ただ、この言葉を貴方に…

相上おかき

第1話

 ああ、またこの夢。

 昔の、まだあの人がいたころの夢。

 懐かしく、幸せで、最も思い出したくない夢。

 もう、戻ることはできないから…


 唐突に目が覚める。ああ、そっか。今日はあの人の命日だからあんな夢見たのかな。唇をきゅっと嚙み、目じりを手で拭う。溜息一つついた後、お気に入りの服に着替える。昔はよく着ていた服。もう久しく着ていない服。それに着替えた後、朝食を食べる。薬を一錠のみ、歯を磨く。そして、あの場所へ向かった。




 まだ、夜の帳が上がりきっていない空を見ながら、欠伸を一つ。幽霊でも欠伸が出るのかと思いつつ、玄関の前で彼女が出てくるのを待つ。

 やがて、玄関の扉が開く。そこからお気に入りの服を着た彼女が出てくる。彼女の少し赤い目元に、喉の奥に石を詰め込まれたかのように思う。

 『…やあ、おはよう。』

 当然、彼女が答えるはずもない。そんなことは知っている。

 彼女は玄関を出て、空を一瞥する。

 「まだ、暗いわね。」

 そう言い、街へと彼女は向かった。




 街は嫌い。最近はそう思うようになった。

 あの人がいなくても変わらずに騒々しい街。見上げるような街並みが、あの人のことなどちっぽけなものだと嘲笑う。どうせ、無意味だと。

 本当に惨め。

 いつまでもだらだらと引きずって、それを押し通すだけの我もなければ、すっぱりと諦める潔さもない。

 街を歩く、歩く、歩く、歩く。

 路地裏を通り、大通りを通り、思い出をさがし歩く。

 ああ、あの店でラーメンを食べたわね。

 ああ、よくその店に遊びに来たわね。

 そういえば、ここで喧嘩なんかもしたわね。

 ここ、この病院で。




 彼女と一緒に街を歩く。

 路地裏を通る。

 『懐かしいね。君は確か、初めてラーメンを食べたんだったね。ふふっ、猫舌の君にはちょっと辛かったかな?』

 大通りを通る。

 『そういえば、ゲーセンに来るのも初めてだったっけ?借りてきた猫みたいに静かにする君は見物だったなあ…』

 彼女についていく。

 病院についた。

 『…悪かったって、思ってる。後悔してるよ、ずっと。でも、僕にとってあの選択が最良だったって今でも信じてる。…たとえ、その結果君を独り残すことになっても…』

 唇を固く引き結ぶ。

 本当に僕の行動は正解だったのだろうか?

 もっと他に良い方法はなかっただろうか?

 もし本当に正解だったなら、何故彼女はこんなに悲しいをしている?

 わからない。

 何もわからない。

 もう終わったことと割り切ってしまえればどれ程楽だろうか。

 悩み、呻き、選択し、後悔する。それが人間という生き物なのだろう。

 それでも、僕たちは限られた選択肢の中から選び続けるしかない。

 たとえ、それがどれ程無意味であったとしても…

 もう、僕の声は君に伝わらなかったとしても…




 切符を買い、電車に乗る。

 電車が揺れる。ガタンゴトンと規則正しく揺れる。

 人々は慌ただしく通り過ぎていく。

 私はただ、電車に揺られるだけ。

 私だけが取り残されていく。

 どうして?

 どうして、私を取り残し、貴方は行ってしまったの?

 私には何の選択肢もなかった。何の選択もできなかった。

 ただ、気づいたら貴方はいなくなっていた。

 気づけば人気も少なく、目的地の寂れた駅で降りる。

 もう、とっくに昼時を過ぎ、夕日のさし始めた道を行く。

 先の方に、目印の大きな桜の木がみえる。

 家も疎らになり、木々が増えていく。

 森の中の道を行くと、突然視界が開ける。

 そこには、少し大きな丘の上に一本の桜の木がのっそりとたっている。その近くを小さな川が緩やかに流れていく。

 「まだ、桜は咲いていないわね。」

 近づけば、桜の麓にぽつんと、墓がたっている。

 小川の水を汲み、墓石にかける。

 「懐かしいわね。この場所で貴方と出会ったこと覚えてる?あの日から、いろんなことがあったわね。貴方に会って、貴方と一緒に街に遊びに出たり、ここで日向ぼっこしたこともあったわね。」

 柄杓を横に置き、供え物を置く。

 「…喧嘩もしたわね。でも、貴方が悪いのよ?貴方が私に何も言わなかったから。何も言わずに、勝手にいなくなって…」

 頬を涙が伝う。

 悲しみ、怒り、いろんな思いが溢れ出して、胸をぎゅっと締め付ける。

 涙が止まらなくて、上手く言葉が出ない。

 「どうして…どうして、いなくなったの‼なぜ、貴方が死ななくちゃいけなかったの?どうして私じゃなくて貴方なの?何で、何も言ってくれなかったの‼わたしはっ‼…どうすればよかったの?ねえ…おしえてよ…」




 『違う。僕は君に泣いて欲しかったんじゃない。笑っていて欲しかったんだ。』

 なのに、どうして…

 思えば、失敗ばかりの人生だった。

 後悔ばかりだ。

 僕は僕の身勝手なわがままを君に押し付けたんだ。

 そして、また失敗した。

 どうすればいいかわからない。

 でも、言わなきゃ。

 たとえ、伝わらなくても君に言いたいんだ。

 ただ、この言葉を君に…




 「僕は、君に会えて良かった。」

 「えっ?」

 彼の声が聞こえた。

 幻聴なんかじゃない。確かに聞こえた。

 「君と過ごす時間がとても幸せだった。」

 「うそ。ありえない。どこ?どこにいるの?」

 いる。確かに彼がいる。

 その事実に涙が溢れて止まらない。

 「でも…だからこそ僕のことをわすれて…」

 彼の声は掠れて、今にも消えてしまいそうだった。

 「まって‼まだ、言いたいことがたくさんあるの‼っ私だって、貴方と会えて良かった‼貴方のおかげでいろんなことを知れた。貴方がいたから‼」

 胸の奥から溢れる言葉は涙と一緒に流れ出しそうで、上手く声にできない。

 だから、ただ、この言葉を貴方に‼

 「っ貴方がいたから私は生きてる‼だからっ‼だから、ありがとう…貴方のこと、一生忘れないから‼」

 ああ、何となくわかった。これが最後だ、貴方に言葉を伝えられるのは。

 だから、最後にもう一度。

 「さようなら。そして、ありがとう、私と出会ってくれて…一生愛してる。」

 「ああ、さようなら。最後に一言だけわがままを…死んでも愛してる。」

 朝日が一筋の光を差し込む。

 一輪、咲いた桜の花に朝露が一雫、光った。

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ただ、この言葉を貴方に… 相上おかき @arion341

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