信用一番、本音は二番
体が完治するまでの間、衣食住の世話を全面的に引き受けること。
必要なものがあれば可能なかぎり提供すること。
許可なくこの屋敷を出ないこと。
「他にも要求があれば応相談、ってとこだね。何か質問は?」
いったいどんな無理難題を提示されるのかと身構えていた俺は、タリタがつらつらと上げた取り引き内容に、ぽかんと口を開けた。
得しかない。得ばかりすぎて逆に怖い。やはりこれはうまい話に裏があるパターンなのでは。
「……少し僕らに有利すぎませんか?」
思わずそう尋ねると、タリタは一瞬なにいってんだこいつとでも言いたげに眉根を寄せた後、深くため息をついて、覚えの悪い生徒にものを教える教師のような顔でピッと俺を指さした。
「
エルフは大抵のことを自分の魔法でどうにか出来るゆえに、金や売り買いといった文化は基本的に存在しない。
物々交換ぐらいなら稀に発生したりもするが、それとて商売的な取り引きというより、知り合い間での物の行き来みたいな雰囲気に近い。ちなみに俺は魔法下手すぎて何もどうにも出来なかったので里の大人達がしょっぱい顔で大抵どうにかしてくれていた。
そんな里でずっと生きてきた俺が、この世界におけるエルフの相場など知るはずもなく。
「エルフは高く売れる、と人が話していたのを聞いたことがあるだけなので、具体的な値段とかは何も……」
「やれやれ。それだけの情報であんな啖呵を切ったのかい? 大人しそうな顔に見合わず大した度胸だね」
おとなしそうな顔で従順な態度の片目隠れ美少年(R)エルフやらせてもらってます、よろしくお願いします。
「いいかい? エルフってのはね、大衆にとって“実在する伝説”なのさ。存在が明らかなのに、誰にも手が届かない」
そう言ってタリタがざっくり説明してくれたところによると、高値のつくエルフを狩ろうとする輩は今も昔も存在するが、そういった連中は揃いも揃って返り討ちに合ってきた歴史があるらしい。
確かにいくら加工された鉄とマナの相性が悪いとは言っても、攻撃を阻止する手段は何も魔法での直接ガードだけではない。相手がこちらに近づく前に、武器ではなくそれを扱う本体をどうにかしてしまえばいい話だ。
大規模魔法を呼吸のごとく使いこなすエルフにとっては、盗賊グループのひとつやふたつ追い払うくらい訳ないことだっただろう。
にもかかわらずウチの里が壊滅した原因は、剣や弓が主流だった世界へ突如現れた“銃”という未知の武器への油断こそが一番大きいところではあるが、結局のところ数の力に押し潰されたのだと俺は思っている。
いつの時代も、どこの世界でも、シンプルであるがゆえに物量作戦は強い。どれだけ少数が精鋭であろうと、持久戦になればやはり数と物資の多いほうが有利だ。……閑話休題。
「それでもただ珍しいだけなら、好事家がちょっと良い値で買う程度だっただろうね。だがエルフといやぁ、全身マナの塊。この世で唯一すべての自然魔法を使いこなす種族だ」
タリタいわく、人々の間でマナは生命の源と呼ばれており、マナを体内に取り込むことで病気が治ったり美しくなったりする、と昔からまことしやかに囁かれているらしい。
そして髪の先から爪の先までたっぷりとマナを溜め込んでいるエルフの身は、不老長寿の薬にさえなりうる、とも。
「それはまた……」
景品表示法に違反しそうですね、という言葉を飲み込んで苦笑に変える。
いやしかし実際どうなのだろう。まじで他種族にとってそういう薬効があったりするんだろうかエルフ。
「ああ、当然そんなのは迷信さ」
なかったわ薬効。
一応、生まれつきマナを体に宿している生き物は、体が丈夫だったり寿命が長かったり美しかったりする。エルフなんかはその極みだろう。
だがそれはあくまで体質というか素質というか、マナと特性が絡み合っての相乗効果みたいなもんであり、そうでない生き物が後から物理的にマナを摂取しても効果はないらしい。
「普通のやつがマナを取り込んだところでただ体を通り過ぎるだけ。毒にも薬にもなりゃしない。そんなもんより普通の食事をきっちりとって、毎日運動でもしたほうがよほど体に良いさね。だが楽して成果を得たいやつも、藁にも迷信にもすがりたいやつも、世の中にはごまんといるもんだ」
タリタは俺を見ると、口の端を上げて皮肉げに笑った。
「だからこそよくよく気を付けるんだね、エルフの坊や。エルフにはそれだけの価値がある。時の権力者ですら目の眩むお宝がのこのこ歩いてるみたいなもんさ」
売りさばいて一攫千金を狙うやつ。不老長寿の薬として食いたいやつ。美しくて希少なものをペットにしたいやつ。兵器として自然魔法の使い手を擁したいやつ。
需要が山ほどあり、供給が驚くほど少ないとなれば、そりゃあ値段は天井知らずにつり上がる、とタリタは指先を天に向けて言った。
「あんたがエルフってだけでろくでもないのがごろごろ寄ってくるよ。そういうやつらに喰われるのが嫌なら、うまく自分を隠して偽りな。まぁ、自然魔法の申し子たるエルフにはいらない世話かもしれないけどね」
「いや、いる世話ですね……ご忠告ありがとうございます」
自然魔法の申し子たるエルフの落ちこぼれ俺、普通に雑魚である。
というかこれヴェスを仲間に引き入れたのは中々妙案だったのではないだろうか。自分はエルフでございと喧伝して回る気はもちろんないが、どれだけ慎重に隠そうともバレるときはバレる。
そういうとき、いずれ来るかもしれない追っ手だけでなく、エルフ狙いの有象無象まで赤ん坊と雑魚だけで対処するのはなかなか厳しかっただろう。いや、それでもベストという名の命乞いと媚びは尽くすし、死ぬ気はさらさらないものの、やはり戦闘要員がいるのはありがたい。
「ってわけで、あの髪の価値に比べりゃあんたらの治療費や生活費なんて安いもんさ。厄介事をかくまう迷惑料まで込みにしても、安すぎるくらいだ」
しかしそんなお高いエルフをざくざく実験で消費してたあの施設のやつら本当にやばいな。
パーツひとつで驚きの価格らしいエルフだというのに、兵士や研究者たちの口振りからして最終的に売りさばいていたというわけでもなさそうだった。
ではあそこで“使い終えた”後のエルフたちは全て廃棄されたのか。それとも、さらに他の“使い道”があったのか……まぁ、今ここで考えても仕方のないことか。
「それで? あんたはどうする?」
「……何がですか?」
「今言ったようにこれはだいぶ割に合わない取り引きだよ。あたしじゃなくて、あんたらのほうがね。だからもしここで契約を打ち切るって言うなら、今日までにかかった費用と迷惑料と口止め料と違約金を差っ引いた髪代の釣りを渡して今ここで手切れだ」
割に合わない取り引き。
確かに値段の釣り合いだけを見れば、俺達は中々ぼったくられた計算になるのだろう。
「逆にこのまま契約を続けるってんなら、さっき言ったとおり完治までの衣食住は保証する。必要なもんがあれば可能な限り融通もする。その代わり、金銭的な払い戻しはいっさい無しだ。それでもよけりゃあ、」
「わかりました。契約継続でお願いします」
「……随分あっさり決めるじゃないか。いいのかい? 自分の“価値”は分かっただろう? うちよりもっと高待遇で迎え入れてくれるやつらがいるかもしれないよ」
「これは、その価値に見合う取り引きだと思ったまでです。そちらこそいいんですか? 完治までなんて言わずに今すぐ僕らを放り出せば、これ以上いらない出費もかからず丸儲けですよ」
物怖じしないタリタの瞳をまっすぐ見返して、にこりと美少年エルフスマイルを向ける。
ぴりぴりとした緊張感の中、見つめ合う……いや、にらみ合うこと数秒。
ふ、と気の抜けた呼吸が零れる音がした。
「あっはっは!! いいね、本当に顔に似合わず良い度胸だ! さすがはエルフ、ってところかね。どうせそんな見た目でも、あたしらよりはずっと年上なんだろう?」
「百歳とちょっとです。これでもエルフの中ではまだ子どもですよ」
「そうかいそうかい。はー、いや悪かったね。こっちも守るものが多い分、ちゃんと見極めなきゃいけないんだよ。あんたらがマヌケな“カモ”なのか、対等な“商売相手”なのかをさ」
どっちにしろぼったくられるのは変わらない感じがするが、まぁ現状はそれを補って余りある“あたり”だろう。
タリタも言ったように需要と供給というやつだ。
彼女からすれば割に合わない対価に思えても、こちらにとっては大金相当のものと引き替えにしてでも得たい希少な環境で、めちゃくちゃ俺に需要のある取り引きだった、というだけの話である。
実際今からここを出て新しい“取引先”を探すほうがよっぽどリスキーだ。先ほどの話を聞けばなおのことそう思う。
正直しばらくは回復に専念したいところであるし、本音はもう髪とかいらんし好きにしていいからとにかく休ませてくれ、といったところである。
「で、契約継続ってことは、そっちも一応あたしを商売相手として多少は信用してくれたってことでいいんだね?」
「もちろん。というか、僕はほとんど初めからあなたのことは信用していましたよ」
まるっきり警戒していないとは言わないが、そう酷いことにはならないだろうという一定の確信が今の俺にはあった。
その言葉に、タリタが「へぇ」と面白そうに目を細める。
「そいつはまた、いったい何があんたのお眼鏡にかなったのかね。今後の商売の参考までに教えてもらえるかい?」
「商売には役に立たないかもしれませんが……そうですね。いくつかありますけど、一番はこの子のことです」
腕の中で眠る赤ん坊に一度視線を落としてから、改めてタリタを見る。
「この子が声をあげたとき、あなたの冷静で隙のない目の奥が、ほんの少しだけ揺らいだ」
あのときタリタを相手に交渉まで持ち込めるかどうかは、俺の体感だと五分五分といったところだった。
だが今思い返せば、赤ん坊が声を上げた直後に彼女は交渉のテーブルについている。そちら側からわざわざ希望の糸まで垂らして。
そう。今思い返せば、である。
こっちもぐちゃぐちゃのずたぼろで必死だったので、ぶっちゃけると当時その瞬間は気づいていなかった。この家で目覚めてから今までの諸々を見た上で、改めて思い返して気付いたというほうが正しい。
なので“初めから”信用していたというのはだいぶ誇張なのだが、まぁ相手が商人ギルド直轄の自警団という時点でそこそこ行けるんじゃねと思っていたのは事実なので完全な嘘ではない。物は言いよう。
つまり何が言いたいかというと、タリタの同情を買ったのは俺ではなく、この赤ん坊だということだ。
さすが天然物の弱くて脆くてかわいそうな生き物。特効ついてるわ。
「あなたが赤ん坊への同情だけで動いたとは思いません。エルフの髪という大きな対価があってこそ、ようやくリスクとの釣り合いが取れると見なされたのだろうと思います。けれど、交渉くらいならしてもいいとまずあなたに思わせたのは、この子の存在があったからではないですか?」
「……さてね」
商人として見逃せないよほどの不利益が発生しないかぎり、現状のタリタはおそらくこの赤ん坊を放り出せない。
そして赤ん坊がなぜか懐いている俺のこともたぶん放り出せない。
さらに赤ん坊が懐いている俺が頼りにしているヴェスのこともきっと放り出せないはずだ。
たとえ情だけでは動かなくとも、利益の上で情が噛み合えば、彼女は赤ん坊を無下に出来る人柄ではないと俺は見た。
「だってわざわざ寝室にこの子のための場所を作って面倒を見てくれて」
「…………」
「さっきもこの子が具合を悪くしていたらすごく慌ててくれて」
「………………」
「子ども好きなんですか?」
「もういい分かった黙りな」
「ンッ、フフッ……フフフ……負けたなタリタ」
「腹の毛むしられたいのかい」
それまで静観していたムシダが思わずといった感じで肩を震わせて笑いながら言うと、顔を押さえたタリタが地の底から響くような声でムシダに凄む。
「えーとまぁ、そんなわけで、見ず知らずの赤ん坊を大事にしてくれる人のところなら、僕らもそう悪いようにはされなさそうだなって思ったんです。だから契約を継続します」
「はー……了解了解、わかったよ」
一息で動揺から己を立て直したタリタが、また隙のない商人の顔で俺に手を差し出してきた。
その手を取る前に一応肩越しに背後のヴェスを確認すると、眉間に皺を寄せつつも“好きにしろ”というような顔で見返してきたので、ひとつ頷いて俺もタリタの手を取った。
「短い間だろうがよろしく頼むよ、コル」
「こちらこそよろしくお願いします、タリタさん」
かくして俺とタリタの契約は双方合意のもと継続され、その間の赤ん坊の世話についても改めてお願いした。
……が、赤ん坊は二日後に再び高熱を出し、しかし俺が様子を見に行くとまたすぐにけろりと全快した。
さらに後日もう一度その謎現象を繰り返したのちの協議の結果、赤ん坊の面倒はタリタ監修のもとで俺達が見ることになった。どうして。
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