ばいばい、宇宙人。
鳩紙けい
1
黒板に並べられた文字をノートへ書き写した私は、机の左端に置いている腕時計を見遣り、そのまま二つ隣の席へ視線を流した。
宇宙人がそこにいる。首元涼しげなショートヘアと、くっきりした線を引く輪郭には、綺麗という言葉が適当だろう。
秤部は授業中でもそれ以外でも、日がな一日窓枠が切り取る景色をぼんやり眺めていて、能動的にも受動的にも他人に対して自己の出力をしようとせず、私たちクラスメイトの顔よりも日々移り変わる空模様の方が記憶に残っているであろうやつだ。いまの季節だと入道雲あたりの鮮度が高めと推測できる。
他人に興味がないのか、それとも他人以外に興味があるのか。読み取ることは難しく、観察しても時間を無駄にするだけだ。
けれど秤部には、一度姿を捉えると中々目が離せなくなる不思議な魅力があった。瞬きの間にでも消えてしまいそうな儚さが、私の意識を強烈に惹き付ける。そんな持ち前の透明感もまた、宇宙人という蔑称じみたあだ名に箔をつけているように思う。
本当に宇宙人だったりして――なんて、バカバカしい。
学生が作り上げる未熟なコミュニティにおいて、自分が理解できない存在や珍しい相手にそれらしい言葉を当て嵌めて面白がるのはよくある話で、ままある遊びだ。
大人の魅力を魔女と呼んだり、存在感の薄さを幽霊と呼んだり、都合の良し悪しでカミサマにもアクマにもなる。
虚構を股に掛ける別称を与えられる人物のおおよそが、着想した特徴を除いても『変なやつ』である感じは否めないけれど、とにかく、あだ名なんてそんなものだ。
その程度の、宇宙人だ。
誰が言い出したのか、私だった気がするし違った気もする。そこら中を探した所でもう見つからないだろう。図らずして雲隠れした無責任な名付け親も、クラスどころか学年中の共通認識まで浸透するとは思ってもいなかったはずだ。秤部から見れば、幼稚な私たちの方がよっぽど宇宙人らしく映っているのかもしれない。
卒業まで残り二年と半分と少しあるけれど、秤部のことはなにも分からないんだろうな。
黒板を叩くチョークの音が秤部には似合わなくて、そんなことを考えた。
今週四回目となる放課のチャイムが響き渡り、教室が中身を吐き出し始める。少し経ち出入口が快適になったのを頃合いに私も教室を出た。
この時間は一日を通して最も身体と気持ちが軽くなる。逸る気持ち抑えつつ廊下を歩いていると、正面から小走りで駆け寄ってきた女子生徒が、私を見るや快活な声で言った。
「あーっ!
派手な髪色に着崩した制服、持ち上がった口端の愛らしさ、いかにもカラオケ映えしそうな声の調子。身体全部で女子高生を謳歌する存在に気圧されながらも私は答える。
「……人違いだよ。私、部活あるから」
「えっ、あー……ごめん」
女子生徒は一瞬だけ表情を強張らせて、済まなそうに笑った。
こんな風に謝られるのは何度目だろうと変わらず気まずい。むしろ謝るべきはこんな言い方しかできない私の方なのに。姉のように愛想よくするのは、なかなかどうして難しい。
「いやー針藤ちゃんから聞いてたけどほんとそっくりじゃん! はえー、どうやったら二人してこんなサラサラロング維持できんの? ビビったぁ、双子ってここまで似るんだねぇ。あ、でも妹ちゃんの方が少し声低いかな? いや一緒だわ」
「あの」
「部活ならしゃーないね。じゃ、今度一緒に行こうよ」
「えと、どうも。それじゃ急ぐんで」
強引に話を打ち切って女子生徒と別れた。
明るい人間の明るい言葉に胸焼け寸前だ。カラオケなんて行ったことないし、誘われても気乗りしない。カラオケは歌う場所じゃなくて交流の場だからまず馴染めないだろうし、私のせいで盛り下がるという最悪を招きかねないから、参加と自殺はニアリーイコール。そういう外交みたいなのは姉の領分だ。
双子の姉――
みんな、見る目ないな。私は容れ物が同じなだけの粗悪品なのに。
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