第1話 拉致


 私、白井しらいユキは都内の高校に通うごく普通のJKだ。通っている高校は偏差値60で進学校と呼ばれる部類になる。とはいえ、みんなバチバチに勉強ばかりをしている生徒ばかりというわけでもない。部活もそこそこ活発だったし、バイトをしている子もおしゃれをしている子もいる。男女比はちょうど半々くらいで、この学校を卒業した先輩たちはみな「青春だったね」と口を揃えていうような学校だ。

 その言葉の通り私も青春を謳歌している。


「おはよう」

 教室に入れば女の子の数人が声をかけてくれる。校則はあるけれど、髪を染めている子がほとんどだし、化粧も堂々としなければ見逃してもらえていた。

「あ〜、ユキ。今日はデート?」

 友人たちが私の顔を見て揶揄うように言った。

「えへへ、バレた?」

「バレバレだよ〜。だって、いつもはすっぴんでポニーテールなのに……今日は巻き下ろしのハーフアップに新作の粘膜リップ。マスカラもトレンドのカラーじゃん」

 そんな話をしているとドアがガラガラと音を立てて開いて、体の大きな担任教師が入ってくる。チャイムが鳴る3分前。浅田先生はいつも早い。

「お前ら〜、今日は抜き打ちの持ち検があるからな〜」

 持ち検というのは持ち物検査の略で、朝のホームルーム中に生活指導の先生がやってきて生徒たちのカバンの中をチェックするのだ。無論、学校に関係のないもの……例えば化粧品やイヤホンなどが見つかれば没収され、放課後に生徒指導室で1時間の指導講義を受けることになる。

「まじかっ」

 私はカバンの中に潜ませてきたデートのための諸々(香水、化粧品)を慌てて教室の後ろにあるロッカーにしまう。

「先生サンキュー」

 と声を上げたのはクラスの中心人物で学校1のギャルの横田セリナだ。横田さんは「横田組」と呼ばれる1軍ギャル集団のリーダー的存在で、ギャル向けファッション雑誌の読者モデルとしても活躍している。彼女に憧れている後輩も多いらしい。

「今日の休み連絡は……黒瀬だけか。中川はどうせ遅刻だろう」

 先生の声を背中に聞きながら、私は近くのロッカーに私物を詰め込む横田さんをちらっと横見する。ギャル仲間たちと黒瀬ヨナの空っぽのロッカーにヘアアイロンやら大きな鏡やらを突っ込んでいる。ヨナのロッカーの扉の裏には彼女たちが油性ペンで描いたであろう「死ね」という大きな文字が痛々しい。

「どーせ、こいつ来ないからいいっしょ」

 クスクス笑うギャルたち、私はさっと自分のロッカーを閉じると席へと戻った。先生はとっくに出席確認を終えて、職員室へ戻る準備なのか書類の整理をしていた。

 私はふと窓際の一番前の空席を眺める。だいたい中央に位置している私の席からは少し遠いあの席に座っていたのは黒瀬ヨナという綺麗な女子生徒だった。

 ヨナは私の幼馴染だ。凛としていてミステリアス。大きくてきゅっと吊り目な彼女は美人でおとなしくて、それでいてとっつきにくい感じが黒猫のようだった。ヨナとは小学生の頃から同じ学校に通い、家も近いので毎日登校をしていたっけ。でも不思議なことに同じクラスになったのは高校2年生になった今年が初めてだった。

「おーい、全員座ったか?」

 先生が珍しく大きな声を出した。普段、勝手に出席確認をしたら朝のホームルームは早めに切り上げるのに。

「すんませーん、遅れました!」

「こら、中川! 遅刻だぞ」

「昨日、遅くまで勉強しててさっ」

「まったく、次はないぞ」

 ボサボサの頭で教室に滑り込んできたのは中川ハヤト《なかがわはやと》だ。

「あっ、ユキ。おはよ」

 ハヤトは私とみると頬を少し赤くして目を逸らし、教室の後ろの方にある彼の席へと向かった。

「ヒューヒュー!」

 周りは冷やかすようにハヤトを囃し立て、私のそばにいる女友達たちも私を冷やかした。ハヤトとは付き合って半年ほど。私が1年のころからの片思いを実らせて……。

 私はふとヨナの席が気になって視線をやる。

「こらこら、お前ら。今日は大事な知らせがあるんだ。しずかに」

 ブーブーと文句を言う生徒たちを視線で黙らせると、先生は深いため息をついた。大事な行事はまだ先だったはずだけど……。え、まさか、そんなことないよね?

 私はふと嫌な予感がしてもう一度ヨナの席を眺める。横田さんたちにいじめられて不登校になったヨナ。私がいくらメッセージをしても既読がつかないままだった。まさか、そんな……ことないよね?

 先生は暗い表情を見せると

「今朝、校庭のウサギ小屋あるだろう? 生物部が飼育しているウサギと鶏が数羽いるあれだ。あそこのウサギと鶏が惨殺される事件があった」

 私はホッとして誰にもバレないように息を深く吐いた。ヨナにまさかのことがあったんじゃないか、なんて勘繰ってしまった自分に罪悪感を覚える。

 教室の中は予想外の知らせにザワザワとしている。

「変質者? サイコパス? 怖いね」

「え〜、私、ウサギ飼ってるからこういうのめっちゃショック」

「生物部の子たち可愛がってたのに……」

「サイコパスは動物で練習して次は子供、女性ってエスカレートするらしいよ」

 先生が生徒たちのザワザワをやめさせるようにパンパンと強く数回手を叩いた。

「はいはい、怖いのはわかるが先生たちは警察と連動して登下校の時間はパトロールを強化することにしたからな。不審者や変質者の可能性もあるし、お前たちもアルバイトで遅い時間になる場合は保護者の方に送ってもらうようにするなどしろよ」

 私はヨナの訃報じゃないことで安心していてやけに冷静になっていたからか、怖いとは感じなかった。

(だから、こんな時期に抜き打ちで持ち物検査……か)

 不審者かもなんて言っているけど、先生たちは私たちの中に犯人がいるかもしれないって思っているんだろう。なんて少し冷めた目線で私は先生を見ていた。

(浅田先生って絵に描いたような爽やか熱血教師で逆にちょっと嘘くさいんだよな)

「で、今日は緊急で半日授業になるからな。明るいうちに帰れよ」

 歓声は上がらなかった。流石に、動物たちが殺されているのに半日授業を喜ぶような人はいなかったみたいだ。


***


 半日授業が終わり、無事に持ち物検査も突破して私は昇降口でハヤトを待っていた。彼は先生からの頼まれごとで少し遅くなるとのことで私はスマホをながめている。

 ヨナからの返信はない。ヨナが学校に来なくなってもう数ヶ月。私は彼女の幼馴染で親友だったのに何の力にも慣れていない。

 

<ヨナ、大丈夫?>

 とメッセージを打っては送信せずに消す。なんと声をかけたらいいんだろう? 

<ヨナ、無理しないでね>

 これも違う。ヨナは無理し続けて限界になってしまったんだ。


「お待たせ〜」

「ハヤト」

 私はメッセージを送らないままスマホをポケットにしまうと彼に手を振った。中川ハヤトは学年一番のモテ男でバスケ部の次期キャプテン。中学の頃から同じ学校に通っていたが、同学年女子の憧れ的な存在の男子だ。そんな彼が私と付き合ってくれたのは奇跡に近いけれど、すごく嬉しくて幸せだ。

「ウサギの事件さ、物騒だなよな」

「怖いね……」

「うちも姉ちゃんいるし、一応連絡しとこっと」

 ハヤトには少し歳の離れたお姉さんがいる。一度会わせてもらったことがあるが、ふんわりした優しい雰囲気ですごくいい人だった。確か、大学を卒業して公務員をしていたはず。

「今日、カフェで勉強する?」

「せっかくのデートなのに、勉強かぁ。まぁでもテスト近いし、俺ら来年受験だもんな」

 ハヤトは口を尖らせると大きな革靴を置いて上靴から履き替える。バスケットボールを片手で掴める大きな手、何もかもがかっこいい。

「ハヤトとなら楽しいよ」

「ほら、手。行こうぜ」

 振り返って差し出される手を握って、私たちは校舎をあとにした。彼の楽しそうな横顔を見ながら私の心には小さなモヤモヤが宿ったままだ。

 本当だったら、ここにいるのは私じゃなくてヨナだったのかもしれない。私とハヤトとヨナは3人で仲が良かったから、ハヤトが選んだのがヨナだったら……? ううん、そんなことない。ハヤトは私の告白に「嬉しい」と答えてくれたんだ。自信を持たなきゃ。

 私はヨナに感じている劣等感を振り払うように彼の手をぎゅっと握って体を寄せる。彼は「ユキは甘えん坊だなぁ〜」なんて照れ隠しに笑った。

 学校から出てしばらく歩いたあと、駅を背にして少し離れた落ち着いた場所のカフェに向かう。隠れ家的なカフェで確かハヤトのお姉さんのおすすめだからか、高校生はほとんどいない。ほとんどがおとなしい大学生で勉強をしたりPCを操作している人が多くて、おすすめの甘いハチミツカフェオレが美味しい。

「ハヤト、今日は送ってくれる?」

「おう、変質者にあったら大変だしな。そもそも、親御さんを心配させたらいけないし、今日は夕方で切り上げよーぜ」

 寂しいけど彼の言う通りだ。ウサギを惨殺するなんて本当にヤバイ人だろうし、生きていればデートはいつだってできるし。今日は少し早めにおうちに帰ろう。

「うん」

 私は大好きな彼を顔を見上げると、ぐらんと体揺れる感覚に襲われた。

「えっ」

 目の前の彼は目を見開いて、ぐらんぐらんとくづれ落ちる。私は揺れる視界の中でがっしりと体を掴まれて車に押し込まれるのを感じた。


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