営業スマイルは命を救う
実験体としての生活が始まってどれほど経っただろうか。
あいにく時計も窓もない空間にいるため確かなことは分からないが、半年くらいは過ぎたような気がする。
なんとその間に、この牢屋の住人は俺一人になってしまった。
一緒に捕まった両親も死んだ。
親といってもエルフはとにかく個人主義で、家族が同じ家に暮らすことはなく、子供は専用の家に住まわされ、世話は里の大人たちが分担で行い、ある程度ひとりで動けるようになったら今日からお前一人暮らしな、となって以後は基本放置である。
なおこれは他種族よりも丈夫かつ子供のうちの成長が早い種族だからこそのエルフ界隈においては至ってスタンダードな育児法であり、人間の価値観でいうところのネグレクト的なものではない。
しかしそんなわけで里にいたころに親子らしいやりとりをした記憶はほとんど無く、せいぜい俺がエルフらしくないことをしたときに説教しにくる回数が他より少しだけ多かった人たち、といった印象だった。
そして結局その印象が覆ることのないまま父は捕まったあと早々に死んで……というか“処分”されてしまった。
しかし母のほうは意外にも最後の最後まで粘って生き残っていたのだが、それでも徐々に衰弱していき、少し前にこの牢屋の中で息を引き取った。
母は亡くなる直前に、自分がつけていたピアスを形見にと俺へ手渡してきた。
俺はそのときになって初めて、ああこのひと俺のこと息子だと認識していたんだな、と実感したものであるが、そのピアスも早々に取り上げられてしまった。いや、研究者によこせと言われたのでハイ喜んでと献上したのだが。エルフが長く身につけていたものだからマナが染み込んでいるかもとか何とか嬉しそうに持って行かれた。哀れあのピアスも俺と同じモルモットと化すらしい。
そうして、この牢屋にいるのは俺だけになった。
ワンルームおひとりさま貸し切りとは贅沢なことである。
なんでもいいけど調べ飽きたらピアス返してくれねえかな、と牢屋の天井を眺めながらぼんやり考えていると、ふいに騒がしい声といくつかの足音が響いてきた。
本日分の俺の
まぁどんな無謀なスケジュールを押しつけられようと俺はいつものごとく従順エルフするだけだ。壁に向かってにこりと笑い、営業スマイルの予行演習をする。よし鏡はないがきっと美少年だ問題ない。エルフとしての顔面レアリティはRだが問題ない。必要なのは愛嬌だ。
いよいよ牢屋の鍵が開く音がしたので、さぁいざと振り返った俺の目の前に、突如でかい塊がどさりと転がる。
驚いて焦点を合わせれば、それは人の形をしていた。なにこれ死体?殺風景なワンルームのオブジェにしろって?
「“お仲間”だ、仲良くしろよ」
塊を投げ入れた兵士は牢屋の鍵を閉め直しながら、鼻で笑うようにそう言って背を向ける。
看守は常駐なので人目が完全に無くなることはないが、とりあえず兵士たちが出ていって部屋が静かになってから、俺は改めてその大きな塊を見下ろした。
「ぐ……」
うわ生きてる。死体じゃなかった。
地面に転がされた塊は低く呻くと、意識をはっきりさせるように数回首を横に振り、それからゆるゆると身を起こす。
そして両手首につけられた手錠を忌々しげに眺めたあと、引きちぎろうと腕に力を込めたものの叶わず、やがて舌打ちをひとつ零して両手を下ろした。そこでようやく顔を上げたその人物と、ばちりと目が合う。
褐色の肌。艶やかな黒の短髪。黒みを帯びた赤色の鋭い瞳。すっと伸びた長い耳。
エルフと対極に位置するようなこのカラーリング。これは、これはもしや。
「ダークエルフ……?」
図体は俺よりでかいが、歳はたぶん同じくらいだろう。
しかし美少年というより美丈夫と呼んだほうがしっくりきそうな大人びた風貌のそのダークエルフ♂は、俺の姿を見てギッと目つきを鋭くした。
「…………エルフ」
心底嫌そうな声で吐き捨てられる我が種族名。
この段階でもう結果は見えている気がしたが、仲良くしろと言われた以上、従順な実験体エルフとしては一応コミュニケーションを試みねばなるまい。俺はひとつ息を吸って、にこりと笑みを浮かべた。
「どうもはじめまして、僕はエルフのコルといいます。ここでの呼び名は実験体302です。あなたのお名前はなんですか?」
今喋ったの誰?って思うじゃん?
俺。
これこそ実験体として過酷な環境を生き延びるため、研究員たちの機嫌を損ねないために会得した喋り方……などでは一切なく、普通に里でごりごりに矯正された結果である。
素で喋ると全然エルフらしくない!気品がない!とばちくそに怒られるため、誰かと話すときは渋々使うようになった秘技・美少年口調なのだが、これはこれでなんか威厳ないしエルフっぽくない、とやや不評であった。遺憾である。
するとダークエルフ♂はエルフらしからぬ俺の態度に一瞬ひどく驚いたように息を飲んで目を見開いたが、すぐにまた眉間のしわを険しくしてそっぽを向いた。
「……エルフに名乗る名はない。馴れ馴れしくするな」
ですよね。
ダークエルフのことはよく知らないが、稀に話題にあがるたび里のエルフは先ほどのこいつのように死ぬほど嫌そうな顔で忌々しげにその名を吐き捨てていたので、たぶん種族仲が悪いんだろうということだけは前々から把握していた。
つまりさっきの兵士が言った“お仲間”というのは、一緒くたに扱われることを俺達がめちゃくちゃ嫌がるだろうと見越しての皮肉だったわけだが、俺はそのへんどうでもいいのでとりあえず従順ノルマ達成だ。俺は仲良くしようとした。大事なのは結果よりも言われたとおりにチャレンジしましたという俺のけなげさを見せつけることなので問題ない。あとは適当に会話を切り上げてターンエンドだ。
「すみません、ダークエルフの方に会うのは初めてで、つい……。あの、こんな場所でなんですけど、これからよろしくお願いします」
「…………」
シカトである。今の会話の感じからして、こいつもなかなかプライドが高そうだ。
この調子なら間違いなく早々に死ぬだろう。
そもそも、なんで俺以外のエルフがこうもぽんぽん死んでいったのかという話だ。
実験が過酷であることは間違いないが、エルフは人間と比べれば頑丈に出来ている。それだけなら今もまだ半分くらいは生き残っていただろう。
彼らの寿命を縮めたのは、端的に言うならば“エルフとしてのプライド”である。
エルフは自然の中にあるマナをエネルギーとして取り込むことが出来るため、食事は少量の水と果物などを時々口にするだけで生きていける。
だがこんな自然もくそもない牢屋の中では得られるマナなど雀の涙だ。マナが得にくい状況となれば、エルフとて人間たちと同じようにまとまった量の食事をして栄養をとらねば生きてはいけない。
そしてこの場所での我々は奴隷ではなくあくまで実験動物であるため、基本的に
だが、エルフたちはそれを食べなかった。
ただでさえ屈辱的な状況下で、人間から施された“餌”を食うことは、彼らによって死より忌まわしいことだったらしい。
さらにおとなしくしていれば実験だけで済むが、反抗的なことをすれば殴られる。暴れれば撃たれる。使い物にならないと判断されれば“処分”される。
実験されるわ食べないわ折檻されるわの三重苦では、さすがのエルフとて衰弱する。衰弱した体では実験に耐えられない。そして死ぬ。悪循環の極みであった。
そんなエルフ達と同じ道を辿ることになるであろう、こちらに背を向けたままのダークエルフに俺は小さく笑いかける。
「出来たら、仲良くやりましょうね」
どうせ短い付き合いなんだから、という言葉は、喉の奥にくるりと包んで、飲み込んだ。
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