第8話 イエス、マスター


「ん……」


 平岡芹那は体に受けた衝撃で意識を取り戻した。

 うっすらと目を開けると出流がミリヤに抱き付いておおはしゃぎしている。


「……出流君と……お姉さん……?」


 一体自分はどこで何を……?

 まだ覚めきらない脳が状況を理解するのに時間を要していた。


 だが、次の出流の言葉で頭に掛かった靄が晴れる。


「これで芹那を助けられるぞ!!」

「ま、マスター!不意打ちはずるいですぅ~~!!」

「ハッハッハ!!」


 助けられる……?それに今、名前で──。


 訳の分からない状況に混乱は残しつつも、芹那は痛む尻をさすりながら体を起こした。


「……出流君」

「! 気付いたのか!」

「……うん。ごめん、迷惑を掛けたみたい……」

「気にすんな」


 芹那は膝に手を付いて立ち上がろうとしたが、上手く足に力ずくが入らない。


「あっ……」


 バランスを崩して地面に倒れ込んでしまう。

 

「大丈夫か!」

「はは……あんまりかも。ごめんね……」


 芹那はすぐに駆け寄って来た出流に微笑を浮かべた。

 だが今はそうやって微笑むのが精一杯で体中から力が抜けていく。

 いよいよ自分の命が残り幾ばくもないことを実感する。


「……出流君……私、たぶんもうあんまり長くないの。だから……さっきの返事……聞かせて欲しい……」


 芹那は出流の腕に抱えられ、視線を合わせた。


「……出流君……」

「俺は……」


 出流が芹那に自分の気持ちを伝えようとした時だった。


「マスター、そう言えば私もマスターの気持ちが知りたいです」

「ミリヤ!?」


 出流の背後から背に体重を乗せるミリヤ。

 少し頬を赤く染め、額を出流の後頭部に付けている。


「さ、さっきのふざけた大好きじゃなく、きちんと、本気のマスターの気持ちを聞かせて下さい」

「そ、それは……」


 出流もミリヤ同様に顔を赤くしている。


 芹那はそれを見て気付いてしまう。


(……出流君、もしかして──)


 芹那は酷く痛む胸を抑え、口元を綻ばせた。


「……ふふっ、ほんと……夏休みの間に何があったのやら……」

「ちゃんと教えるよ。信じて貰えるか分からないけどさ」


 出流の真剣な表情を見て、その話を心底聞いてみたいと芹那は思った。

 しかし、自分にそんな時間は残されていない。


「……残念ながら、たぶんそんな長いお話聞けないや……ごめんね……」


 力なく笑うと、出流がパシッと芹那の手を取った。


「大丈夫」

「……え?」

「お前の体は俺がきちんと治してやる」


 真っ直ぐに見つめてそう言う出流。

 芹那は心臓の鼓動が早くなっている事に気付く。


「お……お医者さんにも原因不明って……」

「そりゃお医者さんには無理だろう。何たってお前は──」

「マスター」


 出流の言葉を、ミリヤは遮って首を振った。


「今教えても混乱するだけですよ」

「……そうだな」


 出流は芹那の頭を撫でながら、優しい笑顔を向けた。


「次に目を覚ました時には全部解決してる。だから、今は安心して寝てろよ」

「……ほんと、なの……?」

「あぁ」

「私……まだ、出流君と一緒に居られるの……?」

「当たり前だろ」


 芹那はその言葉を聞いて体を震わせながら涙を流した。


「……信じて……良いんだよね……!」

「約束する」


 出流は気休めで言っている訳じゃない、芹那は深くそう理解した。

 

 医者にはどうにも出来なかった。

 それなのにどうしてただの学生である出流に解決出来るのか、そんな事どうでも良かった。


 何故なら、大好きな人が大丈夫だって言っているから。


「……ありが、とう──」


 芹那はそう言ってまたすぐに意識を失った。

 それを見て出流とミリヤは顔を見合わせた。


「おそらく、彼女はもう目を覚ましません。このまま穏やかに死へと向かうでしょう」

「──させるかよ」


 立ち上がり、出流はミリヤの首もとに手を当てた。

 出現している隷属の首輪に。


「ミリヤ、命令だ」

「はい」

「芹那を──俺の大事な幼馴染みを死なせるな」


 ミリヤは苦笑しながら答える。


「……マスターを好きだと言った私に、マスターを好きな女を助けろ、だなんてさすが鬼畜ですね」

「お前なら出来るだろ?」

「それがマスターの命令とあらば」


 二人は目を見合わせてニヤリと笑う。


「行くぞ、相棒」

「イエス、マスター」

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