タリタの勘定


 人に虐げられたがゆえに全てを拒絶するようになった野良犬ダークエルフと、人に虐げられたがゆえに他者に媚びて生きることを覚えた野良犬エルフ

 真実がどこにあるかは知らないが、少なくともタリタの目に、あの夜出会った彼らはそんなふうに映った。




 糸が切れたようにぐらっと傾いだエルフの体を受け止めたダークエルフが、支えきれずにエルフと赤ん坊を抱えたままその場に膝をつく。

 意識を失ったエルフの手から、つい今しがた切り落としたばかりの髪束がすり抜けて落ちそうになるのを、その掌ごと掴んで留めたダークエルフがタリタを睨んだ。


 すでに意識を保っているだけでやっとであろうボロ雑巾以下の有様でありながらその眼光は鋭く、気を抜けば命を狩られるのはタリタ達のほうなのだと痛いほどに伝えてくる。

 荒事慣れしているはずの自警団員たちですら、うかつに動けず武器に手をやったまま息を飲んで立ち尽くしていた。


 “これ”はおそらく、命を狩ることに何の躊躇いもない類の生き物だ。

 もとよりダークエルフには闘えればそれでいいという者がほとんどだが、この男はその性質が頭抜けているように見えた。


 何なら首だけになっても相手を喰い殺しに来そうな猛獣が、今こうして殺気こそ鋭くも大人しくこちらの出方を窺っている理由は、傷を負っているせいだけではないだろう。

 その腕に抱えられ、力なく目を閉じているエルフをちらりと見やった。

 タリタの視線を感じてか漂う殺気がさらに強まり、辺り一帯の空気が重く沈んだような気がした。警戒心の強いことだ。


 こんな血生臭い厄介事、常ならば一も二もなく捨て置くのだが。

 タリタはひとつ息を吐く。


「あたしらを信用出来ないっていうあんたの意思は、さっきからそりゃもう痛いほどに伝わってくるよ。そうなるだけの事情があったんだろうってのも、あんたらを見てりゃ嫌でも察しがつく」


 彼らはそれなりの期間、どう考えてもまともな環境にはいなかったのだろうということ。

 そしておそらくつい先ほど、その環境から逃げてきた。いや、今まさに逃げている最中なのだろうということ。

 逃げている。つまり、追ってくる者がいる可能性が高い、ということも。


 ならばここで押し問答をしている時間はない。

 それが分かっているからこそ、あのエルフは文字通り己の身を削る手段を取ったのだろう。まったく繊細そうな顔に反して随分な力押しの手段を選ぶものだ。


「手間に見合うだけの依頼料は支払われた。ならこっちも商人として、一度受けた取り引きを反故にするわけにはいかないんだよ。だからどうしてもあたしらが信じられないなら、“エルフの半身”ともいわれる髪をなんの躊躇もなく切り落としてみせた、その坊やの決断を信じてやりな」


 先程までの様子からしても、交渉の要はエルフのほうだ。このダークエルフはエルフの意思を汲んで動いているように見えた。

 なのでそれを引き合いに出して促せば、ダークエルフは一呼吸ほどの逡巡のあと僅かに殺気を抑えると、髪束をエルフの手から静かに抜き取り、こちらへ差し出した。


「…………ところで、あんたもう少しまともに赤ん坊抱えられないのかい? さっきから見てりゃ荷物みたいに……ああほら、良けりゃあたしが預かるから。貸してみなって」


 どうにか穏便に話が進んだところでタリタが出会い頭からずっと気になっていた部分へ言及すると、ダークエルフはあっさりと赤ん坊の世話を丸投げしてきたし、様子を見ていたムシダが小さく苦笑するのが見えた。言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだい。




 そうして彼らを私邸にかくまって束の間の共同生活が始まったのだが、今回の件で初めて実物を目にすることとなったエルフ……コルは、随分とちぐはぐな生き物であった。


 一般的にエルフといえば、美しく、魔法に長け、しかしひどく高慢な種族であると言われている。

 大半の人々が実際にエルフを見たことがなくとも、文献に残る記述や、その文献を元に作られた舞台や物語などから、それらは共通認識として世間に伝わっていた。


 コルは、確かに美しい。

 不老不死の妙薬だのなんだのというお伽噺を抜きにしても、その美しさゆえに貴族や好事家が私財をなげうってでもエルフを所有したいと思うのも──タリタ個人としては受け入れがたい価値観だが──仕方がないと納得出来てしまうほどに。


 そんなエルフの美しさの象徴のひとつとも言える、長く美しい金の髪は、あの夜タリタの目前でばっさりと切り落とされた。

 コルはエルフにとって非常に大切なものであるはずの髪を失っても惜しむ素振りすら見せず、ただの交渉材料として扱ってみせた。



 コルが魔法を使っているところはほとんど見ない。

 自然魔法や回復魔法を当然のように発動出来るところはいかにもエルフだが、コルは基本的には常人と同じように生活し、たまに使うときも極めて小規模なものばかりで、膨大なマナによる大規模魔法を得意とするエルフらしさは伺えなかった。

 何者かから身を隠している最中であるから目立つのを避けているのか、体が回復しきっていないために温存しているのか、彼らが受けていたであろう仕打ちの後遺症なのか……もしくはただ単に魔法が苦手だなんてことはあるまいが、とにかくコルは魔法をあまり使わないエルフだった。


 日常においても、さすがエルフといった世間知らずぶりを見せたかと思えば、次の瞬間には妙に世間ずれした価値観を覗かせる。

 一つの欠けもない完成された美術品のようなエルフの風貌とそぐわぬ、媚びること、へりくだることに躊躇のない言動は“完成”という言葉からは程遠いが、しかし一部が欠けているからこそ価値が生まれた、そんな美術品があったことをタリタに思い出させた。



 コルは喋り方にほんの僅かにくせがある。

 それは本来使う言語の異なる種族が、後天的に習得した言語で話すとき特有のぎこちなさに似ていた。

 あからさまなものではなく、商人として多様な種族と取り引きすることが多いタリタだからこそ気づけた程度の些細なものだ。


 そしてコルは時々何か聞き慣れない単語や言い回しを口にしては、こちらの反応で通じていないことを察すると、すぐさま共通言語に言い直す。

 単にエルフにも独自の言語があり、それが共通言語とは異なるというだけの話なのかもしれないが、現在人々の間で使用されている共通言語は元をただせばエルフの用いていた言葉であると伝わっている。長い長い時の中で彼らが残した文字や言葉を、いつしか他の種族が真似て使うようになったものだと。

 それが事実だとすれば多少文法などに違いがあったとしても、異言語を話すもの特有のあの手の癖がつくことはない気がするのだが。



 そんなふうに何もかもがちぐはぐで、、コルはそういう存在だったように思う。



 今度こそ無事に旅立ったコル達を見送ったあと、魔獣騒ぎの後片づけを慌ただしく終えたタリタとムシダは夜も更けたころ私邸に帰り、広間の長椅子でようやく一息つくことが出来ていた。


「はぁ、一仕事済んでようやく肩の荷が下りたよ」


「……三人とも大丈夫だろうか。何事もなくやっていけるといいが」


「そこはもうあたしらが気にすることじゃないね。これ以上は契約外さ」


 肩をすくめて答えつつも、おそらくそう心配することはないだろうとタリタは思っていた。

 見た目こそ儚げだが中身の図太いエルフらしからぬエルフと、あの傭兵ギルドの“黒点こくてん”、そして周囲の喧噪にひとつも動じない肝の据わった赤ん坊。

 エルフがいる時点で困難の多い旅になるには違いないが、どうせなんとかするはずだと感じさせるだけの要素が、方向性は違えど三人それぞれに備わっていた。


「そんなことよりも、だよ。あの牛魔獣のほうはどうだったんだい?」


「ああ……正確なところは中身までしっかり調べてからじゃねえと何とも言えんが……さっき俺の見たかぎりでは、どこにも“核”が見当たらなかった」


 魔獣などのマナ持ちは、その身に核と呼ばれる小さなマナの塊……魔石を宿している。

 大抵は表皮のどこか。稀に体内で固体化している場合もあるが、何にせよ必ずどこかにはある。

 それこそが魔獣であるはずなのに、牛魔獣とされた先ほどの生き物の体には核がなかったという。


「あのネズミどもと一緒ってことかい」


 コル達を伴って向かった村からの帰り道。

 そこで襲ってきたという大量の鼠魔獣の死骸にも、同じく核が見当たらなかったという。


「ほとんどのやつが原型もないほど弾け飛んじまってたんで、鼠のほうも正確に調べられたとは言い難いが」


「とは言ってもそれだけ量がいたってのに核が見つからなかったんだろう? その時点で十分異常さね」


 そもそも通常の魔獣であれば、ひとつところに大量に現れること自体がおかしい。

 魔獣とはあくまで偶発的に生まれる突然変異であり、親から子へと受け継がれるような性質ではない。

 魔獣の集まりやすい場所がないわけではないが、同じ種族の魔獣が、同じ場所で大量発生する、なんてことはまずあり得ないのだ。


「核がないなら魔獣じゃない。本来そのはずだ。けれど、だからといってあれはどう考えても普通の動物ではなかった」


 エルフらしからぬエルフと、魔獣らしからぬ魔獣。

 これらが同時期に現れたことをどう捉えるべきか。


「やれやれ。迷惑料をもっとせしめておけばよかったかね」


 面倒な問題が次から次へと湧いてくる。

 タリタの視線は無意識に癒しを求めるように、置きっぱなしになっていた赤子用の寝台に向いた。当然ながらもうそこに赤ん坊の姿はない。


「……子孫、か」


「タリタ?」


 切り落とした髪が元の長さになるには数百年かかるだろうが予約しておくか、と冗談めかして言ったコルに、自分の子孫にでも受け取らせる、と戯れのように返した言葉を思い出す。

 あのときは本当にただの冗談でしかなかったが、意外と悪くない話かもしれない。


 子供は好きだが今は仕事のほうが楽しいからと自分自身が母になる予定はなかったのだが、赤ん坊──アルテアの温かく柔らかな重みが、それに満たされた感覚が、ふいにタリタの胸へと甦った。うん、そうだ、わるくない。


「今のうちに子供の一人二人産んどくのもいいのかもしれないねぇ。なにせエルフ様との独占契約だ。ねぇムシダ?」


「え、は、……えっ?」


 突然の話題に慌てて体勢を変えようとして失敗し、見事に長椅子から滑り落ちた夫を見下ろして、タリタは軽快に笑う。


 そして契約外ではあるが旅の無事を祈るくらいは無償タダでしてやっていいかもしれないなと、もうこの街にはいない、ちぐはぐな三人組のことを思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る