五、ユウの嘘

 自分は嘘を付いた。

「何も願っていない」わけがない。誰よりも強く願った自負さえある。叶うはずがなくとも、滑稽であろうとも、願わずにはいられなかった。不謹慎ですらあったかもしれない。だから言えなかった。ケンが聞いたら「言っていいことと悪いことがある」と怒るだろう。タビですら眉をひそめるに違いない。

 今日はいなり様が言うところの三日目だ。サキは「花火大会に行こう」と言っていた。町内掲示板でポスターを見たらしい。

 午後七時から打ち上げが始まる。花火大会といっても、夏祭りの終わり三十分間で六千発ほど。夜空に騒々しく爆発が連鎖するような花火より、一発ずつ丁寧に咲くこの町の花火は自分にあっている。

 事件の後は、夏祭りに足が向かなかった。区画整理で立ち退きになり別の町に移り住んでからも(提示された移転先は測って切り分けた羊羹みたいな小綺麗さで土地が隣接していて、「狭っ苦しくてやってられるか」と父が激怒して新たに土地を購入したのだった)。

 サキが失踪したのは夏祭りの最中だった。大勢の人がいて、自分達と直前まで一緒にいたにも関わらず、誰の目にも触れることなくサキは姿を消した。

 秘密基地がある山(高くも広くもなく、ほとんど丘と言っていいし、遊歩道や駐車場もある)や、用水路やら川やらも捜索されたが(水辺を探されるのは可能性を早くも視野に入れているようで気分が悪かった)何の痕跡もなく、『ヒト族女児神隠し事件』は誘拐として捜査が進められた。

 父は「他の種族に関わるから危ない目に遭うんだ」と言った。自分が被害に遭ったわけではない、とは言い返せなかった。父は口答えを許さないし、羆族至上主義だった。「小物種族とつるむのは羆族の恥」と常に言っていた。何を言っても無駄だった。

 父を憎んではいない。大人になって分かった。父もまた言い聞かせられて育ってきたのだ。なにより、悪いのはヒト族でも、羆族以外と遊ぶことでも、それを咎める父でもなく、子供を拐った奴なのだ。

 父に内緒で捜索隊に志願したが、子供では相手にされなかった。神社で子供用の水色のスポーツサンダルが右足だけ見付かったと聞けば、早朝にランニングと嘘をついて神社に赴き一人で探した。引っ越すまで毎日。捜索隊が解散した後も。

 何も見つからなかった。まさに神隠しだった。かくれんぼの鬼が得意であろうと何の意味も無かった。

 日が沈むにつれて、屋台の白熱電球は輝きを増す。呼び込みの声が響き、鉄板から香ばしい匂いが立ちのぼる。夏祭りの雰囲気は、ほとんどが屋台によって作り出されていると思う。夏祭りでしか着ない浴衣、賑やかしのお囃子はやし、普段は埃を被っているであろう神輿みこしなんかは添え物でしかないのかもしれない。屋台が無かったらどれだけの人が集まるだろう。あまつさえ花火も無かったら。祭りとは、もはや神のものではなく人のものだ。

 皆と連れ立って屋台を回るが、気乗りはしない。事件と同日の夏祭りに自分達はいる(ケンもタビも気にしていないようだが)。一抹の不安、考えたくもない可能性が何度も脳裏をよぎる。

 サキの神隠しが再演されるのではないか。

 起こるはずがない。映画のフィルムを巻き戻したわけではないのだ。いなり様は自分達で願いを叶えるように言ったのだから、決められたシナリオに沿っているのではない。

 サキはここにいる。あの時みたいに過ちを犯さなければ、サキが離れる原因を作らなければ、連れ去られることはないはずだ。

 打ち上げ時間まであと数分。タビが神妙な顔で「あの、」と弱々しく言った。

「ケンくんとユウくんに、お話ししなければいけないことがあります」

 サキの名前は挙がらない。ふとサキの顔を盗み見ると、一瞬だけ寂しそうな表情をしてから、茶化すような笑みを浮かべた。

「また秘密の会議? 仕方ないなあ、みんなの焼きそば買ってきてあげるから、ちゃっちゃと済ませてよ」

 一歩踏み出したサキの腕を、咄嗟とっさに掴む。

「行かなくていい」

「ちょっと、痛いよ」

 ごめん、と手を引っ込める。力加減は昔から苦手だ。タビは困惑気味に眉を寄せ、ケンが「どうして」と非難するように言った。

「サキを一人にさせられないだろう」

「言いたいことは分かるけど、サキが気を遣ってくれてるんだから」

 気を遣ってくれているから、一人で行かせろと?

「お前、本気で言ってるのか」

「何を怒ってるの」

「怒らずにいられるか。忘れたのか、あれは夏祭りの日だっただろ」

「ちょっとユウさん」と口を挟んだタビにも腹が立った。

「自分達が原因じゃないか。くだらないことで喧嘩してサキを放っておいたから」

 タビの表情が悲痛に耐えるように歪んだ。冗談じゃない、むしろ泣きたいのはこっちだっていうのに。

「そんなむきにならないでよ。とりあえずタビの話を聞こうよ、ね」

 ケンは普段と変わらない温度で言った。子供をなだすかすように。なんて薄情な、と思った。昔のケンはこんな奴だったか。いや、もっと芯のある奴で、やけに正義感が強くて、真っ直ぐな奴だった。変な噂にまみれた余所者よそもののタビも、ヒト族のサキも、「放っておけない」と真っ先に受け入れた。自分は後に付いてきただけだ。それなのに。今ここにいるケンは、大人になったケンは、まるで別人のようだった。ケンの心のベクトルが分からない。こんなのは悔しすぎる。

 ケンの胸ぐらを掴んでいた。驚く様子も怯える気配も無く、やれやれといった具合に一つ溜息をついた。昂ぶった感情が鎮まっていくのを感じる。頭が冷えたからではない。これは、諦念だ。かつてのケンは、もう戻ってこないのかもしれない、と。

「サキちゃんがいません!」

 タビが張り上げた声で、ケンを解放する。一番近くにある焼きそばの屋台、並ぶ人々の列に、サキはいない。

 血の気が引いた。寒気がした。

 再演。また自分達のせいで。

「探そう」というケンの言葉を背に、足は既に動き出していた。

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