夢を一つ叶えましょう

ゆーすでん

夢を一つ叶えましょう


 どうしてこうなった。

 気が付いたら、手にカッターを握りしめて立っていた。

 ここは倉庫? 入口に背を向けて立つ自分を照らすように差し込む光。

 薄暗い空間に、ほこりが舞い上がるのがかすかに見える。

 さっきまでどこにいたっけ。

 思い出そうとしても、思い出せない。

 なぜか、呼吸がしづらい。

 自分の呼吸音しか聞こえない異様な静けさに、じわじわと不安が近づいてくる。

 ふと、握っているカッターに目をやってぎょっとした。

 工業用の見慣れた黄色と黒の本体から延びる刃先、

 本来なら銀色に光るはずなのに。

 赤黒い液体が纏わりついて滴り落ちている。

 よく見れば、握っている手や体の至る所がその液体で同様に汚れていた。

 血だ。誰の血だ? 自分が怪我をしている様子はない。

 足元を見れば、ぽつりぽつりと距離を保ち血痕が奥へと繋がっている。

 血痕を目で追っていくと地面に投げ出されている足が見えた。

 靴を見て、ある同僚の足だと気づく。

 錆びた柱に背中を預けて地面に大股を開いて座っている。

 視線を上へと移動して、目があった時に悲鳴をあげそうになった。

 その目は大きく見開いて、瞬きもせずにこちらをじっと見続けている。

 同僚の首から血がどくどくと流れ、白いシャツが赤く染まっていた。

 血を止めないと。

 なのに体が動かない。カッターを捨てたいのに、手も動かない。

 声すら発せない。

 なすすべなく、立ち尽くすしかなかった。


「生理的に合わない人っていますよね。私も前の会社の上司が本当に合わなくて。

 気にしないようにすればするほど、嫌な面が目立っちゃうんですよね。」

 給湯室で後輩に愚痴を聞いてもらっていた。

 決して悪い人でもない。その人なりに仕事もしていると認めている。

 けれど、その人の行動がいちいち自分をイライラさせた。

 同僚と話していれば、タイミングも考えずに割り込んでくる。

 何かを手伝ってもらえば、気が利くでしょと言わんばかりでこちらを見てくる。

 極めつけは、家族サービスを少し褒めただけで「俺の事好きなの?」ときた。

 思わず、「馬鹿か」と叫びそうになるのを何とか喉元に押しとどめ、

「奥さんがいる方を好きにはなりませんよ」とあしらった。

 そんな小さな積み重ねで、確かにその同僚のことを避けるようにはなっていた。

 けれど、殺してしまおうなんて考えたこともない。

 どうしてこんなことになった?

 どうして、どうして、どうして…。

 そうしているうちに、両腕が痺れて重だるくなっていく。

 ただ、立っているだけなのに。相変わらず、何も聞こえず、体は動かない。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう…。

 焦りだけが募り、泣きそうになる。


『ピピピピ、ピピピピ…』

 耳元で突如聞こえた機械音に瞼を開ける。

 開けた視界には、自席の机に広げられた緑色のゴムマット。

 腕の痺れの原因。昼休憩の短時間、両腕を重ねて枕代わりにうたた寝をしていた。

 会社にいるのをすっかり忘れるくらい、うたた寝を越えて熟睡していたらしい。

 目覚ましのアラームを聞き逃さないよう耳につけていたイヤフォンを外す。

 頭の重みで止まっていた腕の血流が戻って、急激に指が痺れる。

 一つため息をついて呼吸を整えた。


 夢でよかった。

 今でもカッターから滴り落ちる血や、同僚の顔をありありと思い出せる。

 怖いものを見たはずなのに、何故か心は落ち着いてむしろすっきりとしていた。

 夢で、本当に良かった。

 倉庫の入り口に目を向ければ、殺した人が他の同僚たちと爆笑している。

 その姿が、また私をイライラさせる。

 目に入ってこないよう、努めてパソコンの画面を凝視する。

『ああそうか、イライラしたらまた殺せばいいのか。』

 心の中の私がポツリと呟いて、楽しそうににやりと笑った。

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