 そう思う間もなく、矢がピカッと光って、それが広場全体に広まった。

 叫ぶ間もなく、咄嗟とっさに目をつぶった。

 

 しばらく経ってから、恐る恐る目を開けて、

 私はまた、ゾッとした。

 なぜなら、広場にいた人がみんな倒れてたから。背の高い人と低い人、布の人、女の人。みんな、地面に突っ伏せていた。

 そんな中、広場の中心に、一人の男の子が立っていた。

 歳は、多分私と同じぐらい。

 背も、私と同じぐらい。

 黒い髪に、黒い瞳。布に穴だけを開けた服。

 手には……弓。武器が、あった。

 男の子の視線が、こちらへと向く。

 感情が読めない、無の顔をしていた。

 ゆっくりと、足をふみしめてやってくる。

 そして、私と目線を合わせるようにしゃがみ、言った。

 「お前、誰だ」

 男の子の、黒曜石こくようせきの首飾りが、ゆれた。

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