四、姉弟の遺伝子

 今日の夕飯は姉も一緒だった。

 なぜか姉の視線が突き刺さる。何を言うでもなく、観察するようにちらちらと。

「姉ちゃん、俺に何か言いたいことが……?」

 姉は答える代わりにギロリと睨んだ。さっさと食事を済ませて逃げるように自室に駆け込むとドアを叩かれた。コンコンではない、ドンドンドンドンである。

「どうしたの姉ちゃん」

「あんた誰」

「俺は、俺だよ。質問の意図が見えない」

「ケンじゃない。中身が別の人みたい」

 細かな変化に気付く嗅覚、正義感と誠実さは、犬族の特徴と言われる。言われているだけであって実際のところは人によるから当てにならない。血液型で性格を決めつけるようなものだ。もし遺伝子に刻まれているとしても、成長の過程で俺がとっくに失っているように、大抵の大人は嗅覚も正義感も誠実さも持ち合わせてはいない。少しでも残っていれば世の中はもっとマシなはずだ。

 ところが、姉は子供のときから人一倍鋭い嗅覚を持ち、大人になっても失われなかった。正義感と誠実さにあっても時に苛烈と思えるほどだ。

「何を根拠に」

「いつもと違っておとなしすぎる。玄関の靴が揃えてあったし、箸の持ち方が直ってた。言われる前に食器を流しに置いてた」

「成長だよ、成長。圧倒的成長」

「意図だの根拠だの難しい言葉を知ってるはずない」

「ばかにしすぎでしょ」

「姉ちゃんなんて呼ばれたこと無いし、ケンは俺って言わない」

 それは失敗だった。この頃の呼び方は、お姉ちゃんであり僕だった。

「何より、ケンの隠し事を見抜けなかったことなんか無い。私の弟なんだよ。しら切るつもりなら、思いっきりぶん殴る」

 姉は有言実行を座右の銘としている。つまり観念せざるを得なかった。「信じてもらえるとは思えないけど、」と前置きして洗いざらい白状した。昨日は投獄され、今日は暴力を盾に自白を強要されている。ただ、たとえ拷問されようともサキの失踪事件については伏せておくべきだと思った。目の前の姉のためだ。あんなに暗く沈んだ顔をしたのは、後にも先にもあれっきりだ。二度もあんな顔はさせたくはない。

「なるほどね」

「信じるんだ。俺でさえ半信半疑なのに」

「うん、嘘の匂いがしない」

 鉄拳制裁を回避して胸を撫で下ろすと同時に、かつて俺はどんな嘘の匂いを嗅ぎ分けられていたのだろうとぞっとした。

「でもさ、おかしいよね。最初から三日間も要らないはずじゃない」

 姉の言うとおりである。いなり様は願いを聞いた時点で分かっていたはずだった。

「大人に戻してくれなかったのって、誰かの願いが叶ってないからじゃないの」

「いや、そんなわけ、」

「例えば、本当の願いを秘密にしてる子がいるとか」

 はっとした。考えもしなかった。ふと、願いを訊ねたときのタビが思い起こされた。ありえるかもしれない。

 願いが無いと言ったユウが子供に戻るのもどうだ。タビの「子供のときの秘密基地にみんなで行きたい」という願いを叶えるなら、サキと同じく子供時代のユウがいればいい。大人のユウが子供に戻る必要は無い。

「それにケンは本当に願いが叶ったの? 子供に戻ったのは体だけって感じがするけど」

 首を傾げる俺に、姉はごまかすように言う。

「そういえば、将来の私ってどうなってる?」

「言っちゃっていいの、それ」

「……いや、やっぱりいいや。たぶん聞いても私の将来は変わらないし。私は私に嘘をつかないし、自分が正しいと思うことをする。大人になっても今のままだと思う。私は私を貫くのみってことよ」

 おどけて拳を突き出す姉を見て、なぜか泣きそうになった。自分に嘘をつかなくても大人になれる姉は、確かに犬族の遺伝子を持っている。

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