第一章 三、キーロッカの騒動 3
お昼には少し時間がずれていたせいか、食堂は案外空いていた。
彼らは左奥の席を陣取り、スープやパンを注文した。
ちらちらと、店の中の客が三人に視線を投げてくる。
それもその筈、比類稀な美少年が、これまた憧れであるメセタの国の民族衣装を着て、古びたこの大衆食堂に現れたのだから―――――。
女性達は、惚れ惚れとした顔つきで、サラの化けたランドルに見入っていた。
「・・・・あの、失礼ですけど」
アリナは、周囲の視線を気にしながら、サラの横に椅子を近付けた。
女達の目が険しくなり、アリナはちょっと得意そうに肩をそびやかす。
サラを挟んで、見えない戦いが繰り広げられているようだった。
「何だ?」
が当のサラは、全く気にした様子もない。一国のプリンセスともなれば、人から注目を浴びるのには慣れきっているのだ。
なんと言ってもサラは、稀に見る美女。性格には関係なく、そういう不躾な視線を送られるのもしょっちゅうだった。
「ランドル様って、お歳はおいくつなんですか?それから、お父様とかお母様は、どういう方なんですか?」
ちらり、スプーンを動かしていた手を止め、アリナの方を見る。
サラには、何故アリナがいきなりそんな質問をしてきたのか分からなかった。
「・・・十八だ」
しかし、取り敢えず答える。
オスリアの成人は、メセタと同じ十八である。つまりサラは、もう立派な大人であった。
「うそっ、私と同じなんですか?もう少し上かな、なんて、勝手に思ってたんですけど」
「それは、俺が老けてるって事か?」
少し顔が引きつったのは、サラも一応女だったと言う事かもしれない。
「いえ、そんなつもりは・・・。でもその歳で、貿易の為に国を回ってるなんて凄いですわ。きっと、みんなから期待されている超エリートなんですね」
「――――まあな」
と厭味でなくそう言えるのは、サラが生まれた時から、エリート中のエリートだったからかもしれない。
なんと言っても、王族なのだから。
皿に残ったスープを平らげ、サラはスプーンを置いた。それからナプキンで上品に口を拭い、大きく息を吐く。
「俺は、王様に認められて国の持つ会社に雇われた。メセタでは王も商売し、貴族も商売する。そして商売が上手い奴が、出世するんだ」
と、これは父親から教わった知識である。
オスリアでは、貴族が商売するという話は聞かない。貴族は国の為に働き、暇な時は趣味か道楽に耽っているのが普通だった。
しかしサラは、不思議の国メセタに大変興味を持っている。機会があれば、是非一度行ってみたいと思っていた。
「面白いですわね、それではランドル様の家も?」
「家は、貴族だが商売はしてない。父は、国政に係わる仕事をしているんだ。一人息子でね、周りは早く嫁を貰えとうるさい」
嘘ではない。ただ貴族でも王族の方で、嫁ではなく婿だと言う違いがあるだけで。
「大変ですわね・・・」
アリナの声のトーンが、僅かに低くなった。どうも、身分の違いを気にしているようだ
「ランドル様は、どういう女性が好みなんですか?」
しかしアリナは、取り敢えず先の事は措いておく事にして、今の情熱に身を任せる事にした。
一瞬、言葉に詰まるサラ。
女であるサラが、好きな女性の好みなど聞かれても、困るだけだ。好きな男の好みでさえ、よく分からないと言うのに・・・・・。
「――――そうだな」
言わないのも、変に思うだろう。そこで、ふっと浮かんだ母の印象を述べた。
「線が細くて、儚そうで、色の白い美人がいいな。優しくて、泣きむしなんだ」
「なるほど、お母上みたいですね」
すかさず、レドルドが言った。
アリナの表情に、もしかしてこの人はマザコンかしら?という疑問が、ありありと浮かんでいる。
――――まあ、マザコンは嫌われるものだものね。それならそれで、いいかもしれない
サラは、一人苦笑した。
「そう言われれば、否定は出来ないな。なんせ母は、俺の小さい頃に死んでしまったんだから――――。その場合、大抵は母親の存在を求めてしまうもんだろ?」
「まあ・・・・」
アリナが、驚いたような顔をする。それは次第に、同情へと変化して行った。
「お母様の代わりになる人が、きっと必要なんですわ」
「あっ、そうきたか」
「えっ?」
「いや、何でもない」
サラは、首を振ってパンを手に取った。
かけらを口に放り込んだ途端、店先から荒々しい足音と、口論する声が聞こえて来る。
「困ります・・・」
店の人が、誰かを押し止めている様子だ。
「うるさい!どけ!」
がたん!ガタガタガタッ!
店員が飛ばされ、テーブルに激突した。椅子が散らばり、テーブルの足が折れて傾く。
甲高い悲鳴が、店中にこだました。
ざわめき、混乱、それと共に現れたのは、いかにもチンピラといった風情の、顔のいかつい男達数人だった。
彼らは乱暴に椅子を蹴散らしながら、客の出で立ちを確認している。
どうやら、誰かを探している様子。
「ちっ、こいつらも違うぜ」
忌々し気に言い捨て、また次のテーブルに移る。そうしながら、次第にサラ達の方へ近づいて来た。
ぴた。最後に残ったテーブルの前で、男達が足を止めた。ボスらしき中年の男が、目を細める。
「女一人に、男が二人か。見ろよ、メセタの服を着てるぜ」
ボスは、手下に向かって顎を刳りながら言った。
「お前ら、ジェルマから来たんだろ。これから、ダンドリアに行く積もりだな」
「おいおい、旅人に対して随分とまた派手な出迎えだな。だが、生憎人違いのようだ、悪いが他をあたってくれ」
馬鹿にしたようなサラの口調に、男達の顔が鋭くなった。
サラの方はと言えば、至って普通の顔で食後のお茶をすすっている。
「けっ、すかしやがって。まあいいさ・・・。嘘を吐いても無駄だぜ、俺達には分かってんだ。ある人に頼まれてな、貴様等にちょっとばかり痛い思いをさせれば、結構いい金が貰えるって訳さ・・・・」
がたっ!いきなりレドルドが、剣を引き抜いて立ち上がった。
「そんな事はさせん!!」
・・・・・・馬鹿。
心の中で溜め息を吐くサラ。
折角惚けようとしていたのに、彼の態度で完全に決定付けられてしまうだろう。
――――まったくレドルドは、単純馬鹿の典型なんだから。
彼女は、首を振りながら立ち上がった。
「何の話か、俺には分からないなぁ。おい店主、勘定はここにおいとくぜ。それからレドルド、馬鹿は放っておけ・・・・」
懐から金を出して、テーブルへ置く。それからアリナの腕を掴んで、自分の方へと引き寄せた。
「おい、俺達をなめてんのか?」
「誰が嘗めるか、そんな汚い顔!」
言うやいなや、サラは男の腹に思いっきり蹴りを入れた。
馬に踏まれても大丈夫と評判の、メセタ製の丈夫なブーツだ。男が勢い良く吹っ飛ばされ、テーブルや椅子にぶちあたりながら、がたがたと乱暴な音をたてて倒れた。
・・・・サラも、あまり人の事は言えない。
「店を出るぞ!」
サラは、唖然とする男達の脇を、アリナを引きずる恰好ですりぬけた。はっと我に返ったレドルドも、慌てて付いて来る。
当たり前ではあるが、これで終わったと思っていない。
「レドルド、アリナを・・・」
店を出た所でアリナをレドルドに押しやり、追い掛けて来た男達の方へと向き直る。
それからサラは、ひらりと剣を抜いた。
「いけません、私は従者として―――」
さっと顔色を変え、レドルドはサラの前に出よとした。が、腕の中にいるアリナを見て迷いが浮かぶ。
「馬鹿ね、わたくしとその子、どっちが大切なの?剣も使えないか弱い娘を、野蛮な騒ぎに巻き込んでもいいだなんて、まさか本気で言ってるんじゃないでしょうね」
アリナに聞こえないよう、サラはレドルドの耳に囁いた。
これだけの人数だ、逃げてもすぐに追いつかれてしまうだろう。それなら、ここで戦ってさっさと終わらせた方がいい。
しかし、アリナを巻き込む訳にはいかなかった。アリナは、ごく普通の娘だ。もちろん、武術を知ってる筈もない。
だからサラは、一番手っ取り早い方法を選んだ。
レドルドにアリナを任せ、自分がこの男達と戦うという方法。勿論、自分一人でも充分倒せる連中だと、見極めた上でだ。
サラも、一応王族としての意識は持ち合わせている。唯一の後継者である以上、簡単に命を落とすつもりはない。
「俺は大丈夫だよ。剣の腕前は、お前も知ってるだろ。さっさと行きな、そこにいつまでもいられちゃ邪魔なんだ。これは、主人からの命令だ!」
サラは自信満々に叫ぶと、レドルドを道の反対側へと押しやった。
「そんな、ランドル様!」
叫ぶアリナに余裕の笑みを見せ、サラはレドルドにもう一度怒鳴る。
「早く行け!」
レドルドは、ぎゅっと口を結んで、さっと主人に背を向けた。
王宮騎士としてのプライドが胸を突き刺したが、それを無理矢理押さえ込んだ。
サラの判断は、正しいのだ。アリナが居ては、思うように動く事は出来ない。
だからと言って自分一人では、姫とアリナが安全な場所へと逃げるまで、あいつ等全てを引き止めておく事は出来ないだろう。
しかし、サラなら出来る。
当然力はレドルドの方が強いが、サラにはそれをカバーできる技と優美さがあった。素早く美しく優雅な剣裁きは、決して不器用なレドルドには真似の出来ないもの。
サラが一度剣を抜けば、誰もがその動きに目を奪われてしまうのだ。
それが、サラの剣の強さだ。
引きつけられ、魅せられ、手元がおろそかになる。だからレドルトは、サラと剣を合わせるのを苦手としていた。
勿論、彼だって逃げるなんてしたくない。しかし、アリナを危険に巻き込まない為に、レドルドはサラの言葉に従った。
第一あのサラが、逃げるなんて絶対に考える訳がない。
三度の飯よりも、剣を戦わせる事が好なのだから。
「駄目よ、ランドル様一人残すなんて・・・・」
アリナも必死になって、レドルドの手を引っ掻いたり噛みついたりする。しかし彼は、優しくアリナを見つめ、静かな声で言った。
「心配ない、ランドル様は強い、あんな雑魚に負ける筈がない。それより私は、あなたの方が心配だ・・・・」
一瞬、アリナの顔に戸惑いが浮かぶ。が、すぐにはっと我に返って暴れ出した。
仕方無くレドルドは、アリナをひょいと腕に抱え上げ、安全な場所目指して走った。
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