転生者たちの学園日誌

五月七日

かぐや姫のひと夏の試練

第1話 帰省の夏と彼の冬

「帰省したくない……」

  夏休み初日の美術室。マワリが描いてくれた絵を取りに来た輝夜は椅子に座り、頭を抱えていた。その様子にいくつか完成した油絵とデッサンを選んでいるマワリが話しかけた。

「でもかぐやん、夏休みは帰省するって約束しているんでしょ?」

「うん。私もまさかこんなに帰省しなくないなんて思わなかったわ……」

 学園に入学すると決まった時、両親は輝夜にある条件を出した。長期休みは実家に帰省すると。

 輝夜とて両親の気持ちも理解出来る。ただでさえ目に入れても痛くないほど可愛い娘が、異常に男性が近づきやすい体質となれば共学の高校へ通わせるのも不安なのが普通だ。

 入学が決まった時、父親は「天勝君が面接で選んでいる生徒だから大丈夫だとは思うが……」と、渋々納得し、母親は「時々連絡するのよ」と心配していた。そのため、輝夜は心配かけまいと定期的に電話をしている。

「マワリはいいわよね。五日でこっちに帰れるもの」

「本当はボクだって夏休みが終わるギリギリまでいたかったけどね。画塾の夏期講習に体験で呼ばれたからさ。帰ったらすぐ行かなきゃだから、準備で忙しいよ」

 今こうして選んでいるのも画塾に持っていくものだ。体験に申し込んだ際、どのような制作をしているのか見せるよう塾長から指示を受けていた。

「私も来年から予備校行かないといけないわね」

 来年は三年生。現在の二年生はみな、受験が控えている。中にはマワリのように一年生の時から受験を視野に入れて勉強している者もいる。

 自由な時間は限られていた。だからこそ、輝夜は帰省したくない気持ちがある。要は好きな人と一緒に過ごしたいのだ。

「こうなったらダメもとでお母さんに聞いてみるわ!」

 スマートフォンを取り出し、数少ない連絡先から母親の項目を探し電話をかける。数コールするといつもの穏やかな母親の声が聞こえてきた。

『もしもし。急にどうしたの?』

「あ、お母さん……。その、この夏の帰省なんだけれど。少しだけ遅れてもいいかな」

 違う! 本当は帰りたくないって言いたいのに! でも、絶対怪しいって思われる!

『それはいいけれど……。何かあったの? 体調でも悪いの?』

「ううん! なんでもないよ! やっぱり明日の新幹線で帰るね!」

 そう、慌ただしく電話を切った輝夜は冷や汗で滲んだ手をハンカチで拭きながら、一呼吸着いた。

「ふぅ~、疲れた……」

「かぐやん、両親に正直に言えばいいじゃんか」

 電話の様子を見ていたマワリがごもっともなことを言う。けれど、輝夜にも言えない理由があったのだ。

「ダメよ! そんなこと言ったらお母さん泡吹いて倒れるし、お父さんは絶対うちに連れてくるよう言って圧迫面接みたいなことするから!」

 母親もなのだが、それ以上に父親が厳しく同時に心配性なのは十七年間親子をしているのでよく知っている。両親とて、娘に異性と付き合ったり仲良くしないで欲しいわけではない。けれど、娘が受けた数々の被害を考えると、動揺もするし、釘を刺しておきたくなるものなのだ。

「え~。そうかな。案外喜んでくれると思うよ。だよね、さよりん」

 振り返ると美術室の入り口にその場に居づらそうな小夜がいた。目が合った途端、この世の終わりのような叫び声を上げる輝夜。その声は廊下まで響いたことだろう。

「いつからそこにいるの!」

「電話しているあたりから。帰った方がよさそうだと思っていたらマワリに話しかけられたところ」

「帰らなくていいから! むしろ帰らないで!」

 手を引っ張って、帰らせようとしない彼女に仕方なく、小夜は美術室に入った。

「あの……、小夜。うちの両親は心配性なだけで、怖い人じゃないから。安心してね」

「別に、僕は今すぐ君の両親に会うわけじゃないんだけど」

 正論を言われてグサリと刺さる輝夜と、

「かぐやんは乙女なんだからわかってあげなよ!」

と、反論するマワリ。

「ごめんね、かぐやん。男ってさ、デリカシーも女の子の気持ちもわからない生き物なんだよ」

「前世が男性のあなたが言うと説得力あるわね」

「でも、ここで下手に意気込むよりこうやって冷静な人の方が案外ちゃんと考えている証拠だから安心して。何も考えてない人って変に意気込むからさ」

「あなた、妙に詳しいわね……」

 ここまで来ると前世で何があったのか気になるものの、あえて聞かないでおいた。せっかく、悪い意味じゃないと思えたのに聞いてしまえば逆戻りになりそうだったからだ。

「さよりんは、かぐやんをもう泣かしたらダメだよ! 今どき高校生でこんなに純粋で可愛い女の子、いないんだから!」

 「高校生で」という言葉がまた刺さる。事実、輝夜は恋愛というものを両親の話と本の世界でしか知らない。今どきの学生の恋愛は聞いていると刺激的過ぎて頭がパンクすると同時に、疑問を感じるのだ。みんな、もう少し「たった一人の誰か」を夢見ないのかと。

 初恋は叶わないともいうが、それでも彼女はいつまでも「たった一人の誰か」が自分を迎えに来てくれると信じているのだ。それが、今こうして自分が選んだ人であって欲しいと。

「わかっているよ」

 以前より優しくなった小夜に輝夜はジーンと嬉しくなる。終業式だった昨日は荷物のパッキングや夏休みの課題のスケジュールを立てるので忙しく、ろくに話してなかったのもあり、関係性が変わった自分たちはどのように変わってしまうのか不安だったのだ。

「あと、僕も夏休みは帰省するからしばらく学園にいないよ」

「どこ!? いつ帰ってくるの!」

 保護施設出身と言うことは知っているものの出身地は聞いたことがなかった。マワリも興味があるのだろうすっかり手を止めてしまっている。

「千葉」

「東京から近いじゃない! 意外と近くだったのね」

 一体どこかしらと、想像を膨らませる。

 舞浜は都会だから、東部の方かしら。千葉は都会と田舎の両方を兼ね備えたイメージだわ。

「じゃあ、東京に来てもらえばいいじゃん。東京だと行くところたくさんあって楽しいよ」

「僕はいいけど」

 マワリの提案に賛成している小夜。よく東京に行くのかマワリが小夜に色々おススメの観光地を教えていると、輝夜は慌てたように止めた。

「え! ダメ!」

「かぐやん、どうしたの急に! さよりんの言ったこと気にしてるの?」

 親に会わせるかどうかのことを聞く彼女に輝夜は首を振る。そして、悩ましい面持ちで理由を話した。

「東京は両親にすぐバレるし、うるさいから……」

「月見里グループ、東京に関連企業も、取引先も多いからね」

「そうなの。お父さんが子煩悩なのはみんな知っているから」

 マワリの言葉に何度も頷き、大きなため息を吐く。そして、再び頭を抱える輝夜。今まで両親の溺愛や会社の大きさも気にしたこともなかったが、まさか恋愛で躓くとは予想だにしてなかったのだ。

「じゃあ、お互い戻ってきたら出かけようか」

「いいの?」

 パッと明るくなった輝夜。それは十五夜の月のように眩い輝きだ。返事を今か今かと待っている輝夜に小夜はいつも通り冷静に頷いた。

「うん。長居するわけにはいかないから」

「盆明けには帰ってくるからね! 絶対よ!」

「やったね! かぐやん!」

 女の子二人でテンション高く盛り上がる声が美術室に響いていた。



 マワリと美術室で別れた二人は絵を事務室まで持っていくと寮の部屋まで運んでもらうよう頼み、学園を出た。

 七月らしいまだ暑さが本格的に始まっていない空の青さが二人の上に広がっている。

 ローファーがコンクリートを蹴る音だけが響く。少年少女はどちらも口を開かず、ただ帰路へと向かっている。

 今日こそ何か話したいのに。全く思いつかない。

 三日前、鳥籠から出ることが出来た彼に輝夜は告白した。そして、その気持ちは受け取られ、こうして交際へと至っている。けれど、付き合えば話したいことも山ほどあったはずなのに、二人きりになると彼女は全く話せなくなっていた。

 会話の仕方ってどうだったかしら。付き合う前は毎日時間が足りなかったのに。今は一緒にいる理由があって、話しかけてもいいはずなのに。喉で詰まってしまう。

 横顔を隠し見るものの、一瞬で正面に顔を戻す。その一瞬で目に焼き付けた横顔を思い出すと、どんどん胸が早鐘を打つ。

 やっぱり綺麗な目をしている。青い、メルヒェンの色。ヤグルマギクの色。私も一緒の世界が見られたらいいのに。きっと詩的で、どこか悲しくて美しくて、この世界の本当の姿が私の目の前にも映るのね。

 いつもの涼し気な表情にやっと輝夜は話題を思いついた。

「小夜、暑くないの? 全然暑そうに見えないけど」

「確かに暑いけどそんなに気にならないかな」

 小夜の肌はまるで日焼けを知らないかのように白い。前世は北欧出身だったと、思い出させるほどには。

「私は暑がりだから夏は困るわね。今年なんて五月なのに夏みたいな天気だったし。小夜は冬の方が苦手なの?」

「うん。寒さは前世の影響で慣れているけれど、冬はいい思い出が無いから」

 いい思い出が無い。もしかするとそれは、母親が貧しさから寒さをしのぐためにアルコールを摂取していくうちに依存症を発病したことか、それとも大好きだった父親が亡くなったことかもしれない輝夜は思い出す。

 ある冬の日、彼の父は窓に張り付いた乙女のような模様をした氷が、自分を欲しがっているんだと冗談を言っていたからだ。そして、冗談が本当になったかのように亡くなった父親の亡骸に母親が「氷姫が連れ去ったのよ」とコオロギに話しかけていたのだ。

 謝ろうと口を開いたが小夜の方が先だった。

「気にしなくていいから。当時ではよくあったことだし。それに日本の雪も綺麗だから少しだけ懐かしくなるんだ」

 その時、錯覚が見えた。

 低木に挟まれた通学路がデンマークの田舎へと変わり、雪景色の中小夜がいる。

 まだ自分を愛してくれていた両親も、祖母も生きていた幼い頃。まだこれから待ち受ける波乱に富んだ未来を知らない、海のように輝く未来が待っていると信じていたあの頃が。けれど、それは自分の世界に閉じこもっているのではなく、彼を彼たらしめる心象世界であった。

 けれど風が吹いてしまえば、また湿気を含んだ日本の暑さに戻っていく。

 蝉の音がうるさい。ツクツクボウシの声が一番よく聞こえてくる。

 空の青と雲の白だけが、彼の世界と一緒だった。

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