激かわエルフちゃんは魔術師さんに召喚した責任を取らせたい
清田いい鳥
第1話 魔術師ギードの過ち
「…………板ぁ?」
四方に飛び散る魔力残滓の中から出てきたのは、長方形の板だった。
大物が出てきてもいいように、空き部屋で行った実験の結果である。近所のおっさんが『ずっと物置に置いてあって邪魔だから買い取ってよ』と台車に乗せて持ってきた、チェストほどの大きさがあるこの魔道具。丹念に調べてみると掠れた文字で『転』と書かれていた。あとは読めない。
中の回路は半分以上が使途不明だが、これはどこかからどこかに何かを移動できるものではないか。そう推察した。わかったところでやってみないとただの置物。しかも激しく邪魔なやつ。
湧き立つ好奇心を抑えられず、この魔道具をもっと調べるために残存魔力を使い切ってアレらしきものを引き寄せた。この魔道具がある場所なら、同じく存在するはずの蓄魔力機のことである。
しかし座標がズレてしまった。計器も表示も意味不明ながら、どこかを映し出すための画面らしきものはついている。それもまだ生きてはいる。だからしっかり合わせられたはずなのに。多少の誤差は仕方ないとしても、やはり魔力が足りていなかったのか。
再度起動させるには先ほど調べた、現代にはない質の魔力が必要だ。残存魔力はすっからかん。もうどうしようもない。失敗だ。
「あのー…………」
「…………えっ」
突然、板の端から白い指がぬるりと生えた。幽霊かと思ってゾッとしたが、続けてさらりと白くて長い髪が落ち、キラリと輝く翆の大きな両の瞳がこちらを覗いた。そこだけ白く光を当てたようだった。小柄な幼い女の子。いかにも困ったような顔をしている。
——なんてことだ。生きた人間。どこから来た。四角い像を確かにこの目で確認してからスイッチを入れたはずなのに。そういえば箱の横に、袋を持たせかけたような像も見えていたが。まさか。あれはただの荷物じゃなかったのか。
こめかみにひと筋の汗が流れた。これは拐かしだ。拉致である。俺はとんでもないことを。元の場所に返すにはどうすればいい。魔道具の残存魔力はもう空っぽだ。俺の頭の中には学園時代に山ほど解いてきた問題集と、その答えがグルグルと回転して混乱を極めていた。どうしよう。どうしよう。この場合は一体どうすれば!
「あのー……、ここどこですか? ぼく、ハドリー市にある邸にいたはずなんですけど……」
「ハドリー市……? 知らん、ここは王都だよ。王国外のどっかのことか?」
「王国って、アベニン王国のことですよね? じゃあ王国内にいたはずですけど」
──まるで話が噛み合わない。
「ぼく、また売られるはずだったんですけど。今のご主人が死んじゃって、娘さんと息子さんには引き取ってもらえなくて、それで」
よく見ると娘の細い首には輪っかがついている。装飾品としては少々無骨すぎる意匠に見える、金色のチョーカーらしきもの。その首輪を見せてみろ、と言うと娘は素直にこちらの方へと近づいてきた。
娘の染みひとつ見当たらない白く滑らかな肌で温められていたこれは、おそらく魔道具の一種だろう。限りなく装飾品に寄せてあるが、一部妙な膨らみが見て取れるために機械的な印象がある。文字が彫られているようだが、これも擦り切れていて判読できない。つけられてから随分長く経つようだが、それより気になることがある。
「売られるはずだと言ったな。お前は奴隷か何かだったのか」
「ドレイ? ドレイってなんですか? ぼくは愛玩用の耳長ってやつですが」
「ミミナガ?」
「えっと、耳が長いから。これです」
娘はミルク色の髪にほっそりした指をかけ、後ろに流し耳の全容を見せてきた。先が上に向かってスッと尖っていたが、そこまで長いというほどじゃない。俺は訝しげな顔をしていたのだろう、娘は身振り手振りを交えながら少し慌てた様子で話し始めた。
「あの、昔はもっとびよーんって長かったらしいんですが。人間と交配したりしてる間にこうなって。短いのはお嫌いですか? お気に召しませんでした?」
俺は衝撃を受けた。娘がどこから来たのかは呼び出した当人である俺ですらわからないのだが、自分が奴隷という自覚がない。この年で飼い主に媚びる態度が身についている。文字が擦り切れるほど長く使った金の首輪。下がった白い眉毛が困惑という感情を大いに示している中に、僅かに混じる恐怖の色。翠の瞳が細かく揺れている。
「ぼくはそろそろ寿命ですけど、これがあればこのままの姿でいられますから。あ、雌の身体が良かったですか? あっ、じゃなくて、もうちょっと大人が良かっ──」
「いい。いいんだ。ここにいろ。俺が呼び出したんだ。そんなつもりはなかったが、お前は主人が必要なんだろう。選ばせてやれなくてすまないが、俺で良かったか」
パッと輝くような笑顔を見せて娘は『はい!』と明るく返事をした。そんなに嬉しそうにしないでくれ。こっちは罪悪感で押しつぶされそうだ。
──────
「すまないねえギードくん。うちのカミさん、町内会に出かけちゃってて。飲んでるから多分朝まで帰ってこんわ。私じゃ娘の小さい頃の服なんかどこにしまったか全然わからなくてさ、カミさんの服しかないけど」
「いや、いいんです。すみません。フランカさんによろしくお伝えください」
「本当に大丈夫? すまないねえ、これくらいしかできなくて。早くあの子の親御さん、帰ってくるといいねえ……」
扉の前で佇む男二人。無力感ここに極まれり。
娘の名前はエルメンヒルデ。他の名前をつけてもいいと言われてまた胸が痛くなり、エリーと呼ぶがいいかと言ったらにっこりと微笑まれてしまった。更に胸が痛くなった。
そのエリーは今ダイニングの椅子にちょこんと座り、夕食の肉を挟んだパンを頬張っている。焼いて適当に味付けしただけの肉。前日に買った固いパン。それでも翆の目をキラキラさせご馳走のように食べていて、いっそう悲しくなってくる。
細い脚が床に届かずぷらぷらしている。フランカおばちゃんのワンピースは引きずってしまいそうだ。
しかし参った。真っ先に頼りにしようと思っていた近所の食品店のおばちゃんは外出中。朝まで戻ってこない。ということは、風呂には俺が入れないとならないだろう。
随分幼くは見えるが、幼児ではないからといって使い方を教えるだけ教えて、ほおり出す気にはとてもなれない。そして、ろくに風呂にも入らされていないかもしれないこの娘をこのままにするのは可哀想だ。参ったな。本当に困ったぞ。
「エリー、食べたか。皿はそのままでいい。風呂の使い方を教えるからこっちに来い」
ぽて、という音をさせてから裸足でぺたぺた近づいてくる。しまった。部屋履きも必要だった。
「ここを捻るとお湯が出る。熱いから気を付けろ。ここは水。こうやっていい案配に混ぜて頭と身体を洗う。石鹸は……危ねえ!」
エリーが手を伸ばした先は、よりによって熱々になった水道管である。思わず腕を掴んで引き寄せたが、尻餅をつかせてしまった。しまった、力が強すぎた。この怖いくらいに細い腕に、痣を作ってしまったかもしれない。
「あっ、ごめんなさい。わかんなくて、ごめんなさい」
一気に胸が締め付けられた。ダメだ、気まずいとか言っていられない。一緒に入ってやるしかない。こいつをほっとくと、熱湯を被って火傷をする未来しか見えない。
──────
「ギードさんの髪ってぼくに似てますねー。焦げ茶に白がちょっとずつ混じってる」
「ただの若白髪だよ。お前のとは違うさ」
「ところで、なんでお湯も白いんですか? さっきは透明でしたよね」
「あー、前にお客さんに貰った入浴剤。肌が綺麗になるとかなんとか」
「へえー。前にぼくがいたお屋敷だと、透明な桃色とか黄色とかだけでしたよ。お薬みたいな匂いがするんです。これはお花みたいな香りがしますね。いい匂いー」
「お前、男だったんだな」
そう、娘は娘じゃなかった。男の子。きちんとそれらしきものがついていた。杞憂だった。一安心である。
「耳長はみんなそうですよ? 成長したら性別が分かれます。ぼくはこれのせいで途中で止まってるだけですし、外して望めばじきに子供を作れるようになりますよ」
「…………お前は本当に違うところから来たんだな」
この首輪は外してやりたい。勝手に呼び出してしまったのだ、せめて奴隷の象徴から解放してやりたい。でも外してやったらいずれ子供が作れるようになるという。
前言撤回である。全く何も安心できない。この恐ろしく美しい子供が成長したら。風呂に入らずとも蜜花のような香りをさせて、この入浴剤のような柔らかな色の髪を揺らし、花の綻ぶような、まろやかな笑顔を俺にまっすぐ向けてくるこいつが。
末恐ろしい子供である。本気で怖い。いや、恐ろしいのは自分自身。俺はこいつがここを離れるときまで、ずっと正気を保てるだろうか。
初めて見た瞬間、あまりの美しさに見とれてしまった。結婚相手を探すため王城に詰めかける美男たちにも、その相手をする美女たちにもあまり興味を持てなかったこの俺が。ヤバい性癖を開花させてしまったのかと思ったが、王城には美しい子供など、ごく当たり前のようにいた。どうやらそっちではないらしい。
どうなるかわからない。かといって、こいつを孤児院にやるわけにはいかない。あの魔道具を使ったことがバレたら。というより、方法がどうであれ無許可の『生物召喚』自体が大罪とされている。苦労して取った魔術師免許が最悪、取り消しになってしまう。
責任を持って面倒は見る。だが早くここから巣立ってほしい。でも行ったさきでこいつがどう扱われるかわからない。元奴隷なのだ。酷い扱いをされてもそのこと自体に、こいつは気づけないだろう。心配だ。大丈夫だと思えるまで手元に置いておきたい。でも。
答えの出ない問題が一気に襲いかかってきて、俺は顔を洗うふりをして頭を抱えた。何も知らないエリーはタオルを浴槽に漬け、ぷくぷくと風船を作って遊んでいた。
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