第227話 ひよりは俺の目を見つめて続く言葉を待っている

 ちゃぽんっ……

 二人が浸かっている湯船から水音がする。


「あの面紐の直しをしていた時、恭介は試合を諦めた……

 怒っているんじゃない……あのまま引き分けたら私がもう一試合するかもしれないと思って自分が負けてもいいと思ったんだろう」

 やっぱりお見通しだったか。あのまま俺が負けていたら小烏こがらすとの関係が変わってしまっていたかもしれないな。


「怪我は私の身から出た錆で、鍛錬不足だ。そのせいでみおちゃん達も含めてみんなに迷惑をかけてしまったのはこれからの反省材料だ。

 だけど、あの時恭介に諦めさせてしまったことだけは悔しくてたまらないんだ」

「ひより……」

「そして何よりもっと悔しかったのは誰もが諦めかけていたあの場面でたった一人恭介のことを信じて声を上げた女の子がいた。

 陽菜ちゃんだ。陽菜ちゃんの声で恭介は生き返った。いや、違うな、あの瞬間から別人になった。

 それまではのため、小烏道場のため、私のため、何かのために戦っていた恭介が自分のためだけに竹刀を握りなおした。

 あの裂帛れっぱくの気合は他の誰かのために出せる気合じゃない、自分の心の底から湧いて出た気合、だからこそあの石動いするぎをひるませて一本につなげることが出来た。

 あの時恭介は何を考えていた。私に、私にだけは教えて欲しい」


 懇願するような小烏の声に思わず横にいる小烏の顔を見てしまう。そこには泣き出しそうな子供のような表情。

 カッコいいばかりだと思っていた俺の刀剣女士は本当はいろんな顔を持っているんだな。

 ひよりに嘘をつくことはできない。

 俺は正面から向き直るようにしてひよりの目を見つめる。


「正直あの時俺はひよりの言う通り諦めていた。勝ち目なんて全くないと思っていたから。実際に陽菜の声を聴くまで全く勝ち目なんてなかったから。

 自分が負けて試合を終えて準優勝でひよりに負けが付かないままの28人抜き引き分け1つで負けなしの方が価値があるんじゃないかと思っていたんだ」

 ひよりは俺の目を見つめて続く言葉を待っている。


「陽菜の応援で陽菜に『負けないで』って言われて思い出した。

 負けてもいいなんて嘘だって、あの子の前では誰よりもカッコいい俺でいたいって。負けるところなんて絶対に見られたくないし、諦めたカッコ悪いところなんて死んでも見せられないって思った。

 負るんだとしても最後まで戦ってあがいている俺でいたいって思ったんだ。

 そうしたら自然と声が出て、あの突きが出せた。

 あの突きは何度も見てきたひよりの突き、世界で一番強くて速いカッコいい突きを石動に入れることが出来た」


 ひよりはポロポロ泣いている。

「分かっている。あの突きは私の突きそのものだった。動きに甘いところはあるかもしれないが恭介がどれだけ私の突きを見てきてくれたかが一目でわかった。だけど……」

「ゴメン、ひより……」

 俺たちはお互いに分かっている。俺が世界で一番憧れている女の子が誰なのか、そして俺が一番愛している女の子が誰なのかを。


「ゴメンって謝ること自体がダメだと思うけど、男としてひよりの気持ちに応えることはできない。

 俺が好きなのは、俺がその人のために自分を良く魅せたいって思えるのはたった一人だから……だからゴメン」

 湯船の中でひよりが俺の胸に飛び込んでくる。俺はそれを抱きとめた。今二人が裸だとかそんなことは何も関係ない。お互いにそんな気持ちは一切ないのだから。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁ……」


 ひよりが俺の胸の中で泣いている。俺は湯船の中でひよりが泣き止むまでその頭をなでつづけた。

 -----------------------------------------------

 本日1日3話公開

 毎日朝6時と昼12時夕方18時に最新話公開中

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る