第308話 ②臓器提供意思表示カード

「ヒナちゃんにお客さんが来てるんだけど、この部屋に入って貰って大丈夫?」

 少し不安そうな顔をしてお母さんに聞かれる。

 チャイムが鳴って誰かが訪ねてきたような気配は感じられなかったからうちと親しい誰かが来たのだろう。


「誰?」

「恭介くんのお母さん。日奈子さんよ。ヒナちゃんと話したいって来て下さったの」

 恭のお母さんは日奈子さんという。私の「陽菜」という名前は日奈子さんから音を貰ったのだと聞いたことがある。

 日奈子さんとは恭が亡くなってから一度だけ会っている。私が生き延びて意識が戻ってすぐの頃だった。

 私のせいで恭が死んだのに一言も責められなかった……私が生きていてよかったって言ってくれた。息子が最後に守りたかったものを守れたって。

 逆にそのことが今でも私の心を苦しめている。本当に私は身勝手で最低だ。


 その日奈子さんが会いに来たというのに断ることなどできない。

「会う、会うからここに来てもらってもいいかな? 本当は私が出ていくべきなんだろうけどまだ勇気が出なくて」

 いつから私はこんなに弱くなったのだろう。男にだって引けを取らずメイクしていれば誰にも負けないと思っていたのに。


 お母さんが一度下に降りて日奈子さんを連れてくる。恭のお母さんは前に会った時よりもずっとやつれていたが目には力があった。

 日奈子さんは、恭のお母さんは私のところまでためらいもなく歩いてくる。私はベッドの上で腰かけるようにして座っている。

「こんな格好ですみません。私は……私が裏切ったから恭は……私は生きている価値なんてないんです」


 そう言いながらパジャマのまま頭を下げる私を抱きしめるように日奈子さんが包み込む。ぎゅっと抱きしめられながら言われる。

「ねぇ、ヒナちゃん……もしも、もし万が一姫川陽菜という女の子が生きている価値がなかったとしても……偶然の縁かもしれないけれどどこかの誰かの心臓があなたの中で生きているの。

 こうしていると私にまで伝わってくる。ドクンドクンって心臓の音。この音はあなたの心臓だけどあなたのじゃない。あなたに命を譲ってくれたどこかの誰かの心臓の音よ」


 そういうと私の右腕を掴んでパジャマの上から私の胸の傷の上に手を当てさせられる。日奈子さんの手も私の手に重なる。

「ほら、心臓が動いている。ヒナちゃんも感じるよね。あなたが一日生きるっていうことはこの心臓も一日生きたってことなのよ」

 心臓がなんだっていうんだろうか……言っていることは理解できるが私に心臓を残して死んだどこかの誰かの一部が生きていようが死んでいようが私には関係なんてない。

 私は勝手に生きて勝手に死ぬだけだ。恭もいないこの世界で生きている意味なんてない。


 そう思っていると今度は目の前で私の右手を開かせて一枚のカードを置かれる。見たことのあるカード……だけど私が見たことがあるのは記入されていないカードだけ。

 記入されているものは初めて見た。臓器提供意思表示カード。私が心臓の移植手術を行った病院の受付にも置いてあった。


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<1.2.3. いずれかの番号を〇で囲んでください。>

①.私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。

2.私は、心臓が停止した死後に限り、移植の為に臓器を提供します。

3.私は、臓器を提供しません。

(1又は 2 を選んだ方で提供したくない臓器があれば、×をつけて下さい。)

【心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球】

〔特記欄:              〕

署名年月日 : 平成31年4月10日

本人署名  : 多々良恭介

家族署名  : 多々良日奈子

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 恭が署名した恭の臓器提供意思表示カード。「脳死でも心停止でも臓器提供をする」という意思を示した 1 に〇が付けられていて、記入された日付は令和になる直前の平成31年4月10日、私の移植手術が行われた当日だ。

 なんでこれを……日奈子さんを見る。


「中学一年生の時にね、ヒナちゃんが手術を終えて意識を取り戻した後で恭介がこのカードを書きたがったの。本当は15歳以上じゃないと書面の意味はなかったみたいなんだけど恭介がどうしても書きたいって言って」

 私が助かったのにどうして? なんで恭のカードがここにあるの? だって恭は事故で死んじゃったから……私が引き起こした事故のせいで……


「あの子ね、ヒナちゃんが心臓の移植で助かったって聞いて感動しちゃって……バカみたいだけどヒナちゃんが心臓の移植をした時に何もできなかったのが悔しかったんだって。ずっと陽菜ちゃんを守るのは自分の役目だと思っていたのに一番肝心な時に役に立てなかったって……

 だからいつか自分になにかあったら自分の臓器は誰かに使ってもらいたいんだって、ヒナちゃんみたいな誰かのために役立てるように「心臓を鍛える」って水泳まで始めて……産んだ母親に向かってそんな馬鹿なこといぅなん……あぁあぁぁ」


 そういうと私の手をカードごと握って日奈子さんが号泣する……恭が私のせいで死んじゃったから……5分も泣きづつけていただろうか……


 日奈子さんが続きを話し始める。

「ヒナちゃんには伝わらないように隠していたけど、恭介は脳死だったの。

 事故で頭をぶつけたことによる脳挫傷で脳の機能が完全に停止して人工呼吸器に繋いでも数日で死ぬような状態だったの。

 だから私は、私と夫は恭介の意思を尊重することにしたの……恭介を脳死として臓器提供者ドナーにして貰ったの……

 だから恭介はもうこの世界にいないけど恭介の心臓はどこかの誰かの胸の中で生きているのよ。

 ヒナちゃんの心臓と同じように……」


 恭の心臓が生きている? 私の心臓と同じように……今の私の心臓と同じように見知らぬ誰かが生きていることが恭の心臓を生かしている?


 ズルいよ……恭。そんなことを知っちゃったらこの心臓を勝手に止めちゃう権利なんて私にはないって分からされちゃったよ。

 この心臓を止めるってことは恭の心臓を止めるってことと同じことなんだ。

 もう私は死ねなくなっちゃったよ。死ぬことも出来なくなっちゃった。

 恭は死んでもズルい……恭がズルをするせいで私は日奈子さんと抱き合って泣き続けた。


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 ヒナアフター第2話となります。恭介は死んでもヒナを守り続けるつもりでした。


 評価で☆☆☆をいただけると助かります。☆が増えると多くの読者の目に触れます。

 特にヒナアフターは魂込めて書いたので一人でも多くの読者に届いて欲しいです。

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