ご注文その10 お帰りなさいませメイド様! って、ご主人様が待ってるんだ⁉

 昨日から降り始めた雨はとうとう本降りとなり、屋根を雨が打ち付ける音が室内に響いていた。

 マナ姉は寂しい気持ちになるから雨の音はあまり好きじゃないっていうけど、この音を聞いていると気分が和らぐから逆に僕は好みだった。

 しかし今日ばかりはマナ姉の意見に同意したいと思う。

 なにせただ雨音を耳にしているだけでこんなにも憂鬱な気分になるのだから。


「いてて……」


 椅子から立ち上がろうと力んだ拍子にみぞおちの辺りにズキズキとした疼痛が走る。

 ルインに膝蹴りを決められた箇所だ。

 約半日も経ってだいぶ痛みもマシになったけど、完全に引けるまではまだ時間がかかりそうだ。


「……はぁ」


 口を突いて勝手にため息が漏れ出る。

 とりあえずルインとのやりとりではっきりと自覚させられた。

 僕に冒険者は向いてないって。 

 同じ人間相手にすら怯えるような男が、どうして凶悪なモンスターと渡り合えるというのか。

 夢だったはずだ。

 冒険者になるのが夢だったはずだ。

 なのになんだこの体たらくは。

 あんな最低な奴にいいようにされて、今の自分も否定されて、成長なんてまるでしていない。


 ――ああ畜生、悔しい。悔しい、悔しい、悔しい悔しい悔しい!

 

 こんなにも悔しいと心が叫んでいるのに、無力に甘んじてなにもできない自分に腹が立つ。

 だけど結局これが僕なんだ。

 なにもかもマナ姉とは違う、だから結果がついてこない。もちろん人望だって得られない。

 ないない尽くしだ。

 はは、我ながら卑屈すぎて嫌になる。


 こんな時、マナ姉が側にいてくれたらなんて声をかけてくれるのだろう。

 優しく慰めてもらえるのかな。

 彼女に甘えてることは自分でもよく分かってる。

 だけど、それでも。


「マナ姉に会いたい……っ!」

「――お姉ちゃんを呼んだ?」

「……えっ? ――うわぁ!」


 てっきりただの幻聴かと思いきや、目の前にマナ姉が立っていた。

 そういうつもりで名前を口にしたわけでないからまさか本物が現れるとは思わなかった。

 相変わらずメイドの格好で、けれども新品同然で汚れ一つ見受けられない。まるで最初から旅なんかしてこなかったかのように。


「な、なんでマナ姉がここにいるの⁉ 魔王討伐の旅はどうなったの?」

「ちゃんと終えたよー。魔王ちゃんの頭をよしよしってなでて子守唄を歌ってあげたら、そのまま長い眠りについちゃったみたい。王都で凱旋パレードがあったけど、お姉ちゃん一刻も早くエトくんに会いたくてすっぽかしてきちゃった」

「すっぽかしてきちゃったって……」


 色々と無茶苦茶だ。無茶苦茶なんだけど、マナ姉らしいといえばらしい。


「あ、これ、一人でお留守番してくれてたエトくんにお土産だよー。魔族領で売ってたんだけど、魔王ちゃんの顔が焼き印された魔王まんじゅうだって。魔王復活期間中だけの限定商品らしくって、これを買うのにすっごく並んだんだよー」

「なにその魔王がもう一度封印をされること前提の限定商品⁉」

「仲良くなったお店の店主さんも魔王ちゃんがまた眠っちゃったからもう店じまいだって悲しんでた。ちょっと悪いことしちゃったかなぁ」

「悲しむところそこ⁉」


 ある意味不敬罪だよねそれ! もしかして魔王も人望がないのかな。

 いずれにせよ、事前に交わした誓約通りマナ姉が無事に帰ってきてくれた。

 ただそれだけで嬉しいし、安心する。安心するんだけど――。


「エトくーん」


 やっぱり来た!

 突然マナ姉が抱きついてくる。

 僕の胸元にその整った顔を埋め、すんすんと鼻を鳴らしている。

 このマナ姉のいきなりの乱行、もとい奇行は今に限ったことじゃない。

 やむにやまれぬ理由で長時間家を留守した時は、帰宅するなり決まって抱きついてこようとする。

 本人曰く、僕からは弟フェロモンというのが放出されているそうで、これを嗅がないと彼女は十日と生きられないのだとか。

 ……いや、そんなことあるはずないんだけどね。

 というか弟フェロモンって、ひょっとして僕ってくさいのかな?

 更にぐりぐりと顔を押し付けられてピリッとした痛みがみぞおちに走るけど、それよりもマナ姉から漂ってくるいい匂いにドキドキさせられる。

 

「あーこれこれ、大好きなエトくんの匂いだぁー。ふふ、ようやくお姉ちゃんもお家に帰ってきたって実感が湧いてくるー」

  

 だけどその発言を聞いて、ハッとした。

 僕はまだ、マナ姉に大事な一言を告げてない。

 まさかのサプライズ登場で呆気に取られてすっかり失念していたけど、こうして思い出したからにはすぐにでも言わないと。


「伝えるの少し遅くなっちゃったけど、……お帰りマナ姉」

「うん、ただいまご主人様」


 なんだか本来あるべきメイドとご主人様の立場が違うけど、そんなのは些末な話。

 重要なのはマナ姉を再び我が家に迎え入れることができたということ。

 そして――。


「おいてめぇ、マナミィが帰ってきたら俺を呼びに来いって行っただろうが、エトラ」


 ここにいてはいけないはずの男の声が響いた。

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