一時休戦

「今日疲れたから、明日でいい?」


「あっ、うん」


 図書館調査というぼくの考えた作戦はあっけなく延期となった。確かに、お母さんは今日車を運転してきたから疲れているのかもしれない。しかし、ぼくにだって重要な任務があるのだとはもちろん口には出さない。ぼくが大人になって車を運転できるようになれば、いつでも図書館へ行けるようになるのだ。

 そういう訳で、一時休戦となった。別に戦っている訳ではないけど。


 今日は土曜日で明日が日曜日。月曜日が祝日でその日に帰るという日程だった。ぼくが小さい頃は、毎週のようにおばあちゃんの家に遊びに来ていたこともあった。夏休みの時期なんかは、1週間以上おばあちゃんの家にいることすらあった。それくらい、ぼくにとっておばあちゃんの家は馴染み深い場所なのだ。

 テレビでは、野球の試合が終盤に差し掛かっていた。阪神タイガースは1点差で負けていた。


「デーゲームは客も暑いやろなぁ」


「でも、夏場はナイターでも全然暑いからなぁ。ちょうど今が最高やわ」


 二人のそんな会話を聞きながら、ぼくは家から持ってきた宿題を解き始める。おじいちゃんの仏壇に供えられたお線香の臭いが、この空間をおばあちゃんの家たらしめている。なんでもない、休日の午後だった。


 阪神タイガースがサヨナラ勝ちをして、二人があらかた騒ぎ終わって、しばらくしてから夕飯の支度が始まった。台所から聞こえてくる、お湯の沸き立つ音や一定のリズムを刻む包丁の音を聞きながら、漢字ドリルの宿題を終わらせた。


 その日の夕飯はイカの刺身と茄子の揚げびたし、それから野菜とたけのこの煮物だった。野菜はあまり好きじゃないけど、おばあちゃんの家のは普通に食べられた。人参も大根もいやな野菜臭さがなくて、お箸で切れるくらい柔らかい。

 ぼくたちはいただきますをしてから、皆そろってもそもそとごはんを食べ始める。初めにたけのこを口に入れる。しゃくという歯ごたえと醤油のうまみが口いっぱいに広がると同時に、少し舌に違和感を感じた。


「なんか、べろがぴりぴりするんやけど」


「うそん」


 おばあちゃんがたけのこを口に運んで咀嚼すると、眉をひそめた。


「ほんまやな。あく抜きちょっと足らんかったか。それ食べんとき」


 そう言って、おばあちゃんはぼくの前に分けられた煮物からたけのこだけをひょいとつまんで自分の器へと持って行った。


「まあ、これくらいやったら食べれるわ」


 たけのこはあく抜きしないと舌がぴりぴりするのだということを初めて知った。お母さんもおばあちゃんも、舌のぴりぴりをさほど気にせずに食べているのを見て羨ましく思った。


 ごはんも食べ終わり、歯も磨いて、いよいよ寝る時間になった。ぼくは、おばあちゃんの家で寝る時が一番好きだ。おばあちゃんは居間にそのまま布団を敷く。そして、ぼくとお母さんはスペースがないから客間に布団を敷く。

 おばあちゃんの家の掛け布団はぼくの家のと比べてかなり重い。でも、それがすごく心地よい。ぼくはいつもおばあちゃんの家で寝る時は、家全体に包まれているような感覚になる。お線香の残り香と、布団の匂いが全身に染みわたる。

 布団から手を出して床を撫でると、そこには畳の凹凸がある。山があって、溝があって、それが無限に続いている。明かりを消すと真っ暗になる。豆電球がないから、本当の真っ暗闇だ。


「じゃ、おやすみー」


 どこにいるか分からないけれど、確かにそこにいるおばあちゃんの声。


「「おやすみー」」


 ぼくとお母さんも同じく暗闇から声を出す。カエルの鳴き声が遠くから聞こえる。それから、深呼吸をする。


 明日は図書館で何か新しい情報は見つかるだろうか。真相にたどり着くとぼくは一体どうなるのだろう。鼓動が少し速くなる。興奮ではなくて不安感だ。ぼくが宇宙人のこどもだったとしても、お母さんとおばあちゃんをずっと好きなままでいたいなと思った。

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