第4話

 大学のレポートはダメだった。世論が大きく覆るほどの傑作だと思ったのに。


 不貞腐れている翔太は本を取った。


 売れ行きが落ちてきている。賛否両論。編集者へも非難殺到。

 この本は蛯名 蝶が作った話を、従兄弟が書いた。そうあとがきにあり、そこから賛否両論になっている。

 そんなことで非難するな。もし従兄弟が書いていなかったら、今頃流されやすい大衆は忘れてただろ、蛯名 蝶のことを。



 ***


 最近、クリスティーヌに会えない。恐らく、週日は仕事をしているのだろう。あまり裕福ではないのだろうか……。


 ジャックは2度だけ会ったクリスティーヌの姿を鮮明に思い返した。


 彼女の瞳と美しさに目を奪われたせいで、服にはあまり目が行かなかったが、いい身なりではなかった。清潔にしようとしているのだろうが、裾はボロボロで、繕った跡も煤けた跡もあった。もとは毳々しい青だったかもしれない。


 空を見た。雲が浮かんでいる。


 また、クリスティーヌに会えるだろうか?


 *


 店番をしているクリスティーヌは、減りつつある人通りを見てから、空を見た。

 

 どんどん雲が大きくなっている。きっとこの後、雨が振る。早く帰って服を取り込まないと。早く売りきらないと帰れない。だから、当分帰れないだろう。


 クリスティーヌは大きくため息を吐き、無理やり笑顔を作ると呼び込みを始めた。

 瞬く間に客(主に男)が来た。

 雨が振り始め、更に人は疎らになったが、どうにか売り切れた。

 店を仕舞うと、クリスティーヌは家まで走った。


 服がかなり濡れていることに焦ったクリスティーヌは、自身も濡れていることに気づかず、服を取り込み始めた。

 

 その様子をドナルドは鋭く睨んだ。

「なんて役立たずだ。何をしていた?」

 クリスティーヌは震える手先を無視し、家の中に干し始めた。

「中々売れなくて」

「サボっていたんだろ?」

「いいえ。天気が悪かったため、客通りが少なくって」


 ドナルドはタバコの煙を吐き出した。

「嘘をつけ。他のことを考えていただろ。そういうのは顔に出る」

「そんな」

「一瞬でも他のことを考えなかったか」

「はい」


 ドナルドは持っていた酒瓶をクリスティーヌに投げた。

「全く。なんてやつだ。器量は悪い上に、怠け者で嘘つきなタダ飯食らいしかいない、とはな。クレアも可哀想にな」

 

 クリスティーヌは額から流れる血を拭い、頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。もう、二度と同じ様なことが起こらないよう、力を尽くします」

 ドナルドはクリスティーヌの髪を引っ張り、顔を上げさせた。

「何度目だ、その誓いは?誰がお前などを信頼するか。お前のような性格が悪い上に性根が腐っている女を」

「ごめんなさい」


 *


 ジャックはソファから立ち上がり、窓から星空を見た。


 もう、ずっとあそこに行き続けても仕方がない。

 彼女には迷惑だろうが、探そう。


 ***



 翔太は本を閉じ、呟いた。

「ストーカーかよ」


 ――クリスティーヌもジャックも、風変わり過ぎる――。


「もう読むのを止めよう」そう思いながら本を放った。

 無意識にスマホを取り、「蛯名 蝶の遺した物語 面白くない」と調べてみる。離脱した人が大勢いるようで、「読んでいて退屈」「甘ったる」「非現実的」「子供の妄想」と称されていた。


 翔太はスマホを閉じ、本を拾い直した。


 虐待が原因で死んだ少女なんだぞ。

 物語には人間の深層心理が隠されている。それを読み解きもせずに、離脱するとは笑止千万。それくらいのことも何故わからないんだ。

 彼女が何を望んでいたのか、彼女にとっての当たり前が何だったのか、彼女の叫び。それを聞きもせずに離脱するな。


 翔太は再び本を開いた。

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