第2話 血塗れの硝子を片手に
頭が痛い。死にきれなかったのか。
もしそうならやり直すのがめんどくさいし、死後の世界とかもっとダルいからやめてくれよ。
風が吹きつけている。コンクリートのような質感が左半身に伝わってくる。
さっきまでいた部屋じゃない。それだけで目を開けるのが嫌になる。
「起きろ、起きろー!」
すぐそばで声がした。聞き覚えのあるような気がするが、どうしても思い出せない。めんどくさくて死んだふりを続ける。
「別にずっとそうしててもいいけど、少なくとも、そうやって寝てるより起きた方がマシだ。ここは死後の世界じゃないんだぞ」
仕方なく目を開ける。瓦礫の山と、ボロボロの道路が見えた。誰もいない。
前方はほとんど形の残っていない建物ばかりで、爆発の痕跡があちこちにある。戦争でもしてるのか?
何故か空がピンク色だ。日は高いから時間帯のせいじゃない。数秒の情報で、少なくともここは自分の常識が通用する場所じゃないと分かる。
どうか夢であれ。もう一度目を閉じようとするも、ここぞとばかりに声をかけられる。
「後ろだよ」
「ここで死んだらどうなる」
振り返らずに訊いた。
「異世界に来て最初に言うことがそれ?」呆れたような声が降ってくる。そいつは僕の顔を斜め上から覗き込んでいるらしかった。
臨死体験にしてはやけに肌に伝わる感覚がリアルだ。死後の世界なら「ここは死後の世界じゃない」なんて言わないだろうし、割と本気で異世界なんだろう。
死ねば元の世界に帰れるなら、今ここで舌を噛み切ってしまおう。
致死率は首吊りとは比べものにならないくらい下がるが、この場で、指一本動かさなくてもできる。
昔、生き埋めにされた男が舌を先端から少しづつ嚙み切っていって、大量出血で死んだという事例を何かで見た。
血が止まりかける度に切り口を新しくする。掘り起こされた死体からは細切れになった舌が出てきたらしい。なんかトンカツみたいだなとぼんやり思ったのを覚えている。
先端からなら、力がなくても。相当な苦痛が伴うだろうが、もう手段は選ばない。
周りに医療機関はなさそうだし、何より、こいつはきっと止めない。対面すらしていないが、なんとなくそう思った。
でも返ってきたのは現実味のない答えだった。
「死んだら生き返るよ。ここに戻ってくる」
「……は?」
「当たり前でしょ。キミをここに連れてきたのは私だし、キミのタイミングで帰らせるわけない」
「僕に何を求めてるんだ」
ダルくてしょうがない。何で首吊っただけでこんなわけ分かんない状況にならなきゃいけないんだ。舌嚙み切った方が数百倍マシだ。
「まずはこっち向いてほしい、かな」
仕方なく、頭だけを声のする方に回した。
言葉を失う。
猫だ。さして人間と変わらないサイズの黒猫が正座している。
目が合ったまま呆気に取られていると、そいつは照れたように笑った。
「ここの猫はみんな服着てるんだって。だから慌てて持ってきたんだけど。似合う?」
「いや……そんなサイズの猫が歩いてたらどの道普通じゃないだろ」
「そんなことないよ。試しに街に出てみようよ」
まさかこの世界の住民は全員そんな見た目をしてるのか。ここはどこだ。僕を連れてきた目的は? そもそも何者なんだ。この世界の住民か。何で猫が喋ってる? 訊きたいことは山ほどあったが、流れに呑まれて思うようにいかない。第一、
「動きたくない」
「いや、キミは必ず立ち上がるよ」
なぜか前足を伸ばしてくる。
嫌な予感がした。
「何するんだ」
「いいから」
本当はやめてくれと叫びたかった。なんでか分からないけど、ろくなことにならない気がする。逃げようにも、金縛りにあったように指一本動かない。
前足を額に押し付けられる。
何が起きたのか分からなかった。僕はいつの間にか知らない場所に立っていた。さっきの黒猫はいない。
そこは多分、元の世界にある墓地で、少し離れたところに墓の前で立ち尽くしている奴がいた。僕だ。墓の文字は、ここからじゃ見えない。
その僕は、ノートを開いたまま微動だにしない。分かるのは雪の中、泣きながらノートの中を見ているということだけだった。
何時間もそうしていたのだろう。服に雪が積もっている。
手先の感覚がなくなってきたからか、指の間をすり抜けてノートが落ちた。
幻のような何かは、そこで終わった。
僕は相変わらず壊滅した町の真ん中で転がっているままだ。
「……今のは、」
「3年後の未来だよ。キミが持ってたのは京花の遺書」
京花が遺書を残している。それが3年後に見つかるだって?
それに、こいつはなぜか京花のことを知っている。一体何なんだ。
起き上がって周りを見渡す。動くたびに頭痛が酷くなる。
異常な空の色、襲撃を受けた後の街、どこを見ても見覚えのない景色ばかりだ。
ここが異世界なら、雲の隙間に見える太陽だって、きっと僕が知っているものじゃないんだろう。
「キミのことも知ってるよ。
「お前なんなんだ。僕をどうしたいんだ」
「この世界で探し物を手伝ってほしいんだ。まずはこの街から出よう」
混乱している僕とは裏腹に、そいつは
「はっきり言ってキミの未来は最悪だ。それでも、
読みたいに決まってる。京花が何か意図を持って遺したものであれば特に。
早いところ元の世界に帰って、京花の遺書を探すしかない。
もう生きる気力がなくても、京花がそれを読んで欲しいと思っているのなら。死ぬのは読んでからでいい。
「あれは絶対に現実になるんだな」
「未来を変えようとしなければね。帰ったらここでの記憶はなくなるから、その心配もないけど」
「なら、なんで僕は3年も生きてるんだ」
「さぁ。未来じゃ今より気楽に生きれてるんじゃない? まぁ、せっかくだから観光でもしていこうよ。どうせすぐには帰れないんだし。私のことは、アオイって呼んで」
アオイは立って、服の砂を払う。改めて見ても、猫に洋服が似合ってるかなんて僕には分からない。
中高生の私服のような雰囲気のある、その目と同じ色の青いワンピース。意外と歳は近いのかもしれない。
その視線をどう捉えたのか、アオイは僕に笑いかける。
「同行者として、最期までずっとそばで見守ってるよ」
気にしていなかったが、首元に違和感がある。縄が巻き付いたままになっていた。外そうとするも引っかかってうまく抜けない。地面を探ると、手に大きめのガラス片が当たった。掴んでノコギリみたいに切り裂く。雑にやったから首と右手に裂傷ができて、血がにじんだ。
沁みるような痛みが、確かに僕がこの世界に生きているのだと教えてくれる。
切れた縄を投げ捨てて立ち上がった。
「行こう」
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