嘘は用法用量を守って
療養中&育児中エルフの朝は早い。
いや、だいぶ盛った。そんなに早くない。普通によく寝て、普通に朝だなって時間に起きる。
「ちょっと水とってもらっていいですか」
「ああ」
そして私事で大変恐縮ですが俺は吐かずに水が飲めるまでに回復しました。自動回復だけでも着々と治ってはいくけれど、水を摂取できればさらに楽になるのでありがたい。
これは俺が勝手に思っているだけなのだが、エルフのエネルギー周りの生態って人間よりも植物かなんかに近いのかもしれない。エアプランツ的な。
というかエルフの自動回復をもってしてもこのペースって、元のダメージどんだけでかかったんだよ。
ヴェスはサイドテーブルに置いてある水差しからコップに水をそそぐと、自分で一口飲んでから、床に座る俺に差し出した。
「ん」
「……どうも」
余談だがやっぱりベッドで横になって寝るのが落ち着かない俺たちは、牢屋にいたときと同じように、部屋の隅っこの床で野良犬のように並んで座ったまま寝ている。
ただし見かねたムシダが柔らかい布を敷いてくれたので、牢屋とは天と地の寝心地である。床だけど。
受け取った水をゆっくり飲み干しながら、俺たちの部屋に移設されたベビーベッドで、すやすやと寝息を立てる赤ん坊の様子をちらりと見る。
この赤ん坊は、非常によく眠る。
本来なら数時間おきに色々と面倒を見なければならないらしいのだが、子どもはよく寝る生き物とはいえさすがに限度があるだろというレベルで毎日すこやかに眠っている。おかげで俺もこうしてのんびりと朝を過ごせているというわけだが。
タリタいわく、ミルクを欲しがる回数や飲む量が、平均的な赤ん坊と比べてかなり少ないという。本来なら食に当てる時間をも睡眠に費やしているような印象だ。なんなら丸一日眠っていることもある。
だが不思議とそれで栄養失調を起こす様子もなく、むしろ日々つやつやまるまると健康的になっていく。
極めて少ない食事量でも、順調に回復していく体。
それはまるで。
「…………」
「どうした」
「……いえ、なんでもないです。ところでヴェス、今更なんですけど髪結びましょうか? 邪魔そうだし」
髪を伸ばす習慣が無いというダークエルフゆえか、ヴェスは腰近くまである長髪をそのままに放置している。
しかし“お勤め”のときくらいしか移動がなかった実験体生活中と違って日常生活というやつを送れるようになった今、ことあるごとにゆらゆらさらさらする髪を鬱陶しげにさばく姿を度々見るようになった。
なら切りゃあいいのに、と言えた立場でもないので、せめて“結ぼうか?”という話を持ち出してみた次第である。
持て余している自覚は十二分にあったのだろう。ヴェスは短く黙り込んだ後で、頼む、と言った。
「じゃあ三つ編みでいいですか?」
「……………………」
「別に心が死にそうで三つ編みしたがってるとかじゃないんでその正気度を探る目やめてくださいよ。これくらいしか結い方知らないだけですって」
長髪エルフとして長年生きてきたくせに三つ編みしか出来ないのかと思うかもしれないが、通常のエルフは髪を編むにも魔法を使う。それはもう呼吸よりたやすく、風魔法であっという間に結い上げる。それが“普通”なのだ。
そんなエルフに魔法なしで髪をまとめる方法を教えてほしいと言うのは、生まれてこの方オール電化で暮らしてきた人間に、無人島生活のノウハウを教えろと請うようなものである。普通に分からんって言われた。
よって他に参考に出来るファッション誌もネットに繋がる板もないエルフの里で、魔法下手な俺がどうにか習得したのは、ただ後ろで結んだだけのポニーテールと三つ編みのみ。
しかし髪が一定以上の長さになるとポニーテールは意外と首にまとわりついて邪魔なので、じゃあ三つ編みだなと一択に絞られただけであって俺のメンタルがブレイク寸前なわけではない。
「緩めの三つ編みでひとつにまとめる感じでいいですかね?」
「ああ。……いや、後で教えろ。早めに覚える。自分でやる」
「完全に僕の三つ編みに変な印象ついてるじゃないですか」
悪かったよ写経みたいなノリで三つ編み作り続けて。
まぁ俺が三つ編みマシーンになったのもうまじで喋る気力すら無くして死にかけのころだもんな。末期の末期みたいな状況での奇行だもんな。そりゃ良いイメージないわな。
でもそれ言うなら俺だって、おまえ寝てても起きてても微動だにしないし基本的に気配も薄いから死んだのかなって一日三回くらい思ったわ。亀でももうちょっと動くだろ。いや体力温存してたんだろうけど。
何にしてもとりあえず今回は我慢しろということで、俺は神妙な顔で耐えるヴェスに三つ編みを施したのだった。
療養中&育児中エルフの昼は、わりと穏やかだ。
山のように用意された昼食をヴェスが淡々と食べ続けている間に、俺は赤ん坊が起きていればタリタの助言を受けつつ赤子の世話。寝ていれば情報収集がてらの雑談に興じるのが主だ。
本日は赤ん坊がずっと熟睡しているので雑談のターンである。
「しかし、エルフとダークエルフ、って言うと相容れないモノの代名詞なんだけどねぇ」
雑談の最中、同じテーブルにつく俺とヴェスを対面から眺めていたタリタが、しみじみとした声でそう言った。
犬猿の仲とか水と油みたいな慣用句の異世界バージョンらしい。
実際エルフに会ったことのある奴なんて一握りもいないだろうに、そういう言い回しだけが人々の間に根付いているというのも何だか不思議な感じだ。
だが前世の俺も実際に犬と猿が同じ空間にいて喧嘩してるところを見たことがあったかといえば一度も無かったし、河童を見たことなくても河童の川流れの意味は分かる。慣用句や諺なんてそんなものなんだろう。
タリタのほうを一瞥しただけでそのまま食事を続行するヴェスはいつものことなので、俺が会話を続ける。
「僕らはちょっと“同室”のよしみと言いますか、助け合う機会が多かったもので。奇跡的に意気投合しまして」
「同室ねぇ……ま、いいさ。どんな事情があろうと、必要以上の詮索はしないよ。こっちは払うもん払って貰えりゃいい。あんたはそれを払った。話はそれだけで十分だ」
「ふふ、助かります」
俺達がここに至るまでの経緯や実験体生活のあれそれについては、あえて隠しもしないが積極的に
同情を買える程度に境遇をチラ見せしつつ、しかしいざとなったらしらばっくれることが出来る程度に留めて“匂わせ”るわけだ。実験体匂わせ。血生臭そう。
追っ手から逃げる立場として、本当なら一般モブを装えればそれが一番なのだが、エルフとダークエルフと人間の赤ん坊というどうやっても目立つパーティである以上、いっそ前向きにワケあり感を匂わせることで得られるメリットのほうが大きいと俺は判断した。というかもう目立つもんは目立つんだからその中で使えそうな利点を活用するしかない。
もちろん今後エルフであることは極力隠すつもりだが、それにしたって人嫌いのダークエルフと人間の美少年と赤ん坊、という三人組になるわけで、その取り合わせに説得力を出すための設定を考えて、ヴェスにも覚えて貰って、会話のたびにつじつまを合わせて、となるとあまりよろしくない。
“嘘をつく”というのは非常に厄介な作業だ。
そこに関わる人数が増えるほど、その期間が延びるほど、それは難しくなる。
大前提として、嘘には矛盾が生じる。事実ではないのだから当然だ。
だから大抵は嘘をついた後、その嘘を補強するための嘘をまたつかなきゃならなくなる。そして次はその嘘を補強した嘘を補強するために嘘をつく。下手をしたら無限ループだ。
だから嘘をつくときは可能なかぎり最小限に、コンパクトにしなくてはならない。
嘘でつじつまを合わせて“普通”を装うことにもメリットはあるが、嘘がばれたとき心証が一気に悪くなりかねないというデメリットと表裏だ。
ならいっそ初めからワケありを匂わせておいたほうがむしろリカバーしやすい。ヴェスも腹芸が得意なタイプではなさそうだし、なるべく事実ベースでいきたいところだ。
それに隠された謎はみんな暴きたくなるが、見えてる地雷を踏みたいというやつは少ない。
もちろん後者の輩も皆無ではないにしろ多少なりと数が絞れるならしめたものだ。がんがん匂わせていこう。
「ところでコル。あんた、いつまでも“この子”とか“あの子”とか言ってないで早いとこ赤ん坊に名前つけてやったらどうだい」
「え、僕がですか」
「本名が分からない以上、仮でもなんでも呼び名がなきゃ不便だろうが。とはいえあんまり適当につけるんじゃないよ」
「じゃあタリタさんがつけてくれるとか」
「あたしはただの商売相手。その子の保護者はあんたらだ。ちゃんと責任持って名付けてやんな」
「……はい」
名前までつけたらいよいよ俺が育てなきゃいけない現実に肩を叩かれる気がして見ないふりをしていたのだが仕方ない。後でどうにか考えてみることにしよう。
療養中&育児中エルフの夜は、とても静かだ。
「あうあ~!! あ~!」
「あーはいはいミルクミルク」
……赤ん坊が起きていなければ。
フリントロック式ピストルが最先端武器なこの世界には、前世の記憶にあるような形状の哺乳瓶も粉ミルクも未だ存在していない。よってタリタが調達してくれたヤギミルクを急須みたいな器に入れて与えることになる。
俺たちがワケありじゃなければ乳母とかの選択肢もあったんだろうが、現状これが精一杯だ。
しかし言ったようにこの赤ん坊は非常に燃費がよいので、このやり方で今のところ問題なさそうだから多分大丈夫だろう。
なおまだ体の自由がきかない俺の代わりに毎回キッチンまで諸々を用意しに行かされているのはヴェスである。なんで自分がという感情を隠さぬ死ぬほど渋い顔をしながらも毎度律儀に取りに行ってくれるのでちょっとうける。
「ヴェスは赤ん坊の名前、何がいいと思います?」
「知らん。好きにしろ」
「まぁまぁ、そう言わず一緒に考えてくださいよ」
「ぷあ~……う……」
「あ、ちょ、待って待って飲みながら寝た」
完全に寝落ちした赤ん坊の口元から慌ててミルクの器を引き離し、零さなかったことに安堵の息をついてから全てをヴェスに渡す。
するとしこたま嫌そうな顔をしながらもその全てを受け取ったヴェスがベビーベッドに赤ん坊を寝かせ、ミルク等をキッチンまで片づけに行って、部屋に戻ってくる。
そんな一連の行動がここ数日でルーティン化しているため、表情に反して迷いのないサクサクした動きなのがやっぱりなんかうける。
「ヴェスもまだ傷が治ってないのに、色々させてしまってすみません。水取ってください」
「言動を一貫させろ」
いや無理させて悪いなとは本当に思っちゃいるが、付きっきりで介助するかというタリタ達の申し出をそもそも最初に断固拒否したのは、この人間不信ダークエルフである。あるらしい。俺の意識がない間の出来事だったようで俺は知らんがタリタにそう聞いた。
ならこっちがまともに動けるようになるまで、代わりに少々無理してもらってもバチは当たらないだろう。よかったんだぞ俺は付きっきり介助でも。ヒグマにかいがいしく世話されるのはなんか土饅頭の悪夢を見そうではあるが。
「ほら」
そして文句言いつつもきちんと水を持ってきてくれる人間不信だが面倒見の良いダークエルフは、水差しからコップにそそいだ水を、また自分で一口飲んでから俺に差し出す。
それを受け取りつつ、俺はやや呆れの混じった視線をヴェスに向けた。
「……仮になんか入ってることがあったとして、たぶん僕のほうが耐性高いですよ。毒とか薬とか」
実験されすぎて変に耐性がついてしまったみたいで、後期に向かうにつれてどんどん強いやつを投与されるようになって非常に地獄であった。
それを知っているヴェスも「だろうな」と返事をする。
「じゃ、それ無駄じゃありません?」
「一人で歩けるようになってからモノを言え」
「ごもっともで」
ヴェス自身が万全でないことに加え、俺がまともに身動きが取れない状況であるせいか、弱った群れの仲間を守ろうとする手負いの野良犬感がましましのダークエルフである。
実験体として散々な目に遭い続けてきたことを思うと、無理もないといえばそうなのだが。
「タリタさん達のこと、そんなに信用できません?」
「逆に、おまえは何故そうも奴らを信用する」
「今の僕らに必要なのは一に休息、二に休息、三四が情報、五にお金ですよ。これがたとえ罠でもなんでも、その罠が発動するまでは休ませてもらえるっていうなら一旦それでいいじゃないですか」
まぁ俺は別に罠とは思ってないし、かといってヴェスに警戒するなとも言わないが、もうちょっと自分の休息を優先してもよいのではないだろうか。
ヴェスも俺の言いたいことは分かっているようで、相変わらず渋い顔のままだが反論はなかった。
「あ、どうしても信用できないなら、彼らを利用してるって思えばいいんじゃないですか?」
「……言葉遊びだな」
「大事ですよ言葉選びは。認識は言葉に引っ張られますからね」
「………………はぁ」
ヴェスは深い溜息を零してからふいに身を翻してサイドテーブルに戻り、もう一つのカップに水をそそぐと、それを片手に戻ってきて俺の横にどかりと腰を下ろす。
「おまえと話していると真面目に考えるのが馬鹿らしくなる」
「結構なことじゃないですか、肩の力抜いて柔軟にやりましょうよ」
隣のヴェスから軽く差し向けられたカップに、俺の持つカップを打ち付ける。
静かな夜の部屋の中で、ささやかな乾杯の音がかちんと響いた。
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