第二章 一、黒い影 2

 やっとの思いでワラミに着いたサラ達は、早々安宿を探し始める事にした。

 が、困った事に、中々それが見つからない。


 ワラミ、ネフラを越えれば、ダンドリアの国境はすぐ目の前。

 故にか、何処の宿も旅人で溢れ返り、満室を理由にすげなく断られてしまうのだった。


 「どう致しましょう?」

 レドルドが、途方に暮れた顔で皆を見回す。

 既に日は、西の山の端に隠れ始めた頃。

 折角町に入ったと言うのに、温かい寝床もお預けかと思うと、自然彼らの表情にも疲れが見え出してきた。


 「ちっ、この不景気って時に、随分とまた旅人が居るもんだな」

 シャークが、腐った様子で苦々しく言葉を吐き捨てる。


 「不景気だからこそ、人は忙しく奔走するもんじゃないのか?誰もが、生きて行かなければならないんだ・・・・」

 サラは、軽い調子で返して肩を竦めた。


 父オーラントから、国を治める者は常に民の事を考え、民の為に頭を使わねばならないと教わっていた。

 不景気でも、忙しいうちはまだいいのだ。問題は、その忙しささえも無くなってしまった時。


 民が気力を失えば、国は衰退する。

 少しでも民の暮らしが良くなるよう、オーラントが努力しているのは知っていた。


 今年、小麦の輸出量を増やしたのだって、豊作で値段が下がった麦を、どうにか元の値に戻そうとした為だ。

 オーラントは、この国を支えているのは貴族達では無く、一年中汗水垂らして働いている、農家の人々だとちゃんと理解している。


 質素倹約がモットーのオスリアで、豊穰祭が一番派手に行われるのも、そうした農家の人々の間に溜まった鬱憤を晴らす為だった。


 「・・・・ランドル様って、大人なんですね」

 最近やたらと物思いに耽る事の多いアリナ、珍しく明るい調子で言って、やたら感心したように頷いた。


 「けっ、訳知り顔ですましてんのが、大人って訳じゃねぇだろ。俺達だって、生きて行かなきゃならねぇんだ。仕方無いって、肩を竦めてる場合じゃねぇ」

 シャークは渋い顔で言いながら、いきなりぐいっとアリナの肩を抱く。


 レドルドが思わず身を乗り出したが、アリナがぽっと顔を赤くするのを見て、その気力がしおしおと萎えてしまったようだった。


 どうやらアリナ、脈の無いランドルを諦めて、シャークに乗り換えるつもりなのかもしれない。


 「それじゃ、どうしろって言うんだ。あんたには、何か方法があるのか?」

 サラは、むっとしてシャークに噛みついた。

 が、それはシャークに言われた言葉より寧ろ、彼のアリナに対する態度の方が気に入らなかったからのようだった。


 アリナはいい子だ、とサラも思っている。誠実だし、純粋だ。そんな娘を、シャークは遊び心で口説く。彼のような女垂らしに、アリナが本気になるのではないかと心配していた。


 「あんたみたいな遊び人に、あれこれ言われる筋合いは無い」

 サラは、ぐいっとシャークからアリナを引き離し、珍しく感情的になって彼を睨み付けた。

 思いの他鋭いその視線に、シャークは一度瞬きして、困ったように指で頬を掻く。


 その遣り取りを、従者二人ははらはらして見守っていたが、何故かアリナだけは妙に納得した様子で頷き、重い、重い溜め息を吐くのだった。


 「そう怒るな、別にお前を怒らせようとした訳じゃない。————それより、どうだ?坊ちゃん達が泊まるにしちゃ、ちょいと上品とは言えねぇが、一つだけ心当たりのある場所があるんだが・・・・・」

 「まっ、まあ、泊まれる場所があるのですね!良かったわ・・・・。ランドル様、この際贅沢は言わず、シャーク様の言う通りに致しましょう」

 サラとシャークの間に割り込むような形で、アリナが不自然な程明るく言う。


 それに益々むっとしたサラだったが、従者達のほっとした顔を見て、無言のまま頷いた。


 さて、そのシャークの言う場所とは、ワラミの繁華街にある、うらびれた酒場の二階にあった。

 酒場の亭主とシャークは顔見知りらしく、彼が頼むと二言返事で部屋を空けてくれたのである。


 酒場も古いが、案内された部屋も古い。その上汚く、埃臭さが充満していた。

 家具は、粗雑な箪笥が一つと、信じられないくらいボロベッドが二つ。床には何かを零した染みが広がり、歩くとぎしぎし嫌な音をたてる始末だ。


 サラ達は、流石にその部屋に入って言葉を失った。これほど酷い部屋に泊まるのは、全くの初めてだったのだ。


 おまけに、貸して貰った部屋は一つ。つまり、アリナも含め全員が、ここで一緒に眠らないといけない。


 「・・・・こっ、これは酷い」

 レドルドが、開口一番に言った。

 「そいつは、悪かったな。嫌なら、他を当たってくれてもいいんだぜ」

 荷物を床に降ろし、にやにや笑いで答えるシャーク。勿論、他に行くあても無いと知っての厭味だ。


 「わし達はともかく、ランドル様やアリナ嬢が、ここに泊まると言うのは・・・・」

 モーンも、渋い顔でぶつぶつと呟いた。

 「私は、別に構いませんわ。皆様、紳士でいらっしゃいますし・・・」

 慌てて、アリナが横から口を挟んだ。


 この娘、大人しい割には結構肝が据わっていたりする。

 まあ、そうでなければ、こんな旅に最初から付いて来たりはしないだろうが・・・・。


 「・・・・だとよ。それじゃ、ランドル様だけどっか行って貰うか?」

 相変わらず、シャークはにやにや笑い。

 その言い方は、何処かサラを馬鹿にしているようであった。

 「俺も、ここで構わない」

 サラは、憮然として言い放った。


 ————こんな奴に、負けてなるものですか。


 「じゃあ、決まりだ。今日は、皆好きにしようぜ。俺は、ちょっと野暮用」

 へへへへっ。下品に笑って、シャークはするりとアリナの肩を抱き寄せた。

 「アリナ、今夜寂しくなったら、俺の毛布にもぐり込んで来な。たっぷりと、可愛がってやるぜ」


 「嫌ですわ、シャーク様ったら・・・・」

 アリナはぽっと顔を赤らめ、恥ずかしそうに身を捩ってシャークから逃れた。

 しかし見様によっては、余り嫌がっている様子は無く、寧ろ嬉しがっているようにも見える。


 レドルドは切ない溜め息をつき、どうしても自分を見てくれようとしないアリナを、淋しそうに見つめた。


 一瞬、そんなレドルドとアリナの視線が合う。・・・・が、アリナはふいっと横を向いて、とてとてとモーンの方へ行ってしまった。

 それで、益々どんよりとした気分になるレドルドだった。

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