旅は道連れ、犬の群れ


 月明かりに照らされた平原の中を黙々と進む。

 背の低い草を踏みしめるさくさくとした足音だけが規則的に響く中、俺はやや重い口を開いてその静寂を破った。


「随分歩きましたね」


「そうだな」


「商人の街もすっかり見えなくなりましたよ」


「ああ」


「……休憩しません?」


「先ほど休んだばかりだろう」


「重い荷物ほとんど持ってもらってる身でこんなこと言うのも何なんですけど、五時間前はさっきとかじゃないんですよね僕にとって」


 ここまで約五時間ノンストップで歩きっぱなしである。

 身体魔法の申し子ダークエルフにとっては余裕なのかもしれないが、俺のようなクソ雑魚エルフには非常にきつい。むしろ今の今まで弱音も吐かず歩ききったことを褒めてほしい。

 アルテアがミルクでも要求してくれればそれを口実に休憩が取れたのだが、運悪くあの赤ん坊はずっと熟睡中だった。


 ぐったりした様子の俺を見てヴェスはまじかよみたいな顔をしたあと、少し考えるように眉間にしわを寄せつつ足を止めた。


「体は全快したのではなかったか」


「しましたよ」


「一応聞くが、投与された薬の後遺症などというわけではないんだな?」


「いやシンプルにスペック……僕とヴェスの基礎体力の差ですかね……」


「エルフご自慢の回復力は疲労には効かんのか」


「そんな都合良いばかりの特性じゃないんですよ」


 自分の体のことながら正直細かいメカニズムはよく分かっていないが、エルフの自動回復とはマイナスをプラスにするというより、ゼロを維持するものなのではないかと俺は考えている。

 まぁ起きている現象としてはマイナスをプラスにしていると言っても大きく間違いではないのだろうが、なんというか、これは厳密に言うと“回復”ではなく極めて強力な“恒常性ホメオスタシス”──平均的な体の状態を保とうとする生物の機能に近い気がするのだ。


 大抵の生物が意識せずとも体温や血圧などを一定のところで維持しているのと同じように、エルフはマナというブーストのもと己の体をマイナスから、場合によってはプラスから、すばやく初期値ゼロに戻すことが出来るのではないか。

 自動回復を応用したエルフの回復魔法にしたってもしこれがプラスの方向にのみ作用する力であれば、魔法をかけ続けた場合に“回復のしすぎ”でかえって悪影響が出るなんてこともあるだろうが、実際は怪我が修復しきった段階で回復作用が止まり、それ以降は効果が出ない。


 以上のことを思うとやはりこの力の本質とは状態をゼロに戻すことなのではないか、などとぐだぐだ考察して最終的に何を言いたいかといえば、自動回復とはマナのかぎり常に絶好調を保ち続けられる夢のシステムなどではなく、回復が早いだけであって一旦マイナスにはなるので普通に疲れる、ということだ。つまり俺休みたいとても。


 切々とそう訴えかけると、ヴェスは「ならばもっと早く言え」と溜息を吐きつつその場に腰を下ろした。


「いつも何かと図々しいくせに、休憩のひとつやふたつで今さら遠慮することがあったか」


「いや遠慮といいますか、そもそも僕は根本的に旅というものに不慣れでして、休憩のタイミングとかもいまいち分かってなくてですね……ヴェスがあまりに涼しい顔でサクサク進むからなんかこんなもんなのかと……」


 肩で息をしながら俺もまたその場に腰を下ろし、被っていたフードを外してようやく一息つく。


 乗り物をいっさい使わずに徒歩のみで行く当てどもない旅など前世を合わせても経験がない。

 さらに当たり前だがどれだけ歩いても休むのにちょうどいい公園もコンビニも、ベンチひとつにも出会うことがないので、なんとなく言い出すタイミングを逃した結果の五時間である。

 そう思うとタリタ達は何をするにも程良く休憩を差し挟んでくれていたのだなと、今さらながらありがたく感じた。


「はー……しかし、人っ子一人いませんね」


「街道からはだいぶ外れているからな」


 俺たちが進んでいるのはヴェスの言うとおり分かりやすい街道ではなく、しかし道なき道といった森の中でもない、だだっ広い平原だ。

 次の街への最短距離を選ぶなら街道、人目を避けることを優先するなら遠回りして森の中、といった感じだったらしいのだが、俺たちはそのどちらでもない中途半端な進路を取っていた。


 俺としては街道も森もメリットデメリットあるし、まぁどっちでも、とひとまず旅慣れているであろうヴェスに選択権を委ねた結果、街道沿いは人間が多くて不快、追っ手のことを考えると森の中は見通しが悪くて不便、などの理由でこのどっちつかずルートを取ることとなった。


 クソ雑魚エルフからしてみれば追っ手のことを考えるなら森のほうが逃げやすくていいんじゃないかと思ったのだが、戦人いくさんちゅからすると見晴らしが良いほうが敵を視認しやすくていい、森は火を放たれると面倒、など迎撃を前提とした理論があるらしい。逃げるが選択肢に入ってない。



 背中で眠るアルテアの温度を感じながら頭上を仰げば、前世で見たものとさして変わらない夜空が広がっている。

 ひやりとした心地良い風が草の上をすべり、前世の自分とは似ても似つかない絹のような金糸の髪を揺らす。

 自分達の息づかい以外は虫の声しか聞こえない風景の中には、人の目もなく、猫を被るべき相手もいない。


 だだっ広い平原の真ん中で感じたのは、とても、とても久しぶりの、自由と呼べるものだった。


「────……お前さぁ、本当に俺と一緒に来るんでいいわけ?」


 そこでふと口から零れたのは、エルフらしくも美少年らしくもない喋り言葉。

 ヴェスの視線が静かにこちらを向く気配がした。


「恩義なんて、あの牛魔獣の件でチャラでいいだろ。せっかくあの胸糞悪い施設から抜け出したんだから、お前もお前でもう自分の生活に戻りゃいいじゃん」


 あの場でスラファトと取り引きしたのは俺だ。もし今後アルテアに何かあっても、ヴェスがどうこう言われることはないだろう。たぶん。

 それにもし追っ手が掛かっていようとヴェスの実力ならいくらでも一人で乗り切れるに違いない。


「そうすりゃ好きに戦えるし、赤ん坊の世話を手伝わなくて済むし、俺の歩幅に合わせて歩くこともない。物理的にも精神的にも良いことずくめだろうに」


 俺は自分に損がないかぎりは施しだろうが恩返しだろうが、貰えるものはなんでも受け取っておく主義だ。

 しかし協力関係とはどういった形であれ利害の一致が大前提である。最初のころはともかく、今となってはあまりにもヴェス側に利が無い。

 恩義貯金なんて言ったがこれではあっという間に赤字だろう。極端に傾いた天秤は歪みを生むだけだ。


 戦闘要員が欠けるのは惜しいが、大々的に破産する前にすっぱり精算しておこうかと水を向けると、短い沈黙のあとでヴェスはひとつ溜息を吐いた。

 いつもの重々しかったり呆れ果てていたりするものではなく、ことのほか険のないそれに思わず宙から目線を下ろした俺を、臙脂えんじ色の隻眼でまっすぐ見据えながら口を開く。


「私はおまえの性格が最悪なのを知っている」


「なに突然」


「一つ行動を起こすのに十も二十もぐだぐだと思考して企みを巡らせて、正直まどろっこしい奴だと常々思う。そのくせ自分に都合の良いものへ飛びつく時ばかり目を見張るほど素早い。いっそ見事な蝙蝠こうもり野郎だ」


「すげぇ畳みかけてくるじゃん」


「──だが、それがおまえの闘い方であることも、承知している」


 確かな重みを伴って告げられた言葉に、二の句を無くした。

 こちらを見ているくせに俺の反応にはひとつも構わず、ヴェスはさらに話を続ける。


「他者からどれほど無様に、惨めに見えようと、おまえは“生き長らえる”という目的のため、あの醜悪な環境に妥協なく適応した。力はなくとも、矜持がなくとも、あの場においておまえは間違いなく……私よりも強者だった」


 淡々と、しかし一言ずつはっきりとそう伝えてくるヴェスの様子に、嘘やごまかしは感じられない。

 そもそも俺と違ってそんな面倒な小細工をしなくとも生きていける実力を持った男だ。だからこれは本心なのだろう。


 もの言いたげな俺をよそに、ヴェスは「要するに」と話をまとめに入る。


「我々の関係はおまえが思うほど不平等なものではないし、私は現状を煩わしいだけだとも考えていない。恩義貯金とやらもしばらくは尽きんから、くだらないことを考えていないで好きにやれ。この群れのあたまはおまえだ」


 何を要してそうなったんだと言いたくなる戦闘民族脳に基づいた話の流れだったが、実験体仲間ルームメイト生活の副産物として俺達は表情や視線である程度の意志疎通が可能である。

 そこへきて牢屋時代にほぼ活用されることのなかった“言葉”でもって駄目押しのように情報を補われれば、ヴェスの言わんとするところは十分すぎるほど正しく伝わってきてしまう。鈍感系主人公になる暇もない。


 つまりこの隻眼のダークエルフは、俺の想定よりも遥かに俺を対等な生き物として見ているらしい。

 そしてヴェスにとってのその事実は、共に行動することで生まれるデメリットを踏まえてなお、俺達の間にある天秤が釣り合っていると判断するに足る要素であるようだ。

 正直俺には俺と行動するメリットが理解できないが、本人がそう思うのなら現状はそうなんだろう。


 人も獣もエルフもダークエルフも、現状に適応出来ないやつから死んでいくのである。

 ならばこれも成り行きかと肩の力を抜き、俺も現状をありのままに受け入れることにした。利益の形など人それぞれだ。破産したらまたそのときに考えればいい。


「旅の仲間が性格最悪のエルフでよろしけりゃ、どうぞ今後ともご贔屓に」


「そもそも心底不愉快ならばとうの昔におまえを殴り殺して離脱してる」


「急に蛮族全開にするのやめろよ」


 それなら破産の前に予兆とか出しといてほしい。夜逃げするから。

 しかし周囲に人間がいなけりゃほんと普通に喋るなこいつ、と全然関係ないことを思っていると、ヴェスがめずらしく少年じみた顔でからかうように笑った。


「おまえこそ、私のような最悪のと組んでいいのか」


「……ま、悪くないんじゃないの。最悪同士、なかよく傷を舐め合おうや」


 最悪のエルフと、最悪のダークエルフと、普通じゃない人間の赤ん坊。

 夜に浮かぶ月のまぶしさに目を細めながら、ひでぇパーティだな、と笑った。




「ところで最悪と最悪に挟まれて育った赤ん坊が元気いっぱいの最悪に育った場合、スラファトとの契約に抵触すると思います?」


「知らん」


 さて、どんな珍道中になりますことやら。

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