第53話 斃せない敵

 実戦とは、常に理不尽なものである。

 力、速さ、技量、間合い、感覚器、身体構造、知能、体力、怪我、病気、地形、気候、時間――それら勝負を決する要素の全てで自分が優位に立つことなどまずあり得ないし、時に大きな不利や不足を抱えて臨まなければならない。


 牛頭ゴーシールシャほどのパワーとスピードもなく、

 ハイドロスライムの時みたいな地形の不利もなく、

 ツィルニトラのように適性のない空中戦を強いられることもない。


 ――それでも、芦原は間違いなく苦境に立たされている。

 その原因は敵対する双の大猿ではなく、彼自身に存在している。つまりは、道中での疲労とヴィスペルの攻撃による負傷だ。


「参ったな……!」


 前方の個体が口から吐き出す冷気を、魔術で断って道を作る。

 本調子であればこともできただろうが、今の彼のコンディションでは咄嗟にそこまで練り上げることは難しい。精神の乱れは魔術の乱れに繋がり、であれば肉体の不調によってそれが引き起こされるのは言うまでもないだろう。


 一息でも吸い込めば肺が凍るであろう冷凍ブレスを凌いだ芦原だが、安堵するには至らない。

 敵は二体。片割れが前に立つ以上、もう一方が死角から機を窺っているのは明白であり、


『ホオオオオオオォォォォォォ!!!』


 咆哮と共に背後から迫る大猿の巨腕。

 その大振りの一撃を避けるのは容易で――それ故に、これもまた布石に過ぎない。


 氷の息吹を放った個体が、すでに拳の間合いまで迫っている。

 前後にしろ左右にしろ、双方向から挟まれれば対処は容易じゃない。特にこの二体一対の魔物は、思考や知覚を共有しているのではないかと思えるほどに連携の精度が異常だ。


 芦原にしてみれば、近接戦闘それ自体は悪い展開じゃない。防御の手段に乏しい彼にとっては、長射程の遠距離攻撃や肉体の強化では防げない炎や雷などの攻撃に晒される方がよほど恐ろしい。

 そしてだからこそ、今の芦原は迂闊に動けない。攻撃のために断裂の魔術を使ってしまえば、防御の手段を失ってしまう。肉体も魔術も明確にパフォーマンスが落ちているこの状況で、それは致命的な隙を見せるにも等しい行為だ。


 ――それでも、


「ふッ――!」

『ウギイイイィィィッ!?』


 芦原は攻めに転じた。どうせこのまま温存していても、手数で削り殺されるのは目に見えている。

 一刀で前方の個体の左の腕と脚を同時に断ち、後方の個体が繰り出す打撃を跳躍して避けると共に、そのまま前方の個体の首元に飛びつき、


「――っ、と!」

『グ、オォ……!』


 その首に七支刀を突き立てると、自身ごと一周する形で頭を落とした。

 頭を失った身体を足蹴にして大きく跳び、迫るもう一体の大猿に頭を投げつける。それはいとも容易く払われて動揺の気配もないが、敵の数が減ったことで一転して芦原が有利となる――はずだった。


「……やっぱり、これじゃダメか」


 そう呟く芦原が目にするのは、生物の常識を覆す光景だった。

 生命にとって最も重要な部位の一つである脳――それを失ったはずの大猿の死骸、その傷口がボコボコと膨らんだかと思えば、腕と脚、それに頭までもが新しくのだ。


 それはつい先程、大猿の一体を縦に裂いた時にも起きた現象だ。

 芦原がこの世界セインフォートに召喚されて以降、彼にとって強敵と呼べる魔物は全て再生能力を有していた。だから当然、手足の一本や二本を落としてもすぐに再生されるくらいなら想定内だった。


 ――だが、この大猿は死んだ後で肉体を再生させ、蘇る。

 いいや、厳密には死んでいないのだろう。そもそも魔素溜まりダンジョンの主が二体いるというのが通常では考えられない事例であり、であればこの二体は本質的には一体なのだ。二体で一つの個体であるが故に、片方が生きている限りもう片方が死ぬこともなく、倒すには二体を同時に仕留めなくてはならない――と、考えるのが普通だ。


 もちろん二体どころか三体も四体もいるかもしれないし、大猿はあくまで手足のようなものでそれを操る本体がいる可能性もある。

 だが、どうせ芦原がすることは一つだ。敵の正体にいくつもの可能性があり、それを特定できないのであれば、後はもう虱潰しに殺しの手段を試していくしかない。


「っく、はぁ……!」


 ……問題は、それまで体力が保つかどうか。

 負傷のせいで弱った芦原の身体は、着実に限界へと近づいている。この体調コンディションで猛攻に晒されながら逆襲の一手を打つとなると、あまり余裕はないだろう。


 自らに迫る死を予感しながら、しかし芦原の意気が折れることはない。

 死ぬ覚悟など、元の世界にいた頃からとっくにできている。それに何より、恐怖に身を竦ませるとか、絶望的な状況に自棄になるとか、そんなを持ち合わせているような人間じゃない。


『『ギャイイイイイイィィィィィィッッッ!!!』』


 威嚇するような雄叫びと共に襲い来る、強大なる魔物。

 それを前に、芦原はさらに戦意を滾らせるのだった。











「――――ん、ぅ…………」

「お、もう目を覚ましたのか」

「…………っ!!」


 飛び起きる。

 状況は――覚えている、はず。ヴィスペルさんが師匠を襲い、止めに入ったわたしは魔法か何かで眠らされた。


 周囲を見る。すでに魔素溜まりダンジョンから出ていたようで、わたしたちが荷物を置いていた場所にテントを広げてその上に寝かされていたようだ。

 日はまだ高い。わたしが眠ってからほとんど時間が経っていないか、それとも丸一日寝ていたか。後者ではないと信じたいところだけど。


「心配すんな、まだ三十分も経っちゃいねえよ。……ま、お前の師匠が死ぬには十分な時間かもしれないけどな」


 近くの岩場に腰を下ろすヴィスペルさんは、ニヤニヤとわざとらしい笑みを浮かべて言う。


「十分な、時間……?」

「傷は負わせたし、逃げられなくしておいたからな。後は魔物と戦って勝手に死ぬだろ」


 あっけらかんと言う、彼女の言葉の意味がわからない。

 今までも不可解な行動は多かったが、は特にそうだ。そしてきっと、彼女自身もそれは理解しているはず。


「どうして――ですか?」

「言ったろ、お前にゃ関係ないって。私がリコーを殺す理由なんて教える必要も――」

「違います。……そうじゃなくて」

「――あ?」


 わたしが遮ると、彼女の笑みが消えた。

 困惑と苛立ち――それを同時に顕わにするヴィスペルさんに、わたしは立ち上がって問う。




?」




「――――、はあ?」


 怪訝な顔を見せる彼女だけど、わたしの問いの意味がわからないはずがない。

 だって今のヴィスペルさんの行動は、これまで彼女の語った言葉と明らかに矛盾しているから。


「……なあマリア、話聞いてなかったのか? それとも、仲間意識でも芽生えて正常な判断ができていないのか? 私はリコーを魔物に襲わせて――」

「でも、殺さなかった」


 わたしの言葉一つで、彼女の反論は封殺される。

 それはつまり、わたしの言うことに思い当たる節があるということ。やっぱり彼女は自覚して、けれど目を背けているだけなんだ。


「『後は勝手に死ぬ』? あなたが本気を出せば、反撃できない師匠を殺すことなんて造作もないですよね。仮に師匠が抵抗したとしても、臆するような人じゃないでしょうに」

「……その言い分だと、リコーに死んでもらいたがってるように聞こえるぞ」

「ヴィスペルさんは逆ですね。師匠に死んでほしいと口では言いながら、適当に手傷を負わせて放置するだけでトドメも刺さないなんて。とても殺す気があるとは思えません」


 例えば初撃の魔法――あれは爆発の威力こそ高いけれど、弾速はそれほどでもなかった。だからこそ師匠は咄嗟に回避してダメージを抑えられたんだろうし、逆に言えばもっと殺意の高い攻撃を出されていたらそれで終わっていたかもしれない。


「心が定まっていれば人殺しに躊躇いはないと、殺したい相手は必ず殺すと、あなたはそう言いました。であれば師匠を殺さないのは、迷いがあるからじゃないんですか」

「やたら食ってかかるな。――焼かれたいのか?」

「っ……いい、ですね。生意気が祟って身体を焼かれるなんて、貴重な経験を二度も味わえるなんて」


 臆する心を奮い立たせて、毅然とした態度を崩さない。

 ――彼女が力でわたしを黙らせようとしているのは、それが自分にとって都合の悪い事実だからだ。


「ヴィスペルさんが何を考えて、どんな理由で師匠を殺そうとしているのかは知りません。ですが、それをあなた自身が納得できていないことはわたしにだってわかります」


 殺人という行為についての是非は、この際関係ない。それに付随するわたしの感情も、彼女にとっては何の意味もないだろう。

 けれど自分自身のことであれば、さすがに無視はできないはず。一時的に蓋をしたとして、それを何年も後になって後悔しないとも限らない。


「人間は自分のやりたいことしかできない――そうですね、その通りだと思います。だからこそ、あなたは師匠を殺せなかった。殺したいけど殺したくない、その矛盾がこれまでの中途半端な行動に表れている」


 ――マリアわたしには関係のない話だと、彼女はそう言った。

 もし彼女の目的が、最初に語っていたように未知の力まじゅつの正体を突き止めることにあるのなら、同じ能力ちからを持つ可能性のあるわたしを無視するのはおかしな話だ。おそらくあれは建前で、ヴィスペルさんは最初から師匠に狙いをつけて接触してきたんだろう。


「――師匠を助けてください」


 彼女のことはわからない。けれどわたしを盾にも人質にも利用しなかった以上、目的のために他者の犠牲を善しとする性格じゃないのは確かだ。そんな高潔さを持ち合わせている人なら、中途半端な覚悟で人を手にかければ一生思い悩むことになるかもしれない。


「今から急いで戻れば、まだ生きているかもしれません。師匠と、そして自分と向き合わないまま殺してしまえばきっと後悔します」

「ハ――結局はそれが本音か? 自分じゃリコーを助けられないから、私を利用しようって」

「そう見えますか?」

「見えないから困ってんだ。――なあ、他人ひとに言われて一番腹立つことが何か、わかるか?」


 わたしの言葉が影響を与えたのか、ヴィスペルさんは岩場から降りてこちらに歩み寄ってくる。

 その様を真っ向から見据えて、彼女の問いに答える。


「……事実、それとも正論でしょうか」

「どっちも近いが、少し違う。答えは――」


 わたしは相手から目を離さなかった。後ろ暗いことなど何もないから。

 なのに彼女は、一瞬の内にわたしの視界から消え失せると、


「――図星、だよ」


 身体が浮く。

 強い力で放り投げられたと、そう気づいたのは宙を舞う最中だった。


「が、ぁっ――!?」


 そのまま落下して地面に叩きつけられた。魔術師としての能力ちからが完全に失われていたら、あるいは死んでいたかもしれない。

 痛みに悶えながら立ち上がろうとするも、それより早くわたしの周囲を魔法の防壁が囲った。守るためじゃなく、閉じ込めるために。


「ああそうだ、マリアの言い分は全て正しい。私はリコーを殺したいが、同時にヤツを殺すべきか迷っている。事を始めてしまえば覚悟も決まるかと思ったが、さすがにそう上手くはいかなかったな」

「だったら――!」

「そんな私の思いを偉そうに指摘されて腹が立ったから、タダでは協力してやらん。人に指図するなら、まず自分の実力を示すことだな」


 なんて大人げない……!


 ――いや、そんなことを言っている場合じゃない。正直言うと全く想像できないけれど、早くしないと師匠がやられてしまうかもしれない。

 ヴィスペルさんはきっとまだ迷っている。だから自分以外の何か――この場合はわたしを言い訳きっかけにして、自分の行動を決めようとしている。


「さあ、来いよ――お前の本気で、私の迷いを凌駕してみせろ」


 そう口にする彼女は、まっすぐこちらを見ている。

 薄く笑みは浮かべているが、その瞳は真剣そのものだ。冷淡にこちらを睨みながら、同時に期待の色も窺える。


 つまり、師匠の命はわたしに懸かっている。

 いや、師匠だけじゃない。その命が失われれば、ヴィスペルさんにも悪影響を及ぼす可能性もある。二人の人間を救えるか否かが、わたしによって決まってしまう。


 そんな重荷を背負わされた上で、わたしは思う。

 ――いいや、思い知らされる。 




「ああ――なあんだ」




 

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