第9話

「……ふっ、可愛いヤツめ」


 酔っ払ったまま眠ってしまった次の日の朝、マリーの弾むような声と手の辺りに感じるマリーのスキンシップ的な感触に目を覚ます。

 目を開け、感触のあった右手の当たりを見る。


「……えーっと」


 そこには少しこそばゆい感触通り、テカテカした焦げ茶色の小さな塊が幾つか蠢いていた。


「ーーん?」


 状況を整理してみよう。手に感触→手が触られている→マリーの声がした→マリーに触られている→マリーはゴキブリだ。


「ーーあれ?」


 そこから導き出される答え。それは酷く残酷なものだった。俺の手にまとわりついて蠢いている茶色の塊は、かなりの高確率で数匹のゴキブリである。いや、誤魔化すのはやめよう。俺の視力は正常だ。今、俺の右手の甲には5匹のゴキブリが乗っかって蠢いている。


「ーーそうか、……すぅーーっ」


 その事実を認識してから深呼吸。そして深呼吸をしても落ち着けなんて出来ない事に気付いた本来虫が苦手な俺は、


「うぎゃぁあーーーーっ!」


 叫びながら暴れ倒した。両手を振り回し、足を地面に叩きつける。テンパってしまってゴキブリがまだ、まとわりついてるのかすら分からない。


「ちょ! ちょちょうわーーっ!」


「……はぁ、はぁ」


 なんてみっともなく叫びながらしばらく取り乱した後我に返る。


「くそっ、ビックリさせやがって」


 ったく、そっちはちょっとしたイタズラのつもりかもしれないけど、ゴキブリが手の上歩いてるのってマジで怖いんだからな。そりゃ、マリーと喋ってる時は割と平気だったけど、あれは話が通じる相手だからいきなり襲いかかっては来ないって安心感とかあったしな。


「おいマリー、出てこいよ?」


 と、当のマリーに呼びかけるも返事は無いし姿も見えない。……なんだよビビらすだけビビらしてどっか行っちゃったのかよ。


「おいマリー、おーい」


 俺が何度呼びかけても、マリーは帰ってはこなかった。その日の夜は暇だったから、また俺は酒を飲んで酔っ払ったまま眠りに落ちた。


┌(・ ω ・ ┐┐)┐


 そしてその次の朝、事件は起こる。


「……さい。…………起きなさい」


 カサカサカサカサ。


 朝、俺は微かに聞こえるマリーの声と、やたらと不快なカサカササウンドに耳を侵食させながら徐々に意識を覚醒させていく。


「……んだよ、帰ってきたのか」


 一日ぶりに聞いたマリーの声に少し安らいでしまう自分を感じながら目を開ける。ったく、ゴキブリ相手に寂しがるとか、俺もすっかり孤独なオッサンになっちゃったもんだ。


「え? ちょ、……な、なんだよこれ?」


 目を開けると、周りはゴキブリだらけだった。いつもの見慣れた俺の部屋にあるはずの壊れかけのテーブルとか、畳の床とかそういうのが全てゴキブリに埋め尽くされてる。ゴキブリが居ないのは俺の寝ている場所の半径1mだけ。


 ヤバい。怖い、キモい、本能がアラート鳴らしてる。俺の膀胱が光って唸りおしっこ漏らせと輝き叫んでいる。何コレやばい。部屋中全ゴキだ。


「……はぁ、悲しいわ。アンタのことは友達だと思ってたけど、まさか殺さなくちゃいけないなんてね」


 本能から震えてる最中、聞き覚えのある声が響く。よく見ると無数に蠢くゴキの中心、周りの連中より一回り小さなゴキが仁王立ちで腕を組んでこちらを睨みつけている。


「ま、マリー……」


 そいつは、つい数日前に我が家に現れた喋るゴキブリマリーだった。ゴキブリはキモイけど、ゴキブリんなっても前向きで強気なこいつと過ごす時間は、そう悪くはなかったと思う。だけど今、マリーが俺を睨みつける瞳にはくっきりと、燃えるような怒りが宿ってる。


 マリーがそうなってじった理由を俺は知っている。


「……やめてよね、名前を呼ぶのは。少し、躊躇っちゃうじゃない」

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