人生最後の日と思ったら最後じゃなかった日
リエ馨
第1話
端野暉良(タンノ・アキラ)は決心していた。
九月のとある土曜の午後。今日を人生で最後の日にする。手段は選ばない。
とにかくもういいめんどくさいと思いながら、足は駅に向かっていた。
手段は選ばないと言いながらしっかり選んでいる自分が可笑しい。
線路に飛び込めば一番簡単に、一発で最後の日にできそうだと期待しているのだ。後になって思い返すと、他人の迷惑になることを全く考えていなかった。
すると、突然後ろから誰かに話しかけられた。少なくとも英語ではなく、聞いたこともない言葉だ。
周りに人はたくさんいるのに、暉良は何となく自分に話しかけられたような気がして、思わず振り向いてしまった。
そこには、知り合いでも何でもない、銀の髪の男が焦った様子で立っていた。
◇
さっきまであんなに人生最後の日にこだわっていたのに、暉良はその男を自室に連れ帰る羽目になってしまった。
他を当たれって言っても言葉が通じないのに、そいつはどうしても自分にだけ話しかけてくるので対応せざるを得ない。なお、何故自分にばかり話しかけて来るのかはわからない。確かによく道を聞かれる顔ではあるが。
ただ、一方的にそいつは喋るし、そのせいで人目ばかり引くので、やむなく自宅に連れて来るしかなかった。幸い、母親はまだ帰って来ていないようだ。
自宅とはいっても小さなアパートの二階の角部屋、2LDKのうちの一部屋で、また話し出そうとする銀の髪の男を身振り手振りで落ち着かせる。
相手は落ち着かない様子だったが、まずは意志疎通ができなければ駄目だ。スマホに話しかけるだけでいい感じに翻訳してくれる便利な時代にはまだ到達していないので、まずは国を突き止めたい。どこの国の人間かがわかればいいのだ。暉良はスマホの画面に世界地図を表示させた。
それを男に見せてから、暉良は部屋の床を指さし、世界地図の日本の部分を指さす。「ここは日本です」という意味だ。
次に、男を指さしてから、もう一度世界地図を指さす。それが「あなたの国はどこですか」という意味なのは伝わったようで、彼はスマホの世界地図をじっと見つめていたが、見つめているだけでどこも指そうとしない。
自分がどこから来たのかわからないのか?
いやいやそんなわけあるかよと思い、更にあちこち拡大もして見せたが、男の様子は変わらなかった。
仕方がないので机からノートとシャープペンを出し、暉良は自分の名前を書いた。それと自分を指さして自分の名前であることを示し、シャープペンを男に渡す。
さすがに字は書けるだろう、暉良は通っている高校の授業はいまいちついて行けないが、アルファベットくらい見ればそうとわかる。彼の書いた文字で、出身国を割り出そうとした。
すると、彼は暉良がまるで見たことのない文字を書き始めた。一瞬アルファベットに似ているが、形はやっぱり違う。彼が流暢に書いているのかはわからないが、アルファベットの筆記体よりもミミズ度が高い気がする。文字と文字の区切りがわからない。
これはやばい、マジでわかんないやつ。
「は~~~~何なんだよ……」
努力が一つも実らず、暉良は脱力して思わず床に転がった
水平になった腹がぐ~っと鳴って、ようやく空腹に気付く。
壁の時計はもう夕方の五時を過ぎようとしていた。
◇
二人分の夕食を家にあったカップ麺で済ませて適当に片付けながら、暉良は男の違和感に気付いた。
箸の使い方がわからなかったのは百歩譲ってわかる。
だが、お湯を入れて三分経った容器をフォークと一緒に渡した時、彼はそれを不思議そうにしげしげと眺めていた。まるで生まれて初めてカップ麺を見るような反応だ。今時カップ麺がわからない人間っているんだろうか
片付け終わって自室に引っ込み、改めて男を眺める。
長い銀の髪が目立つので他を気にしていなかったが、市販品に見えない生地で作られたくすんだ青緑のジャケットと濃い色のインナー、ボトムは生地の薄そうなパンツ、そういえばブーツ履いてなかったっけ。九月だからブーツはおかしくないかもしれないが、どう見ても外国人のちょっとリアルなコスプレに近い。
でもドコノヒトなのかすらわからない。
コスプレである可能性は、この辺りがそれほど都会ではないので考えにくい。するならもっと都心の目につくところがいいとわかるはずだ。
え? ガチで異世界トリップ? それとも素人相手のドッキリ?
大分脳味噌が困ってきたところで、玄関で物音がした。音は一人分ではない。
「あー……」
暉良が額に手をやって大きな溜息をついた。
母親が知らない男を連れて帰って来たのだ。
顔を合わせずに終わればいいと思っていたが、程なくして自分を呼ぶ母親の声が聞こえた。
暉良は舌打ちすると、銀の髪の男にはそこにいるよう身振りで伝え、部屋を出た。
「……何だよ」
「玄関の靴、誰か来てんの」
「お前に関係ねえだろ」
「邪魔だから出てってくんない」
「お前が出てけよ」
「……っ!」
鈍い音が頭の内側に響き、衝撃と痛みが広がる。
たったそれだけのやりとりで、手近にあった灰皿で頭を殴られた。
「……ほんと生意気。死ねばいいのに」
母親は捨て台詞を残し、金と赤の混じった長い髪を掻き上げると、男と居間の向こう側の部屋へ消えて行った。
先週とは違う男だ。あの母親のどこが良くてこんなところまでついて来るのか、暉良には皆目見当がつかない。
男から見たら美人とか、そういう基準さえ母親には持てなかった。とにかくあの女と血の繋がりがあるというだけで寒気がする。
何せあいつは成人前にどこの誰かもわからない相手との間にできた自分を産み、育児放棄よろしく散々好き勝手やってきた女だ。母親なんて名ばかりで、自分に関わってくることなんてほとんどなく、親代わりをしたのは数少ない親戚連中だ。
それも今は彼らの年齢やそれぞれの事情でできなくなり、結局あの女と生活するしかなくなっているのだが、現状はご覧の通りである。
溜息を一つついて、部屋に戻った。
銀髪の男は暉良が書いた名前をじっと見つめていた。
「あー……名前……」
そうだ、こいつが何者なのかを突き止めようとしてたのに、あいつ邪魔しやがって。
せめて名前くらいお互い知っとかないと、と思ったが、殴られた頭がずきずきと痛む。
「……いいや、続きは後だ」
母親のせいで一気に疲れた。
こいつも子供じゃないんだし、別に言葉が通じなくても、自分が寝ればそのうち勝手に寝るだろう。
そんな単純な思考だけで、暉良はベッドに突っ伏した。
勢いにまかせて仰向けに転がると、ドアを二つ隔てた向こうから嫌な音が漏れてきた。
「……マジかよ。クズだな」
暉良は憎しみを込めて吐き捨てた。
まただ。子供がいる家で母親が知らない男とヤッている。いつもそうだし、その事実だけでイライラする。自分も素行が良いとは言えないが、ただただ連中の倫理観を疑うばかりだ。
腹立たしさのあまり、勢いに任せて拳でどんと壁を殴ったが、卑猥な音は止むことはなかった。
銀髪の男は暉良のその音に驚いて近付いて来た。壁は僅かにへこんだが、男が触れた暉良の手はどこも傷ついた様子はなかった。
男はほっとしたように手を離すと、そのまま顔を覗き込んで来た。もう少しで鼻先が触れそうなほど間近で、青い目と視線がぶつかる。
深夜のテレビでよくある海中散歩みたいな、綺麗な青い色だった。
それから、男の手の平が暉良の頬に触れた。その長い指は首筋を辿って鎖骨を通り過ぎ、シャツ越しに胸のあたりで止まった。
何だそれ、よくあるAVみたいな展開じゃねえの。困ってる人がいたんで連れて帰ったら早速下半身に恩返しされました。みたいなタイトルでさ。
目の前の青い瞳は、そのまま相変わらずの距離で心配そうに見つめてくる。
「……なんだよ、慰めてくれんの?」
後日聞いた話では、男はこの時暉良の体内の精霊のバランスとやらを見ようとしていたらしい。職業病だと苦笑していた。
漏れ聞こえる音のせいで、男の指は明らかに暉良を勘違いさせていた。それは暉良が男の頬に触れ返した時に気付いたと言っていた。
男はそれを察して一瞬動揺したように見えたが、すぐに瞳は落ち着きを取り戻した。むしろ余計落ち着きのある色になったかもしれない。
ぎし、とベッドが軋んで、男の唇が暉良の唇に触れた。
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