番外編㉖ 心愛ちゃんの夏休み(陽菜視点・ヒナ視点)

(陽菜視点)

「ねぇ、恭にぃ……このマンガの続きないの?」

 恭介くんのタブレットに入った中国の古代史、戦国時代を扱ったマンガを読み終わった心愛ちゃんが恭介くんに聞いている。

 お盆が終わり夏休みも終盤になって小学6年生の心愛ここなちゃんが泊まりに来ている。

 今私と恭介くんと心愛ちゃんがいるのは恭介くんの部屋。


「ああ、心愛ちゃんが読んでるマンガはそれが最新刊だから……続きってわけじゃないけど小説で良ければ時代的には続きもあるんだけど」

 恭介くんがそう言って自分が読んでいた赤い背表紙の文庫本をちょっと持ち上げてみせる。ギブスも取れて自由に手を動かせるようになったのが嬉しそうな恭介くんが可愛い。


「『小説十八史略』? 十八史って何?」

 文庫本のタイトルを見た心愛ちゃんが興味を持ったらしく恭介くんに質問する。

「十八史略というのは、簡単に言えば中国の壮大な歴史を分かりやすく書いたもので、『史記』とか『漢書』『三国志』とかをまとめたお話なんだよ。心愛ちゃんが読んでたマンガは歴史書の『史記』に出てくる『秦本記』と『始皇本記』を膨らませたものなんだ」


 恭介くんはこの夏休みでずいぶんと中国史に詳しくなったみたい。実は入院中の課題でこの『小説十八史略』全六巻を読み切るようにしずくちゃんに指示されていたのだ。

 恭介くんが共通テストで受験予定なのは世界史なので中国史を俯瞰して歴史を流れで覚えるために小説の形で通読するのは意味があるというのがしずくちゃんの談。

 その上で年号を暗記して西洋史との関連性をしっかり覚えれば共通テストで8割はいけるということだった。しずくちゃんの教え方はやっぱりすごいと思う。


 心愛ちゃんは興が乗ってきたみたいで身を乗り出してくる。心愛ちゃんって結構物語というか小説も好きだよね。去年の夏は私と一緒に江戸川乱歩とか読んでたし。

「ふ~ん、それで十八史略はどんなお話しなの?」

「そうだね……心愛ちゃんは中国の歴史で知ってるエピソードって何かある?」

「う~ん、キングダム以外だと『四面楚歌』とか?」

「へぇ、難しい言葉を知ってるね。それはキングダムの時代の後、秦を滅ぼした項羽と劉邦って英雄の戦いの中のエピソードで『項羽本紀』に出てくるエピソードなんだよ」

「えっ!? 秦って滅ぶの? ひどい! ネタバレだよ、恭にぃ」

「いやいや、心愛ちゃん。今の世界で中国に秦って国がない以上どこかのタイミングで滅んでるんだよ」

「……それもそうだね、昔の話だもんね。でも興味が湧いたから読んでみたい」

 心愛ちゃんが文庫本を手に取ってペラペラとめくるけど流石に大人向けの小説は漢字が難しすぎて読めそうにないみたい。う~んって悩ましい表情をしている。


「心愛ちゃん。私と一緒に読む?」

 去年は心愛ちゃんと一緒に江戸川乱歩の『少年探偵団』を読んだ。あれ以来心愛ちゃんは自分でもいろいろと子供向けのミステリーを読んでいるらしい。

「いいの? 陽菜ねぇと読むの嬉しい。去年みたいに一緒に読んでくれる?」

 嬉しそうに恭介くんに渡された『小説十八史略』の第一巻を持って私の膝に乗ってくる心愛ちゃん。恭介くんが心愛ちゃんの後ろで私にウインクしてよろしくねって顔をしている。

 そんな顔されたら「任された!」って頑張るしかないよね。よし、張り切って読んじゃうぞ。


 その日は心愛ちゃんと一緒に読書をして過ごした。心愛ちゃんが推しの王騎がいないって愚痴っていたけど私にはよく分からなかった。

 恭介くんに聞くと実在の人物ではあるけど『小説十八史略』には出てこない、主人公の李信なら出てくるんだけどと言って心愛ちゃんと盛り上がっていた。

 小説の中では秦王政っていう人がカッコいいなって思った。



(ヒナ視点)

「秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓、この順番で反時計回りにぐるって渦巻きを書くように並べたら戦国の七雄だよ!」

「殷・周・秦・漢・三国・晋・南北朝・隋・唐・五代・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国、この並びを『もしもしかめよ』(かめとうさぎ)か『でんでむしむしかたつむり』(かたつむり)のリズムで覚えるまで体に叩き込んで」


 私の受験勉強もだいぶ進んできたけどそろそろ点数をきっちり積み上げていく段階になったということで今日はうちの家まで教えに来てくれたしずくに世界史をみっちりと仕込まれている。うろ覚えだった部分を語呂合わせで教え込まれる。


 予備校に通ったり模試を受けたり自分自身の勉強も忙しいのにこうやって私の勉強にまで付き合ってくれるしずくは本当に面倒見がいいというかなんというか凄いと思う。

 この夏の共通テスト模試ではギリギリでB判定に手が届いたそうだ。


「もうちょっと早くから医学部の受験対策してればよかったんだけどね。でもヒナちゃんの主治医になるって決めたからにはしっかり合格してみせるから見ててよね」

「ありがとう。でも無理だけはしないでね」

「大丈夫、私が頑張って合格してヒナちゃんが不合格で夢が追えないんじゃ意味ないからしっかり勉強してね」


 私の受験科目は共通テストが3つと個別試験で2つ。

 共通テストは国語と英語が必須でもう一つが選択できるので世界史を選択した。個別テストは総合問題と面接なのでそっちも対策を進めている。


「ヒナちゃんの場合は共通テストで点数を極力落とさないこと。ヒナちゃんは志望動機も明確だしやりたいこともあるし面接の配分の200点分はいい線いけると思う。だとしたら全部で1000点の配分のうちの共通テストで挑むことになる600点は取りこぼしなしで行きたいから」


 そういう理由で文系特化して勉強していくことになって最近は勉強の合間に古典文学のマンガ版を何冊も読んだり、小説で中国の歴史を学んだりしている。

 息抜きなのか勉強なのか分からないけど、実は私は本を読むのが好きなタイプだったらしくてあんまり苦にならない。

 元々陽菜が小学生の頃から読書家だったらしくて体の方に読書習慣が染みついていたからかもしれない。


「ふ~ん、でもさ。共通テストってひっかけ問題ぽくて好きじゃないんだよね」

「あの問題がひっかけっぽく見えるのは《知識量が足りてないから》なんだよ。知識量が十分なら選択肢は一つしかないってしっかり分かるようにできてるから」

 ぐうの音も出ない。今までの模試なんかでも二つまで絞り込めてもその二つのうちの正解を決められないって悩んでたからそれは見極める知識が足りてないってことなんだよね。

 その証拠に分からなかった問題をしずくに解説してもらったらそれ以外に正解はないんだって理解できちゃうし。

 そんなこんなでしずくに協力してもらいながら家で受験勉強しているとチャイムが鳴った。


 ピンポーン


 2階の私の部屋で勉強していたけど今日はお母さんは出掛けてていないはず。宅配便とかご近所さん、もしくは日奈子さんかもしれないからとりあえず対応しに玄関に向かう。


 ガチャ


 そこにいたのは顔見知りの小学生だった。恭の親戚の女の子、心愛ちゃんだ。

「ヒナお姉ちゃん久しぶりです。今日から夏休みの終わりまで恭にぃちゃんのお家にお泊りするから挨拶に来ました」

 心愛ちゃんは大人しい女の子で恭にすごく懐いていた。私が恭と付き合っていたことも知っていたし、恭が生きていた間は結構恭にべったり甘えてて小学4年生まで一緒にお風呂に入っていたりしていたらしい。

 恭の四十九日の時に初めて姿を見たがその時も泣いていた。

 その後、初盆、命日なんかの度にわざわざ多々良家まで来ていたので話をしてお互いの恭への気持ちを確認して友達になった。


「今年はお盆明けに来たんだね。今時間ある? 時間があるんだったら上がっていかない? ちょっと受験勉強でバタバタしっちゃってるけど恭の話をしようよ」

「はい、ありがとうございます。それじゃあお邪魔していいですか?」

 心愛ちゃんは本当に礼儀正しくていい子だ。素直に恭のことを好きだったんだなって伝わってくる。


「どうぞ、上がって。あ、今しずくって友達が来てるんだけどいいかな? 多分その子も心愛ちゃんと話が合うと思うよ」

「ヒナお姉ちゃんの友達なら大丈夫です。お邪魔します」

 心愛ちゃんを連れて二階の私の部屋に案内する。しずくはクッションに座ってすでに赤本と呼ばれる過去問題集を開いていた。私がいなくなった瞬間からもう自分の世界に没頭受験に集中しているのがしずくの凄いところだと思う。


「あ、ヒナお姉ちゃんのお友達ですか? 私、神松こうまつ心愛ここなといいます。恭介お兄ちゃんの従妹いとこでよく遊んでもらってて、今日も多々良家に泊まりに来ました」

「私は岩清水しずく、ヒナちゃんのクラスメイトなの。よろしくね」

 しずくが本から視線を上げて挨拶をすると心愛ちゃんが焦ったように私のひじに縋りついてくる。ああ、しずくが人たらしの笑顔で挨拶するから。


「ヒ、ヒナお姉ちゃん!? しずくさんってめちゃくちゃ美人じゃないですか?」

 一生懸命小声にしてるけど口元隠さないとしずくの場合は読唇術があるから気を付けて。

 みおと一緒にしずくのことをお嬢様モードに化粧したりプロデュースしたけど正直言って想像を超える破壊力だった。初めて会った心愛ちゃんがしずくの笑顔で壊れかけてるのも仕方ないと思う。

 知る限りしずくと並べて見劣りしないのは美人の方向性は違うけど凛々しいひよりくらいだ。


「大丈夫! あの人も恭相手に失恋してる失恋組だから。心愛ちゃんと同じタイミングでバレンタインチョコを渡して玉砕してるから」

 心愛ちゃんの心の負担を取り除くために心愛ちゃんの小学3年生の時の……しずくが中3の時のエピソードを暴露する。

「ちょっと! ヒナちゃん!?」

 頼れるお姉さんを演じようとしたしずくの外面が一瞬で壊れる。

 いや、今からは恋バナだから。取り繕ったしずくよりもホントのしずくで心愛ちゃんと接して欲しいしね。


 恋の勝者の余裕? そんなものは私にもないけどね。最後に恭にあんなことをしちゃったっていうのもあるし、この2人に勝ってた中学3年生の頃の恭の心を奪っていたのはこの世界で幼馴染だった元の陽菜だったんだから。

 陽菜とも恋バナしてみたいなって心の中で思いながら3人で長いこと恭の思い出話をした。

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ちょっとした小話


(貞操逆転世界、心愛ちゃんの襲来の翌日。恭介の部屋にて)

恭介「心愛ちゃん、実家から荷物が届いてるよ」

心愛「へ~、後で開けるからその辺に置いておいて」

陽菜「でもこれって宛名が『多々良恭介様へ』ってなってるよ」

恭介「本当だ。心愛ちゃんの名前だと届かないかもって俺の名前にしたのかな?」

しずく「受験勉強もいったん休憩して荷物を開けてみたら?」

恭介「了解。ビリビリビリビリィィ。これって……」

陽菜「夏休みの友。懐かしいね。パラパラ……あれ? 最初の数ページ以外書き込みがない。こっちは画用紙? 絵具も入ってる」

しずく「どう見ても心愛ちゃんの夏休みの宿題ね。あと一週間でこれを埋めるのは大変そうね」

心愛「ギクギクぅ。に、逃げて来たんじゃないよ……忘れてただけ」

恭介「心愛ちゃん、俺としずくも受験勉強で毎日勉強漬けだから。今日から帰るまで心愛ちゃんも宿題漬けってことで」

陽菜「私も手伝うよ。この間までかなでくんの宿題見てたから」

しずく「じゃあ、ポスターと絵日記の絵は私に描かせて。最近絵を描けてないからストレスが……」

恭介&陽菜「「しずく(ちゃん)の絵は小学生に見えないからダメ」」

心愛「ヒーーーン。宿題が追いかけてくるなんて、お母さんのバカ~」


という会話が交わされたとか交わされなかったとか。

その後、みんなで勉強した。


恭介……(18禁的な意味で)小学生に見えない

陽菜……(絵が上手すぎて)小学生に見えない


夏休みに出したいと思っていた心愛ちゃん。まさか彼女が夏休み最後の鉄板ネタをこなす羽目になるとは。ちなみに元の世界の心愛ちゃんはしっかり終わらせていたりします。


心愛ちゃんが読んでいたマンガは『キングダム』です。

恭介くんが読んでる『小説十八史略』は全六巻。講談社文庫より出ている陳舜臣の著作です。

ここで書いている受験対策を実行してうまくいかなくても作者は責任取れません。

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