ハズレスキルの持ち腐れ ~異世界でクラスメイトに見捨てられたおかげで全力が出せます~

安部A太

第1章 勇者に非ざるモノ

第1話 日常から非日常へ

 ――この世の中は、低俗なもので溢れている。

 安い道具、不味い食事、つまらない娯楽――そんなものばかり蔓延るのは、結局のところそれを肯定する人間がいるからだ。低俗でもいいと、卑賎でもいいと怠惰に生きる有象無象の愚図共が、この世を加速度的に腐らせていく。


 ……いいや、違うな。ほとんどの人間は、正しい審美眼を持っていない。未熟な感性と浅はかな知見によって、石ころを宝石と見間違えるような奴らばかりだ。

 かつて世間で流行した事物の大半は、支持者が多いから良いモノのように見えていただけのハリボテであり、その支持者もまた単に流行に乗って推していただけの尻軽に過ぎない。痴愚の群れマジョリティが幅を利かせる、民主主義の不合理がわかる好例だ。


 だが、逆に好機でもある。

 同年代の人間が部活だ遊びだと、くだらないことに人生を浪費している間、俺は将来のために時間を費やす。勉学に励み、社会経験を積み、人脈を構築する――あくまで高校生の真似事だが、少なくとも周囲の一歩先を行けることには違いない。


 ――これは自慢だが、俺という人間は極めて高水準だと自負している。世界に誇れるほどの一芸を持つわけではないが、容姿に優れ、知能も高く、運動にも秀でている。性格は清廉潔白とは言わないが、清濁併せ呑むとでも言えば聞こえは良いし、馬鹿共を欺く演技など造作もない。

 周囲の人間、特に男は俺に嫉妬の感情を向けるが、その暇を自己の研鑽に使えば多少はマシになるだろうに。自らは何一つ労さず、他者の失墜による地位向上を願うなど何様のつもりだろうか。


 とはいえそんな俺でも、万事が万事成功するとは限らない。

 否、自分に見合う挑戦をすれば、自ずとハードルは高くなる。だからこそ、越えた時の達成感は性交なんかよりよほど快感だ。


 その、今の主な挑戦というのが、


「――それにしても、田中先生にも困りものよね。いきなり自習だなんて」

「仕方ないさ。教職ってのは多忙で、心労も多いだろうからな」

「それはそうだけど、私は神仙しんせん君ほど大人にはなれないわ」


 隣で並び歩く彼女――海藤かいとう莉奈りな彼女モノにすること。

 そのために、学級委員なんて面倒事を引き受けてまで接点を作ったんだ。機嫌が悪い時や迷惑がられている様子でもない限りは、積極的に話さないと意味がない。


「まだ高校生なんだから、急いで大人になろうとしなくていいんじゃないか?」

「そう? 神仙君くらいちゃんとしてる男の子からすると、私たちなんて幼稚すぎてもどかしく思うこともあるんじゃないの?」


 まさしくその通りだが、それを認めてしまえば彼女に嫌なヤツだと思われるだろう。少なくとも、今はまだ本音を隠しておく必要がある。


「買い被りだ。俺だって、人のことをとやかく言えるほど立派じゃない」

「そうやって自分を客観視できてる時点で立派だと思うけど」

「そんなことないって」


 笑みと共に優しく否定しながら、横目で彼女に視線を向ける。


 長い黒髪は艶やかな光を帯び、ふわりとフローラルな香りを漂わせている。

 大人びた美貌は特に切れ長の目が印象的で、怒ると怖いからこそ笑った時の可憐さが際立つ。

 長身でスタイルもよく、手足は長く細い反面、胸や尻は女性らしい丸みで男たちの目を惹きつけている。


 成績優秀で責任感が強く、人望も厚い。ただ真面目すぎるが故か、ちゃんとしていない相手に対しては当たりが強くなることも多い。それが理由で一部の男子からは疎まれているが――まったく愚かすぎて言葉も出ない。

 男の言うことに簡単に従うような、頭の悪い女が重宝されるのはの時だけだ。交際相手として考えるなら、彼女くらいしっかりしている方がいい。ウチの学校は全体的に女子の顔面偏差値が高いが、恋人にしていいと思えるのは彼女だけだ。


 とはいえもちろん、欠点が何一つないはずもなく。


「――もう、また騒いでる……!」


 授業中の静かな廊下にまで響く喧噪――それがウチのクラスから聞こえていることがわかると、海藤がプリントの束を抱えたまま走り出す。

 それに追従して、教室の様子を目にすると同時に彼女の怒鳴り声が響いた。


「貴方たち、何やってるの!!」


 彼女が怒りと共に見据えているのは、クラスメイトたちが距離を取っている教室中央の席。

 そこには一つの席を囲う複数の男子と、その席に座る一人の男子がいて、


「海藤、何してるって見りゃわかんだろうが」


 答えたのは、囲っている男子の一人。大柄で、下卑た笑みを浮かべる下品極まりない男。

 大河原おおかわら厳一げんいち。このクラスの――いいや、この学園きっての問題児だ。


「この芦原あしはらクンが、自習の邪魔をしてくるからよォ。人に迷惑かけるのはいけないんだよって、そんなヤツはさっさと学校から出て行ってくれって、そう教えてやってんのさ」

「邪魔してるのは貴方でしょ!? いっつも彼に難癖付けてひどいことしてるじゃない!」

「おいおい、言いがかりはよしてくれよ! オマエ、オレが何かやった瞬間を見たのかよ、あァ?」


 大河原は教室中を見回し、クラスメイトたちを視線で射抜く。……彼らを脅すかのように。

 大河原の親が方々に顔の利く権力者であることは周知の事実だ。敵対すれば報復されると、そう思わせるために当人が言いふらしたのだから。


「なあ、オマエら! オレの言ってることが正しいよなァ!?」

「はーい、芦原がいきなり頭おかしくなったのアタシ見てましたー」


 ケラケラと笑いながら大河原の問いに是を返すのは、イジメに同調する女子生徒の一人。それ以外のクラスメイトは、問題事への関わりを避けるように目を逸らして肯定も否定もしない。


 ――どいつもこいつも、見下げ果てたクズばかりだ。


「いい加減にしろ、大河原」

「チッ、神仙……」

「お前がいつまでもそんなことを続けるようなら、こっちだってそれなりの対応をするぞ。お前らのくだらない行動を証拠として残す手段なんて、いくらでもあるんだからな」


 というか、二年になってすぐの時点で教室で行われていたイジメを撮影してある。俺に盗撮の趣味はないが、馬鹿に絡まれた時のための保険は必要だろう。俺がその気になれば映像がSNSで広まるとも知らずに、能天気に痴態を晒している様は滑稽としか言いようがない。


「わかったらさっさと席に戻れ」

「……クソが」


 悪態をついて自分の席に戻る大河原。高校生にもなってガキ大将を続けているような馬鹿の相手など楽なものだ。

 よりも、俺にとって不快なのは海藤の態度だ。悪を見過ごせないのは褒められるべき美徳だが、誰にでも手を差し伸べるのは愚者の所業だ。


「芦原君、大丈夫なの? すごい臭いだけど……」

「ん――海藤さん。ああ、うん、全然平気」

「そう? でも、さすがにこのまま授業を受け続けるわけにもいかないし、シャワー室を借りて身体を洗った方が――」


 などと彼女が世話を焼いているのは芦原あしはら理巧りこう

 やや背の低い、なよっとした印象の男で、何をするにしても覇気がない。腐った牛乳を頭から浴びせられて、言い返すこともできず俯くだけの腰抜けだ。


 ――たまに『イジメられる側にも原因がある』などと言う人間がいるが、俺の考えは逆だ。『被害者に悪いところがあるからイジメられる』のではなく、『イジメられている事実そのものが被害者の悪いところ』なんだ。

 イジメられる側がやり返せないから、イジメる側が増長し、より悪質になっていく。耐え忍んだり逃げたりしたところで、救われるのは被害者だけで加害者は反省などしないしむしろ味を占めることだろう。テロに屈した国家が非難されるのと同じように、イジメられてなお毅然とした態度を取れないような惰弱な奴は責められて当然だ。


 芦原理巧という男が、まさにそれだ。

 こいつが大人しくイジメられているせいで、大河原やその取り巻き連中が調子に乗り、クラスメイトの被害はともかく俺や海藤がその対応に追われる羽目になっている。優秀な人間の足を引くことしかできないクズや無能など、さっさと死んで地球資源の節約に貢献する以外の活用法などないというのに。


 海藤は優しすぎる。芦原や、何なら大河原すらも彼女にとっては助けるべき相手だ。『罪を憎んで人を憎まず』と言うように、悪行は厳しく糾弾すれども悪人に対する強い嫌悪や忌避感は見えない。

 だからこそ、その思考はいずれ矯正しなければならないだろう。救いようのない人間、救う価値のない人間がいることを教え、時間や労力の浪費を避けるようにならなければ、俺の隣に立つに相応しいとは言えないのだから。


「――はい、全員席に着けー。自習のプリント配るぞー」


 言いながら、教壇からクラスメイト達たちを見渡した――直後。




 教室の床が強い光を発した。




「は――?」

「なんっ――!?」

「きゃ――!?」


 そして、まともに悲鳴を上げる暇すらなく。

 俺たち綾成高校二年四組の生徒は、一人の例外もなくその光に呑み込まれた。











 ――光が止むと、そこは文字通りの異世界だった。


 大理石のようなもので囲われた、広く薄暗い空間。祭壇を思わせる台座と、そこに置かれた巨大な球体。居並ぶローブの男女と、煌びやかなドレスを纏う麗しい少女。


 理解ができない。意味がわからない。夢でも見ていると言われた方がよほど納得できる。

 だというのに、混乱する俺たちを急き立てるかの如く事態は進む。


「――ようこそいらっしゃいました、異世界の勇者様方」


 恭しく進み出たドレスの少女の、放った一言が俺の意識を大きく揺さぶった。

 。常識と現実との間に生じるあまりにも大きなギャップに、吐き気すら催しそうになった。


「わたくし、アルティエラと申します。――我がルーディス王国は、みなさまを歓迎いたします」


 少女の蠱惑的な笑みが、あまりに現実離れした可憐さで。

 ああ、やはりこれは悪い夢に違いない――と、そう思ってしまった。

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