放課後異世界ピクニック

砂藪

第1話 魔法使いの男の子


 一条いちじょうカスミは今日も赤い傘の内側の下から上半分が赤く切り取られた世界を見ていた。


「あーあ……」


 今日はなんてことない日。

 行事もなにもないけれど、カスミにとっては大事な日だった。今日、クラスのみんなで育てていた朝顔に水をやる順番がカスミに回ってきた。雨が降れば、その順番は次に人に回る。だから、別に朝顔のことが好きでもないクラスメイトは自分の当番の日に雨が降ればいいと思っている。

 しかし、カスミは花が大好きで、自分が朝顔に水をやれる日を楽しみにしていた。

 朝顔に水をやるのは朝のクラス会の前に一回、帰る前に一回。朝の水やりは無理でも、今、雨が止んでくれたら、帰る前に水やりができるかもしれない。


 そんな期待を持ちながらカスミは赤い傘を後ろに傾けて、分厚い灰色の雲を見た。その向こうには確かに太陽があるはずなのに、今は太陽の光が雲の向こうにあるのかさえ怪しかった。


「晴れてくれたらよかったのに……いつもこうだ……」


 朝顔をクラスのみんなで育てることになってから、水やりの番がカスミに回ってきたのはこれで三回目だ。

 そして、その三回とも、雨が降り、彼女が朝顔に水をやる機会は一度もなかった。いつも彼女はそうだった。運動会もピクニックも、お出かけも水やりも、彼女がわくわくしていると決まってそれを台無しにするために雨が降る。

 そのせいで、朝から彼女の学校へと向かう足は止まっていた。


「雨、止んでくれたら、学校行くのに……」

「止んでほしい?」


 ふと、後ろから少年の声がして、カスミは振り返った。相変わらず赤い傘のせいで視界の上半分が赤色に染まっていたが、彼女が傘を傾けると、彼女の十メートル後ろに同じくらいの背の高さの少年がしゃがんでいた。白い服にサスペンダーに短い茶色のチェックのズボン。まるで、どこかの国のおとぎ話に出てきても場違いじゃない服装に茶色のランドセル。その少年の顔は身体を覆うようにしゃがんだ少年の肩に被さっている青い傘のせいで、どれだけカスミが傘を傾けても見ることができなかった。


 止んでほしいかと少年が自分に聞いていると一瞬勘違いしたカスミだったが、しゃがんだ少年の視線の先に、雨宿りをしている子猫が二匹いるのが見えた。黒と白のまだら模様の兄弟猫二匹に彼は聞いていた。

 二匹の子猫が「にゃー」と鳴くと、傘ごと頷くみたいに、青い傘が揺れた。


 カスミはしゃがんでいる少年から目を離せなかった。


 少年がポケットに手を入れると、すぐに彼は小さな丸い何かを二つ取り出して、両手で一つずつ握った。

 ビー玉みたいに透明だけど、卵ぐらいの大きさと形をしていて、透明の中に青色の弾けた光が閉じ込められているような石が、少年の両手にはあった。少年はその透明な石同士をカツン、カツンと二度ぶつけた。


「空を見てて」

「空?」


 彼が自分に話しかけていないと分かっていても、カスミは赤い傘を大きく後ろに傾けた。不思議と雨粒は顔に落ちてこなかった。

 じっと空を見ていると、周りに落ちてくる雨粒の量もだんだんと減っていって、分厚い灰色の雲がゆっくりゆっくりと間を開けるように両側にずれていった。開いた隙間から、太陽の光が差し込んで、カスミの頬が緩む。


「すごい、すごい! 魔法みたい! ねぇ、魔法使ったの⁉ 私にも教えて!」


 興奮気味に赤い傘を揺らしながら、カスミが少年へと視線を戻すと、そこには透明な石を持った青い傘の少年はいなかった。雨が止んで、雨宿りをやめて道を歩き出した子猫二匹以外、誰もいない路地にカスミの「あれ?」という声だけが響く。


「今の……まぼろし、のわけないよね……?」


 周りを見ても、青い傘は見当たらない。


 カスミは、しばらくして「あっ、学校!」と自分が登校中だと気づくまで、青い傘の少年を目で探していた。

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